第百二十九話 夢の中へ 3
――リンとこの小さな家のなかにいること以外、僕はもうなにも要らない。なのに、外がなんだか騒がしくて僕は目をつぶり、耳を手で塞いだ。もう、僕とリンの邪魔をしないで!
☆
ドンドンドンドンッ!
家の扉が強く叩かれた。
「うぅッ……!」
ビクリと震えて、耳を塞ぐ。もうなにがなんだかわからない。これ以上、僕の心の奥深くへ誰も入ってこないでよッ!
「あら、誰かしら……。私、見てくるからちょっと待っててね」
「あっ、リン……!」
僕の目の前をリンが通りすぎていく。だめだ……! もし外にいるやつが恐ろしいやつだったら、狂暴なやつだったら……! リンはまた、あの時のようになってしまう!
「待ってリンッ! いかないで! 僕が行くから!」
僕は必死に自分を奮い立たせて立ち上がった。リンの脇を通り抜け、誰かが外からガチャガチャと回すドアノブを必死で押さえ込んだ。
もう、誰も……! 誰であっても……!
「――カイッ、カイッ! いるなら返事してッ……お願いだよ……!」
……スバル……!?
どうして、スバルがこんなところへ? どうやって夢の中へ? こんな危険で不安定なところに……!?
いや、そんなことより、なんでこんな僕なんかの元へ……! 僕は君にひどいことを言った。一番近くで励ましてくれていた、誰よりも僕の理解者であったはずの君へ、僕は僕の気持ちなんかわかってたまるかと、言ってしまったのに……!
「カイってばぁッ……!」
「……スバル……」
「カイ! 私と一緒に帰ろう! みんなのところへ……!」
「なにをしに、来たの……?」
僕は最低な奴だ。気持ちを爆発させて、スバルに八つ当たりして、仕舞いには自分の夢の中に閉じこもる最低な奴だ。
「カイ……」
「僕は君に……ひどいことを言ったじゃないか……!」
そんな、そんな弱い僕を、きっとスバルは――。
「僕なんてっ……嫌いになったんじゃなかったの……!? どうして、助けになんか来るのさ……!」
ドアノブをつかんだまま、僕は一枚の扉の向こう側にいるはずのスバルへ、手を置いた。
ほんとは、会いたかったんだ……! 恋しくて仕方がなかったんだ、スバル。
君に嫌われたんじゃないかって、心がはち切れそうで仕方がなかったんだ。
「カイ」
そんな僕に、スバルは優しい声で言った。
「君と仲直りを……しに来たの」
★
両者とも沈黙したまま視線を離さなかった。意識と意識がぶつかり合う。夢の中のこの勝負、集中力のより高い方が優位にたてる。
先に動いたのはダークライだった。いや、動いたといっても自らが行動を起こしたわけではない。浮遊している彼に落ちた黒い陰が、ざわざわと膨張しながら今にも暴れだそうとしていた。
そして、陰が――前方へ弾け飛んだ。ルアンもろともすべてを闇へ引きずり下ろそうと迫る。
「“ダークホール”」
だがルアンは慌てずにフッと息を吐き強く一歩を踏み込む。飛んできた陰の切れ端を掻い潜りながら、目にも止まらぬ速さでダークライの眼前にまで迫った。“神速”を使っていないにも関わらず残像を残すほど速度を出せるのは、夢の中でのルアンの意志が強固である証拠だ。
「“インファイト”」
拳が飛ぶ。風を切る音が耳のすぐ横で唸る。ダークライは初手を紙一重でよけて地面に落ちる陰と同化した。そして先程のルアンと同じように残像を残しながら地面を這い、相手を撹乱する。
だが、地面へ逃げられても“インファイト”はまだ続いている。ルアンは強く息を吸い込んだ。そして瓦を割るときのように方膝をガクンと曲げて拳を強く地面に打ち付ける。衝撃波のように地面が隆起した。その余波はダークライにも迫り、彼は地上への脱出を余儀なくされた。
もちろんその瞬間を逃すルアンではない。陰が地上へ這い出る僅かなロスタイムのうちにルアンは走りながら波導を練り上げて、腕のなかに特大の“波導弾”を作り上げた。
「!」
地上へ出たダークライは目を見張る。彼とルアンとの間隔は、ゼロ距離。
「“波導弾”ッ!」
スローモーション。
ルアンは塊を撃ち込むのではなく打ち付けようとする。この距離なら確実にダークライをこの技で沈めることが出来る。まさか今から避けられはしない。
決まった――。
「――やめてッ……ルアンッ!」
「ッ!?」
草のドレス、優しい光を帯びた瞳、他のどんな花よりも鮮やかな色をした花冠――。
「――エク……!?」
“波導弾”を打ち付けようとしたルアンは、眼前の光景に腕が一瞬緩んだ。
だが、これが致命的な隙だった。
☆
「なか……なおり……?」
僕ともう一度……? 仲直りをしてくれるの?
ドアノブを握る手が緩む。スバルは本当に、僕ともう一度仲良くなるために、危険を省みずこんなところまで……。
「スバル……僕のこと嫌いになったりしていないの……?」
「どうして嫌いになるの!? 一度ケンカしたからって、カイのこと嫌いになったりしないよ!」
「傷ついたでしょ……? ひどい言葉で、僕が君を傷つけたでしょ?」
声が震える。
「あなたの言葉で傷つかなかったと言えば、うそになるよ」
ほら、やっぱり……。
「でも、今はそれ以上にカイの心が傷ついてる!」
「!」
「私の心の傷は、とても小さいからもう癒えてるの。でもカイ、あなたの心の傷は違う。深くて、それでいて誰も今まで手当てできなかった……! ごめん、カイ……! 私もあなたが心を閉ざしてしまうまでこんなに傷ついてたとは、知らなかったの……!」
スバルの声も、同じように震えている。感極まって涙が溢れているんだろう。そんな彼女の様子が、木の扉がガラスになったかのように鮮明に想像できる。
「かつてあなたが私の心を癒してくれたように、こんどは私が、あなたの心を癒してあげたい……!」
「うっ、ううぅ……!」
「お願い、そのまえに私の前から消えないで……! 一人で抱え込まないで……! 一緒に、一緒に……!」
ボロボロとまた涙がこぼれる。どうしてだ、スバルの前では強い自分でいようと誓ったのに。頑張ったのに。
どうしてよりにもよって彼女の前だと、こんなにも涙が溢れて止まらないんだ……! 情けないくらいに涙やら鼻水やらが止めどなく溢れて。押し殺していた嗚咽もだんだんとこらえきれなくなって。
「……怖いんだッ……!」
「カイ……」
「怖いんだよ、スバル……!」
夢から覚めたら、僕は僕じゃなくなるんだ。
夢から覚めたら、周りは僕を僕と見てくれないんだ。
夢から覚めたら、僕の居場所がなくなるような気がするんだ。
夢から覚めたら、僕の家族はいないんだ。
夢から覚めたら、僕は死ぬ運命なんだ。
だって僕は、英雄の“器”だから――。
「夢の外が……外の世界に出るのが、怖いんだ……!」
「夢の中では生きていけないよ。あなたがいるべきは、外の世界だよ」
「夢のなかでは、リンがいてくれるんだ……!」
「今あなたといるリンさんは、ダークライが見せた幻だよ」
「そんなことは、わかってるんだ!」
そんなことは、わかってるんだよスバル……! でも僕は、幻想にすがらなきゃいけないほど弱いんだ。例え幻想でも、一緒にいたいと思ってしまうんだ……!
「カイ、本物のリンさんはどんな人?」
本物の、リン……。
「私は、リンさんのことを知りたい。私や、師匠やルテアやみんなに、リンさんと過ごした日々のことを教えてほしいよ。例え現実の世界に彼女がいなくても、あなたと過ごした日々がちゃんとある。ちゃんとあなたの中で生きてる! そして私たちに教えてくれれば、みんなの中で生き続けるの!」
みんなの中で、生き続ける。たとえ、この世からいなくなったとしても。
「みんな、カイのこと心配してるよ。誰もあなたにいなくなってほしくないの! 夢のなかにまで会いに来たの! だから、姿を見せて……! 一緒に帰ろうよ……!」
僕は、リンのいない世界では生きていけないと思った。でも違う。僕はリンの死を受け入れられなくて、自分からリンのいた世界を狭めてしまっていた。 そうだ、リンのことを知ってもらおう。そうすれば、みんなが僕と同じリンの姿を思い浮かべる。彼女の世界が、広がる。
一人ぼっちだと思って閉じ籠っていた。そして、危険を犯してまで来たスバルを……!
もう、僕のせいでこれ以上大切な人を失いたくない!
「――リン」
僕は扉を背にして廊下をわたった。そしてハクリューに向き直る。
僕が作り出した思い出の中のリンに。
「僕は……大切な人ができた。リンも大切だけど、同じぐらいに、もしかしたらそれ以上に大切な人だ。僕は君との大切な思い出を持って帰って、スバルと、ギルドのみんなと生きていきたい」
そうすれば、君も色んな人の心の中で、生き続けることが出来る!
「……カイ……」
「!」
リンが、ハクリュー独特の体のくねらせ方をしながらこちらへゆっくりと近づいてきた。
そして。
「――私を、置いていくの……?」
「!」
リンの体が、ドロリと黒く溶けた――。
★
「がッ、あぁあッ!」
一瞬の隙を突かれ、気づけば地面に体が叩きつけられて全身に激痛が走る。視界が揺れる。脳震盪を起こしている。いったい、なにが起こったのか。ルアンは状況を把握できないまま、それでも無理矢理体を起こしリカバリーをはかる。
「くっ……!」
どうやら高密度のエネルギーの塊を撃ち込まれたようだ。恐らくは“サイコキネシス”。だが、そんなことよりももっと別のことがルアンの心を揺さぶらせている。
――あれは……あの姿は……!
「――くくっ。いいね、その表情」
「ッ!?」
すぐ背後からささやくように言われて、ルアンはゾクッと背筋に悪寒を走らせながら、弾かれたようにその場を離れる。
その直後、さきほど自分のいた場所に“黒い波動”が撃ち込まれていた。一歩でも遅れていたらノックダウンであった。
しかし、それでもルアンはダメージが抜けきらずにヨロヨロとした足取りだ。そんなルアンを、目に不気味な光をたたえながら距離をおいて見ているダークライ。
「はっ、くっ……幻で惑わすか……ッ!」
「あはははっ! それはそれは懐かしい再会ではなかったのかなァ!? 英雄殿!」
ダークライは、狂ったように声を張り上げ、そして目の前に再び同じ幻を作り上げて見せた。
草のドレス、頭の上に乗った花冠――ドレディアという種族のポケモンに成り済ました彼は、だが声はダークライの時のまま、低くルアンへ言い放った。
「このドレディア――エクは、君がかつて愛した姫君なのだからねェ……!」