第百二十八話 夢の中へ 2
――スバルが覚悟を決めて潜ったカイの夢の中。そこで待っていたのはルアンという心強い助っ人であった。
☆
覚めない夢の中で過ごせば、それは現実と同じ。
……認めたくないけど僕はそんなダークライの甘言に、言いようのない魅力を感じていた。
僕が直面している現実は、とてもつらい。もちろんつらいのは僕だけじゃないはずだが、それでもなお周りなんかそっちのけで自分の使命から――運命から、どうしても逃げたくなったんだ。現実の世界じゃ誰も助けてはくれないんだから……。
そしてなにより……。
「カイ……どうして泣いているの?」
夢の中には、リンがいる。
「なにか、つらいことがあった?」
彼女に触れていられる。
「リン……! ずっとそばにいてくれる……?」
「どうしたのいきなり。……当たり前じゃない、私はどこへもいったりしないわ」
「わかった……リンがここにいてくれるって言うんなら――」
眼差しが温かい。ひんやりとした感触が懐かしい。二度と触れられないと思っていた家族が、そばにいる。
「――僕はもうここにいる……。どこへも行かないよ」
★
ぐにゃりと空間が捻れた。広がる視界が一気に回ってめまいがし、スバルは慌てて目を強く閉じる。
――いったい、何が起こったの!?
と、手ぶらだった右手が強く握られた。ルアンだ。
「慌てるな。自分が誰なのかを、強く念じるんだ」
ルアンはぴったりとそばに付いてくれている。それだけでもスバルは心を強く持てた。ゆっくりと、頭のなかで自分の存在を確かめる。
そして、ゆっくりと目を開けると――。
「ここは……!」
辺りを見回してみると、一面に広がるのはうっそうとした森。道という道もなく、木々の一つ一つがまるで侵入者を拒んでいるようだった。スバルは手頃な木に近づいて目を凝らしてみる。枝はどれも尖端が針のように尖っていて、葉もノコギリの歯のようにギザギザで、少しでもなぞると皮膚が傷ついてしまいそうだ。
木々の間にはこれでもかというほど背の低い茂みがある。が、それはどれもイバラだ。
「これ、どういうこと……?」
「木々の形は心が具現化されたもの。相当とがっているということは、やはり精神がひどく荒んでしまっている。そしてこの茂みは……どうやら、私たちは歓迎されていないようだ」
「うそ……カイに拒まれてるってこと?」
「これ以上深く潜るな、という警告かもしれない」
ルアンが目を鋭く細めた、と同時に、辺りの木々が一斉にざわざわと揺れ始めた。
「うぅッ……! こ、こんどはなに……!?」
「だが、私たちはどれだけ警告されたところで――」
森のざわめきが最高潮に達した瞬間、ビュン、とイバラの蔦が二人に迫ってきた。
「――引き返したりなど、しない!」
“ハードプラント”に負けじと劣らぬ蔦を、ルアンはスバルを抱えて瞬時に避けた。「きゃっ……!」といきなり視界が流れて彼女が驚いたのもつかの間、ルアンはスバルを下ろして短く叫ぶ。
「走れ!」
「っ!」
四足歩行となり、弾かれたように全速力で駆けるスバル。後ろを走るルアン。そのすぐ背後には蔦や蔓が二人を絡め取ろうと迫ってくる。
「ど、どっち!? どっちへいけばいいの!?」
「森が深い方へ! 障害は電撃で焼き払え! 道は技で作るしかない! “波導弾”!」
「じゅ、“十万ボルト”ッ!」
二人は技を進行方向へ放った。スバルの電撃はいつもよりもいくぶん弱い威力でしか放てなかったが、ルアンの“波導弾”は破格の威力を持っていた。彼が技を放った軌道上に道ができる。
スバルは走りながら必死に自分へ念じた。
――怖がったり、焦っちゃダメ! 技の威力も落ちちゃうんだ!
「スバル、肩に乗れ!」
ルアンが走りながらスバルの方へ腕を差し出す。スバルは考える間もなく彼の腕を伝って方へよじ登った。それを確認したルアンは両足に力を込める。
「“神速”」
「……!」
刹那、スバルの眼前にまで迫っていた森の脅威が、まばたきもせぬままにぐいぐいと遠ざかっていく。
――た、助かった……!
★
「はぁ……! 怖かった……!」
森を抜けて、木々の数もずっと少なくなった場所でルアンはやっと“神速”を解除し立ち止まった。その瞬間にスバルは緊張がほぐれてしまって、彼の肩の上でへたりこむ。
そして、改めて辺りをもう一度見てみると、木と木の間隔も長く、その間から外の景色を見ることができた。
「あれって……“雲霞の里”、かな……」
「……なに」
ルアンもスバルの隣に立ち、同じように木々の間の景色に目を凝らす。見えたのは確かに、濃いもやのかかった谷間の集落――雲霞の里であった。遠くには海も見える。他の場所というのはあり得ないだろう。
「……なるほど、わかってきた」
「え?」
「カイが里にいるとしたら……リンと過ごしていた家の中だ」
「じゃあやっぱり、カイは……」
――リンさんのことを、引きずっているんだね……。
彼女の死がカイの心の中を決定的に変えてしまったのは確かだ。二度と会えないはずのリンと夢の中で過ごせるとなれば、自分達の進入を拒むのも大いに納得がいく。
だが――。
「夢は、所詮幻想だ。死んだ者には二度と会うことはできない」
ルアンが、スバルの思っていたことを代弁する形で小さく漏らした。その声には、自身の体験からなる憂いが少なからず含まれているようにスバルは思えた。
「とりあえず、向かうべき場所は決まった」
ルアンはくるりときびすを返し、スバルと向き合う。
「行こう」
★
雲霞の里に、かつてスバルがカイと一緒に向かったルートをたどりながら目指していく。途中なんどか二人の進入を拒む妨害がなんどかあったが、ルアンの的確な指示のお陰もあり、なんとか掻い潜ることができた。
里の集落は迂回し、一直線にカイの住んでいた家へ。そのポツンとたたずむ建物が見えてきたところで、ルアンとスバルはとある者の姿を前に立ち止まった。そして、警戒体制にはいる。
「……貴様」
「くくっ……久しぶりじゃないか、“もう一人のカイ”……」
まるで二人が来ることをずっと前から知っていたかのように、家の前でゆらゆらたたずむ影――ダークライ。まるで彼は、今のこの状況を誰よりも楽しんでいるように見えた。
スバルの全身に緊張が走る。彼女は、ダークライと正面から対峙するのかここで初めてだ。想像よりもずっとダークライの持つオーラが禍々しく、張りつめた雰囲気に冷や汗が流れる。
――こいつが、アリシアさんや、リンさんや、カイを……!
スバルが頬から電気を散らした全く同じタイミングで、ダークライは人形のごとく首をゆっくりとひねる。
「そしてそちらははじめましてだね、スバル……」
ゾクッ――。
一瞬にしてスバルの全身が得体の知れない恐怖で粟立った。そして、眠りにつく前の探偵の言葉がこのタイミングでフラッシュバックする。
――もしダークライと接触したら、正面突破は極力避けてください――。
ローゼがそう念を押しただけの相手ということが、肌でビリビリと伝わってきた。
「君は私のことを、楽しませてくれるのかな?」
「自らこの場に現れるとは、よほど倒されたいようだな」
ルアンがスバルを守るようにして前にたつ。
「貴様の相手は私だ」
「……ふーん、気合いが入っているね。くくっ、でなければ私も出向いた甲斐がないというものさ」
ルアンはゆっくりと後退してスバルのそばに寄る。そしてしゃがみ、彼女にそっと耳打ちをした。
「ここは私が食い止める」
「ルアン……!」
「夢の中は奴の土俵だ、今は戦うな。君はカイを救うことに専念するんだ。」
「……わかった、気を付けてね」
「――相談は済んだのかな?」
ダークライが不気味な笑みを浮かべながら彼らの会話を楽しんでいる。その余裕綽々ぶりといったら、スバルが二人から遠ざかり家の方へ走ってもまるで攻撃する気がない様子から見ても明らかだった。
「ヒロインの救出劇というのもなかなか見てみたいものだね」
「無駄口を叩いている暇があるのか?」
ルアンは短く、そして鋭く息を吐いて“波導弾”をダークライへ放つ。空の頂ではこの一撃でダークライの体力の半分を削ったほどの威力だ。その力の塊が目に見えぬ速さで黒い影に迫っていく。
だが。
ダークライはなにもしなかった。ただ立っているだけだった。だのに、彼に迫る“波導弾”がみるみるうちに小さく萎んでいく。そして、技が炸裂する距離になるとダークライは片手を伸ばし――。
パチンッ。
シャボン玉ほどまでに小さくなった“波導弾”を、文字どおり指で割って見せた。
「……くッ、あはは! ここをどこだと思っている? 夢の中さ! 英雄様がどれだけこの場であがいても、私の力の前では後々死んだ方がマシだと後悔するんだよ!」
「……」
ダークライの叫びを無表情で聞いていたルアン。そんな彼は、ダークライの台詞のような言葉が終ると、フッとニヒルに口角をあげて見せた。
「言いたいことは、それだけか」
「……なに?」
ダークライの笑みが一瞬にして凍りつく。それに呼応するように彼の周囲の空気も凍ったように冷たく感じさせたが、ルアンはそんな様子もお構いなしに、両手をパンッ、と合わせた。
「夢や意識もまた波導の内の一つ。ここが貴様だけの土俵だと思ったら、空の頂以上の恥をさらすことになるだろう」
「カイッ!!」
スバルは、額を激突させる覚悟で家のドアの前まで走った。そして、暖かさの感じる木の扉のノブを回す。しかし、案の定扉は固く閉ざされていて家のなかに生活の気配が感じられなかった。スバルは息をあげつつ、扉を小さな手で強く叩く。
「カイッ、カイ……ッ! いるなら、返事をしてッ……おねがいッ!」
沈黙。
「カイってばぁッ……!」
「……スバル……」
「!」
扉越しのくぐもった声が、スバルの耳に触れる。その一言だけで、彼女は何もかも救われたような気になって、自然と目の縁に涙がたまった。
「カイ! 私と一緒に帰ろう! みんなのところへ――」
「――なにをしに……来たの……?」
枯れそうな声。小さく聞き取るのも困難な声が、なぜかスバルの耳には先程の声よりも強く響いた。
「……」
強く叩くために振り上げていた拳も、勢いを失ってへなへなと萎れていく。
「カイ……!」
「僕は、君に……ひどいこと言ったじゃないか……」
「……え?」
どんな言葉が飛び出すのかと思ってスバルは身構えていた。『帰れ』とか、『君なんかもういらない』と言われるのかと恐れていた。しかし、彼の口から出たのは――。
「僕なんかっ……もう嫌いになったんじゃなかったの……!? どうして、助けになんか来るのさ……っ!」
――そうだ。そうだった。
スバルの瞳に再び光が戻った。
――カイは……私の知っているパートナーの姿は、いつだってこうだった。他のどんな誰よりも強く、自分のことよりもまずそばにいるみんなのことを想う――。
それが、カイだ。
「カイ」
スバルは、一枚の扉越しにいるであろう彼に触れるため、手のひらを静かに置いた。
「君と仲直りを……しにきたよ」