へっぽこポケモン探検記




















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第八章 悪夢編
第百二十七話 夢の中へ 1
 ――カイがナイトメアダークにとらわれてしまった。そんな彼を救うため、流浪探偵ローゼが即席で考え出した危険な策をスバルが自ら挑もうとするが……。





 そうだ……これは、夢なんだ。
 椅子に座る僕の目の前にいるリンの姿も、彼女が作ってくれた料理も、そして暖かな眼差しも、全ては精巧に作られた夢の中の出来事なんだ。
「……は、はは……よくできてる、よ。ほんとに……」
 正直にいってしまうと、何もかもがまるで本物のようだ。料理の味も家具の置かれ方も、僕の記憶と寸分違わない。いやむしろ、発想を逆転させて考えるべきだ。この夢が、僕の記憶から成り立っているものだとしたら……。
「夢なら……目をさまさなきゃ」
 僕は立ち上がる。しかし、その物音を聞き付けたリンが、いつものように怪訝そうな顔つきになる。やめて。そんな顔しないで。決心が揺らぐじゃないか。これは、夢だって、信じたくなくなるじゃないか……。
「カイ、まだ食べ終わってないのに立ち上がって、どうしたの?」
「よくできてる、ほんとに、よくできてるよ……!」
「カイ、座りなさい」
「いるんだろう、ダークライ……! 今さら僕にこんなものを見せて……ッ、なんのつもりだ……ッ!?」
「カイ!」
 リンが静かに怒る。
「ダークライッ!」
 僕は無視して叫ぶ。
 すると――。

「ククッ……君にまだ抵抗する気力があったとは、驚きだよ」

 陰が、姿を現した。
 ぬっ、と。リンの横に……いや、リンの姿をした幻の横に、ダークライが立っていた。
「わかるよ……。夢だ、幻だ、と自分に言い聞かせないと、心を保てないんだね、カイ……」
「うるさい……」
「こうやってリンに会えて嬉しいかい?」
「うるさいッ! お前がリンを、殺したくせにッ……!」
 力に任せて手元の椅子を腕で払う。派手な音をたてて倒れるその椅子を見て、リンはダークライなどいないように振る舞いながら、いったいどうしたというの、と僕に迫ってくる。
 やめろ、僕にこれ以上精巧な幻を見せるな……!
「く、あはは! 私は空の頂で言ったはずだよ。君のような相手ほどいたぶりやすい、とね。君のイジメかたは、あのときにもう心得たつもりだったが? うん?」
 ゆらり、とダークライは僕がまばたきをするうちに顔を目の前にまで近づけて不気味に言った。
「……そんな理由で……ッ、リンを……!」
「リンは目の前にいるじゃないか、くくくっ」
「黙れッ!」
「夢の中でずっと、過ごせばいいじゃないか」
「……っ!」
 憎い相手にどんな罵声を浴びせようかと思っていたのに……その一言が僕の喉まででかかった言葉を瞬時に奪った。
「……なん、だって……?」
「夢が覚めなければ、記憶の中と寸分違わぬリンと一緒に、ずっと暮らしていけるじゃないか。そうすれば……今いるこの空間は現実と何が違う?」
 夢の中にいれば……現実と、変わらない……?
 僕の横にいるリンが、静かに尻尾で僕の頭を撫でる。その感触は、まるで現実のものと区別がつかない。
「君がここにずっといたいと願えば、簡単に叶うんだよ、カイ……」
 ダークライは低くそう言って、ゆっくりと床の陰に身を沈めた。

 ここにいれれば、僕は英雄と言われることもなく、リンもそばにいて、僕が“僕”として平和に暮らすことができる――?





「本当に行くのか、スバル……!」
「それ何回聞くんですか師匠……」
 スバルがカイの夢の中へ入ることになり、その準備もできていよいよという時になっても、シャナは彼女を行かせることを心配しているようだった。スバルは師匠のいつも通りの反応に、思わず苦笑してしまう。
「大丈夫ですよ、ちゃんと帰ってきますから」
「――ではスバルさん、段取りを説明いたしますよ。二百三十秒おきに心配の声をあげる保護者様にはもう構っていられませんからねぇ」
 “二百三十秒おきに心配の声をあげる保護者様”は、ローゼを一睨みして渋々と引っ込む。
 スバルはカイの横に座って準備完了、という風にコクリと頷く。
「段取りと言ってもスバルさんがすること自体は単純です。今からあなたに“催眠術”をかけます。そのあとトニア君が夢への入り口を作るので、次に意識が戻ったときにあなたは夢の中にいることでしょう」
「それで、夢の中でカイを探せばいいんですね?」
「ええ。しかし、単純ですが難易度は高いですよ。あぁそれと、もしダークライに接触したら極力正面から挑むのは避けてください。あくまでもカイ君救出が最優先で」
 二人の会話の途中で、アリシアが声を挟む。
「カイさんが悪夢から覚めたと確認できたら、三日月の羽根を使って夢の空間を閉じるので、すぐにトニアを呼んでください。夢の出口を作りますので、そこから脱出を」
「はい」
「スバルさん、これだけは約束してください。絶対に無理はしないこと。危なくなったらすぐにトニア君を呼んで夢から脱出しなさい。……いいですね?」
「……はい」
 ローゼはスバルの返事を受けたあと、トニアに目で合図をする。彼はふわふわと浮遊しながらスバルの目の前に移動し……。
「じゃあ、いくね。き、つけて」
「うん、ありがとう……お願い」
 スバルは目を閉じて背中を床に預ける。視界が真っ暗になったと同時に、トニアが“催眠術”をかける声が耳に残った。
 そして、彼女の意識は静かに暗転する――。





 ――真っ暗で何も見えない。ここは、どこ?
「……夢の中だ」
 ――だれ? どこにいるの? 暗くて……とても、怖いの……!
「思い出せ。自分が誰か、どういう姿か、どんな目的で来たのか」
 ――私は……私は、スバル。人間……じゃなくてピカチュウで、カイを悪夢から救うために夢の中へ……。
「そうだ、それでいい。夢の中では自我が全てだ。心を強く持て」
 ――あなたは……誰? どうして助けてくれるの?
「目を、ゆっくり開けてみるんだ。まさか、私の事を忘れたわけではないだろう、スバル?」



 スバルは目を開いた。辺りは石鹸で作ったシャボン玉のような色ををしている。そして自分の体を見回してみると、黄色く小さな手、先の割れた尻尾、五体満足のピカチュウがしっかりとそこに立っている。
 ――よかった……私、ちゃんと来れた……!
 安堵のため息をつきながら、再び顔をあげて前を向く。すると今まで誰もいなかったスバルの目の前に、見覚えのない誰かがたたずんでいた。
「……!」
 目前にたつそのポケモンに、スバルは一瞬一歩後ろに引きかけた。しかし、そのポケモンの種族がわかるにつれて彼女は直感でその正体を知ることができた。
 スバルの何倍も高い背に、しなやかな筋肉を持つ四肢、とがった耳の後ろには四本の黒い房が垂れていて、鋭い目は赤く染まっている――。

「……ルアン……?」

 ――波動ポケモンの、ルカリオだった。
「夢の中へ、無事に来れたようだね」
 先程スバルを助けたものと同じ、低く落ち着いた声だった。ルカリオ――ルアンは、そう言った後スバルと目線を合わせるために膝を折ってしゃがみこむ。
「ルアン……あなた、ルカリオだったんだ」
 内心でスバルはとても鼓動が激しくなっていた。同じ目線同士となった彼にまっすぐな眼差しを向けられ、少しだけ頬に熱を帯びるのを感じた。ルアンは彼女の変化を知ってか知らずか、表情を変えずに小さく頷く。
「夢の中では、私も思い描いた姿で君の手助けができる」
「ルアン……助けてくれるんだね……? 一緒に、行ってくれるんだね……?」
「もちろんだ。共に行こう」
 ルアンはスバルへ手を差し出した。スバルはすぐにその手を握り返すかと思いきや、うつむいて両手を小さくもてあそぶ。そんな彼女の手は、小刻みに震えていた。
「スバル」
 ルアンはあくまで、スバルを刺激しないようにと柔らかな声で名を呼んだ。
「ご、ごめん……わた、しっ……ほんとはすごく、怖くて……」
 ルアンは沈黙を使って先を促す。
「昨日、カイとケンカしちゃって……仲直りできるかどうか、わからないし。その前に、ちっぽけな私なんかがカイを悪夢から救えるかどうかもわからないし。なにより、ここでカイを失ってしまって二度と会えないんじゃないかと思うと、つらいの……でも、でも……!」
「……」
「夢の中に入ってみるとやっぱり自分のことで頭が一杯になっちゃって、このさき、無事に戻れるか、不安で不安で、怖くて仕方がないの……!」
 スバルは目を強く閉じて、一息に今自分が感じている思いを吐き出した。ここなら、ルアンになら、強がって隠していた自分の本当の思いを包み隠さず吐露できる。そんな彼女の目尻には光るものがあった。
「やだ……ごめんっ、私、こんなところで――」
 ルアンはそんな彼女を、黙ったまま両手で包み込んだ。
「――ル、ルアン……!?」
「そうだ、こんなところでまで強がらなくていい、スバル。話してくれて、ありがとう」
「ど、どうしたの、いきなり……!?」
「言葉で伝えるより、この方がずっと恐怖がやわらぐだろう?」
 完全に顔を赤らめてうろたえるスバルに、ルアンは当たり前のようにそう言った。それを聞いたスバルは、少し前にカイに抱きしめられたことで、言葉よりももっとずっと不安が払拭されたことを思い出した。
 大切な人がそばにいること、それが肌でわかる方法――。
「……不思議……あなた、カイと同じことしてる……」
「彼のやさしさが、いつの間に移ってしまったか」
「ううん、違うよ」
 スバルは、先程よりもずっと笑顔で、震えが止まったその手をルアンの腕に置き顔を合わせる。
「カイとあなたはすごく似てる。どちらも同じぐらいに……底抜けに、やさしいの」





「夢の中では自分の意識が全てだ。だから……姿も、技も、この空間に存在させたければ先程のように強く念じることだ」
 スバルとルアンは、夢の中の道なき道を進んでいた。景色が一面虹色で、どこが天井かどこが地面かもわからない。唯一ルアンと共に歩いていることが、しっかりと一歩一歩を進んでいる証拠であった。
「不安になったら立ち止まり、すぐに自分が誰かを思い出せ。そうすれば、この空間で地に足をつけて歩くことができる」
「わかった」
 その会話を最後に、二人は黙々と歩く作業に没頭する。歩きながらふとスバルはルアンの横顔を見た。ルアンの凛としてまっすぐな視線から、芯のある強い意志を感じる。それは、普段は気弱なカイが時折垣間見せる強い眼差しとよく似ていた。カイは自分よりまず誰かがピンチになれば誰よりも先にあの表情で向かっていくことを、スバルはよく知っていた。
「なんか……どうしてカイがルアンの魂にぴったりな存在か、今ならすごくよくわかるよ」
「……? 口調も、性格もまるで違う」
「そうじゃないよ、似ているのはもっと根本的なところ」
「私はカイのように、自然な仕草で誰かに優しくはできないが」
「ほら、そうやって自分を過小評価しちゃうところとか」
「……」
「みんなに遠慮しちゃって、自分の気持ちや愚痴をうまく吐き出せないところとか」
 スバルはこらえきれずに小さい声で笑う。
「それで、時々感情が爆発しちゃうの。そっくりだよ」
 ルアンはぐぅ、と小さく唸って苦い顔をする。
「……返す言葉がない」
「ふふっ……でもそれでいて、みんなの事を第一に気にかけてくれて、大切にしてくれて……」
 ふと、楽しそうに話していたスバルの顔に陰がさした。
「私……カイがつらいの、もっと早く気づいてあげられたら……」
「彼には、重荷を背負わせ過ぎてしまった」
 ――“英雄”としての業を背負ってしまったがために、体も上手く動かせず、故郷を追われた。気を失っている間には、記憶にない人格が自分の体を支配している。そんななか、気持ちを新たに探検隊としてスタートした矢先、ハードな任務の連続。自分の欠点を改善しようと心身ともに修行をして強くなったのに、それを活用する間もなく体にガタが来はじめた。これだけでもひどく負担になっていたというのに、身内の死は青天の霹靂だったであろう。それなのにも関わらず、周りからは“英雄”としてしか激励をもらえず、過度に期待され、あらぬ嫉妬を買い、そして誰も“カイ”のことを見てあげられず――。
 ルアンはそんな彼のことを思うと、自らを責めずにはいられなくなった。
「カイの心は、もうボロボロだっただろう……ナイトメアダークになってしまっても、誰も彼をとがめることはできない」
「必ず……私たちが、救わなきゃ」
 スバルとルアンは、それぞれの決意を胸に抱きながら夢の中を歩き続けた。
「もうすぐ、景色が変わる」
 ルアンがそう言って間もなく、夢の中の七色が揺らめき始めたかと思うと、目の前の景色が一変した――。


ものかき ( 2014/11/02(日) 23:43 )