第百二十六話 立ち上がる者たち
――目を覚ますと、そこは懐かしい場所だった。
☆
……ここはどこだろう。目を覚ました後もしばらく天井を眺めていた。
僕はさっきまでギルドの自室にいたはずだった。スバルにとても、ひどいことを言ってしまって……。けど、いま僕がいるこの場所がギルドじゃないってことはすぐにわかった。とても懐かしい匂いがする。
ここは、僕とリンの家――。
「目が覚めた?」
ビクッ。
いきなりかかった声に、電撃が走ったような衝撃を受ける。瞬時に声のした方を向くと、空色の体に水晶の尻尾をしたポケモン――ハクリューが目を細めて立っている。
「……リン……?」
「なぁに? そんな幽霊を見るような顔して……。朝ごはん、できてるよ」
彼女は僕の記憶の中のリンと変わらず優しくて包み込むような声だった。そんな、そんなはずはない。リンは、僕の目の前で死んだはずだ。
どうして僕は、里の家で目を覚ましたんだ? どうして、目の前に生きたリンがいる――?
★
流浪探偵は思案していた。
トレジャータウンの一角にある下宿、その一室の椅子の背もたれに体を預け、目をつむり考えを高速に巡らせていた。ルームメイトであるニョロトノ――カンナが時折かけてくる声にも終始生返事だった。
ローゼは数日前からひとつの疑問に思考を奪われていた。その疑問とは……。
――“イーブル”の戦略に、どこか既視感を覚えますね……。
ナイトメアダークでトレジャータウンを脅かし、あらぬタイミングで奇襲をし、敵の結束を内側から瓦解させる。まるで戦争でもけしかけているかのような緻密な戦略ぶり。そんな彼らのやり方に、見覚えのような聞き覚えのような、彼にしては珍しく曖昧な形で既視感を覚えるのだ。
――わたくしがフローゼルとして生きている内の記憶ではないとすると、恐らく人間だった頃の……。
転生前の記憶を引き継いでこの身体になったとは言え、人間の頃の記憶は虫食いのように曖昧なところも多い。だとすればこの妙な既視感は、そこに隠されているのでは? そしてそれを思い出せば、“イーブル”に関する重要な手がかりが掴めるのでは? ローゼはそう考えていた。
「戦略。“イーブル”の戦略。誰かを犠牲にするのも厭わない、ある意味残忍とも言える戦略。あれは、まるで――」
――人間凶器――
「……! いま何か、思い出したような気が――」
ガッシャーーーンッ!
「ローゼぇえええええええええッ!」
「は? え、なんですかいまの馬鹿みたいにでかい音は……」
ローゼは、ガラスの割れる派手な音で現実に引き戻された。そして部屋に唯一はめ込んである窓の方を見る。
「……ウィント……」
声のトーンで、すでに誰なのか予想はできていたが、なんというか、破天荒すぎる友人の登場にローゼは驚きを通り越してあきれる他なかった。
「いったーい!」
そう、窓をガラスごと突き破って彼の前に現れたのは、ビクティニのギルドの親方――ウィント=インビクタであった。
――ガラスの請求書は、あとできっちりギルドへ送りつけることにしましょう……。
「ウィント、ガラスを壊しての派手なご登場は、それに見合う重大なことが起きたからなのでしょうね?」
彼は腫れた額をさすりながら「あ! そうだったぁッ!!」とローゼの腕を引っ張る。
「カイが……! カイがナイトメアダークにッ……! すぐギルドへ来てよぉローゼぇ!!」
★
「――正直に申し上げると、この状況は予想できたことではあります」
ギルドの二階、探検隊シャインズの部屋の前に集まっていた一堂のうち、状況の説明を受けたローゼは開口一番に言った。もちろんその言葉を受けて黙っていられない者が一人いた。ルテアは即座に体毛を逆立てる。
「てめぇ……カイがNDにかかることを知ってて……!」
「違うね単細胞、そういう単純なことじゃない。ここにいる内の誰もが、あのウィルスみたいなNDにかかる可能性があったってことだよ」
いまにもローゼに飛びかかりそうな勢いのルテアに制止をかけたのはキースだった。彼はローゼの言わんとすることをいち早く汲み取ることができたようだ。(なお、たとえルテアがこの場でローゼに飛びかかったとしても、シャナが尻尾をしっかりと握っている。)
「ナイトメアダークは、予防法という予防法がありませんでした。むしろ、今まで連盟の重鎮がかからなかったのが不思議なくらいですねぇ」
「強いて予防法を言えば、“気を強く持つこと”だけどね」
「しかし……まぁ、それを今のカイ君に求めるというのも酷でしょうねぇ」
と、そこまで言った所で、廊下の角から二つの影が姿を表した。黄色と桃色のツートンカラー、両者とも宙を浮遊している――クレセリアのアリシアとムンナのトニアだ。
アリシアはダークライとの戦闘で浮遊が不可能になっていたが、トニアのエスパー技で移動が可能となっている。
「ローゼさん、来ていらしたのですね」
「これはこれは。ずいぶんとお久しぶりです、アリシアさん、トニア君」
ローゼは深々とお辞儀をする。それを見たムンナは慌てて「こ、こんにちは……」とお辞儀を返した。そしてローゼはすぐにシャナへと向き直る。
「それで、カイ君がNDだということを知っているのは?」
「この場にいる者の他に、ウィント親方、ラゴンさん、ミーナさんとスバルだけだ。今までのことを考えると、ギルドの弟子や探検隊にもこの事はできるだけ広めない方がいいと思った」
「賢明です。それで、スバルさんは?」
「中だ。カイの側にいる」
「ふむ……私は中に入っても?」
「かまわない。だがキースもお手上げだ」
シャナの若干しぼんだ声に合わせるように、キースは肩を落として両手をあげるしぐさをする。文字通りお手上げのポーズだ。
「いくら私が天才とはいえ、この手の悪夢となるとね……」
こうは言っているが、大陸でも一二を争う天才医者貴族のキースでさえも手だてが見つからないことがどれだけ深刻なことなのか……。ローゼは、これは探偵でなくてもすぐにわかりますね、と思った。
「重症ですね、結構です」
ローゼは、それを知った上でひとつ軽口を叩く。
「ではアリシアさん、トニア君。わたくしと参りましょうか……」
部屋に入ってすぐに、スバルは足音に気づいて入り口を振り返った。アリシア、トニア、ローゼの順で部屋に入って来た彼らは、黒いオーラに包まれながら寝床でうなされているカイの姿を確かめる。
「カイ君――」
ローゼは気の毒そうに名前を呼ぶ。スバルは場の空気に耐えられなくなったのか、目に涙を浮かべながら彼らに迫る。
「ローゼさん、アリシアさん……! カイは助かるんですか……!? 魂を抜かれちゃったり、二度と目覚めなくなったりしないですか……!?」
「まぁまぁスバルさん、無理な話でしょうが落ちついてください。……アリシアさん、どうでしょう?」
名を呼ばれたクレセリアはトニアにカイのそばへ下ろすように頼む。そして彼女はカイの様子を見て「一応、三日月の羽根を持ってはいますが……」と弱々しく返した。
「このナイトメアダークは他のそれと違うと申しますか……悪夢でカイさんを深い闇に落とそう、という邪悪な“意図”を感じます」
「ダークライ直々のお出ましというわけですか……」
ローゼは厚いレンズがはめ込まれたみとおし眼鏡を押し上げて、少しの間、目を閉じる。
「……アリシアさん、質問なのですが」
「なんでしょう」
「カイ君の夢の中に、入ることは可能でしょうか?」
さらりと、世話話をするように滑らかに言ってのけたローゼだが、その言葉を理解するのに場の三人は数秒ほど時間を要した。そして、一歩遅れて内容を把握した彼らは「え!?」とか「は?」とか、それぞれの反応を示した。
「ろ、ローゼさん、カイの夢の中に入るって」
「これがダークライが直接操るナイトメアダークだとすれば、悪夢に入って直接叩くのが一番の打開策だと思うのですがねぇ」
「で、でもそんなことができるんですか……!?」
「探検隊が悪夢の中に入ったという事例も資料で読んだことがあります、はい、決して不可能ではないかと。どうでしょう、アリシアさん?」
「は、はいッ」
ローゼの話のペースに完全に引き込まれていたアリシアは、ハッと我に返り頭をふ振って頭の中を整理する。
「悪夢の中に入り、ダークライの隙をついてカイさんを眠りから覚ます……不可能ではありません。なによりここにはトニアがいます。ムンナである彼なら、夢への入り口を作ることもできるでしょう」
「じゃあ……!」
「しかし」
スバルが黒い瞳を丸くして声をあげようとした瞬間、アリシアは普段ならあげない断固とした声で彼女の発言を制した。これにはローゼも目が鋭くなる。
「しかし?」
「第一に、とても危険です」
悪夢の中に入るということは、体から意識が離れるということで、そうなれば当然時間がたつほど命が危険にさらされる。さらに、夢は現実ではあり得ないことが当たり前に起こり、何かを食らえば当然ダメージとなる。仮にカイの目が覚めてしまえば夢の空間はなくなり、逃げ遅れればすなわちそれは死と直結する。
「それに、悪夢の中は完全にダークライのホームグラウンドです。叶うはずもありません」
スバルは、それを聞いているだけでなんだか頭がくらくらしてきた。こんな悪条件のなかでカイを救えるのだろうか。
アリシアは続ける。
「第二に、今のカイさんには、ダークライのどんな術に嵌まっているのか……悪夢から覚めよう、という意思が感じられません」
夢を見る生き物は誰しも、悪夢であれば無意識にそこから抜け出そうと抵抗する。しかしいまのカイにはそれが見られない。
「つまり?」
「ナイトメアダークがダークライの仕業とはいえ、夢はカイさんのものです。彼が今、夢から覚めたくないと感じているのなら、たとえ誰かが助けに行っても排除される危険性があります」
「……この危険な夢を渡る者は、ダークライと戦っても数分持つ者……いざとなればわたくしが行こうとも考えていたのですが、それも難しそうですね」
「少なくとも、カイさんがいっそう心を開いてくれる方でなければ……」
「……」
その言葉を聞いて、スバルはキュッと口を真一文字に結んだ。瞳に決意の色を宿し、立ち上がってアリシアの前に出る。
「私が……カイを救います」
★
「スバルさん……」
ローゼは、眼鏡越しの瞳を大きく見開いた。そして数秒間高速で思考を巡らし、スバルの肩を強く持つ。
「すいません、策を提案したわたくしが言うのもなんですが、リスクが大きすぎます。他の作戦を考えましょう」
「ぼくも……いやだ」
三人は、ほぼ同時に声のした方へ顔を向ける。この話題で初めて声をあげたトニアが、ふわふわと浮かんでスバルに寄ってきた。
「こんなにきけんだってわかってて、ゆめのいりぐち、ひらけない。スバルをいかせたくない」
「うぅ……!」
スバルは怖かった。夢の中がどれだけ危険か。ダークライに勝てるのか。喧嘩したばかりのカイを説得できるのか。たった一人でパートナーを、悪夢から救えるか――。
しかしスバルは、キッとローゼを決意の色濃くにらむ。
「時間がないの! 他の策を考えてる間にも、カイは……カイは……!」
そして彼女は肩に乗ったローゼの手を振り払った。
「私はカイを、失いたくない!」
「そんなことはッ、わたくしだって同じですッ!」
ビクッ!
彼が、今までで一度しか聞いたことのなかった怒声を放つ。それが空気と共に全員を震わせた。
「わたくしだってカイ君を失いたくありません! いえ、わたくしだけではない。外にいる方々だって、あなたと同じぐらいに気を揉んでいます! しかし、いいですか! いまここで焦って判断を誤り、たった一人で危険な悪夢の中へ行ってカイ君だけでなくあなたまで失ってしまったら――」
彼は、そこまてま言って喉をつまらせた。自分の口から出てきた言葉だとにわかに信じられなかった。
だが、その言葉を聞いて驚いたのは彼だけではなかった。スバルは頭にのぼっていた血が引いて、スッと体温が下がっていくのを感じた。
「……ローゼさん……」
彼の目を見る。一昔前とは全く違う。何をも信じぬガラス玉のような瞳とはまるで違う。視線から彼の気持ちが伝わってくる。本心から、自分を心配していてくれるこのフローゼルを……今なら信じられる。
さっきまで夢の中へいくのが怖くて仕方がなかったと言うのに、信頼できる彼の出したこの作戦なら、危険でもきっとうまくいくと思えるようになったのだ。
「心配していてくれて、ありがとう。私、絶対に戻ってこれますから」
「なぜです!? そんな根拠は……」
「だって、ローゼさんの考えた策だから」
「……」
「信じます!」
ローゼは、今度は自分の耳を疑った。
――“信じる”? このわたくしを? スバルさんが?
今まで誰も信用せず、自分すらも信じようとしなかったこの自分の事を、スバルが信じようとしている。その言葉にローゼは、緊迫した状況であるにも関わらず場違いな涙が込み上げてきてしまった。
「それにたぶん、私が夢の中に入っても……一人じゃないから」
「え――?」
スバルは、ローゼの疑問の声をよそに、三人に向かって思い切り頭を下げた。
「お願いです、ローゼさん、アリシアさん、トニア……私に、いかせてくださいッ!」
そして、顔をあげる。
「私……カイと仲直りしがたいんですッ!」