第百二十四話 誰も知らない
――寝ている間に数日がいつのまにか過ぎていて、意識があるときですらもいつのまにか一日が過ぎていく。矢のように過ぎる日々とは少し訳が違う、今まで体験したことの無い感覚が僕を支配していた。
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状況を整理したい。自分自身を落ち着かせるために、というより現実を早く受け入れなきゃという焦りのためだった。
僕らがリンと対峙している間、ギルドはレイさんの予知夢で僕らが“雲霞の里”にいることを知って、至急探検隊を派遣した。そして、決着がついた直後に、僕らをリンの遺体とヤド仙人もろともギルドへ連れ戻した。
その後、僕が寝ている間に色々なことがあった。僕らを逃がすのに荷担したシャナさんとルテアさん、そしてローゼさんは何らかの罰を受けたらしい。特に僕らの脱走を企て、二人に協力をあおいだローゼさんが一番不味いんじゃないかって僕は思っていたけど、僕が聞いても彼はその事について一切触れなかった。
ルアンの正体については、スバルとヤド仙人がすべてを連盟に説明した(ヤド仙人がおとなしくギルドにいたこと自体にまず僕は驚いている)。トレジャータウンにも、ルアンが敵じゃないってことを連盟側から説明された。なので、彼に対する誤認、誤解はきれいさっぱり解けたと言ってもいい。
いや、むしろ英雄伝説その人がこの現代に(大袈裟に言うと)再来したということで、ただ誤解が解けただけじゃなくそれ以上の関心がトレジャータウンにあることを、僕はよく知っておかなきゃいけない。
僕とスバルが勝手に外に出たことに関しては、直接何か咎められることはなかった。何か罰があるんじゃないかと勘ぐっていた僕としては安心したというより少々肩透かしを食らった感じだ。
僕がある程度外に出ることができるほど回復すると、ウィントさんの計らいで、ギルドがリンのお葬式をしてくれた。僕と、スバルと、ヤド仙人と……本当に少ない人数で密やかに行われたお葬式。そこで、リンは灰になった。ヤド仙人が、それを大事に里に持って帰ると約束してくれた。
葬式の間、僕は死ぬってこういうことなんだなって思った。僕もいつかこうなるんだなって思った。なんというか、“英雄”と運命を共にしていると言ってもいい僕は、命の宝玉を壊せば体が持たずにルアンもろとも死んでしまうんだ。
僕には、それがどうも絵空事のように思えてきて足元がおぼつかなかった。
ヤド仙人は、リンのお葬式が終わると、ここにはもう用はないという風にそそくさとトレジャータウンを後にして里へ帰っていった。“イーブル”がいつ襲ってくるかわからないからトレジャータウンの方が安心なんじゃないかと言ったのだけれど、そこは頑固な彼の性格のおかげか聞く耳を持たなかった。
里へ帰るとき、ヤド仙人はこちらを見て、僕のことの方が心配だ、と言った。そして何かあったらいつでも会いに来い、と言い残して彼はリンと一緒に里へ帰っていった。
「カイ……今日も、外に出ないの?」
何日がたったのか定かじゃないけど、何もない日が数日続いた朝、スバルは言った。
「うん。なんか、そういう気分じゃない」
大分高い位置にある窓から外を眺めながら、そう答えておいた。いつものスバルなら僕がそう言うとそっとしておいてくれるんだけど、今日の彼女はなんだかスッキリしない顔になっていて、窓を見る僕の顔を両手ではさんで無理矢理こちらに向けさせた。そして目を合わせる。
「……スバル」
「なぁに?」
「……首がゴキって、ゴキってなったんだけど……」
「ごめん」
「ごめんって思ってないでしょ」
「うん、思ってない」
「……」
「カイ」
「なに?」
「気分転換、しよう」
「はい?」
「気分転換しなきゃダメ」
「はぁ」
「今日は私の用事に付き合ってもらうから」
「用事って?」
僕が言うとスバルは神妙な顔つきのまま数秒間硬直した。どこに行くか考えてなかったんだね……。
「と、とにかく! 行こう!」
乗り気じゃないんだけどなぁ。そう言おうと思ったのだけれど、僕がなにかを言う前にスバルは腕をつかんでずるずると僕を引っ張っていく。気分転換と言うけど、外に出ても僕の心のモヤモヤが晴れるかどうかはわからなかった。
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ギルドの外へ出るとき、こんなに一歩を踏み出すのが怖かったのはあとにも先にもこのときだけだ。何が怖かったか、それを一言で著すことはとても難しい。リンがいないのになにもかわりない世界を歩くことが、いつか僕がいなくなる世界を歩くことが怖いのか、はたまた、英雄の魂を宿していると知ったトレジャータウンのみんなが僕をどういう風に見るかが怖かったか……。
とにかく僕はスバルになされるがままとなり、いつのまにかタウンの中心ほどに来ていた。
英雄祭での“イーブル”の襲撃のせいでごちゃごちゃとした感じはもう取り払われていて、いつも通りの活気が戻って来ているように感じる。
だけど。
なんというか、やはりというか、道行く住民の視線という視線が僕へ向けられている気がしてならない。この活気がいつもと違うのは、人が多い場所特有の“賑やかさ”というよりは、何かへの“期待”を背負った活気に近いような気がする。
「スバル」
「ん?」
「もうここのみんなは……ルアン――英雄のことを、知ってるんだよね?」
「……うん、まぁね。ギルドがトレジャータウンに説明してた」
「よぉ! お二人さんっ!」
背後から唐突に声がかかった。振り返るとなんのことはない、郵便屋さんで働いているペリッパーの古株さんだった。
「あ、古株さんこんにちは」
スバルがちょこんとお辞儀した。僕も会釈だけしとく。
「元気か、グレンじいさんの孫弟子ども! お、カ=カイは調子悪かったっけなぁ」
「僕はカイです」
なんかい言ったら人の名前を覚えてくれるんだろう、この人は。
「いや、もう町の活気が取り戻せたのはあんたのお陰ってな、元気出せよカ=カイ!」
「いやだから……ぐぇ!」
僕が訂正をいれる前に古株さんが羽で僕の背中をバンと叩いたものだから肺に息が詰まって変な声しか出ない。
「町はもうあんたが英雄さんの再来ってな、活気立ってるぜ。英雄がいれば連盟も捲土重来、“イーブル”なんざ怖くねぇってな!」
「ふ、古株さんごめんなさい私たちもういかなくちゃ!」
「んぉ? おうなんだせわしねぇ――」
「さよなら!」
「ちょ、スバ――ぐぇっ!」
古株さんに背中を叩かれたダメージも消えないままにスバルは僕の腕を思いっきり引っ張ってダッシュする。ちょ、ちょっと待って僕まだ病み上がりなんだけど……!
ちょっとずつわかってきた。今のトレジャータウンのあり方がわかってきた。僕は腕を引っぱられながら思った。みんながみんな、僕がルアンの“宿主”だってことを、もう知っているんだ。 スバルがあわててどこか人気の少ないところを探している間にも、今まで一度も話したことのない町の住民が僕へ「頑張れよ」とか、「あいいつが噂の」とか、呼び掛けなのか一人言なのかわからない声がちょくちょく聞こえた。これからはああやって、外に出る度に誰かに話しかけられるのだろうか。
僕のことを、英雄の再来として。
今まで見向きもされなかった僕が。体力がなくてギルドバトルでも落ちこぼれだった僕が。
人の気持ちなんてなにも知らずに、僕に頑張れよ、って――。
「こ、ここまで来れば誰もいないかな……」
ぜぇぜぇ、はぁはぁ、と二人して息を切らし、誰もいないどこかの裏路地で立ち止まる。スバルがわざわざこんなところを選んだということは、やっぱり彼女も周囲の空気を気にしているといことだろうか。
「ご、ごめん……はぁ、町に、無理に出ない方がよかったかな……!」
「いや、ぜぇ、別に僕は……ふぅ」
とりあえず深呼吸を数分。ちょっと落ち着いたところで、スバルが僕を見る。
「私、今のトレジャータウンを見てると、カイのこと心配になるの」
「……」
「ほら……リンさんのこともあって、辛いのに、周りは英雄って盛り上がって……誰もカイのこと、カイが辛いことを誰も見てない気がして……」
そう、だ。世界は変わらずに回っていくんだ。リンがいなくなっても。僕がどれだけ傷つこうと。
そして、僕がこの世からいなくなろうとも――。
「でも、カイ……忘れないでね」
ギュッ。
スバルが僕の手を強く包み込むように握る。ちっちゃい手のひらだけど、温かい。
「私は、カイのこと見てるから。ちゃんと……」
「スバル……」
「見てるから」
断固とした声と目で、スバルは僕にそう訴えた。なんだか、すごく戸惑ってしまってどうすればいいのかわからなかった。ただ僕はガクガクとよくわからないうちに頷くしかなくて……。
「よし、お店でダンジョン攻略道具買ってもうギルドに帰ろ!」
スバルは僕がうなずくのを見てスッと手を離した。そしていつものように明るい顔で、道具売り場へと軽い足取りで向かっていく。
僕は黙ってとぼとぼと後を追うしかなかった。
★
お店へ行ったら、スバルはカクレオンさんとの値切り交渉に忙しくなった。正直僕はスバルがここで買い物をするのを何だかんだ初めて見たので、その値切りの必死さといったら言葉に言い表せない。というか、カクレオンさんがこれでもかというほど一ポケも値切らない。
熾烈を極め始めた二人の値切りバトルが火の粉を散らしそうだったので僕は安全地帯で避難して遠目からその様子を眺めることにした。
隣の住宅の壁にもたれこん――?
グイッ。
「よぉ、ちょっと面貸せや」
「え、ちょっ……!?」
な、なんだ? 壁にもたれようとした瞬間誰かに首根っこを引っ張られて、僕は抵抗もできないままずるずると再び裏路地へ引きずり込まれる。
値切りをするスバルとカクレオンさんが、角の向こう側に消えた。
「な、なんなんですかいきなり……!」
引きずられて解放された僕は壁に背をくっつけて、やっと僕を引っ張った者の姿を確認することができた。
肩から胸、骨盤が岩におおわれて、両手両足に鋭い爪を持っている。殊に目をひかれるのは肩から伸びた磯巾着のような顔か。ここらではあまり見ないが、確かガメノデスとかいうポケモンだった。その横には、ガメノデスよりずっと背が低くて、氷の甲羅を被っているカチコールというポケモンが控えめに四足で立っている。
「メデス……やっぱりやめておいた方がいいんじゃ……」
「うるせぇ俺に指図すんな。おぅおぅ、よく聞けよそこのリオル!」
「……なんですか」
若干低めの声で返す。不快感を伝えたつもりだが、それが最初から伝わるような相手なら断りもなしに僕を裏路地へ引っ張ったりなんかしない。
「なんか、えいゆーとかいってみんなからちやほやされていい気になってるみてぇだがよぉ、そうやってヒイキされたらこっちだって困るってもんよ」
贔屓? 僕が仮に誰かに贔屓されて、この人たちが困ることなんて一つも……。
いや。
「君たち、探検隊か……」
「ああ、その通り。まだブロンズランクなのに同盟組んだ連盟のメンバーみてえだし、ギルドに気に入られて……英雄ってだけで、気に入らねえ! こういう地道にやってる俺らと公平じゃねぇってもんよ!」
ビギッ――。
どこかの歯車が壊れたような音がした。今までに感じたことのない感情だ。
なんだって? 僕が英雄だからって? 君たちは僕の何を知っているっていうんだ? 僕が今までどれだけ辛かったか知っているのか?
英雄の宿主というだけで、読めるはずの波導も読めない。あるはずの体力もない。里を追われ、攻撃を受けて。状況が飲み込めないうちにギルドと“イーブル”の戦いに巻き込まれて……。
「メデス……やめようよ、こんなこと……!」
「うるせぇな、リーダーは俺だ! この際――」
“英雄”に、ぴったりな身体ってだけで……体と心がボロボロになって、身内を殺されて、そして僕も……。
僕も死ぬ運命だっていうのに――。
「いったい何が――」
「あん? なんか言いたいことでも――」
「――いったい僕の何がッ、気に食わないって言うんだッ!」
ドンッ!
考えもしないうちに、力任せに力の塊をガメノデスに繰り出していた。
「がっ……!? ぐぉおおおッ!?」
“波導弾”だった。今まで、一度も試したことのない技。
もう、何がなんだかわからない。
人の気も知らないで、期待されたり、妬まれたり!
いったい僕に何を望んでいるっていうんだ! 何を知っているっていうんだ! 何が気に食わないっていうんだッ!
僕は……ッ! 僕はこんなにも辛いのに……ッ!
「メデス! だ、大丈夫!?」
「がぁああ!? ちくしょうッ、いてぇじゃねぇかぁあああ!」
倒れていた岩が再びがばあっと起き上がる。“波導弾”で内側から傷ついて、口から血が出ていたがそれもお構いなしに僕に突っ込んできた。
なんだか、もう、手加減するのだってうんざりだ。泣きたくて、怒りたくて、叫びたくて……!
誰か僕を、見つけてよ――!
「うわぁああああ!」
“神速”でガメノデスに突っ込んで、“はっけい”で容赦なくそいつの岩を砕いた。痛がって絶叫していた。カチコールは怯えてガタガタと震えていて、使い物にならなそうだった。
僕の体のどこから、こんな力が湧いたのかわからなかった。いや、でも、この感情がどういうものか、今ならわかる。
僕は、憎い。
全てが、憎かった――。
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「カイー、どこいるのー?」
少し時間がたって。真っ暗でなにも見えない僕の耳に、聞き覚えのある声が近づいてくる。
「あのカクレオンが一銭も値切らなくてさぁ、時間かかったのは悪いけど離れるんなら一言いってくれても――」
そして、目の前の光景にきっと彼女は目を疑っただろう。
「……スバル、ごめん……、誰か呼んできてくれる? 怪我人がいて……」
「……カイ……ッ?」
裏路地は、ちょっとした戦場みたいになっていて。僕はそのなかで、拳から血を流して、それでもなお立っていた。
心のなかに、深く暗いものを抱きながら。