へっぽこポケモン探検記 - 第八章 悪夢編
第百二十二話 おやすみ
 ――リンの目を覚まさせるため、抵抗もせず必死になり叫び続けたカイ。しかし、四人に向かって強力な“破壊光線”を放ったカイリューは……。





 私の、大切な子は……どこにいるの?

 脳へ直接声が響いてくる。敵を倒せ、倒せ、倒せ!
 誰も傷つけたくないのに。あの子と二人で静かに暮らしたいだけなの。偽りの家族でも、それを隠して育てても。
 守りたいだけなのに。どうして攻撃しているの? いったい、誰に攻撃しているの?

「――! ……ン!」

 声が聞こえる。

「――リン!」

 あの子の声だわ。
 大切で、愛おしい、私の子が呼んでいるわ……。
 ――敵を倒せ、倒せ、倒せ!
「――目を覚ませッ! リン!」
 あぁ……あああ……!
 ――敵を倒せ、倒せ、倒せ!
 嫌だ! あの子が呼んでいる! すぐそばまで来ている! 戦いたくない!
 ――倒せ! 倒せ! 倒せ!!
 嫌だ! 嫌よッ! 嫌ぁあッ!

「――リン……ッ! 僕の、目を見てッ!!」

 “敵”の目を見る。あの目は、そう、あの優しい眼差しは……!

 ――カイ……!





「ぐ……!」
 全員、動けない。
 ルアンが目を覚まして辺りを見ると、スバルも、カイをかばったヤド仙人も倒れて意識がない。そういう自分も、スバルに守られていなければぬいぐるみが焼かれてそのまま消滅してしまうところだった。
 ――どうする。カイリューは倒れていない。自分は技が出せず足手まとい。誰も戦いはおろか逃げるほどの体力も……!
「グォオオオオオオッ!!」
「!」
 狂ったような叫びがビリビリと空気を震わせる。ルアンは、カイリューがその叫び声をあげたのだと一瞬わからなかった。彼がカイリューのいる真上を向くと……。
「グォオオオオオオッ!」
 光る爪を振り上げていた。“ドラゴンクロー”がこちらに迫っている。
「くッ……!」
 空中で止まったカイリューの腕が下ろされる。ルアンは覚悟を決め、ありったけの波導を振り絞れるだけ振り絞った。なにか、いやなんでもいい。例え心が砕け散っても、この一撃を止めて見せる、と身構えたその時。
「グォオオオオオオッ!」
「な……!?」
 叫んだのは技を出した張本人であるカイリューだった。しかも、彼女が出した爪は……。
「ガアッ!」
 彼女自身を、傷つけている。
「何が……起こった?」
 カイリューはしばらく自らの爪で自分を攻撃したあと、何が見えない敵を攻撃するかのように、必死に虚空に向かって攻撃を繰り返している。
 ――まさかリンが、もうすでに末期にまで差し掛かった“ナイトメアダーク”に抵抗しているとでも言うのか!?
 “ナイトメアダーク”に自我を奪われれば、後は魂を吸いとられるのみ。そんな中今のリンに“抵抗しよう”という意志がまだ存在することに驚きを禁じ得なかった。しかし、無理に“ナイトメアダーク”へ抵抗したら、その前に精神崩壊を起こしてしまうかもしれない。
 やたらと宙に攻撃を繰り返し、時に自傷行為もいとわない。体はどんどん傷つき血に染まっていく。
「やめろッ!」
 ルアンは叫ぶ。ここでリンを止めなければ、リンを死なせてしまえばカイは唯一の家族を失うこととなる。
「やめ――」

「――リン」

 とても小さな、しかし凛とした声が響いた。





「リン」
 目を覚ますと、リンは自分で自分を攻撃していた。そうか、僕の声のひとつがもしかして届いたのか。
 だったら、寝ているわけにはいかないね。力をいれた膝がガクガク震える。血もいっぱい失った。意識があることに疑問すら感じるけど……。
「リン」
 僕は彼女の足元へ歩いた。僕に名を呼ばれたリンは、自分を標的としていた爪を止めた。彼女も僕に負けじと劣らず全身がガタガタと震えている。
 僕は、リンの足に手を置いた。
「リン……もういいよ」
 彼女の虚ろな瞳を見据える。リンも、何があったのかわからない、といった表情で僕を見つめ返す。
「もう、いいよ……」
 涙が、溢れてきてしまった。
 君は、辛い思いをした。苦しんだ。恐らく僕を逃がしたあとに、敵に捕らえられて“ナイトメアダーク”を受けたのだろう。
 そうだ、もう、僕のためなんかに、頑張らなくていいんだよ。
「ごめん……ごめんよ、リン……」
 リンの目に、光が戻ったような気がした。それと一緒にあふれでてきたのは一筋の涙。
「ごめん……! リン……ッ!」
「……カ、イ……!」
 リンが僕の名を呼んだ。
 目を覚ました。
 黒いオーラに打ち勝った。
 だけど。
「わた、しも……ごめん……なさい……」
 そう言ったのを最後に、リンの傷だらけの体は地面に倒れ込んだ。



 “ナイトメアダーク”はとりついた相手を無気力にさせ、徐々に意識を奪い、最終的に魂を吸い取る恐ろしいものだ。
 だけど、吸いとられた魂は? その行き着く先がいったいどこへ行くのか? それがもしわかれば、そして一度吸いとられた魂を体へ元に戻すことができたら、あるいはまだ救われる道があるのではないか? 連盟側はそう考えていた。
 だけど、目の前で傷ついた彼女を見て――息も細く、目も焦点が合っていない、血を失いすぎてもうろうとしている彼女を見て――そんな希望が抱けるわけがなかった。
 涙が、止まらなかった。
「リン……ッ、リン……ッ!」
 リンの波導が、生気が弱まっていく。ナイトメアダークは確かに払拭された。なのにこれは……。

 蝕まれる闇に抵抗しすぎて、心も体もボロボロになってしまったんだ――。

 地面に横たわるリンの頭の近くに座る僕は、リンの最も側にいるはずなのに、なにひとつしてやれないんだ……!
「リン……ッ! お願い……! お願いだよ……ッ! 死なないでッ!」
「カ……イ……、ちょっと見ないあい、だに……たくましく……なった、ね……」
 やっと、やっと会えたのに、こんな仕打ちはひどい。僕の涙は頬を伝って、リンの顔に落ちていく。
「……あぁ……カイ……暗くて、よく顔が……見えないわ……」
 辺りは赤い夕日が射している。眩しいぐらいだ。リンは太陽を背にしているはずなのに、暗いと言った。
 誰か、リンを助けて……!
 僕はヤド仙人たちを見た。しかし、ぬいぐるみはうんともすんとも言わないし、ヤド仙人は首をゆるゆると横に振るだけだった。スバルは、リンと会うのも初めてのはずなのに、そして攻撃を受けたはずなのに、僕に負けじと劣らずボロボロと涙を流していた。
「見えない……あぁ……カイ……ッ!」
「僕はいる。ここにいるよ。側にいるんだよッ……!」
「わた、しの……最期の、おねがい……きいて、くれる……?」
「……ッ! もちろんだよ、リン……」
 いやだ……いやだ、いやだッ! 最期だなんて、言うんじゃないッ!
「いつもの夜のように……そばで、私、と一緒に……寝て、くれる……?」
 しゃくりで呼吸が苦しくて、僕はまともに返事ができなかった。どうにか溢れる涙を手で拭って、草の上に横たわるリンの横に寝そべった。お互いに、お互いの顔の方を向きながら……。
「私の……愛しい、子……」
 リンの顔が、涙に濡れた頬が、光を失っていく瞳が、僕の瞳に映し出される。彼女の手が僕の顔に伸びる。震えている。手をあげることすらもう辛いだろうに。
「ごめんね……まもって、あげられなくて……できれば、本当の……はは、おやに……なって、あげたかった……」
 涙が横に流れる。寝そべった草の上に落ちる。
「僕の親は……僕の知っている親は、リンだけだ……!」
 僕がそう言うと、リンは救われたような、最後に幸せそうな表情となって……いつもの夜のように、静かに目を閉じた。

「いままで、ありがとう……カイ……。おやすみなさい……」

「……リン」
 名を呼ぶ。
「リン……ッ!」
 おやすみを言ったなら、朝になれば、いつかは目を開けてくれると信じて、名を呼ぶ。
「リンッ!! リンッ……!」
 なぜ、こんなにも叫んでいるのに、目を覚まさない……?
「ごめん……ッ! ごめんね……うぅっ……! うわぁあああああああああああッ!!」
 だけど、そう、わかっていた。
 寝息もたてず僕の側にいる大切な人は、二度と目を開けることはないということを。

ものかき ( 2014/09/27(土) 21:23 )