第百十九話 悲しき運命
――ルアンはまぎれもなく“英雄”だった。彼は大陸から争いを無くすために、自分の命を犠牲にして宝玉の破壊を試みたんだ。だけど、彼は「宝玉は破壊されなかった」と言い……?
★
「命の宝玉は、破壊されなかった。邪魔が入り、あと一歩のところで失敗したからだ」
失敗。そう、確かその言葉を聞くのは初めてじゃない。ナハラ司祭も、たしかそんなことを言っていた。
「あと一歩で宝玉の破壊に失敗し、それでも私は自らの波導を使いきって死ぬ運命にあった。だが……」
「わしの祖先が、それを阻止したのじゃ」
ヤド仙人がルアンの言葉を次いだ。そう言えば、さっきもちらりと神官とか言ってたけど、なにか関係があるのかな。
「わしの祖先は、命の宝玉を使った神との接触を管理する神官だったのじゃ。そして、彼らが……その力を使ってルアンの魂だけを現世にとどめたんじゃ」
二人とも黙った。本来死ぬはずだったポケモンが生き残った。至極単純にそれだけ聞くと喜ばしいことのように思えるけど、ルアンとヤド仙人が作り出す重苦しい空気が、その考えは違うと暗に物語っていた。
「ルアンの魂だけをとどめたのは、また宝玉を破壊させるため?」
鋭いスバルは、話の先をすぐに予想して聞く。それにうなずいたのはヤド仙人だ。
「宝玉を破壊できるのはルアンの波導だけじゃ。じゃが、魂だけでは宝玉を破壊できん。だから、待ったのじゃ。ルアンに波導が近く、彼の魂を受け入れるだけの体を持った者を、な」
「それが……僕?」
「そうだ」
ぬいぐるみがうなずいた。
「待った。待ち続けた。魂だけ生きながらえながら、私を受け入れてくれる者が生まれるときを。それを待っている間に、私は世から、戦争を終わらせた英雄と呼ばれるようになっていた」
ずっと、ずっと謎だったルアンの正体が、今わかった。そして、僕がルアンにとってどういう存在なのかも。
僕は、僕は。ルアンの体となって、器となって、宝玉を破壊するためだけに、生まれてきたってこと……?
「わしの一族は、代々ルアンの魂に合った体を持つものを探し、そして魂を移し、宝玉を破壊するまで見守り続けることを使命とした一族じゃ……」
ヤド仙人は目を細めて、シェルダーの乗った頭を重そうに揺らす。
「よもや……わしの代で現れるなんぞ夢にも思わなかったがの」
「ねぇ、じゃあどうして、“イーブル”のボスがルアンが英雄だってことを、知ってたの?」
そう、僕が聞きたかったのはそれだ。ルアンのことを知っているのは、本人とヤド仙人だけってこと? だとしたら、ヤド仙人がボスに情報をリークしたことになっちゃうよ……!
「どあほう、わしが宝玉の破壊を邪魔する輩に情報を渡すと思うかの? おそらくそのボスとやらは、一族のわし以外の誰かから聞き出したのじゃろう。ごくわずかじゃがわし以外にも神官の役割を持ったもんがいてな……こういうのは他言厳禁じゃが、秘密というもんはどこから漏れだ出すかわからんもんじゃ」
そ、そうか……じゃあヤド仙人は、潔白ってことなんだね……!
「しょうもない疑いは晴れたようじゃの。ではカイ、お主のことをはなそうか」
喉の奥がきゅっと鳴った。どうやら僕は、心なしか緊張してしまっているようだ。
「わしは各地を巡って、ルアン……つまり英雄に合った体を持つポケモンを探していた。あるときじゃ、ひっそりとした小屋にすむ女のルカリオに会ったのじゃ」
そのルカリオは、夫をダンジョンの敵に襲われて亡くし、その悲しさからひとと接することなく暮らしてきた。ルカリオは、一つのタマゴを大事そうに抱えていた。それが僕だった、らしい。
「わしは……よくわからんがそのタマゴを直感で、探し求めていた“器”だと感じた。じゃが、とりあえずそのルカリオとも会ったばかりじゃったし、おくびには出さんかったがの」
母は、僕のお母さんは……。久々の来客にとても喜んだ。なぜそんなに嬉しいのかとヤド仙人は聞いたという。すると、彼女は、「もう長くないから」と答えたという。病気だったという。
「わしは驚いたんじゃよ。自分は子供が生まれるまでに生きられんから、どうかこのタマゴをもらってくれないかとルカリオに言われたんじゃ。なんというか……これが運命というやつなのかと思ったもんじゃよ」
ヤド仙人は、ルカリオの申し出を二つ返事で承諾した。
「どちらかというと神官という立場より、一人の老いぼれとしてルカリオの申し出を悲痛な申し出を断れなかったんじゃ。我が子を見ずに死に、しかもそのあと育てるもんがおらんとなると……」
ヤド仙人は長い旅を終え、僕を育てるために腰を据えることに決めた。誰にも見つからないこの“雲霞の里”に。
「リンはの、わしがここに来る途中に出会ったのじゃ。彼女はつい最近我が子のタマゴを、誰かにえさとして掠め取られてしまったらしくてのお……。わしが持つタマゴを、さぞ羨ましそうに……若干恨めしそうに見とったもんじゃ。だからつい……」
「……育ててみないかって、リンに言ったんだね……」
「リンにだけは全て話したんじゃ、この子はいつか、英雄の代わりとして宝玉を破壊する運命にあると。それでも、リンは引き受けたんじゃ。育てられるのなら、どんな子でもいいと」
そうか……リンはそうやって、僕を大切に育ててくれたんだね……。あのとき僕が、リンを本当の親じゃないのかと聞いたとき……あんな顔をしたのはそういうことだったんだね……。
僕、僕……。でも、僕はルアンの“器”になるためだけに、生まれてきたの……?
「あの……ちょっといいですか?」
と、ふとスバルが控えめに手を上げた。ヤド仙人はふむ、と言って先を促した。
「ルアンがまた宝玉を破壊したら……カイとルアンは、どうなるの……?」
「私は、死ぬ。そうすればカイは普通に生きられるだろう。役目が終われば全てが終わる。体が蝕まれることもなくなり、波導も読めるようになる」
ルアンが、当たり前のように即答した。そして、僕を見る。
「君の人生は“器”としてなどではない、自分の人生だ……それを忘れるな」
あ……。
ルアンには、お見通しだ。僕が、何を考えていたか……。僕は、ルアンの代わりとしてだけに、生まれてきたのだと思ってたことが。
僕には……僕だけの人生がある……。
「でも、それじゃあルアンは……」
「私のことはいい」
スバルの言葉を、ルアンは聞きたくないという風に短く切り捨てた。それきり、スバルは萎縮してしまって口を開かなくなった。ヤド仙人は、
「ふむ……一通りは話し終えたかの。すまんが、カイと二人で話をしてもいいかの?」
★
スバルは、岬から海を眺めていた。遠い海鳴りを聞いていた。そしてその腕のなかには、みがわりぬいぐるみを抱えている。
二人が話をしている間、スバルとルアンは、外で待っていることになったのだ。
「ルアン……」
みがわりぬいぐるみは動かない。
「私……今なら、どうしてあなたが英雄と呼ばれるのを好きになれないかわかる気がする」
「……」
「宝玉を壊すために、ずっと、ずっと長い間誰とも話さずに待ち続けて……もう周りには知ってる人は誰もいなくなって、知っているの風景もなくなって……でも、宝玉を壊したら、死んじゃうなんて……」
スバルは、顔をぬいぐるみに当てる。だが、ルアンがその温もりを感じとることは出来なかった。
「たとえば愛している人にも、もう会えないよね。ここで大切な人を見つけても、触れられないよね。それなのに、周りに英雄って言われてすごく尊敬されても、嬉しくないよね、胸が痛いだけだよね……」
「泣いているのか、スバル」
こんなに触れ合っているのに、感覚のないルアンには彼女が涙を流しているのかもわからなかった。背中にいるスバルの顔を見ることもかなわなかった。唯一、彼女の震えた声で、自分の質問の答えを知ることができた。
「だってこんなこと……悲しすぎる。あなたは、こんな苦しい気持ちを一人で背負ってたのに、何も言ってくれなかった。カイと一緒。辛いことを隠したまま見せてくれないの……」
「……君は、優しすぎる」
普段あまり聞かない、柔らかな温もりがこもった声だった。英雄の業を背負った声でなく、ルアン個人としての声だった。
「こんな気持ち誰も背負わなくていいのに、君はそうやってひとの心に知らぬ間に踏み込んでくる。一緒に泣いてくれる。……私が愛した者のように」
「……」
「……君のように、誰かの心を大切にして、時に一緒に泣いてくれる性格だった。私はあんなに愛していたのに、共に最期を過ごすことができず、一人でこうして生きているのだから」
スバルがはじめて聞くルアンの気持ち、彼の過去だった。やっとルアンが心を開いた瞬間だった。もう遅すぎるぐらいだとスバルは思った。
「だが、頼む。私の心配よりカイの心配をしてほしい。私はこの時代にはいるべきではない命だ。私が消えれば、カイは本当の意味でカイとして生きられる……そのとき、どうかそばにいてほしい」
「……ありがとう。優しいんだね、ルアン」
優しいと言われたのは、愛するひとから言われて以来だった。
「でも私は……ルアンに消えてほしくないよ。だから、死ぬなんて簡単に言わないで……」
「……」
だがルアンは、私は優しくなどない、と心のなかで思った。
――私はひとつ、君に嘘をついたのだ。
★
僕とヤド仙人は、感慨深くなってしまうほど久し振りに二人きりになった。ヤド仙人は深く長いため息を吐き出して、座ったまま僕を手招きする。
「カイ……わしにもっとよく顔を見せてくれんかの」
僕は黙って、ヤド仙人の正面の小さな岩に座って向き合った。ヤド仙人は普段から纏っている年寄り特有の覇気を失ったように僕には見えた。彼はただ黙って僕の頬にそっと手を添える。
「ヤド仙人、ひとつ聞かせて」
正面からまともにヤド仙人の顔を見るのはなんだか、とてもつらい。
「僕と、いままでルアンの“器”として接してきたの?」
「お主はどう思っとるんじゃ。わしの接し方はそういう接し方だったかの?」
そっと、ゆっくりと歩くように僕は記憶をたどる。いつも、僕が仙人を訪ねると瞑想の邪魔をするなと怒りながら迎えてくれて。長いレクチャーを飽きるまでして。苦しいときは抱き締めてくれて。悪いことをしたら叱ってくれて……。
いつだって、ヤド仙人は僕を大切に思ってくれた。自信の役目としてではなく、本心から。
「ごめん……疑うつもりは、無かったんだよ」
「無理もなかろう。いつか話そうとは思っとったんじゃが、何もかもいきなりすぎたんじゃ。すまん……すまんのう、カイ……」
「謝らないで、ヤド仙人は悪くないよ」
「わしはお主を孫のように思っていたのじゃ。それはリンもきっと同じじゃよ」
リン……。
ヤド仙人が僕の頬に触れていた手を離したから、僕は彼の顔を見た。なにかを思い詰めたような表情になりながら、今度は僕の肩に両手を置く。
「カイ、お主にはひとつ……言わねばならんことがある」
「……なに?」
妙な胸騒ぎがした。なんでだろう、ヤド仙人の表情のせいか、あるいは僕の思い過ごしか。
「お主はいずれ“命の宝玉”を壊すことになる。それが終われば、ルアンも全ての波導を使い果たし散るじゃろう」
「だから、僕ももう自由なんでしょ? さっきルアンが言ってた……」
ヤド仙人はなにも言わずに、肩を落としてゆるゆると首を横にふった。
「宝玉を壊せば、カイ――お主も死ぬ運命にあるんじゃ」
え……?
なに……? 僕も……?
死ぬ、だって……?
「え……ちょ、はは……待って、冗談、だよね……?」
「ルアンはわかっとったはずじゃ。彼が自分の体で、万全の状態でも宝玉を壊せば死に至るというのに、お主の体が持つとは思えん……。じゃかさっきあそこでスバルが聞いたとき、まさかルアンが嘘をつくとは思わんかった……」
ちょっと、待って。待ってよ。どうして、僕が死ななきゃいけないの……? やっと、仲間に会えて、大切な人ができて、“イーブル”さえ倒すことができれば、充実した日々を過ごすことができると思ってたのに……。
まだまだ、これからだと思ってたのに……!
「ルアンもあるいは、スバルがいたから嘘をついたのかもしれん……今あのタイミングではなく、お主の口から改めて言えるように」
「ちょっと待って……どうして……」
僕は、命の宝玉なんてしらない。関係ないのに……。
他の誰でもなく、僕なのはなぜ? 僕が、英雄の“器”だから……?
怖い。もう触れられない、話すこともできないなんて……。死ぬ瞬間なんて感じたくない!
「僕……! 死ぬのなんて、やだよ……やだよっ、ヤド仙人……!」
「すまん……! すまん、カイ……! これは、運命だったのじゃ……!」
運命……運命って、そんな言葉で片付けられても……。いやだ、いやだ! 僕は、死にたくない……!
みんなと、スバルと、もう会えなくなっちゃうよ……!
こんな運命……ひどいよ……!