へっぽこポケモン探検記




















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第八章 悪夢編
第百十七話 雲霞の里へ
 ――僕とスバルは、僕の出生の謎を解くため、ルアンと英雄の関係をの謎を解くため、ヤド仙人を探すために故郷へと向かった。





 スバルがカイと合流するより少し前、ギルドの廊下にて。
 スバルは心臓の高鳴りを押さえていた。どうか誰も気づきませんように。どうか鉢合わせると面倒になる人とは会いませんように。ローゼが(方法はわからないが)人払いならぬポケ払いをしてくれているらしいが、どこに行くのかと聞かれてごまかしのきかない相手と出くわすのだけはごめんだった。例えば――。
「――スバル」
「!? る、るるるルテアッ!?」
 廊下の角から鋭い赤目がスバルの方に向いた。心臓が飛び上がった勢いで言葉も一緒に震えてしまったスバルをよそに、名前を呼ばれた赤目――ルテアは、キョロキョロと辺りを見回したあと、素早く彼女のもとへ走る。
「る、ルテアあのね、これはね、ちょっとね……」
 誰もが寝静まった夜に外へ行く格好をしている理由をどうにか説明しようとスバルは思考を巡らす。が、ルテアは声を沈めて、
「大丈夫だ、全部聞いた」
 と呟いた。思わぬ肩透かしを食らったスバルは柄にもなく口をポカンと開いてしまう。
「えっ、聞いたって……」
「あの探偵からだ。俺とシャナだけは知ってる。とにかく時間がねぇ。スバル、これ持ってけ」
 そう言いつつルテアはどこからか、鮮やかな空色の布を取り出す。道具についてまだあまり詳しくないスバルも、その布については記憶の片隅に引っ掛かっていた。たしかこれは、スペシャルリボン。特攻が上がるアイテムだ。
「お前の電気技の威力が上がる」
「ルテア……」
「スバル、カイから目を離すな。あいつの体は今……」
「わかってる」
 ぎゅっ、と。スバルはルテアの滑らかな体毛に額を埋めた。
「カイのこと、わかってるの。私が側にいるのに、なにもしてあげられないのも、わかってるの……」
「スバル……聞け」
 静かだが芯の通ったルテアの声に、スバルは埋めていた顔を上げた。
「スバル、側にいてやるだけでも充分力になれる。何もできないなんてことはないはずだ。とにかく、あいつが潰れないように、よく見とけ」
「うん……」
「よし、わかったらもう行け。バレずにうまくやれよ」
 スバルはルテアの言葉に、声をあげずにこくりと頷く。そして、スペシャルリボンを付けて、音を立てずに廊下を小走りした。





 僕とスバルは、トレジャータウンの入り口の前で無事に落ち合った後、少し離れたオレンの森で夜を明かした。そして、最初に言った通り、僕の故郷である“霧霞の里”へと歩を進め始めた。
 正直なところ、僕はトレジャータウンから里への行き方を覚えていない。でも、自然と体は行くべき場所へと向いている。理由はすぐにわかった。ルアンの“記憶”だ。僕が里から逃げたとき、僕のことをスバルの元へ連れていったのは他でもない、彼だから……。彼の記憶があれば、無事にたどり着くことができる。
 歩き始めて数時間、僕もスバルも無言でいたけれど、ふと背中から小さく声がかかってきた。
「カイは、その生まれた里でどんな生活をしていたの?」
「ど、どうして急にそんなことを……?」
 よく考えたらスバルが僕のことを聞くのひどく久しぶりのような気がする。面と向かって(実際に声がかかったのは背中からだけど)自分のことについて聞かれることに、僕はちょっと誰かにくすぐられたような違和感があった。
「だって、今までカイのことあんまり聞いたことなかったから」
「うん……そうだね」
 思えば、この半年は慌ただしい毎日だった。訳もわからず追われ、“イーブル”と遭遇して、探検隊になって彼らと戦わなくちゃならなくなって、“もう一人の僕”が覚醒して……。
 それと同時にスバルと出会って、ギルドのみんなと出会って、ルアンと出会って……里から出なければ到底できなかっただろう“仲間”ができた。それは、僕にとってかけがえのないものなのは間違いないことだ。
 でもやっぱり、慌ただしい生活で里のことはすっかり忘れちゃっても、恋しさが薄れる訳じゃない。
 今なら、あるいはゆっくりと思い出せるかもしれない。
「僕はあの里で生まれた。でも、僕を産み落としてくれたはずの親は、いなかった」
 物心ついたときから、僕はリンというハクリューに育てられていて、読み書きも生活のこともみんな彼女が教えてくれた。僕の家は里の集落からなぜか少し孤立していた。でも、ヤド仙人というヤドキングの住んでいる岬に近かったから、彼が僕の話し相手になっってくれた。彼は物知りで、色々なことを僕に教えてくれた。話し相手というよりは聞き相手だったかな。彼、レクチャーが趣味なんだ。
 リンは優しかった。ヤド仙人も優しかった。僕は二人が大好きだった。
 ただ、一度だけ僕はリンに聞いたことがあった。ヤド仙人から“タマゴグループ”と言うものを教えてもらった帰りだった。
 リンは僕の本当の親じゃないの?
 そう聞いたら、リンは心底寂しそうにわらって、なにも答えなかったよ。僕は、よくわからなかったけど、その時僕は大好きなリンを悲しませてしまったと思って、それ以来その質問は二度とするのをやめようと自分に誓った。
 家がなぜ集落から離れているのかも結局聞かずじまいだった。里のみんなは、リンやヤド仙人になぜかよそよそしいんだ。でも、僕は怖くて聞けなかった。それに、僕は二人の方が里のみんなより大事だったから、彼らと深く付き合うこともためらわれた。
 そうやって、僕は一日の大半を二人のどちらかと一緒に過ごしていた。里には時々だけ降りて、一人で海の見える岬を散策する、そんな毎日。
「僕にとってはとても当たり前の毎日だったけど、思えば、僕らは里にとってすごく異質な存在に見えただろうね」
「その、リンさんやヤド仙人さんって、やっぱり……」
「うん、ルアンのことと、なにか関係があるのかなぁ……」
 その会話っきり、僕らはただ黙ってダンジョンを歩き続けた。“曇霞の里”へ着々と近づきつつある。
 でもその時僕は、里に帰ることに、つまり真実に目を向けることに、少しも抵抗を感じなかったと言えば嘘になる。
 ずうっと、なにも知らずにいられればいいのに、と思った。僕は元々、臆病者だから。





 “幸せ岬”でまた野宿して。ギルドを抜け出してこれで二日。辺りが霧に包まれてきたのは“雲霞の里”が近い証だ。ギルドは今頃大騒ぎになっているのかな。それとも、うまい具合に僕らのことは隠しているのかな。
「もしかして、あれ?」
 スバルの声と、視界の端から現れた彼女の手で、僕は我に返る。スバルが指差したその先には、紛れもなく山の間に囲まれた集落が見えた。その先には霧でよく見えないが海がある。潮の臭匂いがかすかに鼻をくすぐる。
 そう、あれは紛れもなく、“雲霞の里”――。
 着いた、僕の故郷だ。
「里に降りるのはやめよう。山に沿ってそのまま岬に行く」
「え、どうして?」
「あそこは、余所者をあんまりよく思わないから」
 僕が言って歩き出すと、スバルがなにか物言いたそうにしながらも黙ってついてきた。どうしたの? 振り返って彼女に聞くと、
「なんだか、カイがカイじゃないみたいで……遠くに行ったりしなよね……?」
 そう小さく呟いた。
 「……僕は、いつだって君の側にいる」
 僕は、笑うしかなかった。
 スバル……いま僕は、自分らしくうまく笑えてる……?


 潮の匂いが強く含まれた風が吹いている。僕の気持ちとは裏腹に、ひどく晴れた空と凪いだ海がとても綺麗だった。
「すごくきれい! カイはいつも、こんな景色を見てきたんだね」
「そうだね……」
 そして、そこにはいつも先客がいる。空と海の境界が消えたあの景色を見ながら、物思いに耽るピンク色の背中が……。
「あっ」
 スバルが声を上げたのと同時に、僕もその姿を見つけた。たった今僕が思い出していた、あの、背中。
「……っ、あ……!」
 うまく声が出なかった。急に耳が波の音以外に受け付けなくなって、喉からなにかがせりあがってうまく言葉がでない間に、彼はゆっくりと振り返って僕らをみた。
「お主……まさか、カイかの……!?」
「あ、あぁ……うぁ……!」
 間違いない。間違えるはずがない。
 たしかにそこにいたのはヤド仙人で、僕はなんだかよくわからなくなって、ただただ涙が止まらなくて、無事でいてくれて、ほんとに嬉しくて、言葉がうまく吐き出せなくて、変なうめきだけしか喉から出なくて、自分でもよくわからなくて、気づけばヤド仙人の胸に飛び込んでいて……。
 目を強く閉じて、時が止まればいいと願った。


「そちらのお嬢さんはカイの連れじゃの?」
 泣き疲れて、そして長旅に疲れて、立っていられそうにないなぁ、と僕が思い始めたとき、ヤド仙人はスバルの方に顔を向けてそう言った。
「は、はい! 私は……」
「自己紹介は後じゃ。とにかくこの老いぼれに一つお礼を言わせてくれんかの。カイと一緒に来てくれてありがとう」
「そ、そんな、とんでもない……!」
「お主たち疲れたじゃろ、聞きたいことはたくさんあるじゃろうが、いまはなにも言わずわしの家に来なさい」
 ヤド仙人はなにもかもわかっているような口ぶりで、僕らには有無を言わせずに家へ誘った。家具やら壁やらが、全て岩でできたあの家へ。





 ヤド仙人の家はここを発った時となにも変わっていなかった。怪しげな実験道具、岩でできた椅子と机、そして、僕がいれたお茶と湯呑み。
「ヤド仙人、あのあと、無事だったの……?」
 僕はヤド仙人へ聞いた。目を閉じれば、いまでも鮮明に思い出せるあの日、僕らが“イーブル”の手下に襲われたときだ。ヤド仙人は僕を“テレポート”で逃がした。だけどそのあと、ヤド仙人はしたっぱをどうしたのだろう?
「ふん、わしがあやつらを追い返せないとでも思ったかの?」
「じゃあリンも無事……?」
 リンの単語が出た瞬間、ヤド仙人の得意気な顔が瞬時に険しくなった。ついでに肩を落とす。
「すまん、手下を追い払ったあとリンの家に行ったが、リンはいなかったのじゃ。恐らく、あやつらに捕まったのかもしれん……」
「……そんな」
 リンが、“イーブル”に捕まっていた? なぜ。彼女はなんの関係も無いじゃないか……!
「た、助けにいかなきゃ……!」
「カイ、落ち着いて。いまから探しになんか行けないよ」
「お嬢さんの言う通りじゃ、落ち着かんか。えっと、そちは……」
「スバル。スバルです」
「そうかスバルさんか……ほほう、星の名か、良い名じゃ」
 物知りなヤド仙人は、スバルの名を聞いて名の由来をさらりと言った。僕もスバルもびっくりだ。
「わ、わかるんですか。私もわからなかったのに……」
「そんなに驚くことかの。冬に見える星のことじゃ」
 そうだったのか。僕が一人納得をしているとヤド仙人は「お主たち、そんなことを聞きにわしのもとへ来たのではないのじゃろ?」と厳しく言った。スバルの名前のことに触れ始めたのはたしかヤド仙人だったはずだけど、そういう自覚がないところはご愛敬だ。それに、彼の言う通り、僕らはそんなことをしにここへ来た訳じゃない。
「……ヤド仙人」
 僕が名を呼ぶ。場の空気が緊張に包まれる。
「僕はあなたを微塵も疑ったりはしていない。だから、どうか知っていることを全部話して」
 僕は今まで、自分のことを知らなくても幸せならそれで良いと思っていた。でも、傷ついてでも、知らなきゃならない真実が、あるとしたら。
「僕のこと、リンのこと、ヤド仙人のこと。そして、僕に宿っている“もう一人の僕のこと”も」
「……そうじゃの。もはや、隠す必要もあるまいて」
 ヤド仙人は腰に手を当て難儀そうに立ち上がり、不思議なアイテムがたくさん入っている岩でできた天然の倉庫に手を伸ばした。しばらくごそごそと手を動かし、ようやく目的のものを見つけたのか、こちらを振り返った。
「じゃがの、役者はわしらだけじゃなかろうて。お主の中にいる者にも、会話に参加してもらわねばのう」
 ヤド仙人の手に持っていたものは……。


ものかき ( 2014/07/12(土) 13:57 )