流浪探偵と陰
――トレジャータウンでそれぞれのメンバーが戦闘を繰り広げている最中、町の外でも、ひとつの戦いが繰り広げられていた。
★
茂みから下を向けば、普段とかなり有り様の変わったトレジャータウンが見える。所々では黒い煙がもくもくと上がっている場所もあり、敵の進撃ぶりがどのようなものか手に取るようによくわかった。
「見せしめ、といったところですかね」
そう呟くローゼの口調は淡々としたものだったが、かれの正直な目元は鋭く細められて厳しい眼光をあらわにしていた。
そして、くるりと振り向く。
「これはあなたがたのボスの差し金ですかね、それとも……あなた自身?」
今度はひとりごとなどではなく、特定の誰かに向けて凛と放たれたものであった。その誰かとは、ローゼから数メートル離れた場所にぽっかりと浮かんでいる影だ。影は不気味な笑い声と共にその輪郭を浮き立たせる。風もないのに白くなびく髪、青白く光る眼光と、全身を包み込む黒い体。
「高みの見物はさぞや楽しいものでしょうねぇ、ダークライ」
ローゼは口元だけをつり上げた。
「へぇ……初対面なのになかなか楽しませてくれるね」
ダークライは心の底から愉快そうに言った。しかし場の緊張感はお互いが言葉を交わすごとに上がっていく。
「初にお目にかかります。流浪探偵のローゼと申します――」
ローゼは優雅に一礼をする。そして、ダークライを睨んだ。
「――冥土の土産に、お見知りおきを」
「冥土の土産とはまた物騒だね。君が手っ取り早く冥土に送るべきは“イーブル”のボスなんじゃないのかな?」
「思ってもいないことを軽口に言うのがあなたのユーモアなんですねぇ」
「そのユーモアはお互い様じゃないのかな?」
今の二人だけを見た者は、まるで友人同士が親しげに話しているように見えるだろう。だが、お互いにいつ攻撃をしてもおかしくない体勢で会話をしている。
「あなたは、なぜ“イーブル”にいるのです? あなた真の目的は……」
「そんなの、ボスの目的を果たすために決まって――」
「はっ。ボスの目的とやらがなにかはまだわかりませんが……笑えないジョークですね」
「うーん……」
ダークライが片手を顎へ持っていき、わざとらしく考えるしぐさを見せた。
「君こそさ、襲撃を受けているトレジャータウンを無視して私などを追っかけてきているのはなぜかな? ねぇ、教えてよ……流浪探偵?」
「……」
白々しい、内心で彼はそう毒突いた。明らかにダークライはこの状況を楽しんでいる。高みの見物を決め込んでいたら思わぬ暇潰しの相手ができた、という余裕さえかいま見える。
「わたくしの計算ではですねぇ……ダークライ、あなたさえここで葬ることができれば、“イーブル”の危険因子の八十パーセントを潰せたも同様なんですよ」
「……」
「あなたは危険です。これは推理もへったくれもない。本能がわたくしにそう告げているのです」
「じゃあ、ここで私を倒すかい?」
「……刺し違えてでも、あなたはここで倒さなければなりませんね」
「……なかなか本気だね、探偵。それに強そうだ」
「お褒めに預かり光栄です」
「ローゼ、といったね。流浪探偵、眠りの山里で邪魔をしてくれたフローゼル……元ニンゲン」
ローゼの利き指の先端が少しだけピクリと動いた。それをみて不気味に笑うダークライ。
「ククク……意外にわかりやすいね、君は。それでこそ弄りがいがあるよ……せいぜい私を楽しませてくれないかな?」
ローゼの目は殺気に満ちていた。むしろそれ以外の感情を持ち合わせていなかった。ただ単に目の前の抹消すべき存在に焦点をとらえていた。
手に拳を握る。その拳へ湯気にも似た冷気が宿る。そしてその指をピンと一直線に伸ばせば、氷点下の冷たさを持った鋭利な刃の完成だ。
「氷の刀か……面白いね」
ならば、とダークライはどこかに隠し持っていた“銀の針”を取り出した。それを手に持つと、その針へたちまち黒いオーラがまとわりついた。瞬く間に剣には似ても似つかなかった細い針が、黒光りする刃に変貌する。
彼はそんな“銀の針”を見て目を細めた。
「遊び道具ではこれがお気に入りでね……居合いごっこに付き合ってあげるよ」
「後悔しますよ」
ローゼは唸るように言った。
「誰に向かっていっているのか、な」
ダークライの言葉の最後と同時に、二人の影が動いた。
★
氷刀と銀の針がぶつかり合う音だけが響いていた。ローゼは周囲に繁っている木々を最大限に利用しながらジュプトルも真っ青な素早さでダークライを肉薄し続ける。今の彼に情け容赦などは存在しない、常にダークライの急所を狙い、刀を振るう。
一方のダークライは、急所を狙ってくるローゼの刃先を、銀の針で反らすことに専念していた。今までの戦闘経験で自身の素早さは敵味方の中でもトップクラスだと自負していた。しかし、今の彼の目ではローゼの残像と迫ってくる青白い刃先しか見えない。防戦一方といっても過言ではないこの状況、死と隣り合わせのゾクゾクするこの感覚は久しぶりだった。
楽しい。強い者との戦いはいつだって快感だ。敵が強ければ強いほど、弄ばれたときの表情が豊かなのだ。
だから、戦いはやめられない。
「そうこなくっちゃぁ面白くないよね……!」
目の前にローゼが現れて刀を袈裟斬りに振るう。それを防ごうとした瞬間、上から迫ってくるはずの刃先が、目の前に迫ってきた。
「!」
ダークライはとっさに体を捻る。刃先が肩をかすった。
袈裟斬りはフェイントだった。上から攻撃してくると見せかけて瞬時に突きへと攻撃に転換したのだ。
休む暇はない。再び氷刀が迫る。黒いオーラに染まった銀の針で防ぐ。お互いの刃から飛び散る火花。力が拮抗し合い、二人は睨み合う。
「やってくれるね……!」
氷“刀”とは名ばかり、斬りつけてくるかと思えば今度は“剣”術のような突きの攻撃と来た。ダークライは、ローゼの今までの剣捌きに全く予想がつかなかった。
「わたくしは言いましたよ……刺し違えてでも、と」
「……光栄だね」
ギリギリ、と音が鳴らんばかりに二人はお互いの刃を押し付けている。
「ならば……こんなのはどうかな?」
ダークライがその言葉と同時に青白い瞳を光らせた。と、その瞬間――。
ぐにゃり。
自身が氷刀で押さえ込んでいるダークライの銀の針、その先端があり得ない方向に曲がった。
「っ!?」
針の先端は、まるで意思を持った生物のごとく、自らの意思でローゼを貫かんと迫った。彼は慌ててのけぞり針をかわすが、右の頬が浅く裂かれてしまう。いったい何が起きたのかローゼにはわからなかった。なぜ、ただのアイテムでしかない、しかも金属製の無機質な銀の針が、いきなり物質の法則を無視してありえない方向に曲がり、自分に迫ったのか……。
まさか、ダークライが銀の針にまとわせた黒いオーラにはそういう特別な能力があるのだろうか。しかし、ローゼは人間時代、そしてポケモンとなった後の記憶でもそういった能力は聞いたためしがなかった。
ローゼはコンマ以下の時間で頭をフル回転させる。とりあえず今は、いち早くダークライから離れることが先決だ。そう考えて彼は飛び退く。
しかし、彼が着地した目の前にはすでにダークライの姿が。
「なっ」
「“予測済み”ってところかな」
そういっている間にも黒光りする針がローゼに迫る。
「くっ」
彼は慌てて上から来る刃を横なぶりに払おうとした。だが彼は忘れていた。今ダークライが持っている銀の針は普通のそれではない。
ザクッ、と肉を貫く生々しい音が鳴る。自分の耳と、そして自身の体から。
「ぐあッ……!?」
「忘れたのかい? この針は、自在に曲がるよ」
そう、銀の針は、刃を払おうと横に振るったローゼの刀を回避したのだ。またぐにゃりと曲がって。そして、ローゼの鎖骨あたりを無残にも貫いていた。
そう言いながら笑うダークライは不気味だった。そして情け容赦もなかった。痛みにうめくローゼにさらなる追撃をかける――今度は斬撃に黒く禍々しい力を乗せて。
ザンッ!
横から真一文字に振るわれた銀の針。そこから三日月状に放たれた黒い刃のような衝撃がローゼに直撃した。彼の体は“く”の字に曲がりながら後ろの木に激突する。彼が鼻にかけていた見通しメガネが、レンズの割れる音ともに盛大に吹っ飛んだ。
ダークライの攻撃の衝撃に加えて、背中にも打撃の衝撃が襲う。
「か、はっ……!」
痛みに目を開けていられなかった。強烈な一撃は彼を一撃で戦闘不能にさせるに十分な威力があった。一瞬フェードアウトする視界。そして、次に目を開けたとき。
ローゼは、“目を覚ました”。
★
「はっ……!?」
ローゼは木にもたれかかるようにして倒れていた。体はもちろんダークライからの攻撃のため動かすことができない。
しかし。何かが違う。
先ほどとは、何かが違った。
「なにが起こって――」
そう言いかけたローゼは、瞬時にこの状況を理解した。
重い瞼を開けて目の前を見据える。そこには、青白く瞳を光らせるダークライが、探偵を静かに見下ろしていた。
「……あなたっ……」
彼は戦闘前と同じように、黒いオーラをまとわせた銀の針をその手に持っている。しかし、ローゼが先ほどつけた傷の数々は、今の彼にはまったく見当たらなかった。銀の針も、もちろん“ただの銀の針”である。
「……言ったよね? これは遊び道具だって。私の本業は、悪夢を見せることさ」
ローゼは悔しさのあまり唇を強くかみ締めた。そう。戦闘が始まってからローゼがダークライにつけた傷も、そして銀の針が物質の法則を無視してありえない方向に曲がったのも、すべでは“悪夢の中の”出来事だったのである。ローゼはただ、悪夢の中で必死に攻撃を繰り返していただけに過ぎなかったのである。
「わたくしはいつから……あなたの術中に……」
「はじめからさ」と、ダークライは淡々と言った。
「馬鹿なッ……悪夢に落ちてわたくしが気づかないはずが……!」
「そう。あんなに活発に動いていたのに、そのすぐ後に眠りにおちるなんてふつうはありえないよね。では、なぜダークライという種族が、悪夢で敵から身を守ることができるかわかるかな、探偵?」
「……」
「夢と現の差がわからないほどに、知らないうちに敵を完璧に悪夢に引き込む。それができるから、だから、私たちは強いのさ!」
彼はいきなり叫んだ。ローゼは両手を広げるダークライをかすむ視界の中に見ていた。
「悪夢の中で相手をなぶるだけなぶることもできる。精神を破壊することだってできる。相手をコントロールすることもできる……従順させることもできる! そして、今の君のように、寝ている間に私が直接攻撃してしまうこともできるッ!」
ダークライはそう言いきると、どうだい、とでもいいたげにローゼを見下ろした。しかしローゼは、荒い呼吸の中に、かすかな笑い声を含ませた。
「あなたは……っ、はは……狂っていますね……ぐっ」
「ああ、そうさ。だが……まぁ、そんなことはどうでもいいじゃないか」
ダークライは興ざめした様子であった。自分は絶対的な存在だ。どうあがいても勝つことのできない相手だ。そんな自分を目の前にして、恐怖せずにむしろ笑っているなんて。どうしておびえない? どうして泣き叫んで命乞いをしない?
「狂っているのは、お互い様のようだね」
ダークライは、手に持った銀の針を、今度こそ本当にローゼへ突きつけた。
「君は、私が“イーブル”にいる目的は何かと聞いたね。教えてあげてもいいよ……冥土の土産に、ね」
ククク、と喉から搾り出したような低い笑い声をもらした。銀の針の先端は、メガネの取れたローゼの裸眼の数ミリ先にあった。だが、ローゼは怖がりも、今度は笑いもしなかった。満身創痍ながら、ただ無表情に、ダークライだけを見据えている。
しばらく沈黙しながらにらみ合う二人。
「……ふん」
先に視線をはずしたのはダークライだった。彼は構えていた銀の針を脇に放り捨てる。
「でも、君はまだまだこれから先私を楽しませてくれそうだね……殺しておくにはもったいない」
彼は浮かび上がって、ローゼに背を向けた。そして彼から遠ざかる。
「またね、探偵」
ローゼから離れる間にも、ダークライの不気味な笑い声はずっと尾を引いていた。