第百十四話 仲間がいる、家族がいる
――『内緒でルアンに会ってみないか?』。いたずらっ子のようなスパークの誘いに、スバルが乗らないはずがなかった。二匹の電気ネズミは、みんなが寝静まる夜を待ち作戦を決行した。
★
本来ならお祭りで盛り上がるはずの夜は、“イーブル”によって静寂へと塗り替えられてしまった。スバルとスパークの二人は息を殺し、足音を殺し、慎重にルアンのいる場所へ近づいていった。
と、スバルがふと何かを思い出したかのように小さく声をあげる。
「誰かが、ルアンを監視しているかな?」
「その時は口に“すいみんのたね”でも投げ込めばいいだろう」
「そっか」
端から聞いたら恐ろしい会話も、今は誰も聞いていない。
「あそこを曲がったら私たちの部屋だよ!」
スバルが嬉々とした表情でスパークに囁いた。二人は壁の影から向こう側の通路を覗き込む。
「うわぁ……マルマンさんだぁ……」
ルアンのいる部屋の前にたっていたのは、あろうことかバレたらある意味一番厄介なポケモンであった。
「めっちゃ大声出されるよ……下手したら爆発するかも」
「爆発……」
スパークは驚きを通り越して呆れた声しか出なかった。“すいみんのたね”を投げ込もうにも、マルマインの口が開く瞬間をスパークは見たことがない。そんな彼をスバルは上目使いに見る。
「どうする?」
「……一か八か。一つ案がある」
「マルマンさーん……」
ビクティニのギルドの弟子で、今回ルアンの監視を任されていたマルマンは、ついウトウトしていたところをとある声に起こされた。
「なんだスバルかコラァ……ここを通すなと言われているんだコノヤロー……」
「ち、ちがうよ! そろそろ交代の時間だから来ただけだよっ!」
「交代……?」
しばらくの間、両者に沈黙が訪れた。マルマンはしばらくの間考え込んでおり、スバルは内心で冷や汗をかく。やがて……。
「わかっんだぜコラァ……眠かったから助かったんだぜコノヤロー」
「う、うん、お疲れさま」
「じゃああとは任せたぜコラァ……」
マルマンは通路をゴロゴロところがって去っていく。姿が完全に見えなくなると、スバルは長く息を吐いた。心臓がまだばくばくしている。
「ふぅ……うまくいったな」
スパークが曲がり角の陰から現れた。計画の立案者である彼でさえも、ここまできれいにうまくいくとは予想だにしていなかったらしい。
「早いところルアンと話でもしようじゃないか。あのマルマインが戻ってくる前にな」
そうスパークが言い終わらないうちからスバルはひょっこり部屋のなかを覗いていた。
「う、うん。そう思って今部屋のなかを見たんだけど……」
「ん?」
「ルアンが……いない」
「……は?」
★
長い間夢を見ていた気がする。なんの夢かはわからないが、あまり安らかなものではなかったのは確かだ。体に深い傷を負っている今、安らかに眠るというのも無理な話かも知れないが、と彼は思う。
まだ眠いと訴える瞼を無理矢理に起こして、部屋の中からから辺りを探ってみる。するとどうだろう、先程まで自分を監視している者の気配が消えているではないか。これは、絶好の機会だと思った。まだ傷は直っていないし本調子でもないが、このままギルドにいても、今の感情に整理などつくまいとルアンは思った。彼は天井近い天窓へどうにか飛び上がり、手負いの状態にも関わらずギルド二階から飛び降りた。
夜の風は今のルアンには気持ちがよかった。露草の匂いが混じった風。魂だけでは決して感じることができない、五感でのみ感じることができる風だ。傷が疼く。だがそんなものは関係ない。今はこの痛みでさえもいとおしい感覚だ。このまま使命など忘れ去って自由に過ごしていけたらどれだけいいだろう。もちろん、それがつかの間の幻想だとしても、ルアンはそれを切に願わずにはいられなかった。
だから。
「……なぜ来た」
自分の背後に現れた者に、そう問わずにはいられなかった。一人にさせてほしかったのに、そう内心で非難しながら。
「私と少し、話さないか」
背後に現れたのがスパークだというのは、その波導ですぐにわかった。
「なぁ、ルアン。君に家族はいるのか?」
月の光が、原っぱに座る二人を照らす。スパークは胡座をかいていたが、ルアンは小さく膝を折って座っていて、それがスパークにはひどくちっぽけに見えた。
「なぜそんなことを聞く?」
「聞いちゃいかんのか」
「……いや」
ルアンは折った膝の皿に頭を置いた。
「……いた。もう彼方に霞みそうな記憶でしかない」
スパークは黙っていた。ルアンはそれを先への促しだと受け取った。
「まだ物事がよくわからないほど幼い頃だ。父と、母と……どこか静かなところにつつましげに暮らしていたことだけは、おぼろげに覚えている」
空が近くに感じるほどの高原、ポツンと一つだけ建っている草庵。両親の顔。断片的な記憶が、音もない映像としてだけ彼の脳内を流れていく。
記憶が薄れていることだけは、鮮明にわかる。
「父と母がどうなったか、実はよく覚えていない。幼い頃に死んだが、どういう死に方をしたかもよく覚えていない。あれは、たぶん……山賊か、なにかに襲われたのだと思う」
「……そうか」
スパークの声は、感慨深い時と、平常時の真ん中ぐらいの声だった。
「そんなことを聞いてどうする」
「さぁな。ただ、言えることは――」
スパークが少しだけ言葉を焦らしたのでルアンは彼の方を見る。その顔が、カイが家族の話をした時とおもしろいほど一緒だった。スパークは笑う。
「あんたも、どうあがいたって私たちと一緒じゃないか」
「……」
「あんたが英雄だろうとなんだろうと、どれだけ気丈にふるまっていてもいなくても、孤独に耐えることなんてできないし、寂しさに嘘はつけない。だろう?」
スパークはそう言って大袈裟にルアンの肩を組んだ。彼は一瞬ビクリとする。
「なぁ、あんたは今自分が独りだと感じているかもしれないが、どうだ。もう少し、私たちに肩を預けたっていいじゃないのか?」
「肩を……?」
「あんたには、カイがいる。スバルがいる。私がいる。リーフも、ファイアもウォーターもルッグも。自分が独りだと思ったら大間違いだぞ」
「私たちには、血の繋がりなどない」
「みんな同じことを言うなぁ。頭が凝り固まっちまってる。そんなに血の繋がりが重要なのか?」
「……」
「ルアン、あんたは他のポケモンとなんにも違っちゃいないよ。ただちょっと気丈で冷静で、長男気質なだけだよ」
膝を組んで黙ってスパークの話を聞いているだけのルアンに、自然と何かが込み上げてきた。
ああ、この感情はなんというものだっただろうか。もう少しで思い出せそうな気がする。
「一人で気負う必要なんかない。会って間もない私が言うのもなんだが、タウンのみんなが何と言おうと私はルアンを信じているよ」
ポンポン、と組んだ肩を二回叩く。ルアンは久しく涙を流したい気分になった。これは、もしや、自分はスパークの言葉に救われているのだろうか。安心しているのだろうか。
ルアンは声もなく目元を腕でぬぐった。生き物らしい感情などとうに失ったかと思っていた。意味もなく、涙ばかりが流れていく。
「家族とか、そんなもの、私にはよくわからない」
「わからなくたっていい。いずれ思い出すさ。今は泣け! 思う存分、な!」
魂だけの存在になってから今まで、こんなに暖かい言葉をかけてもらったことがなかった。かけてもらうこともないと思っていた。だが意外にも、ずいぶん近いところにそんな渇いた心を癒してくれる者が側にいた。それに気づけなかった自分は……。
「……だな……」
「ん?」
「私は、馬鹿だな……」
「あはは、そうだな、馬鹿息子」
しばらくの間、ルアンは溢れる感情に任せていた。いつまでも止まらない涙に、他ならぬ自分自身が驚いていた。
★
トレジャータウン史上最悪の“英雄祭”と後に評されることとなった、“イーブル”襲撃から一夜が明けた。
動くことのできるギルドのメンバーは、トレジャータウンの後片付けに追われているのだが、ミーナはいまだに毒の影響で動けずにいるという。ついでに呂律も回らないでいるらしい。
ルテアは、救助隊にも関わらずジェットと喧嘩をしていたことで、先輩であるフーディンのフォンからこっぴどく叱られることとなった。ちなみに知らん顔を装ったジェットは、のちに“リーファイ”から制裁を食らったという。
ラピスから攻撃を食らって一度は意識を失ったスパークとスバルは、意外にも早い回復を見せていた。ただし、スパークの無茶は娘と息子たちからものすごい剣幕で怒られることとなった。
シャナは例のごとく報告書作成のために徹夜作業を強いられた。泣く泣く早朝にラゴンの元へ提出したという。
救助隊の救護班であるキース=ライトニングは、ルアンの治療を任されることとなった。が、“爆炎槍雷”コンビは、彼の知的好奇心がルアンに向くことは非常に危険であると判断。よって彼は、常にルテアかシャナの付き添いのもとの治療であったという。
ダークライと一戦を交えたローゼは、一度は意識が戻ったが『もう少し寝かせてほしい』と主張し、周囲の呆れをもらった。
なお、襲撃の間トレジャータウン各所で、珍妙な面を被った集団が目撃されている。住民の話では彼らが新たな敵かもしれないし、もしくは正義の味方かもしれないという声もあった。ただ、この話を聞いたウォーターは、必死でその集団を「いいやつだ!」と言っていた、らしい。
そして、トレジャータウンの後片付けもあらかた終わった後……。
「もう、行っちゃうんだね」
トレジャータウンの入り口のアーチにて、“リーファイ”のメンバーとスバル、シャナ、ルテアが立っていた。彼らはもう、自分達の家へ帰るのである。
「せっかく祭りを楽しむために来たのに、色々と悪かった」
シャナが申し訳なさそうに言うが、“リーファイ”の中では誰も後悔したような表情の者はいなかった。
「こっちも、あんまり力になれなくてごめんね」
リーフの言葉に、スバルがブンブンと首を振り、その姿にみんなが笑った。
「僕は、ここに来れて本当によかったと思うよ、ねぇ兄さん?」
「あ? ああ……まぁな」
「新しい家族も増えましたし……」
「おい! 貴様と我輩の勝負に決着はついてねぇからな!」
「上等だこの野郎!」
「やめろルテア」
今にも飛びかからんとするルテアの尻尾をシャナがすかさず掴む。ジェットの方はルッグのこん棒の一撃で収拾がついたようだ。
「スバル」
最後に、ずいっとスパークが彼女へ歩み寄った。
「なにかあっても私たちがいる。それを忘れないでくれ。カイも、ルアンも、な」
「うん……」
「じゃあ、もうお父さんたちは行くからな」
スパークの言葉を合図に、メンバーはアーチを潜っていった。
「お父さんッ! みんなッ!」
だんだんと遠ざかるその姿に向かって、スバルは大きく叫ぶ。
「ありがとうッ!」
彼らを見送った三人は、その姿が見えなくなるまでいつまでも手を振っていた。そして、その姿が見えなくなると……。
「ほんとうに……ありがとう」
誰にも聞こえない声で、スバルは呟いていた。