第百十三話 報告者の記録
――俺が、仲間たちをそれぞれの場所へ向かわせたのが果たして正当な判断だったのか、それは今でもわからない。
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ことの発端は、“英雄祭”初日、バトル大会が終了した約三時間後。報告者はギルド内にて異音を聞き付ける。
“イーブル”襲撃の合図はこの大会後三時間前後に発令されたものと思われる。ほどなくしてギルドの弟子・マルマンからの報告がそれを証明している。
報告者は自身の判断のもと、ギルド弟子数人と救助隊二名、祭りに参加していた探検隊“リーファイ”の協力を要請。二人一組で四方と中央広場へ“イーブル”鎮圧を指示した。
そして、ミーナ・ルッグは四本柱のダストダスのポードン、スバル・スパークは同じくランクルスのラピス、報告者とファイアはエルレイドのエルザと接触。なお、残りの四本柱であるミケーネの存在は、今回は確認されなかった。そして、カイ・リーフは“イーブル”のボスを名乗るアブソルと接触。現在カイ――ルアンはアブソルからの攻撃を受け意識不明の重傷。回復するのを待ち、話を聞くことが望ましい。
なお、流浪探偵ローゼが、トレジャータウン郊外にてダークライと接触、交戦。彼もまた現在意識不明であるが、命に別状はない。
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「ローゼさん……! ローゼさんッ!」
シャナはありったけの大音量で探し人の名を叫んだ。もし彼がダークライにやられているのだとしたら……! 一度その強さを身に受けたことのあるシャナは必死になってローゼを探した。
「ローゼさんッ!」
「……あー……」
「!」
微かではあるが、彼の斜め右手の、背の低い茂みの中から声が聞こえる。紛れもなく、ローゼの声だ。ほどなくして茂みからひょっこりと白い片腕が現れる。
「ここです……ここ……」
シャナは茂みに駆けつけて、腕を使い草を掻き分ける。すると、身体中をボロボロにして、額から血を流した状態で横たわっている流浪探偵の姿を確認した。
「ローゼさんッ、大丈夫かッ!?」
「助かりました……もう意識を保てそうにないので……後は任せましたねー……」
「ちょ、ちょっと……!」
言いたいことだけ言ってしまうと、プツリと糸が切れたようにローゼは気絶してしまった。シャナは慌てて彼に肩を貸して、探検隊バッジでギルドへワープした。
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“イーブル”の今回の襲撃の目的は大きく三つあると推測される。一つ、連盟側の戦力を削ぐこと。二つ、組織の存在を強く知らしめ、“イーブル”を倒すという目標を揺らがせること。三つ、“器”の破壊。
比較的に二つ目の目的は果たされたも同然と言える。この一件でなによりも、トレジャータウンの住民たちが、恐怖心と連盟への疑心を募らせている。本当に、連盟は“イーブル”を壊滅させられるか、という疑心である。
だが、そんな“イーブル”の撤退命令が発令されたのは、襲撃から僅か一時間弱であった。ダークライの発言では、“器”の破壊に失敗した、というのが撤退の理由らしい。
そしてここからが最重要報告内容である。
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ほとばしる鮮血、二度目の“かまいたち”を受け、地面に力なく落ちていくルアンを、リーフは息を飲んで見ていた。
「ル……ルアンッ!」
やっと我に返って、ルアンのもとに駆け寄るリーフ。しかし、彼は名を呼んでも目を覚ますことはなく、ただか細い呼吸をしているだけであった。
「あなた……!」
リーフは、ルアンを傷つけた張本人をキッと睨み付けた。
「……許さない」
アブソルの強さは、先ほどの戦闘で嫌というほど目にしている。だが、ここで何もしないことは、リーフのプライドが許さなかった。
「あなただけは、絶対に……!」
リーフは足に力を込めた。いまにも大地を蹴ってアブソルに飛びかかろうとした、その瞬間――。
「リーフ!」
背中に懐かしくも鋭い声が届いた。瞬間、あれだけ気丈に振る舞っていたリーフの胸に、何か込み上げるものがあった。
「ファイア……!」
振り向くと、やはり背後には、息を切らしてこちらに走ってくるマグマラシの姿があった。そして、さらに……。
「リーフ! カイ君! 無事ですか!?」
「ルッグさん!」
「おい! いったい何が起きてるんだよ!」
「我輩の耳元で怒鳴るな馬鹿が!」
「ジェット……ルテアさん……!」
スピーカーの声を聞き付け、次々と仲間が駆けつけてきた。そして、誰もが事態の深刻さに息を飲む。だが、何よりも仲間の声がほしかった今、リーフの目にうっすらと涙が浮かんでいた。
「おいテメェ……なにもんだ……!?」
アブソルに向かって一歩踏み出したルテアが、周囲の空気を震わすほどの気迫で尋ねる。
「多勢に無勢、か」
アブソルはそう小さく呟き、背を向ける。まるでルテアの質問など聞いていなかったような素振りだ。そして彼は、ここにはもう用はない、という風に走り去ってしまった……。
「ま、待ちなさい……!」
「リーフ、追うな!」
駆け出そうとしたリーフに、ジェットが制止をかけた。
「周りを見てみるんだな……もう今のこいつらに、“イーブル”を倒す気力のあるヤツなんざいねぇよ」
ジェットの言葉に、誰も答えるものはいなかった。だが、言葉を放ったジェット自身も、小さく舌打ちをするのだった。
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撤退の合図とほぼ同時に、なんらかのはずみで中央広場に設置されている拡声マイクにスイッチが入り、トレジャータウン内の全スピーカーから、“イーブル”のボスとカイ(ルアン)の会話が拡散された。これによりトレジャータウンの全住民が、ルアンという存在が“英雄”だということ(報告者も知らなかった)、その“英雄”の魂がカイの体に宿っているのではという疑惑が浮上した。なお、“英雄”という単語があの“英雄伝説”となんらかの因果があるかは不明である。
さらにあのとき、“英雄”であるルアンの不可解な発言のいくつかを聞いている。確認をとったところ、ルッグ、ファイア、ルテアとジェットがスピーカー越しに、そしてリーフは直接、その言葉を聞いた。以上の結果から、トレジャータウンの住民の多数が彼の言葉を聞いていると思われる。
『何が、“英雄”だ』
『何が、使命だ』
『全部、壊してやる』
“イーブル”の襲撃で恐怖心を覚えている今、カイとルアンの存在が周囲に知られたことは大変難しい問題に発展することだろう。
『ルアンが果たして本当に味方なのか、あるいは敵なのか』。
その立場を明確にせよとの声がすでに上がっており、今後この声はさらに肥大していくことが懸念される。
報告者自身も、ルアンの存在を正しく把握しきれていない。今後とも細心の注意を払うべき案件である。
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トレジャータウンの被害は甚大なるものだった。スパークをギルドへ連れていき、そこからスバル自身もぷっつり意識を失い、再び目を覚ましたときは、すべてが終わった後だった。スバルがあとになって見聞きしたのは、“イーブル”が残した数々の爪痕、襲撃のショックで怯えてしまっているポケモンたちの姿、そして、ルアンのことだ。
ギルド内の緊急集会で、カイ――ルアンの身に何があったのかを探検隊のみに知らされた。そして、現在彼は意識不明であるが、意識を取り戻しても詳しいことがわかるまで一切会うことができないという。
トレジャータウンのポケモンたちがルアンを疑っているという事実は、今まである意味カイよりも近くで彼を見てきたスバルにとって、これ以上心苦しいことはなかった。
「ねぇ、お父さん……」
楽しくなるはずだった祭りの片付けも終わり、ついに不安に耐えられなくなったスバルはスパークの手をそっと握った。
「ルアンはね、いつも一番にカイや私のことを助けてくれて……悪い人なんかじゃないよ……! みんなそれをわかってないよ……!」
「わかっているさ」
スパークは、断固とした表情と声音で、スバルの言葉の語尾に声を被せた。
「わかっているとも。私も、リーフたちだって。信じられないわけがないだろう。だってルアンは――」
スパークは、握ってきたスバルの手を強く握り返した。
「――私たちの、家族なんだ」
「……かぞく」
スバルは、少しだけ泣いた。
ルアンは、果たしてわかっているのだろうか。彼の周りに、こんなにもたくさんの仲間がいてくれていることを。家族と言ってくれる人たちがいることを。
「ルアンには、私からビシッとその事を言ってやらねばならん。なぁ、スバル」
スパークは、いたずらっぽい笑みをスバルに向けながら言った。
「今日の夜、内緒でルアンに会ってみないか」