第百十一話 足手まとい
――四方で熾烈な戦闘が繰り広げられるなか、このコンビも例外なく敵を討つために協力する……!?
★
「おい! 我輩より先に走るなバカ者め!」
「うるせぇえええええ! 俺に指図すんじゃねえよお尋ね者がッ!」
「なんだとぉおおお!?」
お互いに、額から青筋を浮き上がらせて叫び合っているのは、言うまでもなく“イーブル”を鎮圧するために四方の一面を任されたレントラーとサメハダー――ルテアとジェットである。彼らの額はどちらも藍色をしているので、『藍より出し』“青”筋は本来目立ちにくいはず……なのだが、彼らはそれが分かりやすいぐらいに浮き出るほどキレているのである。
彼らは救助隊とお尋ね者、本来ならば目が合った瞬間に戦闘開始も免れない敵同士である。そんな彼らが、一時的な同じ目的のためとは言えど、馬が合うはずかない。しかも、ルテアとジェットであれば、その度合いは水と油よりもわかりやすいのだ。
「だあぁあああああ! シャナのヤロウッ! 何でこいつなんかを鎮圧の頭数に入れたんだ! しかも! よりにもよって俺と組ませるなんて!」
「どあほう! 我輩の方が願い下げだ! こーんな単細胞っぽくて、うるさいガキんちょと一緒だとぅ? 一匹サメの名がすたるわい!」
「だぁあれが単細胞っぽくてうるさくて暴力的なガキんちょだと? ケンカ売ってんのか……!?」
「やんのか? あん? 悪いが我輩はあんなあまっちょろいリーフたちなんかと違って手加減はしないぜ……!?」
「上等じゃねえか、タイマンはるぞオモテ出やがれコノヤロウ!」
二人の顔には鬼も逃げ出すような形相と、ついでに“喧嘩上等”の文字が刻まれていた。そして、二人は一定の距離を保ちながら睨み合う。
「あぁら、あんな野蛮な内輪揉めの様子では、貴族である私が出る幕もありませんわね……」
と、ルテアとジェットが睨みあっている数メートル先の草むらのなかで、とある声が静かに呟いた。彼女は目を三日月のように細め、しめしめと様子を眺めている。“イーブル”四本柱の一人、ミケーネである。
「せいぜい身内同士で戦い合いなさいな……倒れた後で、ゆっくりあたくしの手柄にしますわぁ!」
★
――殺気がする。
周囲が、この空間が、自分とその気配以外のすべてが、彼にとって無音に聞こえ、スローモーションに見えた。
――殺気がする。
シャナは、その気配に向かって一直線に走っていた。周りなど視界に入らない、自然とその殺気にしか意識が向かなくなる。
――あいつだ。あいつの気配だ。今度こそ、そして今こそ……。
『俺とお前は敵同士。負けることは、つまり死ぬことを意味する。覚悟は……出来ているな――』
「――……さん、シャナさん!」
「!」
名前を呼ばれたことで、シャナは釣糸に引っ張られるように現実へと引っ張られた。自らの名を呼んだのは、息を切らしながら数メートル後ろからおってくるマグマラシ――ファイアだ。
「す、すいません……!」
「あ、いや……悪いのは俺だ。すまない、焦って走りすぎた」
シャナはいつの間にか同行人の存在を忘れて突っ走ってしまったようである。冷静さに欠いた行動に、いつもの自責の念がわいた。
――くそっ。平常心だ、平常心……。同じ過ちを繰り返す気か……。今はファイアもいるし……!
「大丈夫ですか、シャナさん? なにか尋常じゃない顔つきだったけど……」
「大丈夫だ……ちょっと、“イーブル”のことを考えて――」
ゾクッ。
二人はどちらも炎タイプながら、同時に背筋が凍った。シャナは慌てて後方を向き、ファイア正面を見る。
ザッ……。
ここに来てはじめて二人は、敵が自分達の前に現れたことを認識した。白を基調としたからだ、緑の鋭い刃。そしてなにより、彼を彼とたらしめるものは、全身から放たれる殺気だ。
「う、わ……」
ファイアは目の前に現れたポケモン――エルレイドの放つ殺気に呻きを漏らした。この殺気はどこかで感じたことがある。これは、そう……。
「……兄さんと同じだ……」
「エルザ……」
彼は名を呼んだ。かつての友の、そして、今日の敵の名を。そしてエルザも、自分の名を呼ぶ声音が、この前に会った時と違うものだというのを感じた。そう、シャナは自分を倒す覚悟を決めたのだ、と。
「エルザ、決着をつけよう」
「決着の戦で……そのお荷物と一緒に戦うのか?」
エルザの視線がファイアに注がれた。ファイアはなぜか本能的にひっ、と声をあげてしまう。
だめだ。格が違いすぎる。もしかするとこいつは、シャナよりも、いや、かつて見た中で最凶の兄よりも、強いのかもしれない。
――だめだ……情けない……強くなったつもりだったのに……!
しかし。ファイアは感じた。ファイアへのその言葉が放たれた瞬間シャナも、エルザと同等の気迫を放ったことに。
「荷物? とことん腐り果てたな、エルザ」
「……」
エルザはなにも言い返さなかった。シャナはくるりと振り返り、ファイアを見る。
「ファイア……悪いがこの勝負、俺の援護に回ってくれないか」
「え?」
「残念だが、こいつは強い。だから二人で闇雲に攻撃しても勝てない」
「……あ、あはは。そうですよね、お荷物はお荷物らしく――」
「違う」
ファイアの口から漏れた言葉を、シャナはピシャリと遮った。
「君はお荷物なんかではない。援護も立派な戦術。腕っぷしや力だけが強さじゃない。それを、思い知らせてやれ」
シャナはそう言うと、ファイアが何かを言う前に再びエルザに向き直った。その背中から語られる気迫に、ファイアの毛が、骨の髄が、脳天が、ビリビリとしびれる。
「勝てるのか? お前が、俺に」
エルザは言った。シャナは、彼へ瞳をそらさずに答える。
「前に見たお前の強さは、俺には到底届かないものだった。だが俺たちには、勝てない相手にも勝たなければならない時、強いと知っていても背中を向けてはならない時がある」
シャナは戦闘の構えを取った。腕の炎が燃え上がる。
「今が、その時だ」
その後、ファイアが二人の姿を目で捉えられたのは一瞬だけだった。
★
駆け出した二人の残像のごとく、踏みしめた地面の塵が舞う。一瞬のうちに二人は懐まで飛び込み、シャナは拳を振り、エルザは刃を構える。お互いが同時に攻撃を繰り出す。“炎のパンチ”と“リーフブレード”だ。しかし、二人とも同じタイミングで攻撃と一緒に体を反らし、敵の拳を紙一重で避ける。この動作までたった一瞬の出来事だった。
シャナは止まるわけにはいかなかった。相手が自分の姿をしっかりと捕捉してしまったら、たちまち“サイコキネシス”で絡めとられてしまうからだ。
だが、止まるわけにいかないのはエルザも同じだった。彼が幾度の厳しい修練を重ねて今の強さを手に入れたにしても、エルレイドという種族はバシャーモが本来持つ素早さには勝てない。シャナであればなおさらだ。相手が自分の姿を捕捉してしまったら、たちまち彼の大技の餌食となってしまうだろう。
拮抗した戦い。お互いに隙を狙うため、一方が技を出せばもう一方はそれと同威力の技で対抗する。
ファイアはそんな二人の激闘をただ見ているしかなかった。しかし、二人の力はほぼ互角、いや、もしかしたらエルザの方が若干優勢かもしれない。いずれにしても二人の体力は消耗する一方だ。戦闘に手を出せないファイアであっても、このままでは共倒れしてしまうのは明らかだった。
――僕が、なにかできたら……!
エルザの放った“お荷物”という言葉を思い出す。彼は自分の力量を一瞬で見極めた上でそう言い放ったのだ。それを否定できずにいる自分が、なんとも情けなくて仕方ない。
『君はお荷物なんかではない。援護も立派な戦術。腕っぷしや力だけが強さじゃない』
――僕は……やっぱりお荷物だよシャナさん……!
リーフなら、こんなときどうするだろうか。いや、彼女ならはじめから自分のすべきことなどすぐに見つけ出して最善の行動を起こしているのだろう。
自分はリーフではない。ましてやシャナでもない。いったい、そんな自分にどうしろと言うのか。
エルザの“サイコカッター”が耳障りなうなりと共に飛ぶ。シャナは背筋の悪寒でそれを察知し、ギリギリのところで避ける。しかし、エルザもよけられることは承知の上だった。彼はシャナが“サイコカッター”に気をとられているうちに“テレポート”で背後を取った。この前と同じ戦法だ。その腕にはすでに最大限に力をためた“サイコカッター”が準備されている。
しかし、シャナはエルザの予想に反して、“テレポート”で移動した彼の位置を瞬時に察知し、すでに振り返って迎撃体勢に入っている。エルザは驚きつつも、構わず腕を振り下ろした。シャナは“炎のパンチ”で対抗する。
本能だ、とエルザは思った。こいつは“テレポート”で俺が次に現れる位置を本能で察知した、と。シャナの化け物じみた本能は昔からエルザもよく知っている。
これは、才能だ。どんな努力でも獲得することができない能力に他ならない。エルザがどれだけ渇望しても手に入れられない強さを、シャナは生まれながらに持っている。
だが俺は。
負けるわけにはいかない。
「くっ……!?」
最大出力で上から放たれたエスパータイプ技の“サイコカッター”、それに対抗するためとっさに重力に逆らって放った“炎のパンチ”。いったいどちらが勝っているかは一目瞭然であった。シャナが段々と押される形となる。
「う……ぐっ」
「『重力を味方につけろ』とは、誰の言葉だったか……なッ!」
エルザは、腕にさらに力を込める。シャナは膝を折られる形となった。エルザは内心で狂喜乱舞していた。ついにあのシャナを跪かせた。後は、そのまま力に任せて技をぶちこむのみ!
「くっ……エルザ……!」
「?」
と、劣勢なはずのシャナの口から、呻きと共に言葉が漏れた。
「ファイアがお荷物だという言葉……訂正するなら今だぞ……!」
エルザの目元がピクリと揺れた。
「この期に及んで他人のことかッ! だからお前は偽善者なんだッ!」
「訂正する気は、ないか」
「そんなに早く死にたいらしいな、ならば望み通りにしてやるッ!」
エルザは腕に最大限の力を込めた。だが、シャナはどれだけ押されようと、膝が地面に当たろうと、その腕に燃え上がる炎の力だけは、弱まることがなかった。そして――。
「今だファイア! 撃ち込めぇッ!」
「!」
背後に感じるすさまじい熱気。エルザは振り返る。しかしそこにマグマラシの姿が見当たらない。その代わりに彼が目の当たりにしたものは……!
巨大な炎の球であった。
「いっけぇえええええッ!」
エルザはシャナへの技を解除し、“テレポート”を使って逃げようとした。しかし、それより先にシャナがエルザの両腕をつかむ。
「なっ……!」
「お前の弱点はな、エルザ――」
シャナはエルザをつかんだまま、迫る巨大な炎の球に飛び出した。
「――俺しか見えていないことだッ!」
「なッ、お前まで炎に突っ込む気かッ……?」
いくら炎タイプだとしても、あの炎には耐えられないはずだ。しかし、シャナは口角をつり上げて……。
「お前を止められるなら、本望だ」
そう言って、シャナはエルザもろとも炎の中へ突っ込んだ――。