第百九話 最後の四本柱
――スパークさんで共に行動することになった私は、全員がトレジャータウンに散っていく様子を眺めた。だけど私は何より、カイの背中からしばらく目を離すことができなかった。
★
「――スバル?」
私はスパークさんに名を呼ばれた拍子に、ハッと現実に引き戻された。トレジャータウン内を走りながら、いつの間にかさっきの彼のことを思い浮かべてしまっていたようだ。いけない、しっかりしなきゃ……。
「……気になるのか、“彼”のこと」
お父さん――スパークさんが走る速度を少し緩めて、フッと顔をほころばせた。彼の言う人称代名詞が、カイを指すのかルアンを指すのか、私にはわかりかねた。
いえ、私自身がわからないのかもしれない……。
「……お父さん、わかるの?」
「まぁ、分かりやすいぐらい顔に書いてあるからな」
「ご、ごめんなさい……」
いつだって優しくて、だけどほんとにたまに、悲しそうな顔をする“彼”。背中を見送りながら私は、いったいどちらにあんな顔をしないで欲しいと訴えればいいのかしら。
――カイの事を、か――。
私が心配していると言ったとき、そう言ったルアンの声音はどこか自嘲気味で、何かを諦めているようだったから。その瞬間、私はいったいどちらを大切に思っているのか自分自身でもわからなくなった。
ねぇ、なら私は、あなたになんて声をかければいいの……?
「……どちらも大切で、いいじゃないか?」
「え?」
私の心を読んだかのようなスパークさんの台詞に、私は少なからず驚いた。
「カイも、ルアンも、スバルにとってはどっちも同じぐらい大切なんだろう」
たとえ今はカイの体に魂を宿していたとしても、同じように誰か心配され、誰かに肩を貸してもらう権利はルアンにも等しくある。スパークさんはそう続けた。
「それをわかっていないのはルアンの方だと思うがな。だから、わからせてやれスバル。悩む必要なんて無いさ」
「うん……ありがとうお父さん……」
町で大騒ぎをしている“イーブル”たちを止めるためにここにいるのに、場違いな私は、少し涙ぐみそうになってうつむいた。
私……間違ってないよね……。だって私には、カイも、ルアンも、どちらも大切なんだから……。
「――ふぁあああ……。茶番だわさ……あくびが出るんだわさぁ」
「「!!」」
天井から間の抜けた声が降ってきた。私とスパークさんは同時に身構える。そして、民家の屋根に視線を巡らせた。すると……。
「眠くて仕方がないんだわさ。さっさと終わらせたいんだわさ」
全身が透明なゼリーで覆われた体、巨大な二つの手が眠そうに口元へ触れていた。あれは……。
「ランクルス……」
スパークさんが緊張の糸が張られた声で言う。ランクルスの方は明らかに私たちを見下ろしていた。恐らく、いや、確実にこいつは“イーブル”なんだと私は直感でわかった。
「おかしいんだわさ……話では、相手側にピカチュウは一匹しかいなかっただわさ。なのに何で親父みたいなピカチュウが増えてるんだわさ?」
「親父言うな! いや、親父なんだが……」
「あなた誰なの!?」
スパークさんは相手のペースに飲まれそうになっていた。私はとっさに、屋根の上のランクルスにそう叫ぶ。
「ふわぁあ……。そんなことどうでもいいんだわさ、自己紹介なんかしなくてもそっちは僕を敵だってわかってるんだわさ。……でもボスに宣戦布告してもいいといわれたから、まぁしとくだわさ」
このランクルスの性格がいまいちよくわからなかった。私は頭に疑問符を浮かべる。スパークさんも恐らくそうだろう。
「僕は……ふわぁああ、“イーブル”の四本柱、名前はラピスだわさ。覚えておかなくてもいいんだわさ……ぐぅ」
「寝るな!」
ビシィ、とスパークさんがすかさず突っ込む。その速さはさすがだ、と私は場違いなことを思った。
“イーブル”の、四本柱……。あんな眠そうで、一見不真面目そうなランクルスだけど、その力は侮れない。スパークさんが私の近くに寄って、小声で尋ねる。
「スバル、準備はできてるか」
「もちろん」
「……僕を倒そうとしてるなら、やめた方がいいんだわさ」
「「!」」
目敏く私たちの相談を察知したランクルス――ラピスがあくび混じりに言った。そして、こう付け加える。
「もう僕の準備は終わっただわさ。君たちの負けはもう決まっただわさ」
「なにッ……!?」
スパークさんが噛みつくような表情になる。私たちの負けが決まっているだなんて、どういうことなの……?
ラピスはさも“面白くない”というふうに無気力な半目をこちらに向けていた。
「証拠を見せてあげるんだわさ。僕に攻撃してみるんだわさ」
「攻撃……ですって?」
何を考えているの、この人……! まさか罠? でも罠にしたって違和感が多すぎる。
「……ならば、お望み通りそのゼリーみたいな体を痺れさせてやろう!」
スパークさんは不敵な笑みを浮かべて頬っぺたの電気袋に電気を溜めた。しかし、私は見逃さなかった。その額に流れる一筋の冷や汗を。スパークさんは軽口を叩いているが、決して油断はしていないんだ……!
「スバル!」
「は、はい!」
私たちは示し合わせたように同時に技を叫んだ。
「「“十万ボルト”!」」
暴れる龍のように、二つの電撃がラピスに向かって放たれた。私たちは、電気が一瞬にして彼の眼前まで迫るところまではしっかり見えていた。
しかし。
「――おっそいんだわさ……ふわぁああ」
「「!?」」
ラピスは確かにそう言った。……私たちの後ろから! ど、どうして!? いつ、屋根の上から私たちの背後まで……!
反射的に振り返った私とスパークさんだが、振り返った先のラピスは、両手に念力の弾を作り上げていた。
「敵に欠伸する隙を――」
その弾は、容赦なく私たちに向かって放たれた。速いッ!?
「与えるんじゃないんだわさ! “サイコキネシス”!」
二人同時に、“サイコキネシス”の力を凝縮させたバレーボール大の弾を受けて吹っ飛んだ。
ハッ!
私たち……どうなったんだっけ? ラピスは!?
私は飛び上がった。“サイコキネシス”を受けたお腹がきりりと痛む。ラピスは相変わらず技を放った場所と同じ地点にいた。そして、私の横にいるスパークさんも呻きながら立ち上がる。どうやら私が気を失っていたのは長いようで一瞬だったようだ。
「くっ……! いつの間に私たちの背後へ移動していたんだ……!」
「だから言ったんだわさ。あんたたちはもう負けることが決まってるんだわさ。めんどくさいからこれ以上楯突くなだわさ」
スパークさんは苦々しい表情、ラピスは欠伸まじり。ペースは完全にあちらのものとなっている。でも、楯突くな、なんて言われて黙っていられるはずがないでしょ!
「お父さんッ、大丈夫だよね!」
「もちろんだ。だが、相手があんなに速いんじゃ……」
「……?」
相手は本来素早さがネックの種族であるランクルス、私たちは素早さが売りのピカチュウ。いくら相手が強いからといって、私たちが素早さで劣っているなんてありえないじゃない!
「ラピスの素早さには何カラクリがあるはず!」
「それを暴くしか勝ち目は無い、か」
スパークさんは電気袋を帯電させて気合いを入れ直した。彼の闘争心かなにかに火が付いたのだろうか、その顔には不敵な笑み。
「あんたのその素早さの仕組み、暴いてやろうじゃないかゼリー」
「……ゼリーじゃないんだわさ」
ラピスの口調が低くなった。ゼリーという単語に何かの恨みでもあるのかもしれない。
「あんたたちはバカなんだわさ。僕の忠告を聞かなかったこと、後悔させてやるんだわさ!」
★
「荒れていますねぇ……」
一方、“流浪の探偵”ことローゼは、混乱のトレジャータウンを通りすぎ、街の外れのアーチまで来ていた。途中、なんだかスーパーヒーローのような出で立ちの集団を遠目で見たような気がした。祭りの出し物に参加する者たちなのか、だとしたら逃げなくても大丈夫なのか、いやはやもしかしたら意外にとんでもない集団かもしれませんね。……と、様々な憶測を巡らせていたのはまた別の話だ。
ふう、と。ローゼは息を整えてアーチを見上げる。
“英雄祭”中のトレジャータウンを襲った“イーブル”。見たところ幹部級の者たちまでご丁寧に破壊活動に精を出しているようで、ローゼはご苦労なことだと思った。
そう、幹部級。
この時期を狙った“イーブル”には、何らかの特別な動機というものがあるはずなのだ。そして、その動機のためによって敵が戦力を総動員しているのなら。
見ているはずなのだ。
“彼”はきっと事のなりゆきを、目を細めながら注目しているはずなのだ。
ローゼは見通し眼鏡を、種族独特の三本指で押し上げる。
「“マジシャンが右手をあげたら、左手を見よ”――というのは、まぁ少し大袈裟かもしれませんね」
ローゼは自嘲気味に笑った。やはり、いくら時が経っても“人間臭さ”というものはそう簡単に抜けそうにない。
「……逃がしません。手をこまねいて静観している者をむざむざ見過ごすほど、わたくしは甘くはありませんよ」
探偵は、アーチに向かって……いや、アーチの向こう側の森の中にいるはずの“彼”に向かって、鋭い視線を投げ掛けたのだった。