へっぽこポケモン探検記




















小説トップ
第七章 英雄祭編
第百五話 マッドドクター
 ――幸せ岬にてバクフーンを無事に捕まえたものの、突然カイの身に異変が起こった。そんな混乱状態な一方で、トレジャータウンはというと……。





「――暇だ……」

 トレジャータウンのとある一角。燦々と照りつける太陽を遮るように建てられたテントの中で、あるポケモンが小さく声をあげた。ちなみにそのテントは、天井幕に大きく赤十字がプリントされている。
「ひーまーだー」
 再び声をあげるポケモン。今度は誰かに聞こえるように先程よりも大きめの声だ。
 そのポケモンは、全身が黄色い体をしていて、特徴的な長い尻尾は、先端に赤い珠のようなものがついている――デンリュウというポケモンだ。
 ちなみにそのデンリュウは白衣を羽織っていて、彼が医者か研究者だということは一目瞭然であった。
「暇だ暇だ暇だ暇だぁあああっ!!」
 白衣を着たデンリュウは折り畳み椅子にふんぞり返っていたのだが、ついに我慢の限界が来たのか手足をジタバタさせて大いに叫んだ。
「だぁから祭りの医療班なんぞ嫌だと言ったんだよ私はッ! 『人手が足りない』ぃ? はっ! 運ばれてくるのは祭りに興奮して昏倒した奴かバトルに負けた奴だろうに! どうせ運ばれてくるなら、私が実験しがいの奴がいるだろう! というかそれ以外は来るな!」
 と、彼がここまで言い切ると同時にテントの外を横切る一匹のポケモンに目が行った。そのポケモンはバシャーという種族で……?
「シーーーャナくぅうううんッ!!」
 デンリュウは、そのバシャーモがビクティニのギルドの探検隊・シャナであることに気づいた瞬間、目の色を変えて彼の名を叫んで駆け寄った。
 いきなり名前を呼ばれたシャナは、ビクリと肩を震わせる。
「な、なんだ……? あぁ、キースか」
「久しぶりじゃないかシャナくーん。あいっかわらず良い身体してるよきみぃ」
 デンリュウ――キースは、猫なで声でシャナに言った。そして何をするかと思えば、ひらぺったいその手で彼の身体をペタペタと触り始める。これにはシャナも、若干顔をひきつらざるを得ない。
「な、何をしてるんだあんたは……」
「いやぁ、相変わらずの肉体美! 君は今まで会った者の中でダントツで良い! ここであったのも何かの縁だ! さぁ今日こそ――」
 テントにいたときには考えられない生き生きとした目付きと声の艶(つや)で、キースはズイッと(もとより二人の距離はゼロ距離に近いのだが)シャナに詰め寄り……。

「――解剖させてくれッ!!」

「全力で断るッ!」
 見事なまでのシャナの即答に、キースはアッパーを食らったような精神的ダメージを負った。一人で「ぐほぉっ!」と言うあたり、はたから見たらかなりアブナイ人だ。
 だが、そんなことで簡単に諦めるキースではない。
「か、解剖はさすがにだめかっ……! ふふふ……君がつれないのはいつものことだが、どうだい。ならばせめて私が開発した“フレアインパクト”を最大出力で放ってみてはくれないかな?」
 相変わらず密着度が高いシャナとキース。彼はシャナの肩やら腰やらを撫で回しながらそんなことを聞く。その間のさりげないシャナの拒絶にもめげなかった。
「あんたは俺を殺したいのか」
「とぉんでもない! 君みたいな貴重な存在を失うなんて非常に惜しい! ただ、君の肉体がどれほどの負荷に耐えられるか調べたいだけでね……」
 ――それでもし死んじゃったときは、検死……もしくは解剖させてほしいがね。
 このときキースはそんな物騒なことを考えていた。
「祭りが暇すぎて仕方がないんだ、それぐらいのことはしていいじゃないか。いや、むしろシャナ君が私の実験に協力してくれたら祭りなんて何日でも付き合ってあげるよ。だから今からでも私の研究室(ラボ)に……」
「ちょ、ちょっと待てキース……!」
 キースはシャナの手を取って(というか腕を絡めて)彼をぐいぐいと引っ張る。シャナの抵抗虚しく、彼はキースに少しずつ引きずられる形となった。
 と、その時。
「まぁああああちやがれこのやろぉおおおッ!!」
「ん? この声は……」
 キースはシャナを引っ張ることをやめて、声のした方向に向いてみる。すると、遠くから土煙をあげながら何かが近づいてきた。その姿は、紺色の毛並みをしたレントラーという種族だ。
「何をしていやがるんだこのド変態がッ!! 離れろ! シャナからは・な・れ・ろッ!!」
 そのレントラーとは言うまでもなくルテアのことだ。二人の間に割って入る形でシャナの前に現れた彼は、その眼光を遺憾なく発揮してキースを“威嚇”する。
「チッ……。邪魔が入った」
 キースは、ルテアの出現に対し誰にも聞こえない声でそう悪態をつく。そして数秒後には、にこやかな社交的スマイルで彼に寄るのだった。
「これはこれは、誰かと思えば単細胞君じゃないか!」
「白々しい挨拶してんじゃねぇよ! てめぇ、またシャナを拉致するつもりだっただろッ!」
「人聞きのことを言うんじゃない。私はただ自身の研究のために、彼に協力を仰いだだけじゃないか」
「俺は忘れもしねぇぞ。シャナが救助隊連盟本部に訪問したとき、道に迷ったこいつにお前は何をしやがった!?」
「ふ、二人とも落ち着け……」
 シャナは、なんとか二人の(主にルテアの)いがみ合いを止めたかった。しかも、その会話の内容が自分のことであったからなおさらだった。だがしかし、二人の会話はすでに第三者の介入を受け付けていないらしい。
「ふっ、何をしたかだって? そりゃ、道に迷ってたシャナ君を見つけた私は、親切に彼を研究室(ラボ)に案内してあげたんじゃないか。ただちょーっと、薬品の試作品の実験台になっていただいたけれども」
「アホか! そのせいでシャナがとんでもないことななっただろうがッ!」
「はっ! あの場合、咎めるのなら君の監督不行きを咎めるべきじゃないのかい?」
 二人の会話を聞きながら、シャナはぼんやりとそのときのことを思い出した。
 確か、本部内で道に迷ったシャナは、運良く(運悪く?)キースに発見され、道案内をすると言われ(言いくるめられ)ラボへ案内されたのだ。そのときは、キースのことを親切だと思ったシャナだが、出されたお茶(のようなもの)を飲んだ後、全身が痺れ、意識を保っていられなくなったときはさすがに焦った。ちなみに、意識を失う瞬間のキースの顔は、彼のトラウマランキング五本指に入っている。
「てめぇ、俺が止めなかったらシャナを解剖しようとしてただろッ!?」
「ふん、私の開発した“ボルテック・アシスタンス”を放つのに五分もかかる単細胞には、私の偉大な研究を理解できやしないだろうね!」
「誰にも理解できねぇっつうの! このマッドドクターがッ!!」
「そうさ、私はマッドドクターさ。なにか文句が?」
「てんめぇ……!」
 キースはルテアを挑発するように、片手を額に当ててそう言ってのけた。そんな彼の狙い通りルテアは怒り心頭に達して言葉も出ない様子だった。
 シャナはなんとかルテア宥めたかったが、なにぶん今の彼に触れたらどんなことになるかは経験上よくわかっていたので声もかけられない。この状況をどうするべきか彼が考え倦んでいると……?
 シュンッ!
 シャナの数メートル先で、“テレポート”をするときのあの独特な音が響いた。かと思うと、その地点にスラリとした白い胴体に黄緑色の頭部を持ったサーナイトが現れた。サーナイトはひどく慌てていて、かつひどくうろたえた様子だった。
「――医療班! どなたかいらっしゃいませんかッ!?」
「……レイ?」
 そう、そのサーナイトは紛れもなくビクティニのギルドの弟子であるレイだった。彼女の切羽詰まった叫び声は、恩師の危篤を知らせるときの声音とひどく酷似していて、シャナは背筋に悪寒が走る。
 レイの姿に、不毛な言い争いをしていた二人も気づいたようだ。キースは、レイの放った『医療班』という単語に反応し、真剣な顔で一歩前に出る。
「レイ君じゃないか。どうしたんだい?」
「あ、ライトニング先生! 今すぐギルドに来てください!」
「ついに新たな実験対象が現れたか!?」
「違います急患ですッ!」
 キースの危ない発言をすかさず訂正したレイに、「ああ、そうだったね」と彼は呟く。彼の脳内では急患と実験対象がイコールになってしまうらしい。彼は医療道具を取りに医療班のテントへ入った。
「レイ、急患って誰だ? そんなにヤバイのか?」
 ルテアがレイに聞く。彼もまたレイがいつもと違って焦っていることに違和感を覚えていたらしい。すると彼女は……。
「カイ君が……!」
「「カイ!?」」
 カイはつい先程まで、バトル大会に出場していたはずだ。いったい何があったからといって、彼が急患となるのか、シャナは理解ができない。すると、レイは混乱したような口調でこう続ける。
「スバルちゃんが言うには、いきなり苦しそうにしながら倒れたらしくて……。その……息を、していないの……!」
「なにッ……!?」
「どういうことだ! 息してねぇだと!?」
「――準備ができた。行こうかレイ君」
 ルテアがたてがみを逆立たせて叫んだところに、キースが素早く現れてレイにそう促した。そこへシャナが一歩を踏み出す。
「レイ! 俺もギルドへ連れていってくれ! ルテア、お前も来るだろ」
「当たりめぇだ!」
「わかったわ、三人とも私の近くに!」
 一刻を要するからなのか、彼女は怒声に近い声音で叫んだ。そして、三人が十分に自分の近くに寄ったのを確認すると……?
「――“テレポート”っ!!」
 そう唱えた瞬間、彼らの姿は一瞬のうちに消え、彼らがいたであろう場所に一陣の小さな風が吹いた。





 先程から体にねっとりとした倦怠感がのしかかっている。この感覚はいつからのものなのか、彼には良くわからなかった。
 そもそも、いつから体に感覚が纏うようになったのだろうか。だるいなどという感覚は、とうの昔に無くなったはずなのだ。なのに、今は鮮明なほど五感がすべて機能している。
 ならば、と彼は重い瞼を開けることにした。ゆっくりとまばたきを数回すると、これまた不思議なことに視界は何の問題もなく明瞭なものになった。目の前に広がるのは、規則正しい天井の升目(ますめ)。この升目は、どこかで見覚えがある。
 そこまでの動作を終えると、彼は当然というべき疑問にぶち当たった。
 ――ここは、どこだ……?
 彼はむっくりと起き上がる。そこはあまり広いとは言えない部屋だったが、小型ポケモンが使うには十分な広さの部屋だった。
 すると、部屋の端から何かが擦れる音がした。
「――カイッ!!」
 叫び声に近い声音が同じ地点から響く。彼がその方を振り返ってみると、唐突に司会が黄色一色に染まった。そして、全身に強い力を受ける。いったい何が起こったのか、彼はビクリと体をこわばらせた。
「よかった、起きたんだねっ……! 本当によかったっ……!」
 強い力の正体は、誰かの抱擁だった。目覚めていきなりのことにうろたえながら上を向くと、抱擁の主はピカチュウだった。割れた尻尾を持つ彼女は、目に表面張力をギリギリまで保った涙を浮かべている。
「息が止まったときは、ほんとうにっ……カイが、死んじゃうかと思って、私っ……!」
 カイ。その言葉を聞いた瞬間、彼は頭に冷や水をかけられたような感覚を覚える。スッと今までの狼狽と混乱は息を潜め、代わりに“現実”というものがのしかかった。いつもの冷静さを取り戻した彼はそっと、自分を抱きしめているピカチュウを引き剥がす。
「スバル……君なのか」
「……え」
 普段のカイなら到底言うはずもない言葉に、ピカチュウ――スバルも体を強張らせた。何を考えているかはわざわざ波導を使わなくても、彼には手に取るようにわかった。
 自分は、彼女が求めている者ではない、と。
「まさか……“カイ”……?」
 彼女がその事実を理解するのは、彼が思ったよりもずっと早かった。声音はカイのままのはずなのに、ただ一言そう言っただけで表情を変化させる。何か普通とはかけ離れたものを見るような、例えば雑踏で待ち人だと思った人物が、実は赤の他人だった……そんなときに見せるような表情を、スバルはしていた。
「どうして、あなたが……? カイはどこへ行っちゃったの?」
 スバルの疑問は尤もだと彼は思った。普段、自分が“表”側に現れるときは、決まって状況が逼迫しているときに限る。それ以外はできるだけ、意識を底に沈ませている……はずだった。
「わからない。私も……なぜカイと意識が入れ替わったのか――」
 ――いや。
 彼は自ら放った言葉の後、口をつぐんで、思いとどまった。
 一つだけ、心当たりがある。自分とカイが意図せずに入れ替わってしまった理由に。その理由は結論的に見てお世辞にも喜ばしいものとは言えなかったが、理由としてはそれ以外に思い浮かばない。彼はそれを口に出すべきか――スバルに伝えるべきか、悩んだ。
「……“カイ”」
 彼女が彼の仮の名前を呼んだので、彼は静かに視線を合わせることを、その呼び声の返答とした。スバルは、神妙な顔つきだったが若干眉間にシワを寄せていた。
「何か……心当たりが、あるんでしょ?」
「え?」
「あなたが、表に出ちゃった理由。心当たり、あるんでしょ」
 答えをはぐらかされないようにだろうか、彼女の言葉は一字一句が淡々として、なおかつ短く句切られていた。彼はスバルのその口調もそうだが、言葉の内容に驚かざるを得なかった。目覚めたのが本当のカイではなく、自分だった理由を彼は掴んでいる。その事を、なぜ彼女がわかったのだろうか。表情に出したつもりはなかったのに。
「ねぇ、話して。あなたはどうしてカイの中にいるの? なぜ私たちが危険なときだけに現れるの? ……あなたは、何者なの? 何も教えてくれないなんて、ひどいよ……」
 目の前のピカチュウは、本来ならカイのであるはずの彼の両腕を強く掴んでそう訴えた。
 彼女の訴えは、パートナーの身を案じてのものだろう。だが、その時彼はどうしても、ひどく居たたまれない気持ちになった。自分がこの場所にいてはいけないのだと思うと、強く胸が締め付けられるようだった。
 ――そうだ、私は。本当はここにいてはいけない存在なのだ……。
 彼の中で無理やりそう結論付けてしまうと、いくぶん頭を冷静にさせることができた。胸の中で何かがチクリと突き刺さったような気がしたが、冷静さがその正体を隠してしまう。結局、彼は小さな感情が何だったかを知ることができないまま、スバルの手を両腕から離させ、言葉を慎重に選びながら彼女に言う。
「私は、カイの体に宿る、彼とは別のもう一つの魂……名は――ルアン、だ」
「ルアン……?」
 初めて明かされた“もう一人のカイ”の名に、スバルは黒い瞳を揺らした。口の中で彼の名を反芻する。
「スバル、落ち着いて聞くんだ。彼……カイの精神は今、深い眠りについている」
「カイは無事? 無事……なんだよね?」
そう聞くスバルの表情は、その確認の言葉とは裏腹に緊張したものだった。宿り主の安否を聞かれた彼――ルアンは、少し目を伏せる。
「それが……わからない。私は元々、彼と入れ替わる気は全く無かった。だが、いきなり彼の意識が沈んだかと思うと私の意識が引きずり出された。もしかすると……」
「……もしかすると?」
 一瞬だけ言葉をつまらせたルアンに、暗曇の中に足を踏み入れるような不安を感じながらスバルは先を促す。
「元々私の魂は彼の中では“異物”だった。だが、今カイの体は、彼の魂ではなく私の魂を“主”だと認識し始めたのかもしれない」
「どういうこと?」
 ポケモンをはじめとする生物は、精神を司る“魂”と、それを維持するための容器である“体”、大きく二つに分かれている。体と精神はそれぞれ決まったペアしか受け付けないのが普通で、それ以外を“異物”と判断し、駆逐しようとする防衛本能が働く。
 だが、カイの場合は非常にイレギュラーな存在で、一つの体にカイとルアン……二つの魂を住まわせていたのだ。本来はペアでないルアンの魂は、カイの波導で無理やり体に繋ぎ止めている状態である。
 ルアンがそこまで説明をすると、彼は改めてスバルを見据えた。
「だが今、彼の中でペアの逆転が起こっている可能性が高い」
「つまりカイの“体”は、カイの精神ではなくて、あなたの精神をペアとして受け入れ始めてるってこと?」
 スバルが首をかしげながら言う。正直、話が飛躍しすぎて半分ほどしか理解できている気がしなかったが、ルアンは慎重に頷いた。
「じゃあ……カイはこれからどうなっちゃうの……?」
「……わからない」
 ルアンの声は掠れていた。声音自体はカイの声なので当たり前かもしれないが、スバルがその声を聞いた時、カイが途方に暮れたときの口調とそっくりだと思わざるを得なかった。と同時に、彼女は数分間の間に放った自らの言葉を後悔した。
「ごめんね、いきなり質問攻めにしちゃって。あなただっていきなりのことで不安なはずなのに」
 スバルは努めて明るい表情を作った。対するルアンは、いきなり謝られてキョトンとした表情になる。
「君が謝る必要はない」
「あなたは……優しいんだね」
 ルアンはますます訳がわからなくなった。自分が優しい? なぜこのタイミングでそんなことを言うのか、彼にはそれがわからなかった。
「ねぇ、とりあえずだけど外に出よう。みんなあなたの事を心配していたんだよ」
「カイの事を、か」
 ルアンが何気なく言うと、スバルの目元がハの字になった。そして、その表情のまま彼を一瞥すると、何も言わずに先に出ていってしまった。
 今のは要らない一言だっただろうか。ルアンはふとそんなことを思った。なぜ彼女があんな表情になったのか……。
 目覚めたばかりのルアンには、わからないことだらけだ。

ものかき ( 2014/06/01(日) 18:29 )