第九十五話 大混乱のお祭り当日
――お祭り当日までの時間が経つのは驚くほど早かった。今日は、ついに“英雄祭”の当日だ!
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ギルドの窓から見た今日のトレジャータウンは、町中に旗を吊るした紐が張り巡らされ、露店や屋台の準備にいそしむポケモンたちで一杯だった。僕は、今までに感じたことのない不思議な高揚感に包まれていた。なんだろう、これから何かワクワクすることが起こるんだと思うと、胸の高鳴りが押さえきれないんだ。
「いいか、諸君! いまから今日の日程を言うぞ、よく聞いてくれ!」
大広間に集まっていた僕らの前に立ったラゴンさんが声を張り上げる。
「“英雄祭”は今日と明日の二日間だ。今日の予定は――」
彼の話によると、今日はまず、トレジャータウンの真ん中に作られた仮設ステージでお祭りの開会式を行う。そのあと、祭りの目玉であるバトル大会が行われるらしい。シングルとダブル、どちらも一日を通して決勝戦まで行ってしまうようだ。
二日目は、仮設ステージにて、こどもたちによる“英雄伝説”の劇や、南からはるばるやって来てくれたルンパッパダンサーズのパフォーマンスなどをやり、夜には打ち上げ花火をしてフィナーレだ。
「いいか、巡回をする者たちは、くれぐれもトラブルが起こらないように目を光らせてくれ。救助隊の幾人かも巡回に行かせる。……シャナ、ルテア! バトル大会の準備はできているか?」
すると、ルテアさんがハイテンション気味に「当たり前だぜ!」と叫んだ。
「確か、ルテアがダブル、シャナがシングルの審判だったな。頑張ってくれよ! シェフは、今年も屋台の売り上げ記録を更新してくれ!」
「あいよ」
「リオナ、ギルドの展示は大丈夫か?」
「ええ」
「ショウは?」
「……なんとか」
「よし」
ラゴンさんは全員に最後の確認を取ったあと、僕らをぐるりと見渡して、気合いのこもった声をあげる。
「開会式は全員参加だ。時間までにステージへ集まるように。……諸君! “英雄祭”を無事に終わらせるぞッ!!」
『おぉーーーッ!!!』
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それから僕らは、開会式までの間トレジャータウンにでて各々時間を過ごすことになった。驚いたのは、もう気の早い来客たちが、テントを張る露店の間を歩いている姿がちらほら見えたことだ。
「楽しみだね、お祭り」
僕の横を歩くスバルが、視線は周囲に向けられたまま僕に言った。僕は「うん、そうだね」とだけ言って、しばらくは沈黙が続いた。
お祭りが近いというのに、僕ら二人のテンションは穏やかなものだった。多分、僕とスバルはほぼ同じことを考えているに違いない。
それはすなわち、“日常の平和”というやつだ。
僕は、ついこの間まであの里を離れ、少しの間だったけれど追われる生活を送った身。そしてスバルは、ニンゲンだった頃の記憶を無くし、ピカチュウになった身。ニンゲンだった頃はもしかしたら当たり前の日常を送っていたかもしれないんだ。
僕らは、度重なる非日常に少し疲れを感じていたのかもしれない。だから、今感じている平和な日常に、いままで感じなかった懐かしさを感じているんだ――。
「――ねぇ、あそこを見て!」
しばらくの間無言で歩いていた僕らだったけど、突然スバルが顔を空に向けて僕の肩を叩いた。
「何? どうしたの?」
「あそこ、見える?」
スバルが指差したのは、澄み渡る青空だった。なんだ、何にも無いじゃないか……。
いや、違う。
しばらくの間虚空を眺めていると、白い点のようなものがだんだん僕たちに近づいてくるのがわかった。その白い点は段々明確に姿を露にしていく。あれは……ポケモン?
「おーい!」
スバルが白いポケモンに向かってブンブンと手を振り始めた。え? あれスバルの知り合いなの?
白いポケモンはついに僕たちの前に降り立った。首にはスカーフのような赤い花びら、すらりと長い四肢、凛とした目……。僕らの知り合いにこんなポケモンいたかなぁ。
「スバル、カイ! 久しぶり!」
「え、えっと……」
「ミーナさん、お久しぶりです!」
「み、ミーナさんっ!?」
えっと……。僕の知っているミーナさんは、もっと手足が短くてブーケみたいだったと思うんですけど……。
「カイ? 何でそんなに固まってるんだ?」
「いや、だって……その格好……!」
ミーナさんは僕の言葉をうけて、体をくねらせて自分の姿を確認した。そして、何かに納得したようにニッと笑う。
「あぁ、カイはスカイフォルムのボクの姿は初めてだな!」
「スカイ……フォルム?」
「ミーナさんはね、グラシデアって言う花の花粉をかぐとこの姿になるんだって」
スバルが僕の横からひょっこり顔を出してそう教えてくれた。な、なるほど。ミーナさんにそんな秘密があったとは。口調まで変化したのはそのせいかな。……って、何でスバルはそんなことを知っているんだ!
「ミーナさん! お祭りに来てくれたんですか!?」
スバルは嬉々とした表情に瞳を輝かせながらミーナさんの前足を掴んだ。ミーナさんの方は強く頷く。
「久しぶりにみんなに会いたくて! で、どうせならスカイフォルムの方が移動しやすいからこっちできたって訳さ!」
ミーナさん、今の姿と前の姿じゃ性格がまるで違うなぁ……。
「スバルとカイは今からどこにいくんだ?」
「仮設ステージだよ! そこでお祭りの開会式があるんだ」
あ、そうだ。開会式のことをすっかり忘れていたよ。
「そろそろ時間になるから行かなきゃね」
「じゃあそこに行ったらまたみんなに会えるって訳だな! 挨拶しなきゃ!」
ミーナさんは僕たちから少し離れて上昇した。どうやら仮設ステージまで飛んで行くらしい。
「二人とも。ボクは先にいくからな! 後でまた会おう!」
ミーナさんは空中から手(前足)を振って、ビュンッと飛び去ってしまった。なんだか、いつものミーナさんと違ってかなり行動がせわしない。
「ねぇ、私たちも行こうよ! そろそろお祭りが始まるよっ!」
スバルが混乱している僕の手を取って歩き出した。わっ、ちょっ、ちょっと待って。腕が痛いぃー!
★
仮設ステージの周囲には、すでにとんでもない数のポケモンたちがわんさか集まっていた。その数は地面が見えないと言っても過言ではないかも知れない。立錐の余地もないとはまさにこの事かもしれない。僕とスバルは、その圧倒的な数にしばしポカンとしていた。
「このお祭りって、こんなに人が集まるんだ……!」
スバルのその呟きも、周囲の人たちのざわめきに吸い込まれていった。
『――みなさん!』
キィイン、という耳障りな金属音の後、至るところに取り付けられた拡声器から低い声が響き渡った。見ると、僕らからずっと遠くにある仮設ステージの真ん中に色違いのサザンドラ――ラゴンさんがマイクをもって立っている。
『今年もトレジャータウンの“英雄祭”に集まっていただいて感謝します!!』
沸き上がる歓声、そして拍手。その一体化した大音量の迫力に、僕らはビクリと体を震わせた。す、すんごい迫力だね……!
ラゴンさんは、歓声の波が引いたのを見計らって、ふたたびマイクに喋り出す。
『今回は祭り開催までの間“想定外の出来事”もあり、イレギュラーな状況下での“英雄祭”を迎えることになったが……この際、そんな面倒な前置きは割愛して!』
え、割愛しちゃうの!?
『言いたいことはただひとつ! “英雄祭”を、存分に楽しんでください!――いまから、“英雄祭”の開催を宣言しますッ!!』
パァンッ!!
ステージの上手と下手からクラッカーのような音がしたかと思うと、そこからカラフルなリボンが天に向かって華やかに舞い上がった!
ふたたび沸き上がる歓声!ポケモンたちのテンションは、この瞬間にマックスまでに達したことだろう。
そして、ステージを中心にグルリと取り囲むように集まっていた群衆たちは、イトマルの子を散らしたように、トレジャータウン内へと散り始めた!
僕とスバルがその民族大移動さながらの出来事に驚かないわけがなかった。
「わっ! カイ、一度ここを離れた方がいいかも!」
「そ、そうかもね!」
僕はスバルの手を取って歩き始めた。その間にも、何人ものポケモンたちがひしめき合って僕らを通りすぎていく。
こ……こんなに人数が多いなんて聞いてないよ……!?
「い、いったぁ! 誰……?」
「あっ、スバル!」
スバルが誰かにぶつかった瞬間、繋いでいた僕らの手と手が離れてしまった!
「カイ!」
「ちょっ、ちょっと待って……!」
僕らは二人とも背が一メートル満たない小型ポケモンだ。一度手を離してしまった僕らが、群衆の波の中でもう一度手を取り合うのは不可能だった。
「ちょっとカイどこいくのッ!? 戻ってきて!」
「むりむりっ!」
スバルがボクに向かって叫んだけど、すでにその黄色い体は他のポケモンたちによって見えなくなってしまった!
え、この状況って……。僕ら、もしかして……はぐれちゃった……?
★
「ちょっ、うわっ!?」
肩と肩、時々頭をぶつけられながら、私はしばらくの間群衆の波に飲まれていた。いったいなぁ、もう!
ようやく波から外れることができたのは、カイとはぐれて大分たった後だった。どうにかして広い場所に出た私は、息苦しさから解放されて、深呼吸を数回した。
落ち着いたところで……結論。
「……はぐれたよね、私たち」
はぁ……。どうしよう。
トレジャータウンは、面積で見てそこまで広い訳じゃない。だけど。
「この人数だもんね……」
正直、ここまでの大人数は、私の記憶の中で(といっても数ヵ月だけど)体験したことがない。こんな群衆の中でカイ一人を探すなんて、森の中で目当ての葉っぱを探すようなものだ。無理無理、そんなこと。
一番いいのは、その場にとどまってカイが来るのを待つことだけど……そんなことをしたらせっかくの一日が丸潰れじゃない。やだ、私はお祭りを楽しみたいよ!
……と、言うことで。
「“英雄祭”……一人で楽しんじゃいますか!」
私はその場からピョンッと一歩踏み出して、ふたたび群衆の波に身を投じた。
……それでいいのか、という質問は無しの方向で。
「さぁさぁ!! オクタン焼きはいかが〜!」
「モジャンボの焼きそばが旨いよォ!」
「セカイイチから作られたリンゴ飴はどうだ〜い!!」
「オニゴーリのかき氷を食って行きなぁ!!」
しばらく歩いた後、私がたどり着いたのは屋台が櫛比する通りだった。トレジャータウンでしばし見かけるポケモンたちが、それぞれ屋台を出して声を張り上げている。
と、しばらく屋台を覗いていると、私の耳にこんな言葉が入ってきた。
「エルフーンの綿あめ! エルフーンの綿あめは上手いよぉ〜!!」
「!?」
わ……!
「綿あめッ!?」
あぁ! あの白くて甘い天使のスウィーツが、まさかこの世界にもあったの!?
私は思わず声のした方をコンマ以下の速度で向いた。
見ると、私の数メートル後ろに、(他の屋台に比べたらいくらか短い)列ができている屋台があった。その屋台こそが、先程声が聞こえたエルフーンの綿あめ売り場らしい。
「やった!」
私は小走りにその売り場の最後尾に並んだ。
私が並んだ後、そのうしろからまた数人のポケモンが列を作った。
綿あめは私の大好物なんだよねっ! また食べることができるなんて、夢みたい! はやく前の人が買い終わらないかなぁ……?
「はい、次の人ー!」
やった! やっと私の番だ!
私は思わず顔から笑みがこぼれそうになるのを押さえながら、思ったより高い屋台のテーブルから身を乗り出す。
「綿あめひとつくださいっ!」
「はーい。ひとつ二百ポケね!」
二百ポケ……。
……ん?
ちょっと待って……?
「あぁーーーーッ!!」
ビクウッ!
私がいきなり発した叫び声に、エルフーンさんや後ろの列の人が一斉にびくついた。いや、でもこれは一大事だって!
「……お金……カイが持ってるじゃない……ッ!!」
そうだ……!
二人でお祭りを回る予定だったから、ポケは一人で持っておこうってことになって……! リーダーのカイが、代表で持つことになって……!
今の私は一文無しじゃない!
「わ、私の綿あめ……ッ!!」
がくっ……。私は思わず膝をついた。恥ずかしいことはもちろん承知の上だけど……!
だって、だって!
一文無しじゃ、大好きな綿あめどころか、なんにも買えないじゃないのーーッ!
「――お、おい……大丈夫か……?」
「ぐすっ……え……?」
私が絶望に涙さえ出そうになったとき、不意に後ろから声をかける者がいた。私は上目使いに声がする方を見上げた。
声をかけてきたのは、私の後ろの列に並んでいた人で、なんの偶然か私と同じ種族のピカチュウだった。手にはビールの缶を持っている。声からして、あまり若くないオスのピカチュウかな。
「あ、えっと……すいませんっ、並んでますよね……!」
お金がない以上、並んでいても意味がない。後ろの人たちに迷惑をかけないように、私は早々に列から外れることにした。あぁー……! 綿あめ食べたかったのにぃ……。
「ちょっと待ちなさい」
「……え?」
とぼとぼと歩き去ろうとした私に向かって、ピカチュウのおじさんが声をかけてきた。私は不思議に思いながら振り返る。
「な、なんですか?」
え? なに? どういうこと?
私の脳内に疑問符が飛び交うその横で、ピカチュウのおじさんはエルフーンに向かって綿あめを注文し始めた。私は、しばらくその様子を見守っているしかなかった。
やがて彼は、右手と左手の両方に綿あめを一つずつ持ってこちらに戻ってくる。そして、片方の綿あめを私の方に差し出した。
「えっと……」
「お金。落としたのか知らんが無いんだろ。ホレ」
おじさんは、私の方に綿あめを持った手をズイッと差し出した。私は正直対応に困った。だって、この人とは今さっき会ったばっかりなのに、いきなり綿あめをおごってもらうなんて……。
そんな私の気持ちを汲み取ったのか、おじさんはフッと笑って……。
「なに、私にも似たような年の子供がいてね、それで困っているところを放っておけなかった訳さ。平たく言えば年よりのお節介だよ」
彼はそう言って、再び綿あめを持った手を私に向けた。私は恐る恐るそれを受けとり、それをかじる。砂糖の甘さが口に広がった。……うん、おいしい。
「あ、ありがとうございます……」
「あぁ、それとちょっといいか?」
「……はい?」
ピカチュウのおじさんが、ばつの悪そうな顔でまた私に話しかけてきた。私は彼と目を合わせる。
「あっ、実はな、私は連れと一緒にこの祭りへ来たんだ。連れを見なかったかな?」
「連れって……」
一体だれのことだろう?
「オーブをつけた大食いなメスのメガニウムと、オスのバンダナをつけたマグマラシと、オスのメガネをかけたズルズキンだ。見てないか?」
め、メガニウムとマグマラシとズルズキン……?
正直、人が多すぎてそれっぽい人たちがわんさかいたからわからないなぁ……。
「すいません、それは……」
「そうだよな……」
おじさんは私の言葉を受けて盛大にため息をついた。そして、「どこ行ったんだあの食いしんぼうは、ったく……」と呟く。
そう、か。この人も私と同じように仲間とはぐれてしまったんだね。
「あの……一緒に探しましょうか?」
私がそう言うとおじさんは一瞬だけ、マメパトが豆鉄砲を食らったような顔になる。
「……な〜に、お嬢さんの手を煩わせるようなことじゃないさ」
「いえ! 私も仲間とはぐれちゃって……一人でどうしようって思ってたんです。それに、この綿あめのお礼もしたいですし……」
おじさんは私の申し出にしばらく「うーん」と唸っていた。だが、やがて「そこまで言うんだったら」と言って同行を許可してくれた。
やった! 一人でカイを探すなんて、どうしようって思ってたけど……おんなじような人に会えるなんて!
「私の名はスパークだ、よろしく。それで君は……?」
「はい! 私はスバルって言います!」
おじさん――スパークさんと私の顔には、どちらも自然と笑みが漏れていた。