第九十四話 祭りの準備は大忙し
――お祭りの宣伝という重要な任務を課せられた私たち“シャインズ”。さて、 これから私はトレジャータウンの巡回だよっ!
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トレジャータウンは、いつものようにたくさんのポケモンたちで賑わっていた。私はそんな道をてくてくと歩いていく。
さて、案内状をすべての家に投函すればいいんだね。一人でそんな作業をするには途方もないような気もするけど……まぁ、トレジャータウンは一日あれば回れない広さじゃないから大丈夫かな。
バッグから案内状の紐を解き、束をばらす。そして、一枚一枚を家のポストへ投函、投函。ひたすら投函。時々、家やお店の前で住人本人がいるときは、手渡ししで案内状を配った。
この作業、なかなか楽しいかも。直接案内状を渡したときの住人たちの嬉しそうな顔を見るとこっちまでなんだか嬉しくなっちゃう。
トレジャータウンのみんながどれだけこの“英雄祭”を心待ちにしているかがよくわかるなぁ。
「あれ? もうここが最後?」
何時間案内状を配ってきたかわからないけど、いつの間にか私はトレジャータウンをすべて回りきっていた。最後に残ったのは、私の目の前に建っているこの下宿(でいいのかな?)だけだった。
その下宿の前では、一匹のポケモン――黄緑と黄色の体に、頭からくるんと丸まった触覚、吸盤のような指を持ったニョロトノというポケモン――が、鼻歌を歌いながら手に持った箒で掃除をしていた。
私は、ゆっくりとそのニョロトノに近づく。
「あのぉ……」
「? ……ひ、ひゃあぁあああッ!?」
……私が声をかけた瞬間、ニョロトノはビクゥッと飛び上がって、箒を取り落とした。えぇ? 私そんなに驚くようなことをした?
「だ、大丈夫ですか……?」
「う、うわぁ、し、知らないヒト……! た、助けてぇ……!!」
「あ、あの、落ち着いて……」
……ニョロトノは私が近づこうとすると、下宿の横にあった木に逃げ込んで姿を隠してしまった。
ど、どうすればいいの、これ……!
と、私が途方にくれていたその時。
「一体なんですか……騒がしいですねぇ」
ガチャリ。
下宿の入り口のドアが開いたかと思うと、そこから見通しメガネをかけたフローゼルが顔をしかめながら出てきた。あ、あの人は……!
「ロ、ローゼさんっ!?」
「おや……? あぁ、スバルさんではありませんか。お久しぶりです」
フローゼル――ローゼさんは、私の姿を認めると、深々と頭を下げてそう言った。私も慌てて頭を下げる。すると、さっまで木の後ろに隠れていたニョロトノがローゼさんの後ろへと隠れ場所を移した。
「ろ、ろ、ローゼさんッ……! 助けてくださいッ、知らないヒトが……!」
「あ、あの……! ごめんなさい、何かしたつもりじゃないんですけど……!」
何がなんだかわかんないけど、とりあえず謝っておかなくちゃ。そう思って私が頭を下げると、ローゼさんはプッ、と小さく吹き出した。
「あはは、いえいえ。スバルさんは何も悪くはありませんよ。カンナちゃんが極度な人見知りなだけです」
「えっ……?」
人見知り……?
「カンナちゃん、彼女はわたくしの知り合いで、スバルさんと言います。彼女は探検隊なんですよ……ねぇ、わたくしの後ろに隠れていないで、自己紹介したらどうです?」
ローゼさんが背後にいるカンナさんに言うけど、本人はブンブンと全力で首を横に振った。
「無理だよ……! 僕にはできないよ……!」
「すいませんねぇ、いっつもこんな調子なんです」
「はぁ」
面白い人だなぁ……。
「彼はわたくしの知り合いでカンナちゃんです」
「カンナ……ちゃん?」
「僕はオスですッ!!」
「ひゃ……!」
カンナさんがいきなり大声を出したので、私は驚いて首を引っ込めた。ローゼさんはあきれたように笑う。
「……まぁ彼のことは気にしないでください。で、いったいどうしたのですか?」
「え、あ……」
そうだ、すっかり忘れてた。私は、自分の本来の目的を思い出して、バッグから下宿の部屋分の枚数の案内状を取り出す。
「えっと……今日はお祭りの案内状を届けに来ました」
「お祭り……“英雄祭”ですか」
「あっ」
ローゼさんは、私が彼に案内状を配る前に、その手から案内状を抜き取ってしまった。
「ふむ、そろそろそんな季節でしたか……」
彼は紙の文字に目を追いながら、そんなことを口ずさむ。
「……ローゼさん、ここに住んでたんですか?」
すると、彼は視線を文字から私へ移した。
「最近移り住んだのですよ。カイ君に手伝ってもらって」
「あぁ……」
そういえば、少し前にそんなことがあったかな……?
……思えば、私は“眠りの山郷”で怪我をして以来、ローゼさんとまともに会話をしていない。カイから聞いた話によれば、私が怪我をしたとき、迅速に私を助けてくれたのは他ならぬローゼさんらしい。もし彼がいなかったら、私は本当に死んでしまっていたかも知れなかったんだ……!
なのに、私は今までお礼の一つもしていない。
「……あの、ローゼさん……」
「……どうしました?」
ローゼさんは、私のいつもとは違う声音に気づいて顔をあげる。私は、ちょっと恥ずかしくなって顔を伏せた。
「ローゼさんが……あの時私を、助けてくれたんですよね……? 私、まだなんにもお礼を言っていなくて……ごめんなさい」
「……」
どうしよう、なんだか自分が恥ずかしい。私は、チクリとした罪悪感に苛まれた。確かに、私は正直彼のことが苦手だ。だからといって、助けてもらったのに今までお礼をいっていないことに気づかなかったなんて……。
うつむいた私の視点から、ローゼさんの表情は見えない。だけど、頭上から短く吐息を吐く音はしっかり聞こえた。
「スバルさん」
「……はい」
「顔をあげてください」
そう言われて、私は顔をあげて彼を見た。ローゼさんの表情は穏やかだったけど、どこか怒っているようにも見える。
「わたくしは、謝ってもらうためにあなたを助けたわけではありません……。わかりますか? あなたにそんな顔をされて、そんな言葉をかけられると、せっかく人の命を救ったのに素直に喜ぶことができないじゃないですか」
「……ぁ」
そう……か。
私、なんでいま謝ってしまったんだろう? 本当に今私が言うべき言葉は、謝罪の言葉なんかじゃなくて……。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
私の言葉を聞いたローゼさんは、その言葉を待っていた、という風に、ニッコリ笑って私の頭に手を置いた。
「人の人生も、人の命も……たった一回きりですからね。大切にしてください」
一回きり。
その言葉が私に重く感じたのは、多分その言葉がローゼさんの口から発せられたからだと思う。
――わたくしはね、カイ君……殺されたんですよ――。
ローゼさんは転生者だ。一度死んで、また生まれ変わった彼だからこそ、一回きりという言葉がこんなにも重いんだ。
「お仕事疲れたでしょう、スバルさん。中でお茶でもどうですか?」
私の頭から手を離した彼は、ふと思い出したようにそう言ってくる。
「嬉しい……。でも、カイと待ち合わせをしてるから、またの機会に伺いますね」
「そうですか、ではまた」
「さようなら、ローゼさん。……カンナちゃんもね」
「ぼ、ぼぼ僕はオスですっ!」
★
スバルと別れた僕は、案内状が入ったダンボールを携えて、ギルドから西にある“ペリッパー郵便局”へと歩き出す。ダンボールの重さは尋常じゃなかったけど、あのギルドで修行して以来毎日鍛練はやって来たつもりだ。郵便局まではなんとか持つだろう。
……とは思っていたけど。やっぱり郵便局につく頃には、ひぃひぃハァハァと荒い息をつくはめになっていた。
「や、やっと着いた……!」
僕は、郵便局の前にある階段を上りきると、ドンッとダンボールを置き一息つく。はぁ、疲れた……!
でも、これをスバルにやらせるわけにはいかないからなぁ……。
郵便局は、職員であるペリッパーをかたどった建物だった。……つまり、あそこが僕のゴール地点。よしっ。あそこまで気合いを入れて運ぶぞ!
「ごめんください!」
ダンボールを持って郵便局の中に入った僕は、対応してくれる職員さんを探して声をあげた。すると、すぐにバサッ、バサッと羽の音を響かせて誰かが近づいてきた。
ダンボールで視界を塞がれて、誰が来たのか見えないけどね。
「いつでも、どこでも、なんでもござれ! 安心、安全、迅速に荷物をお届けする“ペリッパー郵便局”だぜ! それは速達? フツー配達?」
「……え、あの……」
な、なんだか早口すぎてついていけないんですけど……。
「これ……“英雄祭”の案内状なんです」
「あぁ、もうそんな季節か。なるほど、こっち来な」
相変わらず姿が見えない声にしたがって僕は歩き出した。だけど、前が見えづらくて歩きにくいな……。
「……おい、あんた! そっちは違う! 壁だって! あ……! あぁ、ほら言わんこっちゃねぇ」
★
「さて、改めて……“ペリッパー郵便局”へようこそ。俺は郵便局員のペリッパーの中で一番の古株だ。周りには“古株さん”で通ってるぜ」
「よ、よろしくお願いします……」
カウンターを通して目の前にいるペリッパー――古株さんは、若干羽にツヤが無くなってきているおじさんだった。まぁ、古株って言われるぐらいだから、年は行ってるだろうけど。
「あんた、探検隊か? 見ねぇ顔だが名前はなんていうんだい」
「か、カイです」
「カ=カイ? 名前がカ? 面白い名前だな」
「……カイ、です」
「あぁ、なんだ。へぇ、カイ、カイ……」
古株さんは僕の名前を数回呟いてうーん、と唸り出した。なんだろう、そんなに僕の名前に何かある?
「カイ……どっかで聞いたんだよなぁ、この名前」
え? 僕の名前をどこかで聞いたって……?
すると、古株さんのカウンターのとなりで暇をもて余していた女性のペリッパーが、欠伸を噛み殺しながら言う。
「彼……シャナさんの弟子ですよ」
「うへぇ!? じゃ、じゃあ……グレンじいさんの孫弟子ッ!?」
グレン……確かシャナさんやルテアさんの師匠の名前だ。……って! だからシャナさんはスバルの師匠であって、僕の師匠じゃないんだってば!!
「あーあー! あんたがじいさんの孫弟子ねぇ……」
「え、えっと……古株さんはグレン……さん? をご存じなんですか?」
「あぁ、まぁ俺が若い頃よくじいさんに郵便配達をしていたからなぁ。シャナの坊やたちとはこーんな小さい頃から知ってるぜ」
古株さんは、「こーんな」と言った時に片翼を地面ギリギリまで近づけた。
「じいさんはもう死んじまったが、じいさんの精神は弟子からまた弟子へ受け継がれてるってこった。こんな嬉しいことはねぇよ」
「は、はぁ」
思わぬことで古株さんをしみじみさせてしまった僕は、彼になんと言っていいかわからなくなった。
「んで、案内状の配達だな? よし、ちょっとダンボールを拝借!」
古株さんは、カウンターにおかれたダンボールをひょいとかかえて、そこに書かれた住所を確認する。
……そんな軽々と持ち上げられたら、やっとのことでここまでこれを持ってきた僕のちっぽけなプライドが砕け散っちゃうじゃないか……!
「ほぉー? いつも通りラゴンは俺たちを忙殺させたいらしいな。大陸中に配れってよ」
「……局員を集めますか?」
「ああ。お前ら! 今受け持ってる配達をすぐに終わらせろ! これから忙しくなるぜ!」
バサバサ、と興奮ぎみに羽をはためかせた古株さんは、郵便局全域に響き渡る大声で、まばらにいる局員たちに叫んだ。
「坊主、ここに名前を書いたら手続きは終了だぜ! 安心しな! 俺たちが責任もって案内状を配達してやるぜ!」
「は、はい!」
僕は、少々彼の気迫に押されぎみになりながらも、手渡された書類に名前を書いて、手続きを終了させた。
ふぅ……。なんでだろう? 体力的にだけではなく精神的にも、仕事をしきった疲労感がたまっていた。
なんだかんだで“英雄祭”の準備の日々は矢のように過ぎていき、いつの間にかお祭りの当日はすぐそこにまでやってきた。その間、僕たちギルドの弟子たちは祭りの準備に動員され(いや、あれはこき使われるといういうべきだ)、僕らは文字通り忙殺されることとなった。今になって、救助隊がお祭りを手伝ってくれることにみんなが涙した理由を身をもって知ることになったんだけど……。まぁ、それはまた別の話――。