第八十六話 二週間後
――今日で、いつの間にか“眠りの山郷”騒動から丁度二週間が経つ。僕らの間に段々と“日常”が戻りつつあった。
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朝の日差しが差し込む自身の部屋で、僕はうーん、と背伸びをした後、その場から起き上がった。すると、僕の物音で目が覚めたのか僕の隣に寝ていたスバルも目を擦って上半身を起こす。
「おはよう、体の調子どう?」
「うーん、もう大分良いみたい。あー! やっと体を動かせるっ!」
スバルは心の底から嬉しそうに言いながら起き上がり、大きく伸びをした。そして体の調子を確かめるようにその場でピョンピョン跳び跳ねる。
スバルは、自身が負った深い傷のせいで外出禁止令……というか、ドクターストップ(この場合の“ドクター”とは、もちろんショウさんのことだ)を受けていた。それは、体を動かすことが好きな彼女にとってはかなり酷なことだと言える。
だがそれも昨日までの話で、傷の完治を認められたスバルは今日から通常通りの生活に戻れるというわけなのだ。
なので、彼女が欣喜雀躍しそうな勢いなのも納得がいくだろう。
「ねぇ、カイ……」
そんな中、ふとスバルが真剣な顔つきになった。僕はそんな彼女から何かを感じ取って、同じく真剣な顔で彼女に向き直る。
「何?」
「私、カイのことを信じて頑張ってみる。……自分のことを信じてみようと思うの。私の中のこの能力と、向き合ってみようと思う」
「そう……君なら大丈夫。不安になったら、いつでも僕に相談してね」
「うん」
スバルは視線を下に落とし、ちょっとはにかみながらも小さくうなずいて見せた。そして、「この話題は終わりっ!」と言って元気よく顔を上げる。
「よし! 完全復活したスバルがバリバリ依頼をこなしちゃうよっ!」
エンジンをふかしきって、後はレバーを引けば今すぐに発進(暴走?)してしまいそうなスバルに、僕は恐る恐る声をかけなければならなかった。
「あの……スバル?」
「ん?」
「……ラゴンさんが、二人で親方の部屋に来いって……」
「え……」
今すぐにでも探検隊活動をできると思っていた彼女は、僕の言葉を聞いた瞬間その勢いをシュン、鎮火してしまう。
「どうして?」
「ど、どうしてって……」
「せっかく……せっかく探検活動ができるのにっ……?」
うるうる。彼女は両目の縁ギリギリまで涙を溜めながら上目遣いに僕に聞く。
困ったなぁ。
仕方がないので、僕はゆっくり、彼女に目を合わせてこう言った。
「……スバル、嘘泣きしてもだめだよ?」
「……バレた」
するとスバルは涙目から一転、面白くなさそうに頬を膨らませた。僕はそれに苦笑せざるを得なかった。
★
『――二週間後にあの場所で。……一人で来い』
彼の頭の中で、その言葉が延々とリピートされていた。
二週間。
今日がまさにその日だ。だからだろうか。今日の彼は、誰かから話しかけられてもひどく無口だった――。
シャナは、トレジャータウンから少し離れた森の中で、一人草を踏みしめながら奥へ進んでいた。四本柱の一人であるエルレイド――エルザとの約束を、果たすために。
彼はかつて、幼馴染みであり、同じ“フレイン”の仲間であり、なにより、友だった。だが、自らの存在が彼を狂わせた。彼は自分を越えるために強さを求め続け、自分は最後までそれに気づくことができなかった。挙げ句の果てに、彼は自分へ向けた憎しみと強さへの執着ゆえに身を滅ぼした。
そして今では、理由は定かではないが敵側に身を置いている。
――なぜだ……。なぜなんだ、エルザ……!
シャナはエルザに聞きたいことがいくつもあった。だから、彼が言った通り『一人』で約束の場所に赴いている。もちろん、罠の可能性があるとも考えた。だがそれ以上に、自身の中で渦巻く疑問を解消させたかった。
なぜ彼が生きているのか。なぜ“イーブル”に身を置いているのか。そしてなにより、まだ自分を憎んでいるのか――?
「――やはり一人で来たか」
果たして、約束の場所――“黒衣の拐い屋”を追っていたシャナが、エルザに不意打ちを食らった場所――にエルザはいた。そして、シャナの姿を確認した彼は開口一番にそういい放つ。その声は冷たいつららのようだった。
「そういうお前こそ、一人で来た。仲間と待ち伏せれば俺を倒せたのに」
「俺がそんなことすると思うのか」
「いや。……変わっていないな」
シャナは皮肉ではなく本心からそう言った。妙にフェアなところは昔から変わっていない。だが……。
「いや、変わった。お互いに……そうだろう?」
エルザは短くそう言った。彼のその言葉を最後に、お互いの間に沈黙が訪れる。聞きたいことがあるのに、いざ本人を目の前にすると言葉に詰まってしまう。
だからシャナは、この言葉を口にするのにいくらかの勇気を必要とした。
「……エルザ、なぜお前は生きているんだ……!」
シャナの記憶の中では、彼はこの先にある谷底に落ちたはずなのだ。あそこから落ちて、生きていられるはずがない。確かにあの時は、亡骸が見つからなかったのでおかしいとは思っていたのだが……。
「……確かに、俺はあの谷底に落ちた。だが、俺は――助けられた」
「誰に?」
「……“イーブル”の、ボスに」
「……」
シャナは、そのエルザの言葉で、彼がなぜいま“イーブル”にいるのかわかってしまった。彼は、彼を助けたボスへ律儀に恩を返そうとしているのだ。
――……いや、違う。
シャナは、とっさに今の考えを改めた。
彼は腐っても元探検隊。たとえ助けられたとしても“イーブル”の野望が他人に迷惑をかけているものと知ったら、黙ってはいなかっただろう。
「なぜお前は、今でも“イーブル”側にいる?わかっているのか、“イーブル”は“ナイトメアダーク”というとんでもないものを作っているんだぞ!」
「“イーブル”が“悪”だと誰が決めた?“イーブル”を……俺たちを倒すお前らは果たして“正義”か?」
エルザは間髪入れずにそう返した。思わぬ反論にシャナは言葉をつまらせる。
「いや、違うな。お前らは俺たちを倒すことが正しいと思い込んでいるだけだ。どちらかが正しいかは……“強さ”で決まる!だから俺は強さを求め続けた。五年前も、今も!ボスは、そんな俺が強くなる方法を授けてくれた。だから俺は“イーブル”にいる」
エルザはそう言って、その長い腕をシャナに突きつけた。
「俺は、お前を越える。わかっているな?俺がここにいるのは、お前とおしゃべりをしに来たからではない」
「俺を、倒すのか……エルザ」
「そうだ。この前のような不意打ちではなく、正々堂々、同じ条件でお前を完封する。そして、俺の強さを証明する。いまここで」
エルザは、ここまで言うと一息間を置いた。シャナは彼の物言いに狼狽していた。彼と視線を合わせることが出来ない。
「俺は……」
シャナは何かを言いかけた。しかしその前に、エルザがその鋭い眼光をさらに光らせ、言い放つ。
「俺とお前は敵同士。負けることは、つまり死ぬことを意味する。覚悟は……できているな」
「エルザ……!」
エルザは、シャナの呼び掛けに応えなかった。代わりに、シュンッ、という自然界ではまず聞かない不思議な音を響かせながら……。
シャナの眼前に瞬間移動した。
★
――“テレポート”!
シャナが、瞬時にエルザが距離を縮めてきた理由に気づいたときには、すでにその懐に彼の腕がのめり込んでいた。
「“リーフブレード”」
「がッ! ……はッ……!」
受け身も取れずに、技の威力を百パーセント受けてしまったシャナは、懐を抱えその場でよろける。
――まさか、タイプ相性で自分が有利な“リーフブレード”一撃でここまでのダメージとは……!
と、シャナの正面にいたエルザが再び“テレポート”をかけ、今度は彼の背後を取った。シャナは、それに気づき振り返る。しかし……。
「“サイコカッター”」
「ぐあぁあああッ!!」
不可視の刃――エスパータイプの技“サイコカッター”が零距離で彼に撃ち込まれた。いままでに感じたことの無い身を切断されるかのような痛みに、シャナは叫び声を上げずにはいられなかった。
――なん、だっ……! この痛みはッ……!?
「か、はッ……! “火炎放射”っ……!」
痛みで意識が飛びそうになりながらも、彼はエルザを引き離そうと炎を放った。しかし、エルザが両目を光らせると、その炎は見えない壁に阻まれたかのようにエルザの手前で止まる。
「“サイコキネシス”」
不可視な壁に阻まれたように見えたのは、エルザの技“サイコキネシス”が“火炎放射”に作用したためであった。そして彼は、サイコパワーの力を乗せ、威力が増幅された炎をシャナへ放ち返す!
「くっ……!」
シャナは炎を避けるために跳躍、しかし先程受けた“サイコカッター”の痛みが響いていた。思ったように体が動かない。
と、そこへ再び数発の見えない刃がシャナへ放たれた。彼はその刃を気配だけで察知し、避けようとする。しかし――。
くらり……。
「ぐっ……!?」
いきなり視界が二重にブレた。空中にいたシャナは、唐突目が回り、息が苦しくなった。全く身に覚えの無い異常事態に、彼は驚愕した。
――いったい、何がッ……!?
しかし、その思考もどんどん朧(おぼろ)になっていって……。
数発の“サイコカッター”が、すべてシャナに命中した――。
★
エルザは、地面の上で微動だにせずに横たわっているシャナを冷ややかに見下ろしていた。
今のシャナは、いわゆる虫の息だ。恐らく何もしなくても、彼の息の根が止まるのは時間の問題だった。
「……攻撃を受けるとき、お前は『何が起きた』って顔をしいてたな」
エルザは、すでに気を手放しているシャナに向かって小さく呟く。
「気づかなかったか? 俺が最初の“サイコカッター”を放つとき、そこへ“毒々”を仕込んでおいたことに……おい、聞いているのか」
エルザは、足を使ってシャナを小突いた。しかし、彼に反応はない。
なぜか、エルザの中で怒りが沸々と沸き上がってきた。自分が、目指してきたのは……越えたかったのは、目の前にいるこの男だったはずだ。しかし、数分と経たないうちに彼は自分の手によって沈められた。
……弱い。実にあっけない。
自分は今まで、こんな男を越えるために強さを求めてきたのか? 一人で悩んできたのか? 今まで、こんな弱い男を越えようと、倒そうとしていたのか?
「……おい、その程度か……! 何とか言ったらどうだ……! お前はこの程度か、シャナッ!!」
「……」
反応がない。
どうやら毒がかなりのところまで回ってきたようで、彼の息は絶え絶えだった。
「……俺が……俺はこんな奴に、今まで負けていたのか……!」
エルザは、怒りに震えた声で呟くと、その腕を刃のごとく鋭くさせ、シャナに向かって突き立てた。
――彼に止めを刺すべく。
「終わりだ、シャナ……。これで……俺は――」
「――『俺は』……なんだい?」
「!」
エルザの腕が、シャナへ数センチにまで達したとき、背後からいきなり朗々とした声が響いた。
そして――。
ゴォッ!
火の塊、そう形容するほかに思いつかないほど巨大な炎がエルザに迫った!彼は瞬時に跳躍し、シャナから離れることでその攻撃をやり過ごす。すると。
「――久しぶりだねぇ、エルザ」
幼い子供のような、しかしその中に鋭さを兼ね備えた声。その声が、エルザにそう告げた。
彼がその方を向くと、ガサリと茂みを鳴らしながら一匹のポケモンが姿を現す。
「……覚えてるぅ? 僕のこと」
ブイ字型に伸びた頭部、橙色とクリーム色のツートンカラーをしている、ビクティニという種族。
「……ウィント=インビクタ……」
エルザは呟くようにその名を呼んだ。
その内に、ほんの少しの恐れを含みながら――。