へっぽこポケモン探検記




















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第六章 探究と追究編
第八十五話 信じるということ
 ――言いたい放題。今のローゼさんはまさにそれだ。スバルが誰かを殺めるかもしれないという彼の言葉に、ついに僕の堪忍袋の緒が切れた。





「スバルが……! 誰かを殺めるですってッ……!?」
 バンッ!
 僕はもう耐えられなかった。テーブルに拳を叩きつける。
 いくらローゼさんとはいえ、言って良いことと悪いことがある!!
「スバルは……! スバルはそんなことを願う人じゃないッ! 絶対にッ!!」
 しかし、ローゼさんはあくまで冷静だった。静かに僕と視線を合わせる。
「言ったでしょう、この世に“絶対”は存在しないと。絆も、友情もふとしたはずみで、簡単に崩れ去るんです。スバルさんが……今までに、誰かを殺めることを願わなかったと言い切れますか?これから先、願わないと言い切れますか?」
「言い切れます! 僕は言い切ります! スバルを、信じてます! 逆にあなたは、誰かを信じられないんですか? どうして信じられないんですか! ただあなたは、自分の理不尽な境遇に僻んでいるだけだ! スバルを巻き込まないでください!」
「わたくしだって!!」
「……」
 ローゼさんが、ここに来て初めて声を荒げた。
「信じていましたよ! 友情や絆、愛! この世には変わらないものもあるんだと! 信じていたんです! ……信頼する人間に、殺されるまでは……!!」
「……」
 信頼する、ニンゲンに……。 だから、ローゼさんはこんなにも……?
「人間も、ポケモンも、結局はそうなんです! 信じていても、裏切られる! “絶対”……“百パーセント”という言葉ほど、信じられないものはありません!」
「……」
 ローゼさんが、叫べば叫ぶほど、僕は冷静になっていった。そうだ、この人は。
「……そうやって、あなたは誰をも信じてこなかったんですね。――自分自身ですら」
「っ……!」
 ローゼさんの表情が歪んだ。僕の言葉が図星を射ていたからだろうか。
 彼は、自分を含めた誰のことも信じていない。“眠りの山郷”でもそうだ。ローゼさんは、自分が疑われているのに驚きも怒りもしなかった。それは、彼が端から誰も信じていなかったからだ。
「……ローゼさん、あなたはかわいそうな人です」
「……」
「スバルが言っていましたよ。『あの人は、何でも見透かしているが、何も信じていない目をしている』。彼女の言葉の意味が、今やっとわかりましたよ」
「ええ、そうです。わたくしは誰も信じていません。何が悪いんですか。信じなければ、裏切られることもないんです……!」
 ガタンッ!
 僕らが座っているテーブルの近くの壁で、何かが落ちる音がした。僕らは同時にその方を向く。
 壁の向こうから、怯えたような、泣き疲れたような表情をしたピカチュウが、顔を覗かせていた。そのピカチュウは……。
「スバル、さん……?」
 ダッ!
「あっ! スバルッ!」
 スバルは僕らとは反対の方向に、逃げるように走り去っていった。もしかして……今の会話を、すべて聞かれていた……?
「……追ってください」
 ローゼさんが言った。
「カイ君、スバルさんを追ってください」
「ローゼさん……」
 僕が彼を見ると、彼は顔を歪めた。
「わかっているんです、頭では。スバルさんはそんなことを願う人ではないと……」
「僕は」
 僕は彼を視線でしっかりと捉えた。真っ直ぐに。
「他人を疑って、誰も信じないぐらいなら……裏切られてでも、信じます。例え信じていた人に裏切られても、誰かを信じ続けます」
 ローゼさんは静かに僕の言葉に耳を傾けていた。
「あなたが誰も、自分自身すらも信じられないのなら。僕があなたを信じます。だからあなたは……」
 僕はローゼさんにくるりと背を向ける。
「僕を、信じてください」
 そして、スバルが走った方向へ、僕は駆けていった――。





「『僕を、信じてください』、ですか……」
 ローゼは、だんだんと遠ざかるカイの背中を見守りながら、小さくそう呟いた。
「本当に……彼は面白いですね……」
 カップをゆっくりと傾け、モモンジュースを口に含む。甘ったるい味が口に広がり、彼は少しずつ冷静さを取り戻していく。
 そして、空を仰いだ。
「……あなたはわたくしに言いましたね。
『自分は、スバルが独りにならないように振る舞えているだろうか。そして何より、もし自分の身に何かがあったら、スバルは独りにならないだろうか』と」
 深く、長く息を吐いた。今までの苦悩を吐き出すかのように。それと同時に、転生前の思い出を、懐かしむかのように。
「ですが、この世で独りの人間が存在しないように、またスバルさんにも……カイ君という存在がいます。そして、カイ君の存在は少なからずわたくしにも……。どうやらあなたの思った以上にいらない心配もしれませんよ」
 ポツリポツリ、と消え入りそうな声で言葉を紡いでいたローゼだが、やがてフッ、と彼は微笑した。

「――ねぇ、カナメ君?」





「スバル! 待ってよ!」
 僕は、どんどん逃げていってしまうスバルの後ろ姿を追うのに必死だった。
 どうして、リオナさんがいたのにスバルは逃げ出せたのだろうか? そして何より、その傷のままそんなに動いたら危険なんじゃないだろうか?
 トレジャータウンの住居街を抜け、木が生い茂るちょっとした茂みに僕らは入った。そこに来て、初めてスバルの歩が止まる。
「はぁ、はぁ……!」
 彼女は僕に背中を向けたまま荒い呼吸をしていた。傷に響いたのだろうか?いや、でもやっぱり精神的な部分もあるかもしれない。
「スバル……」
「来ないでッ」
 ピタ。
 スバルの方に近づこうと一歩踏み出した僕に、スバルは鋭く叫んだ。そして振り向く。目の縁に涙をためながら、必死に言葉を紡ごうとしている。
「……カイっ……! 私……私っ……!」
「落ち着いて、スバル……。彼は本心からあんなことを言ったわけじゃないよ」
「わかってるっ……! わかってるけど……! それを抜きにしてもやっぱり、私は人間だったときに、誰かをっ……死なせちゃったんじゃないかって……!」
「君がそんなことをするもんか。君が人を殺めるような性格じゃないのは、僕がよくわかっ――」
「わかってないッ!!」
 強く目を瞑って、彼女は叫んだ。魂を吐き出すような、喉が渇れてしまいそうな叫びだった。
「あなたはなんにもわかってないッ! あなたは、人間だったときの私を知らないじゃない! じゃあなんで私はッ……毎日あんな……! 嫌な夢を見るのッ……!?」
「スバル」
 僕はもう一度、一歩近づこうとする。だけどやっぱり、スバルは同じ歩幅分後ずさりした。
「近寄らないでッ! 私に近づいたら……! あなたまでッ……!」
「……僕まで? どうして君が僕を?」
「わからないッ……! わからないよっ……うっ……うぅ……!」
 ボロボロ、と涙の雫が頬を伝い地面に落ちていく。スバルは腫れぼったい顔を赤くしながらしゃくりをあげる。元気な頃のスバルは影を潜め、今の彼女は、不安に押し潰されそうなちっぽけな一人の少女だった。
 だから、僕は――。
「……ぁ……」

 ――ギュッ、と。スバルを抱きしめた――。

「……カ……イ……」
 彼女の体温が、温もりが直に伝わってくる。息遣いも、その吐息も。逆にスバルの表情が見えなくなるのが、ちょっと残念だけど。
「スバル、聞いて」
 僕は、いきなりのことで全身を強張らせているスバルに囁いた。小さい声で。
「確かに僕は、君がニンゲンだった頃のことは何も知らない……。でもね、僕は“今のスバル”を、信じているんだ」
「今の……わた、し……?」
「うん。僕が君に助けてもらったときから今まで……少なくともその間の君は、人を殺めるようなポケモンじゃない。僕の知る今の君を、僕は信じているんだ」
「でも……! カイ、私は……ひどい夢を見てしまったの……!」
 抱きしめられているスバルは、小さく全身を震わせていた。スバルは、恐れている。
「どんな夢?」
「……私のせいでっ……! あなたがっ……死んでしまう、ゆめっ……!」
「っ……!」
 僕が……? スバルのせいで死んじゃう夢?
 僕は一瞬息を飲んだ。スバルが見た夢は……果たして何を予言しているのか、僕は少し怖くなった。
 ……いや、だけど。
「僕は、死なない。君の能力(ちから)で死んだりなんかしない」
 僕はそう言い切った。スバルの体がビクリと震える。
「どうして……? 根拠は?」
「根拠は、無いよ」
「……え?」
「根拠はないけど、僕は絶対に死なない。約束する」
「もし……。もし、私が本当にひどい人間で、その人格がよみがえっちゃったらどうするのっ……?」
「止める。僕が止める。だから、スバル……!」
 僕は、少し強くスバルを抱いた。彼女には、もう辛い思いをさせたくない。そんな思いを込めながら。

「――僕を、信じて。スバル……」

「カイ、カイっ……! うぅ……! うわぁあああッ!」
 スバルは、このとき初めて体の力を抜いて僕に体を預けた。僕の体に顔を埋めて思いっきり泣く。今まで我慢してきた、独りでの辛さを吐き出すかのように。





 カイとスバルが会話をしている間、同じく二匹のポケモンがその様子を見守っていた。茂みの陰から、こっそりと。
「……カイ君って、奥手かと思ってたけど」
 少しだけ顔を出し、カイがスバルを抱きしめるその瞬間を見ていたのは、スバルを探し続けていたキュウコン――リオナだ。
「意外に乙女のハートをがっしりと取りに行くのね」
「……それを俺に言ってどうするんだ」
 リオナと一緒にその様子を見ていたシャナは、反応に困った。
「取り合えず、あの様子だとスバルは大人しくカイとギルドに戻ってきそうだな」
「ええ、安心ね」
 二人はそう判断し、暗黙のうちに茂みからそっと離れた。これ以上二人の邪魔をするほどリオナたちは野暮ではない。
「じゃあ、俺は先に戻る」
「あ、シャナ……」
 そそくさと退場しようと歩き出したシャナに向かって、リオナは声をかけて彼を呼び止めた。シャナは歩き出そうと踏み出した足を止める。
「ありがとう。スバルちゃんを一緒に探してくれて」
「……いや」
 シャナは、リオナに背を向けたまま静かにそう言った。他にもっと気の利いた言葉があっただろうに、と声に出した後でシャナは自身の言動に体して自己嫌悪に陥る。
 一方リオナは、彼の数日間の様子に違和感を覚えていた。今の言動だってそうだ。彼は、お礼を言われれば必ず、何かしらの挨拶は返していたのに。
「シャナ……あなた最近、様子が変よ。大丈夫?」
「……放っておいてくれ」
「ちょっと、シャナ!?」
 彼は、あろうことかリオナを置いて先にスタスタと歩き去ってしまった。取り残されたリオナは、怒りよりも先に言い様の無い不安が押し寄せていた。シャナのこの反応は、まるで……。
「五年前みたい……」
 そう、何もかもを失った、あの時と。彼の振舞いが酷似しているのだ――。





 一方、スバルとカイが会話をしている同時刻、一人ローゼを残したカフェテラスでは……。

「――ねぇ、前座ってもいいー?」
 静かにカップを傾けながらうつむいていたローゼに、声をかける者がいた。彼はゆっくりと顔をあげ、その姿を確認する。そこには……。
「……ウィント」
「やっほー」
 ビクティニのウィント=インビクタだった。彼はふるふると手を振りながら、許可をもらう前に彼の向かいの席――先程までカイが座っていた――にストン、と座る。ちなみに、ローゼが積み上げた大量の皿はすでに撤収されている。
「あなた、ギルドにいなくてもよろしいのですか?」
「んー? 親方もたまには自由な時間が必要なんだよぉ」
 ウィントが悪戯っぽい笑みでブイサインを出す。そんな彼に、ローゼは苦笑せざるを得なかった。
 ――“たまには”、ねぇ……。
「ローゼはここで何してたの?」
「わたくしですか? ……まぁ、“昔”のことを思い出していましたよ」
「昔、かぁ……」
 ウィントは、ローゼの口から“昔”という単語を聞き、しみじみとした様子になった。一方ローゼはふと、この姿になってからの本当の昔のことが頭をよぎった。
「思えば、わたくしがフローゼルになって初めて出逢ったのはあなたでしたね」
「うん、そうだよぉ? あの小屋の近くに倒れてたからさ、僕が声をかけたのー。『ねぇ君、迷子ぉ?』」
「そしてわたくしはこう答えた。『あなたは……天使ですか? それとも、天使の羽根をつけた悪魔ですか?』」
 そう言った瞬間、プッ、と二人して小さく吹き出す。
「いやぁ、びっくりだよー。本当にあのときの君って、ここが死者の来る世界だと信じてたんだもん」
「仕方がないでしょう。その時は――」
 今まで、努めて明るい声を出していたローゼは、にわかに込み上げた何かに言葉を詰まらせてしまった。そして、彼は俯く。
「その時は……本当にっ……」
 その様子を見たウィントは、目をほんの少し細め、彼の顔を覗き込んだ。
「……ローゼ」
「ウィント……わたくしは、カイ君にすべてを話しました」
「カイに?」
 ウィントが首をかしげると、ローゼは俯いていた顔を上げ、先程のカイとの会話を細部に渡ってウィントにも話した。自分が人間だったこと、その時にはすでにスバルと接触していたこと、スバルの能力について……。
 ウィントは、ローゼが転生した身だということを知っている。しかし、スバルが元人間であり、体内にソオンという能力を宿しているというのは、彼にとって初耳だった。
 しかし、それよりも他にウィントには気になる事柄があった。
「でもローゼ、君はどうして自分がニンゲンから転生したことをカイに言おうと思ったの?」
 転生して初めて会ったウィントでもなく、ましてや、記憶を失っているとはいえ人間だった頃に接触したことのあるスバルにさえも言わなかったことを、なぜカイには言ったのか。
 するとローゼは力無く笑った。
「なぜでしょうねぇ……。彼が、“眠りの山郷”でわたくしが宝玉を盗んだと疑われたときに、一人だけ味方をしてくれたからですかね……」
 ローゼは目を閉じ、あのときのカイの言葉を思い出す。
 ――僕はローゼさんを……信じてる! 一度仲間になった誰かを疑うなんて……僕にそんなことはできないんだっ!
「……わたくしは、“ローゼ”の名をもらったあの時から、自分の本当の名前すらも思い出せなくなってしまいました。わたくしはもう、本当の意味では“わたくし”ではない。人間だった頃のわたくしを唯一証明してくれるのは、わたくしが“探偵”だということだけ……」
「うん……」
「カイ君は、そんな自分自身さえも信じることができない、どうしようもないわたくしですらも信じてくれました。彼が、初めてっ……」
 ここまで言い切ったローゼは、ついに言葉をもつまらせ歯を食いしばった。その口から圧し殺した嗚咽が漏れる。そして、固く閉じた目から涙が溢れだした……。
 いままで、どんなに我慢してきただろう?
 どんなに辛い思いをしただろう?
 自身が死した瞬間を思い出す度に、激しく目眩がした。そして、この自身の残酷な運命を呪いもした。それでいて、この世界で前世と同じ職業に就くことを決心した……。
 だが、自分が“自分だった”という証は、“ローゼ”を名乗った瞬間に無くなってしまったのだ。
「ローゼ……今まで、辛かったんだね……」
 ウィントは向かいの席から少し身を乗り出して、涙するローゼの肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。
「僕はね? 君が、“黒衣の拐い屋”事件で犠牲になった子――ブイゼルの“ローゼ”の名を名乗っていても、本当の君のことを知っているんだ。……だから、僕のことも信じていいんだよ?」
「っ……!」
 ウィントの言葉に、さらにローゼの目から涙が溢れだした。今まで我慢していたものを、流すかのように――。

■筆者メッセージ
・モモンジュース:モモンのみを絞り、甘味料を加えた飲み物。かなり甘ったるいため、子供と甘党向けのジュースとなっている。大人でこのジュースを飲むものは非常に少ない。

・カゴ茶:カゴの実の固い皮から熱いお湯で旨味だけを抽出したお茶。かなり渋みが強いのが、癖がないストレートな後味が、一部のポケモンの間でリピーターを続出させている。眠気覚ましに最適なお茶。
ものかき ( 2014/05/07(水) 13:14 )