第八十四話 流浪探偵の秘密
――ローゼさんのカミングアウトのオンパレードはまだまだ続く。彼は見通しメガネを指で上げながら、次の話題に入った。
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「さて、では次に移りましょう。そうですね……」
ローゼさんは次の話題を探し始めた。どうやら何から話せばいいのか迷っているようである。
「あの、ローゼさんはニンゲンだった頃の……記憶を失う前のスバルを、知っているんですよね?」
「……」
ローゼさんは答えない。わざと答えないのか、いや、答えることを恐れているのか――。
「ローゼさん、あなたももしかして――ニンゲンだったんですか?」
「……」
沈黙。
ローゼさんはカップを手に取り、中身が空になっていることに気づくと、「おかわり頼んでいいですか?」と尋ねてきた。
僕は一瞬、彼に話題をそらされたと思った。しかし、ローゼさんは一度宣言したことを覆すような性格じゃないと思い直し、モモンジュースが来るのを待つことにする。そして、カップが運ばれてくると……?
「……わたくしが人間だったといったら、どうします?」
彼はそう言った。
「え、別にどうにもしませんけど……」
「……そうですか。少し安心しました」
ローゼさんは、見ていて少し心が痛くなるような微笑を浮かべた。だが、それも一瞬のことで、すぐに真剣な表情に戻る。
「ええ。わたくしは、人間でしたよ」
「やっぱり……」
ん? でも待てよ。
ローゼさんって、自身の名前を親から譲り受けたとか言ってなかったっけ? ……どういうことだろう?
「ですが、わたくしはスバルさんのそれと決定的に違いますがね」
『決定的に違う』? いったい何がだろうか? スバルと違うというのは……。
「わたくしは――転生、したんです」
★
「……はぁ、はぁ」
スバルは、ふらふらの状態のままトレジャータウン内を歩き回った。
いったい、自分が何をしたいのかわからなかった。無意識に、カイを探そうとしているのか、あるいはただあの悪夢を何としてでも忘れ去ろうとしているのか。
彼女にはあれがただの夢だってことを頭の中で理解してはいるのだ。カイは今、あの人と一緒に依頼をこなしているはずだよ、と。
しかし……あの悪夢の光景が頭から離れない。払ってもすぐに積もる埃のように、スバルの悪夢もまた、忘れたときにまた頭によぎってしまうのだ。
――私はもしかして、過去に人を死なせてしまったのではないか?
その考えが頭から離れない。違うと首を振ったって払拭されるものではない。なぜなら、彼女には人間だったころの記憶がないからだ。
自分が人間だったその頃、自分はどんな人間だっただろうかと考えたことがあった。だが、過去を思い出すのが怖かった。人間だった頃の自分が、記憶を失った今の自分よりずっとひどい人格だったら……?
もし記憶がよみがえって、人間だった頃の人格が復活したら……?
――ぇ、カイッ、ちがッ……! わたし……わた、しッ……!
あの悪夢が正夢になってしまうかもしれないと思うと、めまいがした。記憶を掘り起こそうとすると頭痛がするのはそのためだろうか、とスバルは考える。
しかし、記憶の糸を断ち切ろうとすると、逆に記憶がないことへの不安が押し寄せてきてしまう。板挟みの不安に、彼女は悩まされていたのだった。
と、その時。
「ローゼさん、あなたももしかして――ニンゲンだったんですか?」
「!」
カイの声が聞こえた。
スバルの数十メートル前、カフェの屋外の席で、カイと、そしてあの人が、向き合って会話をしていた。
「ぁ……」
スバルは何故か、慌ててカフェの建物の陰に隠れた。二人はいったい、何を話しているんだろう……?
するとローゼが、真剣な表情をしながらこう告白した。
「わたくしは――転生、したんです」
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て、転生……? 転生って、つまり……。
「生まれ変わったってことですか? ニンゲンから、ポケモンに?」
「ええ。一度死んで、生まれ変わったんです。記憶を引き継いだまま」
「ちょっ、ちょっとまってくださいッ!!」
僕は思わず立ち上がった。が、回りの視線が一気に僕に集中してきて、僕は慌てて座る。
「まさか……! スバルも、一度死ん……転生したんですか?」
「先程言ったじゃありませんか。スバルさんは違います。彼女は直接その体で、人間からポケモンになったのでしょう。その時に記憶喪失にもなったのでしょうね」
「ど、どうしてそんなことが言い切れるんですか!?」
スバルが……転生したのではない根拠はどこからくるんだ!
「ソオンですよ」
「え……?」
またローゼさんが僕の心を読んで、先回りして答えた。
「ソオンは、宿主が死んだら次の宿主を探すために離れるんです。ですが、スバルさんが人間からポケモンになってもまだソオンが宿っているということは、彼女は転生ではないということなのです」
「そ、そっか……!」
はぁ、なんだか酷なことにならなくてよかった……!
「ひとまずその話は右に置いておきましょう」
ローゼさんは『小さく前へ倣え』をして、それを右へと平行移動させた。『置いといて』の仕草だ。
「わたくしがなぜソオンについてここまで知っているのか、ですが。それはわたくしが人間だった頃のスバルさんに会ったからなんですね」
「ニンゲンだった頃の、スバルに……」
「わたくしがこう言うのはアレですが……美人でしたよ?」
ローゼさんはここでモモンジュースを一口。僕も思い出したように喉の乾きを感じ、カゴ茶を飲む。
「人間だった頃のスバルさんも、やはり今のように願いを叶えるという能力に翻弄されていました。そこで、わたくしはある人に頼まれたんです。『スバルをこの能力から解き放つ方法を探してほしい』、とね」
「……いったい、誰が?」
「それは質問の範囲外です。知らなくても理解に困らないでしょう?」
「……屁理屈だ」
「なんとでも。それが、わたくしとスバルさんの接点です。ソオンについて詳しいのもそのせいですよ」
「ローゼさんは、ニンゲンだった頃も、探偵だったんですか?」
「そうですねぇ、どういうわけか」
ローゼさんがそう言ったのを最後に会話が途切れた。僕はローゼさんがいつ次の説明をしてくれるか待っていたけど、彼は一向に口を開こうとしなかった。
「あの……」
「はい?」
「ローゼさんは、なぜ転生したんですか?」
「……それは質問の範囲外では?」
「いいえ。ローゼさんが転生した理由がわからないと、ポケモンになった後のスバルとあなたとの接点に説明がつかないじゃないですか。『今まで』って、この瞬間までが『今まで』でしょう?」
「……屁理屈ですね」
「なんとでも」
僕はローゼさんが先程言った台詞をそっくりそのまま返した。彼の方は深いため息で感情を表現する。
僕だって、この質問が失礼なことは承知の上だ。転生の理由を聞くことはすなわち……なぜローゼさんがなぜ死んでしまったのかを聞くことになるからだ。
でも……聞かなきゃいけない。僕には、ローゼさんが……苦しそうに見えてならないのだ。
見るからに飄々としていて、胡散臭い。だが、彼がそうなってしまったのは、そうすることでしか自身の『死』から立ち直れないのからではないか? 本当は、不安に押し潰されそうなのではないか?
だって、彼はニンゲンだった頃の記憶があるから……死の瞬間も、覚えていることになる。
「……いったい、聞いてどうしようというんです?」
彼の声が少し掠れていた。僕は複雑な気持ちになる。
「ローゼさん……」
「……いえ、質問は質問ですね。しっかりと答えるべきですか……」
彼は目を固く閉じる。その瞬間を、思い出そうとしてるのか、はたまた、思い出さないようにしてるのか。
「わたくしはね、カイ君……」
ついに彼はその目を薄く開いた。
「――殺されたんですよ」
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「え……」
殺された……? それって、つまり……。
「あ、あのッ……すいません、聞いちゃいけななかった……」
「過ぎたことです。もう割りきっていますよ」
努めて明るくそう言う彼の顔色は、お世辞にもいいとは言えなかった。
「心臓に、一発。拳銃という人間の作った醜い兵器に火を吹かれ――」
ローゼさんは左手の親指と人差し指を90度に伸ばし、僕に向け……。
「――バン。ジエンドです」
「どうして……」
どうしてローゼさんは、殺されなければいけなかったんだろう? いったい、彼が何をしたというんだろう?
「どうしてあなたは……」
「……どんな世界にも、不思議な力があればそれを悪用しようと考える輩がいるものです。ソオンの場合も、また然り」
「……まさか」
ローゼさんは、ソオンからスバルを解放する術を調べていた。悪用する側からすれば、ローゼさんは邪魔な存在。だから……。
「……わたくしは――ソオンに殺されたんでしょうかね……」
そう言うローゼさんは、恐ろしいほど落ち着いていて、無表情だった。
「そんな……そんなスバルが殺した、みたいなこと……」
「わかっています。わかっていますよ、カイ君。わたくしは、わかっています……わたくしが死んだのは、ソオンのせいでも、“願い人”のせいでもない。これは、そう……運命だったんです」
ローゼさんは見通しメガネをずらして、片手で目を覆った。
運命だった――。
そうとしか、割りきることができないのかもしれない。だがそれは、あまりに理不尽でやりきれない納得のしかただ。
「……カイ君は、怖くはないんですか」
ローゼさんは、目を覆ったままの姿勢で僕に聞いてきた。
「なにがですか?」
「ソオンは……そして願い人は――危険ですよ」
僕の中で、なにかが切れかかった。込み上げる感情を必死に押さえて聞き返す。
「……それは、スバルが危険だと、そう言いたいんですか?」
「“願い人”はそのほとんどが短命です。それはスバルさんも例外ではありません」
そんな! “願い人”が短命……!
「いいですか、カイ君。人間と言うのは、たとえ自分に危険が及ぼうとも願いが叶うソオンの甘言には勝てないんです。だから、対価に押し潰される“願い人”は短命なんです。スバルさんも、どんな願いを口にするかわからない。そして、それはすなわち――」
彼は顔から手を退け、まっすぐに僕を見た。ローゼさんの見通しメガネ越しの眼光が鋭い。これ以上彼女にとって酷なことがまだあるっていうの……?
「カイ君、あなたも危険なんです」
「……え……?」
危険……?
いったい僕の何が危険なんだ? 首をかしげる僕に、彼は衝撃の一言を放った。
「――スバルさんが、あなたや、だれかを殺めるかもしれませんよ?」
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「私が……誰かを……」
ローゼの言葉を、壁の脇でスバルは静かに聞いていた。彼女はやけに冷静だった。そして、何かよくわからない重い感情が染み渡る。
――私は……やっぱり、そういう人間なんだ……。
妙に納得する自分が、そこにいた。だからあんな悪夢を見るんだね、そういうことだったんだ、と。
そう思うと、自然と涙がこぼれた。
そう、自分はおそらく人間だったころに、“眠りの山郷”で聞いたあの声にすがって、願ってはいけないことを願ってしまったのだと。
つまり、スバルがあの声に、誰かを【殺したい】と願ってしまったのだと。
――きっと、そうだよ……。
記憶を失う前の自分は、きっと、そんなことを願ったひどい人間だったに違いない。そう思うと、涙が止まらなかった。だから、ローゼはカイにあんな警告をしたのだ。昔の自分を知る、彼だから……。
ボロボロと涙が溢れ、頬を伝った。込み上げる嗚咽を、必死に圧し殺した。
「……ぅっ……ひっく……」
――わたしっ……これからどうしたらいいの……。