第七十一話 救世主は緋色の龍
――“もう一人の僕”……ルアンは、魂だけの存在で僕の中に潜んでいることを教えてくれた。そして、波導が読めない理由も……。でも……ここからは誰の力も借りない、本当に一人での行動だ。
★
「ん……?」
ルアンが意識を潜めてから数分後。
僕の背後で複数の足音が近づいてくるのを僕は感じ取った。いったい誰だろう? 僕がそう思って振り向くより先に、背後にいる誰かが僕の肩をぽんっ、と叩いた。
ま、まさか……。
「――よぉ、坊主。迎えに来たぜぇ」
「……っ」
僕はゆっくりと振り返った。たぶんそのときの僕の顔はことごとくひきつっていたに違いない。片頬がピクピクしている。いまの自分の顔は見たくないな、ここに鏡がなくてよかった、とか場違いな考えが頭をよぎる。
僕の肩を叩いたポケモンは、赤茶色の肌に大きく長い顔、サングラスを取っても人相が全く変わらないワルビアル――。
「――さ、サスケさん……!」
「まったくなに考えてんだかね、あんたは……。こんなときにギルドを離れるなんざなぁ」
サスケさんは挨拶の意なのか、サングラスをずらしてまるっこい瞳を見せた。その後ろにはもちろんメンバーであるカガネとギンジが立っている。
「……つ、連れ戻しに来たんですか? 僕を……」
違うと信じて一応そう聞いてみた。だけど、やっぱりサスケさんはニヤリと笑って首(というか顎)を縦に振る。その笑いが僕の恐怖を掻き立てたことは言わなくてもわかっていただけるだろう。
「ギルド直々の依頼だ。あんたは“イーブル”とやらに狙われている。消される前に連れ戻せってなぁ」
「あー……あはは、そうですか……」
まずい……まずい、まずいよ!
僕は大量の冷や汗を浮かべながらひきっつたままの顔で乾いた笑い声を立てることしかできなかった。嫌だ……。まだ何もやってないうちに連れ戻されたくないよ……!
僕は無意識に肩にかけたトレジャーバッグの中に手をつっこんだ。何か! 何かない……!?
「そんじゃ坊主、帰るとしようじゃねぇか。えぇ?」
「ちょ、ちょっと待ってください……!!」
バッグの中身に手を触れる。リンゴ、オレンの実、何かのドリンクの瓶……。痛っ! 鉄のトゲに手をつっこんじゃった……!
「悪いがあんたのわがままに付き合う暇はこっちにはねえんだよ! 最悪こっちだって実力行使だ、覚悟はできてるんだろうなぁ、坊主!」
サスケさんのこの声を合図に、後ろにいたカガネとギンジがずいっ、とこちらに寄ってきた。
「ケッ、まぁそういうことだ」
「大人しく従った方が身のためっすよ」
それはないよ……! 僕は必死になってトレジャーバッグを探る。コツン……。何かツルッとして固いものが僕の手に触れた。
こ、これは……不思議玉!!
「さぁ、一緒に来いや!」
なんの不思議玉かわからないけど……これに賭けるしかない!
「お断り――」
僕はその不思議玉をバッグから素早く取り出し……。
「――しますッ!!」
地面に思いっきり投げつけた!
パリンッ!!
不思議玉が音をたてて割れた!
「なんだっ!?」
割れた不思議玉からビリビリと電気のような電流のようなものがほとばしり、ヤンキーズの三匹にまとわりついて彼らの動きを止めた! さながら彼らに帯電しているかのようだ。
「ケッ、これは……!」
「“縛り玉”っす!!」
縛り玉! 確か相手の動きを誰かの攻撃を受けるまで止める不思議玉だったっけ! これはチャンスだ! 今のうちに……!
「みなさん、すいませんっ!!」
ダッ! 僕は自身の持てる全速力でその場を後にした。
「あ、こら待ちやがれ坊主ッ!!」
背後から誰もが竦み上がるような怒声が飛んできたけど、無視して丘を降りる。目の前には鬱蒼と生い茂る森が見えた。あそこに入ってしまえば……!
走りながらふと後ろを見てみると、三匹はお互いに遠距離攻撃を繰り出して縛り玉を解こうとしていた。これは、動けるようになるのも時間の問題らしい。早めに逃げた方が良さそうだ……。
★
森の中に入ってしまったら右も左もわからない状況だった。だけど僕はがむしゃらに走るしかない。見つかったら確実に連れ戻されるだろうし、最悪の場合サスケさんから痛いげんこつを食らうかもしれないからだ。……むしろそっちの方が怖いっ!!
「はぁっ、まずっ……息が……!」
息が上がってきた……! 体力ってどうやったら上がるんだろう……! いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃ――。
ドスン!
「うわぁっ――ぶっ!?」
「おっと」
僕は何かに派手にぶつかってしまってバランスを崩したせいか顔面が地面へ激突した! いったぁッ!!
それと同時に、僕とぶつかった方から低く野太い声が聞こえた。
……というか、僕がぶつかったのって……ポケモンだったの!? ぶつかったときの感触がまるで岩だったんだ!!
僕は信じられない気持ちで声の主の姿を見上げた。
僕の前にいたのはオレンジに近い緋色の体に、首は長く、背中には立派な翼が生えている――リザードンという種族のポケモンだった!
だが、目の前にいるリザードンは、僕の記憶の中に存在するリザードンと違うところがあった。
まず目に入るのは全身に刻まれている古い傷痕だ。この人は恐らく、百戦錬磨を戦い抜いたポケモンに違いない。さらに、傷痕の目立つ皮膚の下にあるのは、肉眼で見てもわかるほどに鍛えられた固い筋肉だ。たぶん、僕はこのリザードンのお腹に思いっきり当たっちゃったんだろうけど、岩みたいな感触がしたのは……実は筋肉だったんだ!
そして、右の翼……右翼膜に、数々の傷痕の中でも一番に目立つ傷があった。何だか痛々しい……。
な、なんというか……この人……おっかない……!!
「悪かったな。大丈夫か?」
「は……はいっ! こ、こっちこそすいませんっ、ぶつかってしまって……!」
「いや、いいさ。それより……」
リザードンは言葉を切ると、遠い目をして僕の後方に視線を移した。そして、その方を指差しこう言う。
「なんか……三匹ほど誰かが近づいてきてるぞ? あんたの連れか?」
「……あ゛!」
忘れてた……!
ヤンキーズだ! もう追ってきちゃったんだ……!
「……そのは――じゃなかった、その様子を見ると、近づいてくる三匹はあんたの連れじゃないらしいな」
「はぁ。ちょっと僕、追われていまして……!」
「ふーん。敵か? なんなら俺が倒しておくが」
「あ、いやっ、敵じゃないんですっ! 味方なんですけど……いま僕は、彼らに見つかるわけにはいかなくて……!!」
「何だかわからねぇが、取りあえずピンチなわけか」
リザードンはそう言うと、腕組みをして唸る。な、何を考えているんだろうか……?
「……わかったぜ。あんたは茂みに隠れてな」
「は……はい?」
「ほら、時間がないんだよ!」
「うわぁっ!?」
リザードンは僕を軽々と掴み上げて乱暴に彼の背後の茂みへ放り込んだ! ボフン、と僕は茂みに腰を打ち付ける羽目になる。いっ……!?
そして僕が茂みに放り込まれた数秒後に、サスケさん率いるヤンキーズがリザードンの前に現れた。
「おかしいっすね、確かこっちに逃げたはずっすけど……?」
「ケッ、逃げ足の早い奴め」
サスケさんは辺りを数回見渡す。そして、彼らの前で翼を休めている(ように振る舞っている)リザードンの姿を見つけたのでサスケさんはその方に近づいた。
「そこの旦那!」
「ん? 俺のことか?」
声をかけられたリザードンは、さもヤンキーズの存在を今気づいたかのように彼らの方を見た。サスケさんは先程僕にしたように、サングラスをずらし裸眼でリザードンの姿を確認する。彼の容姿に若干目を丸くしながらも、一歩前に踏み出し口を開く。
「ここらに息を切らしたリオルを見かけなかったかい?」
「リオル?」
すでに“息を切らした”状態が僕の特徴に加えられてるの!? なんか、複雑な心境……。
「息を切らしたリオルねぇ……」
リザードンは顎の線を手でなぞりながらひとしきり考えた(素振りをした)後、フッと細く笑い……。
「しなやかな身体が特長なリオルに息切れする奴なんかいるのか?」
……完全に相手を挑発するような言い回しだ。まさか、彼はこれを狙っているのだろうか。
だが、この挑発はサスケさんにも効果があったようだ。彼はイライラしたような口調で早口に聞き返す。
「……つまり、見てねぇってことだな?」
「ああ……まぁそういうこったな」
「……そうかい。手間とらせたなぁ、旦那。――弟ども! 他を当たるぜぇ!」
「「へい、兄貴!!」」
弟二匹がお決まりのやり取りをしたあと、ヤンキーズはその場から立ち去る。
はぁ、怖かったぁ……!
「もう出てきていいぞ」
「あ、ありがとうございます……」
僕はそろそろと茂みから外へ出た。打ち付けた腰がっ、いたたたっ……!
「……」
ん?
僕がリザードンの方を向いてみると、彼は僕の姿をじぃーっと凝視していた。な、なんだろ……僕の顔に何かついてる……?
「あの、なにか……?」
「……あんた……」
「?」
「……いや、何でもない」
リザードンは僕から視線を外す。なんだったんだろう?
「あ、あのっ! 助けてくれてありがとうございました! 僕はカイです。あなたは……?」
「俺は龍打ラッシュだ」
「リュウダ、さん……?」
面白い名前……。
「ラッシュでいいぜ。よろしくな!」
リザードン――ラッシュさんが僕に握手を求めてきたので握り返す。
「それで……なんでカイはあいつらに追われてたんだ?」
「えっ? あ……そ、それは……」
ど、どうしよう……。
今の僕の複雑な境遇をどうやって説明すれば……? というか、説明してもいいいのかな……?
「……まぁ、こんなところで話すのもなんだな……。どうだ? この近くに俺の知り合いがやってるギルドがある。そこに行きながら話そうぜ」
「え、ギルド?」
この近くにビクティニのギルド以外にギルドなんかあったっけ? するとラッシュさんは、二三(にさん)翼をはためかせた。辺りの枯れ葉がふわりと舞う。そして……。
「乗れよ」
「は、はいっ?」
「俺の背に乗れって! 空を飛んで行った方が早いからな」
「……はぁ、はい……」
僕は言われるがままにラッシュさんの背に登った。いいのかなぁ、これ。
「よし、行くぜ――」
ラッシュさんが翼を大きくはためかせる。フワリ……。僕の体が一瞬重力が失ったみたいに浮かび上がった。
なんだか、成り行きだけど変なことになっちゃったなぁ……。