第九十二話 バトル!?――“爆炎”VS“槍雷” 後編
――ルテアは、今まで溜め込んでいたシャナへの鬱憤を一気に吐き出した。それを受けたシャナの反応は……?
★
「っざけんじゃねぇええッッ!!」
今までに聞いたことのない叫びが、フィールド中に轟いた。そして倒れていたシャナは、自身の肩に乗っかったルテアの両手を掴み、思いっきり横へ引き倒した!
「うわっ!」
まさかの反撃をルテアは予想していなかったせいか、彼はいとも簡単にフィールドに叩きつけられてしまった。思わず目を閉じる。
と、ルテアが再び目を開けたその眼前に、炎をまとったシャナの腕が迫っていた!
「“炎のパンチ”ッ!!」
「うぉおあッ!?」
ルテアは間一髪でその拳を避ける。彼のパンチは地面にのめり込んだ。
「……黙って聞いていれば、グダグダ好き勝手言いやがって! ああッ!?」
ルテアの表情が固まった。シャナのこんな態度は見たことがなかったからだ。
「テメェのことで、俺がどれだけ苦労したと思っていやがるこの野郎ッ!! いっつもいっつも! 勝手気ままに動きやがって俺を巻き込みやがるんだッ!!」
「……!」
「自分の気分で動いて、後のことは全部俺に丸投げッ! いつも、いつも、いつも! 俺はお前の尻拭いだッ!! そんなこと知りもしないくせにッ、テメェは俺のことを全部わかった気でいやがるッ!!」
シャナは地面に倒れたまま面食らった顔をしているルテアを掴み上げた。
「テメェは俺をネガティブだと言いやがるな! あぁ!? ある程度は認めるよ! だが、その原因のほとんどが……六割方がテメェにあるんだドアホがッ!!」
そして、シャナはそのままルテアを押し倒す。
「俺はッ……! 俺はテメェのそういうところが、大ッ嫌いなんだよッッ!!」
シ……ン。
叫び声の余韻が消えた後にも、静寂はその空間を支配していた。そして、長く長い沈黙の後、静かにルテアは呟く。
「……お前、俺のことそんな風に思ってたのかよ」
そう言われた瞬間、シャナは我に返ったようで、一瞬全身を硬直させた。
「! ……いやっ、これは……! ちがっ……!」
なにか取り返しのつかないことをしてしまった。彼の心は、激しい後悔の念でいっぱいになった。
ルテアの反応が怖かった。もしかしたら、自分の秘めていた言葉で唯一の親友が傷ついてしまったかもしれない。
「……待てっ、そうじゃない……!」
シャナは言葉をつまらせながら、ルテアに向かって必死になにか言葉を探した。ルテアの方は、先程から俯いたまま……。
「――ふっ」
「……え……?」
「ふふふ……あははは!」
なんと顔を上げたルテアは、必死に笑いを圧し殺そうとして目から涙を溜めている表情をしていたのだ。
だが、ついに耐えられずに、腹を抱えて笑いだした。
「はっははははッ! あーっははははッ! いやーッ! これは傑作だぜ!!」
「……ルテア……?」
ルテアの異常ともとれる行動に、シャナは顔をひきつらせながら恐る恐るその名を呼んだ。だが、ルテアはなおも笑いこけている。
――まさか、怒りが頂点を突破して笑いしか出ないんじゃ……。
シャナは半分本気でそう思った。
「あははは! はぁっ、はぁ……!」
ようやく笑いの波が引いたのか、ルテアは深呼吸をして落ち着き始めた。笑いの涙は、まだ目の縁にたまったままだが。
「……ど……どうしたんだよルテア……」
「いやぁ、まさかっ……お前が俺をそんなふーに思ってただなんてっ……知らなかったんだよ、ははっ」
シャナは、ルテアがもしや皮肉を言っているのかと思った。やっぱりあの笑いはそういうことか。そう思って、先程の失言をどう繕うか考えた。
次の言葉を聞くまでは。
「……なんで、もっと早く言ってくれなかったんだよ……!」
「……ぇ……?」
シャナは、自分の耳を疑った。
――まさか、今なんて? 『もっと早く』?
彼の頭の中で疑問符がワルツを踊る。
「え、え?」
「お前が、もっと早くそう言ってくれてたら……俺……」
ルテアは、先程哄笑していたときとの表情とはうって変わって、寂しそうな目でシャナを見つめていた。
「お前に迷惑かけてたって、もっと早く気づくことができたのに……!」
「……ルテア……」
親友のこんな声音も、表情も、シャナには初めてだった。彼に、そんな感情を秘めていたなんて。
「……ごめん」
ルテアは、はっきりとシャナに向かってそう言って、少し頭を垂れた。
「今まで、迷惑かけて、ごめん」
「えっ……や、やめろよ、なんだいきなり……!」
はっきり言って、ここまで素直で下からものを言うルテアは、見ていて気持ち悪かった。だからシャナは、ルテアに歩み寄ってその顔を上げるようにする。
「俺のほうこそ、あんなこと言って悪かったよ」
「あぁ、ちょっとグサッと来た」
「すまない」
「いいさ……だけど」
ルテアはしっかりと視界にシャナをとらえる。一瞬父のあの言葉がよみがえった。
――親友は、ただ一緒にいるだけが親友じゃないんだよ――。
「お前は、内に何かを秘めてるのに黙ったままだ。やっぱり、気持ちは言葉にしなきゃわかんねぇよ……。正直俺は、お前が何を考えているか時々わからねぇことがあるんだ」
シャナは、ルテアの言葉に自らを振り返ってみる。確かに、昔から言いたいことは常に我慢しているような気がした。
義理の家族のもとで暮らした日々で癖になってしまっていたのだろうか。常に他人の顔色を伺いながら、相手を傷つけないために、言いたいことを黙っていた。相手と目を合わせてしっかりと自分の考えを言ったことがなかったのだ。
いや、もしかしたら自分が傷つくのを恐れていたのだろうか。
「エルザの時も、たぶんそうだよ。あいつもお前もなんも言わない性格だった。もしあのとき、ちゃんと自分の気持ちを話していたら、あんなことには……」
「ああ……」
シャナは昔、エルザを殴ってしまったことがあった。だがエルザに、自分が殴った理由を言ったことはない。だから、エルザはあのとき、ただ単に殴られたことでさらに神経を逆撫でさせただけかもしれなかった。
「……まだ遅くねぇよ」
「!」
シャナはルテアの言葉で我に返る。
「エルザは生きていた。なら今度こそ、あいつにお前の気持ちをぶつけるべきだ」
「俺の……気持ちを……」
シャナは、彼の言葉を反芻する。ルテアの方は少し照れ臭そうな表情になった。
「俺も、手伝うからさ……」
「……ありがとう」
――俺も、エルザも、まだ変わることができるのだろうか。
シャナはそう思いながら、天井を仰いだ。
と、そのとき。
「――なぁああにやってんすかあんたらぁあああッ!!」
いきなりものすごい怒声が近づいてきた。シャナとルテアの二人は同時にその声の方を振り返る。するとそこには、怒りに沸騰して湯気すら見えそうなガーディの姿が……!
「「げっ!!」」
「絶対安静の重傷患者がこんなところでなにしてるんですかぁあああッ!!」
その正体は、ギルドの医療係である、ガーディのショウであった――。
その後、シャナとルテアはショウにこっぴどく叱られたとか、叱られなかったとか。シャナの絶対安静期間が延びたとか延びなかったとか……。
★
シャナとルテアがギルド地下一階で騒動を繰り広げた、その数日後。
コンコン、とシャナの部屋の外から控えめなノック音が響いた。ベッドの上で上半身を起こしていたシャナは、手に持っていた紙の束から目を離さずに、ただ一言だけ発した。
「開いてるぞ」
すると、ガチャリとその扉がゆっくり開かれた。そのときになって初めて、シャナは目を通していた紙から視線をはずした。
おかしい。ルテアかラゴンなら、まず扉は乱暴に開かれる。カイかスバルなら、扉を開ける前に何らかの声をかけてくる。親方なら、問答無用で窓から押し掛けてグミちゃんをその口にねじ込む。
だが、今の扉の開きかたは、その誰にも当てはまらなかったのだ。彼は視線を上げて、訪問者の正体を確認すると……。
ばさり、と手に持っていた冊子を手から滑り落とした。
「……リオ、ナ……?」
名前を呼ばれたリオナは、シャナの反応に別段取り合うわけでもなく、彼が手から滑り落とした冊子のような紙束を拾った。裏返してタイトルを見る。
「『分裂論』? なにそれ」
「……え、あぁ。ローゼさんが、なんというか……『生還祝いに』って」
「ふーん? ……はい」
「あ、ありがとう」
リオナが拾った冊子を受け取り、ぎこちない態度でページをパラパラとめくるシャナ。文字が全く頭に入ってこない。するとリオナは……。
「シャナ」
「な、なんだ」
「……さかさまよ」
「えっ」
シャナは慌てて文字列を見てみる。するとそこに書かれた足形文字たちは、リオナの言う通り逆さになっていた。その瞬間、シャナはなんだか自分が馬鹿馬鹿しくなって、『分裂論』と書かれた冊子を脇においた。それを見たリオナはクスクスと堪えきれずに笑い出す。
「……どう? 体の方は」
「もう大分いい。明日には動いても大丈夫だと」
「そう……」
リオナが最後にそう答えて会話はぷっつりと途切れてしまった。と、少しして。
「「――あの……」」
二人の話しかけるタイミングがぴったり重なった。二人はますます気まずくなって、お互いに視線をそらす。そして最初に話始めたのはリオナだった。
「ルテアから聞いたわ……五年前のこと」
シャナの表情が少し固くなった。リオナは目を伏せながらも続ける。
「私……知らなかった。あなたに、そんなことがあったなんて……」
「……」
シャナは、久しぶりに彼女の声を間近に聞いて、ふと昔のことを思い出す。
彼が彼女にフラれたのは五年前、恩師が死した少し後のことであった。
今思えば、本当に些細なことだったと思う。
その時から雑務を担当していたリオナは、ギルドに回される依頼の管理作業も行っていた。その日、リオナが管理する依頼とシャナが受けた依頼に、何かの拍子で手違いが起こってしまったのだ。だが、そこまではまだいい。問題は、シャナがその手違いを全て自分一人の責任として報告してしまったことだ。それにはリオナも当然怒りを感じた。そして言ったのだ。
――どうして、一緒に背負わせてくれないの――。
今思えば、なぜ自分はそんなことをしてしまったのか。あの行動は、当然リオナが気を悪くするはずだ。彼女を想ってやったことが、逆に彼女を傷つけることとなったのだ。
「……俺は今まで、何も言わないことが相手のためだと思っていた」
シャナは、虚空を見つめながら静かに語り始める。
「だが、それは逆に相手を傷つけることになっていた。俺が黙ると、俺が望んだ方向とは逆に物事が進んでいくんだ……」
「想いは、言葉にしなきゃ伝わらないわ」
リオナは小さいがはっきりとした口調で言う。そして、ゆっくりと彼に顔を近づける。
「だから私も……あなたの言葉を待ってる」
シャナは、リオナの言葉の意味に気づき少し顔が火照る。だが、しばらくの沈黙のあと。
「……俺は、まだ君にふさわしくない」
と、言った。
リオナの表情が曇り、何かを言おうとした。だがその前にまたシャナは言葉を紡ぐ。
「だが、全て終わったら……。五年前のことも、エルザのことも全て終わって過去を断ち切れたら……その時は、また――」
シャナは、リオナの頬に手を持っていった。彼女は、何も言わずにまっすぐ彼を見つめる。
二人は、お互いにお互いの目を見つめ合った。
「――俺と、付き合ってくれ」