ポケモンのべんごし - ポケモンのべんごし
四日目 2
 ポケモンが絡んでくると態度が強気になるマサミだが、僕が彼女に驚いたのは僕らが事務所に着いてからだった。
 普段僕らは朝ごはんと夕飯をよく抜くし、昼ご飯は大抵ラーメンで済ませるわけだから、当然冷蔵庫の中はすっからかんだ。僕のフーズなんて常備されているわけがない。しかも、事務所内はどこもかしこも散らかしっぱなしだ。どうやらこれには、マサミも呆れてものが言えなかったようだ。
 そこで彼女はなんと、ソウゴを買い物へ行かせるという暴挙に出た。マサミの静かな剣幕にひれ伏したらしいソウゴは、スーツ姿でそそくさと近くのスーパーへ行ってしまった。これには僕も乾いた笑いを浮かべるしかできない。
 ソウゴなんて、買い物が世界一似合わない男なのに。
 マサミは、買い出しで主人のいない事務所内を整理し始めた。なんというか、彼女は世話好きなのだろうか。それとも、何かをしていれば気が紛れるタチなのだろうか。
「あなたのご主人は、見かけによらず苦手なこともあるのね……」
 マサミは僕に向かってそんなことを言ってきた。見かけによらずというのはいまいちよくわからない(ニンゲンは外見で印象を刷り込みたがるから困る)が、ミオシティでは勝訴率トップを争う弁護士であるソウゴが、事務所の整理すらもできないのは確かに意外に思えるかもしれない。
 マサミは、あるべき物をあるべき場所へ――資料はや本は棚へ、脱ぎ捨てたスーツは洗濯機へ、わいて出たイトマルは僕が外へ――片付けていくうちに、事務所内は僕の記憶の中で一番清潔な状態になってしまった。彼女が来てからまだ数十分しか経っていないのに、この驚愕ビフォーアフターは一体なんなんだ。
 と、僕が密かに心を震わせていると、事務所の扉が乱暴に開かれて、レジ袋を持ったソウゴが入ってきた。心なしか先程より顔がげっそりしているように見える。そしてやはり、ソウゴにレジ袋は似合わない。
「ありがとうございます。すいません、いきなり失礼なことをしてしまって……」
 そういうマサミの声は非常に申し訳なさそうだが、その手はすでにレジ袋へのびている。それを持った彼女は、「もうすぐ食べられるからね」と小声で僕に言い、小さなコンロが取り付けられている給湯室へ消えた。その後ろで、ソウゴが応接用のソファにぐったりと座る音がした。さすがにちょっと心配になった僕がその足へすり寄ると、彼は首だけこちらの方にもたげて「寝室には近づけなかっただろうな」と、脅しに近い口調で聞いてきた。
 まさかマサミが、他人の寝室にずかずか上がり込むほど分別の無いヒトではあるまいに。それに、君の寝室は……。もし入ろうとしていたら、僕が全力で止めていたよ。
 さて、マサミの作った僕にとって久しぶりの手料理は、それはもう震えるほど美味しかった。多分、これが正常な料理なんだろうけど、それを抜きにしても美味しかった。明日からソウゴの料理は決して食べられまい。
 ちなみに、ソウゴの方も遅めの朝ごはんを作ってもらったようだ。ベーコンエッグにサラダとトーストという簡単なものだったが、黙ってモソモソしている彼の表情を見ると、改めてマサミが女神様のような存在だと僕は悟った。


 朝食も無事に食べ終えていよいよ裁判の話となると、今まで強気だったマサミもくたびれた草木のようになり、逆にソウゴは表情こそ変わらないものの、水を得たコイキングのように生き生きとし始めた。まるで“ギガドレイン”をした前と後のようだ。
 応接室のソファに向かい合った二人(と僕)、その中でまず言葉を発したのはもちろんソウゴだ。
「保釈金が支払われたとはいえ、裁判の状況が芳しくないのには変わりありません」
 このままでは下手をすると敗訴となり、自身の弁護士歴史に傷をつけかねないこの状況にも関わらず、ソウゴの態度は冷静そのものだ。僕は彼のこういうところを評価していたりする。
「というのも、理由は至極単純です。あなたの手持ちであるリオルがモンスターボールから自力で出たということも、平田氏があなたに暴力を加えたということも、決定的証拠というものに欠けるからです」
 だが、デリカシーも何もあったもんじゃない言い方は評価できない。
「宮野正美さん、あなたには事件当時の状況をもう一度思い出していただきたい。もしかしたら、まだ思い出していない部分に証拠が眠っているかもしれません。幸い、時間はまだあります」
「思い出す、ですか……」
 マサミは、声にこそは出さなかったが『そんなこと言われても』という表情をしていた。まるで自分の体を抱くように腕を組んだ妙齢の美人の様子から、事件当時の記憶がトラウマになりつつあるのがよくわかる。残念ながら、僕の横にいる弁護士はそんなことを察知できるほど敏感ではないが。
「あと、今あなたのリオルは裁判所が所有しているのですね?」
「はい、多分……」
「わかりました。それと、この後一度事件があったあなたのアパートを見せていただきたい」
「え、えぇ、構いませんけど……」
 事件があったアパート……ソウゴは多分現場を直接見て証拠を何としても押さえておきたいところなのだろう。だが、あの抜かり無い新人検察官が、いまだに現場を保存してくれているか甚だ疑問だ。もうすでに警察へ言って、部屋はきれいさっぱり事件前の状態へ戻してしまっているかもしれない。まぁソウゴなら、それでも何もしないよりは良いと言うに決まっているけど。
 それ以上言葉を発することができないマサミをよそに、ソウゴは席から立ち上がる。
「今すぐに思い出していただかなくても、今日一日あるので大丈夫でしょう。それより今は――」
 そう言って、彼はソファの背にかけたスーツに腕を通した。そして、鞄を手にとって外出の意を示す。
「――あなたのリオルから話を聞くのが先決です」
「『話を聞く』?」
 僕とマサミの頭上に疑問符が乗っかった。ソウゴはいつからポケモンと喋ることができるようになったのだろうか。すると彼は、自分が妙な失言をしてしまったかのように一瞬硬直し、咳払いをひとつ。
「今のは、比喩表現です」
 なーんだ。





 ソウゴは、僕とマサミを事務所に残したまま、リオルのモンスターボールを取りに裁判所へ出向いた。いま、リオルのボールは重要な証拠品として裁判所で管理されているため、一介の弁護士の力では返してもらえないのでは、と僕は思っていた。だが、その予想に反して彼は一時間も経たないうちに事務所へ戻ってきた……リオルの入ったモンスターボールを手に持ってね!
 一体どんな方法でソウゴがそれを手に入れたかものすごく気になるところだが、彼は僕にそんなことを考える時間を与えてくれなかった。
「では宮野正美さん、あなたのリオルから『話を聞いて』みましょうか」
 ソウゴはそう言って、彼女の目の前にモンスターボールを差し出した。しばらくその手を見つめていたマサミは、ガラス玉でも扱うような慎重な手付きでそれを手に取って、サイズ調整スイッチを押す。テニスボールほどの大きさになった状態で、真ん中の開閉スイッチを押した。
「出てきて――アイ」


 モンスターボールが開くときの独特な閃光と音――ワインのコルクを抜いたときの音に近い――が、沈黙する部屋でやけに大きく響き渡った。そして、そこから青だか黒だかわからない物体が、ビュッと弾丸のごとく……ソウゴの方へ飛んでいった! ニンゲンの動体視力では到底追い付かない速さだ、二人はその物体に気づいていない。だが。
 僕の目はごまかせやしない。
「させないよッ」
 僕は全身をバネのようにしならせて地面を蹴った。物体――リオルとソウゴの間に躍り出た僕は、額の葉っぱに力を込めて、リオルを打ち落とす。
「ぎゃッ!?」
「……ッ? フウラ!」
「アイッ!」
 上から順にリオル、やっと動体視力が追い付いたソウゴとマサミが各々叫びを上げた。ソウゴの方は、自分がリオルに攻撃されようとしていたことにも気づいたらしい。
「フウラ、大丈夫か」
 いや相棒、君は狙われているんだから僕の心配しないでちょっと後ろへ行っててよ! 気が散るから!
 と、僕がちょっと苛々し始めたとき、僕の追撃のダメージから立ち直ったらしいマサミのリオルが、ふらりと立ち上がった。
「痛い……!」
 ギロッ。リオルの赤い目が僕を威嚇するかのごとく鋭くなった。負けずに僕も唸って威嚇する。
「アイッ、落ち着いて!」「駄目だ宮野さんッ、ここはフウラに任せてくださいッ」
 アイという名前のリオルに近づこうとしたマサミを、ソウゴが肩を持って止めにかかる。……みんな、ちょっと冷静になってよ!
「またッ……またマサミをいじめにきたのッ!? マサミをいじめるオトコはみんなだいっきらいッ! わたしがマサミをまもるんだからッ!」
 アイは肩で息をしながら僕に吠える。彼女は、僕が考えているよりもずっと幼いリオルだった。
「君は何かを勘違いしているよ。ソウゴはマサミをいじめたりなんかしない」
「うそッ! あんたがそこをどかないんなら、力ずくで通って倒してやるッ!」
「……言ったね」
 まだ生まれてからそれほど年が経っていないリオルだが、彼女は確かに言った。勘違いながら、マサミをいじめるオトコ――ソウゴを、『倒す』と。
 僕は、ソウゴのガードナーだ。僕の相棒を傷つけようって言うなら、それが誰であろうとも……容赦はしない。
「悪く思わないでよ、君から虎の尾を踏んだんだ」
 僕は低くそう言って、額の葉っぱにもう一度力を溜めた。そして、彼女が動くよりも先に、その懐へ“リーフブレード”を打ち込んでやった。
「ぐわぁッ!」
 まさか僕がこの状況で、相手が反撃できるほどの手加減などをするはずがない。“リーフブレード”をもろに食らったアイは、なす術もなくそのまま目を回してその場に倒れ込んだ。

 華麗な“リーフブレード”で、リオルのアイを昏倒させた僕。マサミの介抱で何とか意識を取り戻したのはよかったんだけど、目を覚ました瞬間、彼女はなぜか号泣し始めた。
「うわぁあああッ! なんでみんなマサミとわたしをいじめるのぉッ!」
「……ちょっと落ち着いてよ」
 話が通じる僕だけではなく、ニンゲンであるマサミやソウゴも、これには閉口した。二人にはなぜアイが泣いているのかいまいちよくわからないし、もちろん僕は、泣いている幼いポケモンを宥める術なんて知るよしもない。
「みんなみんなひどいよぉ!」
 あぁ、もう勘弁して! これだから赤ん坊は!
「ねぇ、話を聞いてあげるから泣き止んでよ。マサミは、どんないじめ方をされてるの?」
「ひくっ……ぐすん、えっと、マサミは何にもしてないのに、いきなり殴ったりぶったり髪の毛つかんだり……」
 コウヘイはなかなかの策略家のようだ。髪の毛を引っ張ったって痣は残らないからね。裁判で不利にならない“いじめかた”を会得しているわけだ。
「他には?」
「……壁に押し付けたり、あと……首を絞めたときは、わたしっ……! いてもたってもいられなくなって……!」
「何だって?」
僕は、アイから発せられた言葉がにわかに信じられなくて、思わずそう強く言ってしまった。


ものかき ( 2013/11/05(火) 15:10 )