三日目 2
白熱を予感させる裁判は、証拠調べへと移った。先手を打ったのは検察側のミクだ。
「検察側は、被告人の住むアパートの大家である泉葉子氏を証人喚問します」
これが初めての裁判とは思えないほど、彼女はこの場のイニシアチブを握っているようにも見えた。陪審員も参加しているこの裁判では、場の流れを掴んで彼らにインパクトを残すことは意外に重要なことだ。彼女はその点を踏まえて、何回も裁判を傍聴してイメージトレーニングをしてきたに違いない。もしかしたら、ソウゴの出た裁判も見ていたのかもしれない。
アパートの大家であるイズミは、ふっくらと膨れた大福のような女性であった。初めて証人台に立つようで、かなり緊張している。長年箪笥の中にしまっていたらしい色褪せた無難な服を着ている。服装を決めるのになかなか時間がかかったようだ。
と、ミクが検察台から証人台の前へ『はいひーる』を鳴らす。
「では泉さん、事件があった当日の様子を教えていただけますか。あなたは被告人のいる部屋の下の階に住んでいらっしゃるから、上の階の様子はすぐにわかるでしょう」
「えぇ、まぁ……。あの日は……確か午後八時に上の階が騒がしくなったと思います。ドタバタと何かの足音と、きゃんきゃんと何かの鳴き声が響いていたので……」
「その鳴き声と言うのは?」
「リオルの鳴き声だと思います」
おっと、まさか事件当時の様子をリアルタイムで聞いているニンゲンがいたとは。ただ、たちが悪いのはこの証人が事件当時の“音”しか聞いていないことか。
「午後八時とおっしゃいましたが、やけに断定口調ですね」
「それは間違いないと思います。八時から放映している夜のドラマが始まったと同時に、喧騒が聞こえてきたので」
「なるほど。泉さんからすると、上の階の音にせっかくのドラマを邪魔されてしまったわけですね。抗議しようとは思われなかったのですか? 大家ですから、きつく言うこともできたでしょうに」
「しようと思ったんですけど……やめました」
イズミの言葉に、全員が注目を集めた。しかし、驚いている他のヒトとは逆に、ミクは我が意を得たりといった表情になる。
「なぜ、やめたのでしょう?」
「上の階の……マサミさんのリオルが鳴き声をあげてはしゃぐのはいつものことだったので」
「ほう、いつものこと?」
僕はソウゴを見た。なんだか、ミクの術中にずぶずぶと足からはまりこんでいる気がしてならない。早く手を打たなければ取り返しのつかないことになりそうだ。
「……異議あり」
ソウゴは駄目で元々、といった様子で声をあげる。
「観察側の質問が、事件当日の様子からずれています。被告人の日常生活は、事件とは関係ありません。証人から事件当時の話を聞く気がないのなら、証人喚問を取り下げていただきたい」
「いえ、裁判長! この日常の様子にこそ、事件当時の被告人の行動を裏付けるものとなるのです!」
わお、正義に満ちた叫び声がソウゴの言葉の語尾と重なった。
「弁護側の異議を却下します。検察側、続けてください」
異議の取り下げに、ソウゴの表情がカゴの実を生で食べたような渋いものとなった。
「被告人のリオルがはしゃぐのはいつものこと、とおっしゃいましたね? 詳しく聞かせていただけますか?」
「普段からマサミさんのリオルはやんちゃで、部屋の中を走り回ったり家具を壊したりしているのは日常茶飯事でした。最初は私も注意していたんですが、日が経つにつれてあまり気にしないようになってしまって……」
「被告人は、リオルが暴れることに関しては何と言っていましたか?」
いつの間にかミクの中では、『はしゃぐ』が『暴れる』に脳内変換されていたようだ。
「自分の手持ちが周りの住人たちに迷惑をかけて申し訳ないと、しきりに大家である私に謝っていました。まぁ、マサミさんは人柄がいいから、私も多目に見ていますけど」
「では被告人は、自分の手持ちが普段からやんちゃで暴れん坊だというのを自覚していたわけですね?」
そうか、ミクの狙いはこれだったのか。普段から暴れん坊なリオルを、事件当時にマサミはコウヘイへけしかけた。その悪質さを印象づけたかったのだ。
「どうでしょう。被告人がもし本当に被害者に攻撃する意思がなかったのなら、正当防衛と称してリオルを被害者にけしかけたりするでしょうか?」
まずい、風向きが検察側からの追い風になりつつある。ソウゴ、まさかこのまま何も言わずに終わるつもりじゃないだろうね。
僕がそう思った矢先、彼は反駁の意を示すかのように席から立ち上がった。
「検察側はただいま、『正当防衛と称してリオルを被害者にけしかけた』とおっしゃいましたね。ですが、『けしかけた』という部分に違和感があります」
ミクは、お手並み拝見とでも言いたげに腕を組んだ。
「事件のあった日、アポなしで家を訪れた被害者に対し、被告人はリオルをモンスターボールの中に納めるという配慮をしています。そして彼女は、その後モンスターボールには触れていない。リオルが飛び出して被害者を傷つけたのは、事故だったのです。そんなことが起こるとは、被告人は予想だにしていなかったはずでしょう」
「弁護側は、モンスターボールの開閉スイッチを押していないのに、リオルが自力でモンスターボールから出たとおっしゃいたいのですか?」
ミクは、ソウゴに鋭く言い返した。モンスターボール開閉の問題……昨日ソウゴが懸念していたポイントだ。すると彼女は、検察台の横に置かれた本を手に取る。紅白色のブックカバーがされたその本は、なんと昨日ソウゴがミオ図書館から借りたものと同じものだった!
「この本は、シルフカンパニーが発表した『モンスターボール大研究』という書籍です。その百二十八ページ五列目にこう記されています。読み上げます。『モンスターボールは、中央の開閉スイッチをトレーナーが押さない限り、ポケモンが自ら外へ出ることができない仕様となっている』」
ミクは読み終えた後、パタンと大袈裟に本を閉じた。そして、検察台に手を添える。
「リオルが自力でモンスターボールからでるという確率は、それこそ宝くじを当てるのと同じぐらいのものでしょう」
「しかしその本には、ポケモンが自力でモンスターボールからでた例も載っています。弁護側が提出した資料の三番目をご覧ください」
ソウゴの言葉の後、法廷内の至るところから、資料のページをめくる音が響いた。全員が目的のページを開いたのを見届けると、ソウゴは再び声を上げる。
「ポケモンが自力でモンスターボールからでた例は、資料にあげた数十件のみです。しかし、その理由を見てみると、その七十パーセントが『主人の危険を察知し、彼らの安全を守るために、ポケモンがモンスターボール開閉の法則を破ったものと思われる』となっています」
ソウゴはいつもと変わらぬ自信に満ちた態度で、資料から法廷に視線を移した。
「リオルは“波紋ポケモン”と呼ばれ、人間やポケモンの感情を敏感にキャッチできる特殊なポケモンです。事件当時、被告人は被害者から暴力を受けていました。その時の被告人の危機的な状況、その時被告人が無意識に発したであろうSOSの意思を、リオルがキャッチした可能性が高い。ならば、自力でモンスターボールからでた可能性も十分にあるのです」
「異議あり!」
ソウゴの隙の無いかのように思われる弁論に対し、ミクがここでまさかの異議を申し立てた。
「まず、被疑者が被告人に暴力を加えていたという、その前提がおかしいと私は思います! 果たして、被害者はいつ被告人へ暴力をふるったのですか?」
「では逆に、被疑者が被告人へ指一本触れなかったことを立証できるでしょうか」
「指一本触れなかったとまでは言いません。被害者の切羽詰まった状況を考えれば、生活費を捻出してもらえるように肩を掴んで揺らす程度のことはしたでしょう! しかし被告人は、被害者それらの行動に過剰反応をし、無意識にモンスターボールの開閉スイッチを押していたとも考えられます!」
どうだろう。ソウゴがミクの意見の隙を突く度に、ミクの方はその隙を埋めるかのように反駁する。そしていつの間にかソウゴは、不利な方へとぐいぐい誘導されていくではないか。もともとマサミの過剰防衛を覆しにくい状況だったとはいえ、まさかソウゴが、新人検察官にここまで追い詰められようとは誰が予想したのだろう。
ソウゴ本人はポーカーフェイスを気取っていたが、彼の目の前から『圧倒的不利』と書かれた壁がこちらに迫っていることは紛れもない事実。そしてその背後に断崖絶壁が待ち構えているということも、彼はしっかりと自覚しているはずだ。
ソウゴは、この状況をいったいどうするつもりだろうか。
そう思いながら僕が検察側に目を向けてみると、正面のガードナーポジションで浮遊しているムウマージが、ここぞとばかりに僕へ意地の悪い笑みを向けてきた。まるで「ざまぁみろ」とでも言いたげな、僕の感情を嫌でも逆撫でさせる笑みだ。
……相棒、この裁判絶対勝ってよね。そうじゃなきゃ、あのいけすかない天狗の鼻をポッキリへし折ってやれないじゃないか!