三日目 1
裁判の当日。マサミの弁護をするために、ソウゴは早めにミオ裁判所へと足を運んでいた。僕はガードナーとして彼に付き添うべく、すでにモンスターボールから外へ出してもらっている。
法廷内の弁護士控え室に僕らが入ろうとすると、カツカツと靴音が近づいてきた。僕の耳で聞くところによると、靴の種類は恐らく『はいひーる』と呼ばれるものだ。つまるところ、ニンゲンの女性がこちらに近づいてきているということだった。控え室のドアノブに手をかけていたソウゴは、その靴音の主が曲がり角から現れたのに気づいてその方を振り向く。
曲がり角から現れたのは、いわゆる“妙齢の美人”……というほど年は過ぎていなかったけれども、それなりの美人さんだった。真っ直ぐで確固とした目線でこちらを見ながら近づいてくる女性は、パッチリとした瞳、セミロングの栗毛に、小さく可愛らしい鼻と口をしていた。とても若い女性だ。確実にソウゴより三つぐらいは年が離れているに違いない。着ているパンツスーツはパリパリの新品もので、スーツの襟には秋霜烈日のバッジがキラリと光っていた。
あちゃ、このヒト検察官だ。
「御影宗吾弁護士ですね?」
「ええ、そうですが何か」
ソウゴは別段表情を変えずにそう返した。検察官である女性の後ろには、帽子をかたどった頭、その奥から赤く鋭く光る目に胸にはルビー色の宝玉が三つ埋め込まれている、ムウマージというポケモンが控えていた。このムウマージ……彼女のガードナーか。
「私は斎藤未来と申します。今回で初めて法廷に立たせていただきます。今日の裁判、よろしくお願いしますね!」
若い美人――ミクは、ソウゴの前で自らの右手を差し出した。どうやら彼女は新人の検察官らしい。こう言うと大袈裟だが、初めての裁判の前で敵であるソウゴに握手を求めるとは、なんと気丈なお嬢さんであろうか。そんなミクの手をまじまじと見つめながら、ソウゴは大人しく握手を返した。
「扱った事件はいくつかあるけれど、起訴をして法廷に上がるのは今回で初めてなんです。でも、初めての裁判の相手があなたでよかった! お手柔らかにお願いしますね、御影弁護士」
どうやら、この新人さんの耳にもソウゴの名は知られているらしい。ミオの弁護士といったら、やっぱりソウゴだよね。僕は新人さんの言葉に鼻を高くした。すると、ミクの手を離したソウゴはこんなことを聞く。
「あなたは、なぜこの案件を起訴しようと思ったのですか」
「え?」
まさか、初対面であるソウゴがそんな質問をしてくるとは予想だにしていなかったらしい。丸く大きな瞳を瞬かせた。
「あなたは、なぜこの案件を起訴しようと思ったのですか」
と、しばらく返事が来なかったのに焦れたソウゴが、全く同じ質問を再びミクにぶつけた。
「起訴の理由ですか? なんというか、大怪我を負った平田さんが見ていて居たたまれなかった……じゃあダメ、ですか?」
まるで自分の言っていることを信じて疑わないといった表情で、かわいらしい笑みを浮かべながら小首をかしげたミク。それを端で見ていた僕の頭上を、“正義漢”という文字が通りすぎた。ソウゴの頭上にも、恐らく同じ文字が通りすぎたに違いない。なんというか、起訴の理由を言う時の彼女の目がやけにキラキラしすぎているのが原因らしい。大方“被害者”であるコウスケの痛々しい姿を見て、即座に起訴を決意したに違いない。なんともまっすぐな検察官だ。
「ふん、あたいたちの相手になっちまうなんて、あんたも運が悪いねぇ」
と、二人の様子を見ていた僕の上から、しわがれた声が降ってきた。頭上を見ると、ムウマージが意地悪そうな笑みを浮かべている。
「あんたの相棒……ミカゲだっけ? 今回の裁判の相手がミクだなんて……ふっ、初めての裁判だけど、どうやらあんたの相棒も大したことはなさそうだねぇ」
どこに自信を貯蓄しているからって、初対面の相手に対してそんなに失礼なことが言えるんだ。しかもよりによって、僕の相棒を侮辱するとは。
「ガードナーの先輩に対して、ずいぶんなご挨拶じゃないか」
「あたいもミクも、今日が初めてのガードナーと検察官だからって侮ってもらっちゃ困るよ。ミクなんか、研修時代の成績も常にトップさ!」
「はぁ。ま、スーツがあんなにパリパリなんだ。君も、君の相棒も、そのスーツみたいにパリパリで、型にはめたような感じなんだろうね」
「なッ、あんた、そりゃどういう意味さ!」
「さぁ? 言ったような意味だけど」
「このッ」
「おっと」
ムウマージがこちらに迫ってきそうな気がしたので、僕は大袈裟に右前足を挙げて彼女を制した。
「こんなところで攻撃なんかしたらガードナー失格さ。基本でしょ?わかるよね、成績優秀な相棒のガードナーである君なら」
「ぐっ、ぬぬぬ」
ムウマージが悔しそうにしている。いい気味だ。やっぱり新参者にはみんなこんな感じでお灸をすえておかなきゃね。僕が密かに満足げな表情をしていると、「行くぞフウラ」とソウゴが言ったので、僕は悔しがるムウマージを尻目に控え室へ悠々と入った。覚えておきなよ、とかなんだかそういった意味合いの声が聞こえた気がしたけど、華麗に無視してやった。
★
控え室でちょっとした準備をした後、今回の事件の被告人となるマサミと最後の打ち合わせを行った。まぁ、特筆するような事柄でもなかったのでその内容は省かせてもらう。マサミの様子はというと、裁判の直前だというのに拘置所にいたときと大差なく、緊張した様子もない。つくづくよくわからない女性だ。自分のことには無関心で、被疑者に仕立てられても、あまり弁護してもらいたいという態度もない。かと思いきや、リオルのことになるといきなり目に生気を宿す。まぁ、そういうところはソウゴに似ていなくもないから、僕は彼女を嫌いではないのだけれども。
そんなことを考えているうちに、最後の打ち合わせが終わってソウゴが席から立ち上がった。
「では、行きましょうか」
法廷の傍聴席には、まばらではあるが傍聴人が裁判の開始を待っていた。厳かな雰囲気の中、ソウゴはリラックスした様子で弁護台に立ち、僕はその横に大人しく座る。と、僕らの向かいの検察官側に、あの気丈な新人検察官・ミクと、礼儀を知らないガードナーが入ってきた。ミクは、初めての裁判に気合い十分のようだ。肩に力が入っているのが遠目からでもよくわかる。彼女の隣で浮遊しているムウマージの視線は気に入らなかったが、ここは法廷なので平常心を保つことにする。
最後に、被告人であるマサミが、二人の警察官に挟まれながら入ってきた。裁判長が傍聴席に起立するよう促す。
そしてついに、裁判の開始が宣告された。
ミオシティでの裁判は基本的に陪審制度である。裁判長のほかに数名の陪審員が、被告人の刑がどれほどであるかを最終的に決めることができる。
人定質問はスムーズに流された。ミヤノマサミ、二十九歳、逮捕時の罪名は“過剰防衛”。余談だが、マサミはソウゴより二つ年上だった。
続いて、検察側のミクが起訴状朗読を始めた。
「被告人である宮野正美は、被害者である平田浩介と離婚しており、事件当日には被害者の生活費のことで議論していました。したがって、そのいたって正常な状況に本来ならポケモンが介入する必要性はなかったはずです」
ミクの起訴状はいかにも被害者がかわいそうに聞こえるように、ちょっとした“脚色”がなされているようだ。ソウゴは静かに目を閉じながらそれに耳を傾けている。彼女は、ハキハキとしいてむしろ耳障りではないかというほどの声でこう続けた。
「にも関わらず被告人は、被害者の態度に対し『暴力を受けた』と過剰に反応し、手持ちのポケモンを使って被害者に対して肉体的、精神的に多大なるダメージを与えました。以上の点から、今回の被告人の行動を非常に悪質なものであると判断し、検察側は被告人に、五年以上の懲役を求刑します」
五年以上の懲役。この単語には僕も、目をつぶっていたソウゴもまぶたを薄く開いて反応した。ちょいとミクさん、持ち前の正義感を振りかざしすぎなんじゃないのかい? 懲役といえば、長さの差はあれど六つの主刑の中では二番目に厳しいものだ。マサミは、そこまで重い罪を犯したのだろうか。
『はいひーる』の音を響かせて、ミクは検察側の席へ戻った。その後、裁判長が黙秘権告知をして、ついにソウゴの出番だ。
「では次に、弁護側の意見陳述……御影弁護士、お願いします」
裁判長の声に、ソウゴは目を開いて立ち上がった。手元に置かれた資料を広げる。彼の息を吸う音が僕の耳にはっきりと聞こえてくる。
「意見陳述の前に、検察側の起訴状には些細な誤りがあることを指摘しておきます。被告人と被害者との間には、本当に正常な議論がなされていたでしょうか。被告人の調書によれば、被告人は被害者から暴力を受けていたと主張しています。それが果たして正常な状況であったか、よく考えていただきたい」
ソウゴはそこまで言うと、資料のページをめくって唇を湿らせた。
「弁護側は、被告人がポケモンを使って被害者にダメージを与え、それが悪質な行動と述べていました。しかし、被告人が被害者から暴力を受けていたのであれば、被告人の手持ち――“波紋ポケモン”であるリオルが、被告人の危機を敏感にキャッチし、攻撃に至ったのにも納得がいきます」
立石に水を流したように喋るソウゴの視線は、真っ直ぐ検察側のミクの方へ注がれていた。
「よって、被告人は自らのを見守るために、やむおえず手持ちに攻撃を任せるに至ったので、これは過剰防衛ではなく、正当防衛です」
正当防衛の文字がソウゴの口から力強く放たれた途端、彼女の丸いくりくりとした瞳が三日月のように細くなった。どうやらそれがミクの闘争心に火をつけたようだ。いや。むしろ先に、ソウゴの闘争心に火をつけてしまったのはあちらだったのかもしれない。
「弁護側は……被告人が正当防衛であることを主張します」
お互いがお互いの着火材に火をつけ終えた。後は飛び散る火花が、お互いの真ん中で衝突し合うのみ。
今回の裁判、はからずもかなり白熱しそうな模様である。