二日目
自らの法律事務所を構えるのに、ソウゴがミオシティを選んだの理由は主に二つある。一つ、ミオシティが貿易の街だということ。海に面しているミオシティは、他の地方への連絡船が多く運航していて、カントー、ホウエン、ジョウトのみならず、イッシュやカロスといった海外からの物質やヒトの往来が盛んだ。僕も暮らしていて楽しいし、ソウゴは情報収集がしやすいと嬉しがっていた。
二つ目はこの前にちらりと言ったけど、ミオシティの西にあるシンオウ最大の図書館であるミオ図書館があることだ。このミオ図書館は網羅している文献の量が半端じゃない。一般的に取り扱っている本のみならず、歴史的価値の高い古代文書から昨日の新聞まで、この世のすべての本がここにあると言っても過言ではない。ソウゴは今まで、このミオ図書館で様々な事件の資料を集めて、裁判に挑んできた。そして、この事件の時も例外なくミオ図書館にお世話になるつもりでいるらしい。
マサミとの面会から一夜明けた今日、僕とソウゴはミオ図書館にいた。ここでは基本的に、ポケモンはモンスターボールから出ることができない。ポケモンの鋭い爪と牙が、貴重な本を引き裂いてしまわないようにという配慮だ。なので、僕はモンスターボールの中で相棒の様子を見守っていた。
ソウゴは、受付の司書に数日間の新聞を出してもらうように頼んだ後、自身は研究書のエリアへ向かった。ん、研究書エリア? ソウゴは、どうしてそんなところへ向かったんだろう。しばらくソウゴは、本棚にところ狭しと並べられた本の背表紙を見つめていた。そして彼は、モンスターボールをイメージした紅白のカバーの研究書を本棚から抜き出した。なかなか斬新なデザインの本だ。だが、ニンゲンの言葉で書かれてあるから、タイトルがなんなのかは僕にはわからない。あの本は一体なんだろう、裁判に必要なものかな。持ち前の好奇心を掻き立てられた僕は、モンスターボールをカタカタと揺らして外へ出すようにせがんだけど、ソウゴは一向に取り合ってくれなかった。ここは図書館だというのを忘れたわけではないけど、なんだか面白くなかった。
図書館で調べるだけ調べて必要な資料を手に入れた後、ソウゴはそのまま事務所近くのラーメン屋台へ寄った。シンオウと言えばラーメンだ。雪の多いこの地域、暖かい名物が一つや二つ出来るのは必然と言えよう。
「お、また来たのかい弁護士さん」
暖簾をくぐったソウゴの姿を見た店主は少々、というかかなり呆れた口調で彼に言った。白い職人服に白い楕円形の帽子を被った、生粋のラーメン職人らしい店主は、手に持った湯切りを持ったままこう続ける。
「いや、店主であるおっちゃんがこう言うのもなんだけどね、君そんなにラーメン食べてて大丈夫? 他の料理食べてる? 野菜足りてる?」
「塩ラーメン二つ。ひとつはポケモン用で」
「あいよ。……いやいや、君もしかして自炊できなかったりする? そんなにさ、頻繁にこられたらおっちゃん心配になっちゃうよ……」
確かに、僕は塩ラーメンが好きだけど、こんなに頻繁に食べていると今にもブクブク肥えそうで怖いや。ソウゴはいつになったら自炊ができるようになるんだろうか。いや、できなくてもいいから、せめて助手でも嫁でも家政婦でも、定時に料理を作ってくれるヒトが欲しい。
そんな僕のささやかな願いを知るよしもない当の本人は、僕をモンスターボールから出した後、図書館で借りてきた例のモンスターボール色の研究書を読み耽っていた。店主がこんなに店主らしからぬ心配をしているんだから、何か一言声をかければいいのに。本当に自分のことには無頓着なんだから。
「ん? なになに、『モンスターボール大研究』? 何でそんなもの読んでるの、弁護士さん」
店主は、ソウゴが裁判に関連の無さそうな文献を読んでいるのが珍しかったのか、塩ラーメンを僕らの前に置きながらそう尋ねた。店主の問いに、ソウゴはしばらく目をあらぬ方向に向けて考えに耽っていた。僕はその間に、目の前に置かれた塩ラーメンの匂いを堪能する。僕のために、食べやすい皿に置かれた塩ラーメンは、早く食べてくれと僕に訴えているようだ。僕だって早く食べたいけど、ソウゴが良しというまで食べられないんだ。すると、彼はかける言葉が見つかったのか、再び目線を店主に戻す。
「おやっさんは何かポケモンを持っているのか?」
「えぇ? うんまぁ、持ってるよ。ここいらでは珍しい、コジョフーっつうポケモンさ」
そういう店主の口調はどことなく自慢げだ。コジョフーと言ったら、確かイッシュ地方のポケモンだったっけ。なるほど、外見を思い出してみるとラーメンの店主にぴったりのポケモンじゃないか。
「じゃあ、そのコジョフー……ひとりでにモンスターボールからでたことは?」
「はいぃ!? いやいや、無いよそんなこと。あんただって知ってるでしょ、弁護士さん。ポケモンは、トレーナーがモンスターボールの開閉スイッチを押さないと出られないことぐらい」
「そりゃな」
ソウゴは、まるで店主にそう言われるのを予想していたかのように間を入れずそう返した。嫌味のようだが、本人はいたって真面目な表情で、開いた本のページを店主に見せる。
「この本にも、そのような内容が書かれている。『モンスターボールは、中央の開閉スイッチをトレーナーが押さない限り、ポケモンが自ら外へ出ることができない仕様となっている。なお、トレーナーがスイッチを押した数分間は、ポケモンも自らのタイミングで外へ出ることが可能である』」
ソウゴがそこまで読み上げると、まだ店主がそのページを見ていないのにも関わらず、その研究書を閉じた。塩ラーメンから上がった湯気がふわりと揺れる。
「一応、開閉スイッチを押さずにポケモンが出た例は皆無ではないが、シルフカンパニーの調べでは全国で数十件に満たないらしい。となると……」
ソウゴは本格的に思索モードに入っている。僕はもうお腹と背中がくっつきそうなんだけど。
「宮野正美は、エプロンの中に入れていたモンスターボールがひとりでに開いたと言っている。だが、リオルがモンスターボールの法則を破って外に出ることは天文学的な確率だ。検察側はそこを突いてくる。今回の裁判はなかなか厄介だな……」
と、ここでため息をひとつ。すると店主は、呆れ返った顔で胡椒をソウゴの前に置いて、
「何でもいいけど、弁護士さん。赤の他人にそんなこと言っちゃっていいの?」
と言った。
何でもいいけど弁護士さん。塩ラーメンの麺が伸びてるから早く食べようよ。
★
いきなりだけど、僕が生まれる前に起こったとある事件の話をする。
二十年ほど前、その事件は法廷の中で起こった。裁判の内容は、とある暴力団体の頭領の刑量を決めるというもの。さすがに名を連ねた暴力団体というだけあって、その頭領がどんなニンゲンか、どれだけ重い刑になるのか、その興味から傍聴席は抽選となるぐらいの人気ぶりであったとか。
裁判は順調に進んでいるはずだった。検察側は、今まで被告人が行ってきた暴挙の数々を列挙し、重い処罰を加えるべきだと主張した。一方の弁護士は、弁護対象の有罪は避けられぬものであったが、どうにか罪を軽くしようと弁護に尽くしていた。
しかし、裁判が始まってから一時間四十五分と十三秒後、その事件は起きた。傍聴席の前二列目、左五列目の席。そこに座っていたニンゲンが、いきなり立ち上がった。ほんの数秒間の出来事であったという。立ち上がった男の手に持ったハイパーボールが閃光を散らした。まばゆい光にその場にいた全ての傍聴席、法廷内が眩しさに目をつぶっているなか、弁護台の方角から異様な叫び声が響いた。閃光が収まってみると、法廷内は異様な光景に包まれていたという。弁護台で弁舌をふるっていたはずの弁護士は、馬乗りになった何者かの下敷きになっている。橙色の体に、白い鬣と首回りの体毛と尻尾――ウィンディという名のポケモンの狂暴な牙は、弁護士の喉元を正確に“噛み砕い”ていた。大混乱に陥った裁判は、即座に閉廷。ニンゲンの警備員では歯が立たなかったウィンディは、傍聴席にいたとあるトレーナーのポケモンによって捕縛された。ウィンディを放った傍聴席B−5のニンゲンは、事件から約五分後に現行犯逮捕されるも、身柄送検中に逃走。二十年経った今も行方不明だ。後
に、暴力団体の一員であることが判明したが、頭領は一連の事件の関与を否定している。 ウィンディの牙を受けた弁護士は即死し、ウィンディは裁判所の決定により殺処分となった。
なお、その事件の傍聴席には当時七歳だった弁護士の子供がいたが、それを知るのは一部のニンゲンとポケモンだけだ。
この一連の事件は、ハイパーボールの閃光が放たれた間に起こった事件ということで、“閃光事件”と名がついた。この事件は、法曹界でも片指にはいるほどの凶悪事件として知られている。
この事件を受け、裁判所はとある制度を導入した。“ガードナー制度”と呼ばれるこの制度は、弁護士・検察官・裁判官それぞれに、裁判中、法廷に収まる規定のポケモンをボディガードとして側に置く制度だ。“ガードナー”とはつまり、弁護士らを守るボディガードポケモンのことを指す。ガードナーは開廷中、不審なポケモンに主人が襲われないように目を光らせ、もしそういうことが起きたときに攻撃する権利が与えられる。ただし、必要時以外に勝手な行動をとると、国家資格剥奪などの厳しい処分が待っている。だから、ガードナーとなるためには弁護士になるのと同じように、資格を取る必要があるんだ。
僕は、その資格をずいぶんと前に手にいれて、今はソウゴのガードナーとして、いつも彼の傍らについている。
ソウゴは今日もよく寝付けないらしい。
事務所に戻ってきたソウゴは、着替えもせずに寝室の『べっど』へダイブした。かと思うと、深夜にいきなりむっくりと起き出して、しばらく『べっど』の上で呆ける。そして、寝られないと判断すると『ですく』に移動して本や資料を読み耽る。そうやって本の世界に集中していると、いつの間にやら体に鱗を纏った状態で、うつらうつら船を漕ぎ始めるんだ。そして、朝になると昨日と全く同じ姿勢のソウゴがそこにいたりする。もうずいぶんと前からこのサイクルが延々と繰り返されていて、それをポケモンである僕にはどしてあげることもできない。ただソウゴの側に寄って一声鳴くぐらいしかできなかった。
何か、彼を変える決定的なことでも起きればなぁ。そんな淡い期待をすることもあったけど、結局今回もこのサイクルのまま裁判を迎えることとなった。