ポケモンのべんごし
一日目 2
 マサミが事件の説明を始めたのはいいのだけど、なにぶん彼女はヌケニンの背中を覗いた後のような、心ここにあらずなしゃべり方だった。もし彼女の台詞をそのまま引用してしまうと句読点だらけの文章になるだろう。調書を書いたヒトはずいぶんと文の整理に苦労したに違いない。
 マサミの話を僕なりに整理するとこうだ。
 ミオシティの住宅街に住むマサミは、いわゆる『ばついち』らしかった。僕にはいまいち理解がしづらいけど、つまり一度『けっこん』して、また『りこん』したヒトのことを言うんだよね。『りこん』した相手は平田浩介(ひらたこうすけ)という名前の男で、二年ほど前に『りこんとどけ』を出し、二人で住んでいた部屋はマサミが譲り受けている。幸い子供はいない。
 コウスケは、別居してしばらくすると時折マサミの家に訪ね、生活費を求めた。彼の言い分は「そっちは住んでいた家をそのまま引き継いで住んでいるが、こっちは家を探さなければならないので生活費が余計にかかる」というもの。最初はコウスケもやんわりとした口調で、頼み方も低姿勢だった。しかし、頼めばマサミが生活費を出してくれるのに味をしめたらしく、段々と態度も金額もエスカレートしていった。手を上げることもあったとか。
 そして、事件が起こったのは四日前の夜。その日も、当初よりずいぶんと態度が豹変したコウスケが、マサミの家に上がり込んだ。マサミには子供はいないが、ポケモンが一匹、一緒に暮らしている。波紋ポケモンのリオルという種族だ。コウスケが上がり込んだその日、マサミはリオルをモンスターボールの中に納めていたという。リオルは他人の感情を敏感にキャッチできるポケモンであり、コウスケから悪い影響を受けることを懸念しての処置らしい。リオルをモンスターボールに入れた状態で、マサミはコウスケを部屋にあげた。しかし、生活費を出すことには断固拒否したという。毎日のように生活費と称して金をせがむコウスケのせいで、懐も悲鳴をあげている。これ以上の出資は不可能だった。と、これを聞いたコウスケはなんの前触れもなしにマサミに平手を食らわせた。
 僕もソウゴもびっくりだ。表情には出さなかったが、ソウゴの眉がピクッと反応している。
 話を戻そう。平手に始まったコウスケの暴力は、マサミに精神的ショックを負わせるには十分だったようだ。その様子を話すマサミは人形のようで、なるべくその時のことを思い出さないように努めていることは、僕が見ても明らかだった。彼女のために、その後コウスケがどんなことをしたか、ここには明らかにしない。
 とにかく、事件が起こるのはその後だ。コウスケがマサミに暴力を加えていたら、いきなりマサミのエプロンのポケットがガタガタ震えた。そして、身動きがとれないマサミの目の前でポケットが光ったかと思うと、コウスケの体がくの字に曲がったという。マサミは何があったかわからなかった。だが、身動きがとれるようになってしばらく茫然としていた彼女が、ふと正気を取り戻してコウスケの方を見てみると、何やら青い何かが彼の回りを動き回っている。リオルだ、そう気づいたときにはマサミも事の重大さに気がついた。慌てて興奮しているリオルを宥め、コウスケの方を見てみる。彼は壁に大の字で寄りかかってピクリともしない。
 その時になって気づいた。先程エプロンのポケットが光ったときに、リオルがモンスターボールから飛び出して、コウスケを滅茶苦茶に攻撃したのだと。
 マサミは救急車を呼んで、コウスケを病院へと送った。彼は辛うじて生きてはいたが、肋骨を複雑骨折、打撲が五ヶ所、脳震とう……等、全治六ヶ月以上の重症患者となった。リオルは身長が七十センチしか満たないが、そのバイタリティは半端ではないから、死ななかっただけマシだと僕は思う。それはともかく、マサミはコウスケの告訴により、過剰防衛の疑いで逮捕されて今に至る……。

「……過剰防衛」
 話を聞き終わったソウゴは、肘を机に置いて手を組み、顎をその上に乗せた。そして、ボソリと一言そうとだけ言った。恐らくソウゴはこんなことを考えている。本来なら裁かれるべきは暴力を加えたコウスケのはずだ。ただ、彼がマサミに暴力を加えた断固とした証拠があれば、という条件付きだが。とにかく、コウスケはコウスケで、暴力については別の裁判で裁かれるだろう。
「あの……御影、弁護士」
 と、マサミがはじめて自分からソウゴに声をかけた。そして彼女は、いわゆるタートルネックと呼ばれる服の首もとをしきりにいじりながら、こんなことを言う。
「私のリオルは……罪に問われるんでしょうか」
「……はい?」
 思わず、僕とソウゴは目を見合わせた。マサミの声は掠れていて非常に切実なのは、個人的に感心だけど、質問の内容は利口ではない。
「あなたのリオル……というより、全てのポケモンはどれだけ犯罪に関わっていようと罪に問われることはあり得ません」
「なぜ……ですか?」
「簡単です」
 ソウゴは、スーツの襟を正す。そしてさらりと一言。
「ポケモンは、“物”ですから」
 と、言った。
「……えっ?」
 今度はマサミが驚く番だった。我が耳を疑うように、精気のない目をぱちくりとさせる。
「法の世界で、ポケモンは物扱い……ポケモンを犯罪に使ったら、それは“凶器”になり、人がポケモンを殺せば、それは“器物破損”になります」
ポケモンがモンスターボールに収まるようになってから、僕らポケモンは法的に“物”として扱われることとなった。ポケモンを収容するモンスターボールが道具だからだとか、それによって持ち運びが便利になったからだとか……その理由は様々だ。野生のポケモンの場合は、また勝手が異なる。中には、ポケモンの待遇を見直すべきだと言う一部の団体も存在するが、腹の立つことに、僕らは凶器と同等の扱いしか受けられないのが現状だ。
「勘違いしないでいただきたい。罪に問われるのはリオルではなく、あなたです。被告人はあなただということを自覚してください」
 ソウゴの目が鋭くなった。どうやら、マサミの態度にいい印象を持っていない様子だ。無気力と言うか、受動態と言うか……話し方もソウゴとは正反対だし、二人は相性が悪いのかもしれない。
「事件のことは大体わかりました。ただ、質問をいくつかさせてください」
 ソウゴは『ろくおんき』の画面をちらりと覗いた。電池残量はまだ二本立っている。
「あなたは、リオルが入ったモンスターボールをエプロンのポケットに入れていた。間違いありませんね」
マサミは、ぎこちなく首を縦に振った。
「では、リオルがモンスターボールから飛び出る瞬間、あなたはモンスターボールに一切触れていませんか?」
「……はい。でも、何でそんなことを……?」
「いえ、気になっただけで深い理由はありません」
 ソウゴがあまりにもあっさりしすぎていて、もしかしたらマサミもいい思いをしていないかもしれない。それぐらい今のソウゴの話し方はつれなかった。
「もうひとつ、重要な質問をします」
 と、今までで一番真剣な声で彼が、マサミに迫る。
「あなたは、自らが犯したことを、“過剰防衛”だと思っていますか?」
ソウゴの質問に、マサミは一瞬だけ沈黙してそしてすぐに困ったように顔を歪めた。
「それは、どういう……?」
「あなたの話を聞いている限り、私はあなたの行動を過剰防衛だとは思いません。正当防衛でも十分に通ります」
 裁判では、正当防衛は罪にはならないが、過剰防衛は罪に問われる。この二つは呼び名こそ似ているが、無罪か有罪かに分かれる境界線の手前側と向こう側にあるのだ。
「あなたが正当防衛を主張するのなら、私は無実を証明することに努めましょう。もし、過剰防衛を認めるのなら、あなたの罪が軽くなるように努めます。決めるのは、あなたです。ただ――」
 ソウゴはここで一旦言葉を区切る。そして、眉間を指でつまんだまま、疲れたように続ける。
「――あなたが有罪になり刑務所に行くことになった場合、事件に関わったあなたのリオルは、処分されるかもしれません」
「処分……!?」
 ガラス越しに、マサミの声が僕の耳を震わせた。驚いた、そんなに大きい声が出たんだ。
「処分って、どういうことですか」
「文字通りの意味です。法的には“物”であるポケモンも、生き物ですから。自らの意志で犯罪に荷担したなら、裁判所は野放しにしないでしょう。最悪、殺処分になります」
「殺処分……」
 僕の目には、ソウゴの話を聞いたマサミの瞳に、少し生気が宿ったように見えた。
「私は……」
 そう、だから彼女の選択は、耳を塞いでいてもどちらかなど明らかであった。
「私は……正当防衛を、主張します。私も、リオルも、あの人を傷つけようなんて意思はありませんでした」
 思うに、彼女の評価すべき点はこういうところかもしれない。いや、逆にソウゴはマサミの性格を知っていて、彼女に選択を誘導したのではないだろうか。
 ――俺は、ポケモンの弁護士だ――。
 ふと僕は、ソウゴがずいぶんと前に言った言葉を思い出した。その時の相棒は、この法曹界で自らを貫く、確固たる覚悟に満ちていた。
 そして、それは今も変わらない。
「わかりました」
ソウゴは『ろくおんき』のスイッチを切る。広げていた資料や調書を鞄の中にしまい、その場に立ち上がった。
「あなたのその言葉を信じます。私は、勝てる裁判に負けることが一番嫌いです。ですからこの裁判、必ず勝てるようにベストを尽くしましょう」


ものかき ( 2013/10/31(木) 16:09 )