明けない夜の始まり〜Side:レン〜
ヴォイド。裏世界。魂唱師。追い求めていた噂の真実を知ってから、大体1ヶ月が過ぎた。
夏休みの間は、大学の課題を終わらせるのと並行して、命の恩人であるクロスの指導の下、自らに目覚めた力『魂唱』を使いこなすための特訓を重ねた。その結果、なんとかクロスから及第点をもらい、今では小さなヴォイドなら一人で倒せるようになっている。
「さて、俺から教えることは、実はもうない。お前はもう一人前の魂唱師だ」
夏休みが明けてからしばらくして、クロスが私の家のリビングでくつろぎながら言う。私は大学の課題が映るパソコンから目を逸らさずに答える。
「え、そうなの?だったらあんた、何でここにいるのよ」
「これからもお前の力が必要だから、かな」
数秒の沈黙。次に口を開いたのはクロスだった。
「……言っておくが、変な意味じゃないぞ」
「わかっているわよ、そんなこと。これでしょ、あんたが気になっているのは」
そう言って私が開くのは、セイリュウ最大手のニュースサイト。一番上の大きな見出しをクリックし、クロスに見せる。
タイトルは『連続失踪事件、未だ解決の目途は立たず』。記事を読むクロスの顔は、徐々に真面目なものに変わっていく。
「そうそう、これこれ。ポケモンが何人も消えているのに、これといって有力な証拠が何一つ出てこない。おかしいだろ、これ」
「そうね、確かにおかしい。でも、それだけで裏世界に紐づけるのは短絡的だと思わない?」
口ではそう言ってみたが、私もまた、この事件にはあの異世界が絡んでいるとにらんでいる。突然前触れもなくいなくなる、それだけならまだ誘拐や家出などで説明できる。だが、今回のこれには疑われている集団も、何かしらの書置きも、とにかく何一つ見つかっていない。
それに、行方不明になっている人数もまた不可解だ。今日までにいなくなったポケモンは既に20人を超えている。普通なら手がかりか何かが見つかっていてもおかしくはない。
「いや、俺は裏世界が現実に何かしらの影響を与えていると思う。今夜はちょうど新月だ、調査を手伝ってほしい」
思った通りのことを言うクロスに、私はニュースサイトのタブを閉じながら答えた。
「はいはい、そんなことだろうと思ってましたよ。どのみち今日はヴォイド狩りに行くって決めていたし」
「決まりだな。よし、午前0時の5分前に繁華街中央広場に集合だ」
軽食と仮眠をとり、約束の時間。私が来るのと同時に、向こう側からクロスが走ってくるのが見えた。
「悪い、待たせたか?」
「全然待ってない。私もちょうど今来たから。時間もちょうどいい頃合いね」
腕時計を見る。見た瞬間に1分進んで、午後23時56分。このまま無言でいるのもなんとなく居心地が悪い。何か会話に発展しそうな話題はなかっただろうか。
「そういえば、クロスが魂唱に目覚めたのって、いつだったの?」
「ああ、その話か……そういえばしたことなかったな」
クロスが空を見上げて話し出す。
「お前と同じぐらいの頃、道に迷ってたところをヴォイドに襲われたのがきっかけだな。その時、居酒屋の店主をやってたユキノオーが助けに入ってくれて、後から聞いたらその人はベテランの魂唱師だった。そこからその人に弟子入りして、戦い方とかいろいろ教えてもらって……要はお前と同じようなもんさ」
「ふーん。その人は今どうしてるの?」
その問いへの答えは返ってこなかった。問いかけたまさにその時、事前に私がセットしておいたアラームが鳴ったからだ。
「……話は今度になりそうね。浸食が始まる」
「ああ、もうそんな時間か」
携帯から目を離し、空を見上げる。1カ月前のあの日のように、夜空に輝いていた星が消えていく。ものの数秒で、空には何もなくなってしまった。
「んじゃ、調査を始めるとします……か……?」
クロスが歩き出すが、数歩もしないうちに足を止める。その理由は私にもすぐにわかった。
「……何、これ。ヴォイドの気配が、そこら中から……!」
「……ったく、面倒なことになりやがった。そういや、今日はちょうどその周期だったか」
「周期?」
今回の裏世界の浸食は、どうやら何かが違うらしい。クロスは振り返ると、真剣な顔で私に告げた。
「今夜から始まるんだ……『無明永夜(エターナルリバース)』が」
そもそも、裏世界とは何か。裏世界、それは新月の夜の午前0時から午前6時までの間、私たちが住む世界、つまり現実世界を浸食して現れる異世界だ。内部にはヴォイドをはじめとする異形の存在が跋扈し、上に物が落ちたり、重力がめちゃくちゃになったりと、現実世界の法則を無視した現象が次々に起こる。
裏世界と現実世界との境界は非常に曖昧で、私のように何も知らない一般ポケモンが迷い込んでしまうことも少なくない。そうした不運なポケモンは、大抵の場合ヴォイドに魂を喰われて死んでしまう。それを防ぎ、無事に現実へ送り返すのも、魂唱師の大切な役目。私がクロスから教わったのは、その程度だ。今クロスが言った『無明永夜』なんて単語は聞いたことがない。
「何よ、その『無明永夜』って?」
「普通、裏世界の浸食は一晩で終わるだろう?『無明永夜』になると、その浸食が朝になっても、次の晩になっても、とにかくずっと続く。文字通り、明けることの無い永遠の夜さ」
「ちょっと、それって面倒の一言で片づけていい問題なの?それって、ヴォイドがポケモンたちを襲いやすくなるってことじゃない」
思わず突っ込んだ私を、クロスは片手を挙げて制する。
「まあ待て、解決する方法はある。無明永夜の中心地には、核となる『深淵の扉(アビスゲート)』がある。それに魂唱の力で鍵をかければ、無明永夜は終わる」
そこまで言って、クロスはやれやれと肩をすくめた。
「……当初の目的とは違うが、とりあえず無明永夜をどうにかしないと始まらない。さっさと行こうか」
そう言ってクロスは歩き出し、私もそれに続く。明けない夜、その中心を目指して。