胎動する物語
〜五聖歴30年7月31日 セイリュウ第四大学 オカルト研究サークル部室内〜
「だ!か!ら!」
静かな部室に、ダン!と大きな音が響く。困ったような笑いを浮かべるサークル代表の目の前で、私――マフォクシーのレン――が机に両手を叩きつけた音だった。
「こんなに興味深い目撃情報があるのに、なんで動こうとしないんです!?」
「落ち着き給えよ、レン君。ほら、飴ちゃんをあげよう。君の好きなレモン味だ」
代表が傍にあるお菓子箱をつるのムチで探り、レモン味の飴を五つほど私の眼前に差し出してくる。一応受け取り、その内の一つの包装を剥いで口に放り込んでおく。甘味で思考に冷静さを取り戻し、一呼吸おいて私は言った。
「……わかりました、全員での行動はなしにしましょう。そうなったら私一人でも調査しますが。そこら辺、代表個人の考えとしてはどうなんです?」
袖から取り出した枝を、机の上にあるルーズリーフに向ける。今朝私が家から持ってきたものだ。
「反対、ということになる。最近の街は君が追っている噂が広まり続けるせいで物騒だ。警察のパトロールも頻度が上がってきている。職質されたら面倒だよ?」
それに、と代表は続ける。
「仮に警察に職質されないとしても、夜の街を一人で調査するのは危険だ。まあ、2、3人でまとまって調査する分には構わないけどね。まとまったら報告してくれ」
「……あくまでも自分は動かないつもりですか」
「君が持ってきた噂じゃないか、君がやらずに誰がやるんだい?」
調子のいいことを言っているが、単に興味がないだけだろう。今に始まったことではないが、代表はとにかく面倒くさがりだ。主体的に動いているところなんてほぼ見たことがない。つくづくロイヤルさのないジャローダだなと考えてしまう。
「じゃあ、そういうことで話は終わりだ、今日はもう解散としよう」
「お疲れ様でした、それでは、良い夏休みを」
そう言い合って、私たちはオカルト研究サークルの部室を後にする。
――この時までの私は、今見えているもの、聞こえてくる音、知ることができる情報、それがこの世界の全てだと考えていた。
しかし、このやりとりの後日。その常識は覆されることになる。
〜五聖歴30年8月3日 東方都市国家セイリュウ 住宅街〜
夜の街を同じサークルの友人と調査する日々を続けて早3日。収穫は未だゼロだった。
「探し方が悪いのかな……?」
町中、というか国中のそれっぽい所はあらかた回ったが、こうも空振り続きだと流石に気も滅入ってしまう。
私たちが暮らす国『東方都市国家セイリュウ』は、かつて五聖歴が制定される前に起こった大きな戦争からの復興に貢献した偉業を称えられた都市が国になったとされている、比較的新しい国だ。
建国の契機となった戦争の名は『異獣戦争』。異世界から光る穴を通ってこの世界に現れた、ポケモンに似た謎の生命体『ビースト』との戦い。終結から30年が経った今でも完全に復興したとは言い難いが、それでも世界は五つの国の統治の下、緩やかに、けれど確実に未来へと進んでいる。
そんな中、セイリュウ中をある噂が駆け巡っている。曰く、
「午前0時になると、生き物みたいな姿の真っ黒な影が現れる」
「新月の夜に外を出歩くと、いつの間にか知らない場所に迷い込んでしまう」
「武器を使って切り結ぶ二人のポケモンを見た」
等々。最近のセイリュウでささやかれる噂の多くはこの3つに分類される。……が、そのどれにも出会わないまま、今日に至っている。
「もう今日は諦めて帰るかな……」
ため息をつき、空を見上げる。そういえば、今日はちょうど新月だった。夜空に月はなく、輝くのは小さな星々だけだ。
(早く私にもツキが巡ってこないかな……)
ぼんやりと考えた、その時。輝いていたはずの星が、ひとつ残らず一瞬で消えていた。
「……え?」
自分の目で見ているものを信じられない。立ち尽くしていたその時、背後に異様な気配を感じた。とっさに振り返る。真っ先に目に映ったのは、真っ黒な生き物。いや、生き物なのだろうか。まるで影のように輪郭がぼやけ続けるそれは、紛れもなく噂通りの存在だった。
「……嘘、マジで……?」
背中を冷や汗が流れ、顔が強張る。噂が本当だったことを喜ぶ余裕などない。どう考えてもあれが放つ気配は好ましくないものだ。ならば今、私ができることは一つ。
「追って、くるな……!」
私は影に背中を向け、全速力で走りだした。
走る、走る、走る。
家への道のり、今どこにいるか、そのようなことはもはや考えられない。あの影のような生き物は間違いなく追ってきている。この背中を刺すような嫌な気配を振り切るまで走らなくてはならない、私の本能がそう叫んでいる。
だが――運命はどうやら私に味方しなかったようだ。
「……っ!」
走り続け、たどり着いたのは路地裏の袋小路。これ以上の逃げ道はなさそうだ。そして、それは影に追い込まれたことを示す。
死ぬのか、と思った。ここであの化け物に遺体も残らず喰われ、行方不明として処理される。そんなよくある怪談のようなオチで、私の人生は終わるのか、と。
そんなの。
「嫌だ……!」
そんな終わり方、あまりにもあんまりじゃないか。
「死ぬもんか……!死んでたまるかぁっ!」
偶然か必然か、傍に転がっていた鉄パイプを掴んで影に向き直る。一瞬だけ、影と目が合ったような気がした。
飛びかかってくる影の頭をめがけて、鉄パイプを振り下ろす――よりも早く、影が鉄パイプに食らいつく。
鉄パイプはあっけなく、その半分を噛み切られた。
影が壁を蹴り、さらに追撃を仕掛けてくる。とっさに右腕で顔をかばったことを後悔した。
影が右腕に噛みつく。右腕の肘から先が食いちぎられた。
「あ……ああ……!」
痛みはない、血も出ない、だがそんなことはどうでもいい。喰われた。腕が喰われた。
恐怖で腰が抜けて、その場にへたり込む。影は今すぐにでも私の頭をめがけて飛びかかってきそうな体勢だ。
「……い、いやだ……!」
必死に後ずさりし、助かろうとあがくが、もう逃げられないであろうことは容易に想像がついた。
「しにたく、ない……!」
涙声の懇願も空しく、ついに影が空中に身を躍らせる。開かれた口は、そのまま私の頭をめがけて襲い掛かる――。
「いやだぁっ!」
そして、一発の銃声が聞こえたのを最後に、私の意識は途切れた。
〜五聖歴30年8月4日 東方都市国家セイリュウ 某ホテル〜
再び目を覚ませば、そこはどこか知らないホテルのベッドの上だった。ここはどこかを確認するより先に、まず自分の意識がまだあることに驚いた。
意識が途切れる直前のことを思い出す。あの影に喰われる直前、何か銃声のような音が聞こえなかっただろうか。
(私、死んだのかな……?いや、こんな俗っぽい天国があってたまるかっての)
そう考えながら、ベッド脇に備え付けられた時計を見る。五聖歴30年8月4日、午前8時25分。今日の日付を正しく指していると見て間違いないだろう。
ふと、右腕の肘から先を何気なく動かしていたことに気付いて再度驚く。確かにあの時食いちぎられたはず。その謎を考えている間に、浴室のドアが開いた。
「ふー、やっぱ朝シャンは気分がいいな……お、起きたか?」
ドアの内側から出てきたのは、カジュアルな服装に身を包んだゾロアークだった。私よりも2、3歳は年上だろうか。彼が私をここに運んできたのだろう。
「あなたは……?」
自然と問いが口をついて出てくる。目の前のゾロアークは笑ってそれに答えた。
「俺は……クロス、とでも名乗っておくか。昨日の夜、あれに襲われていたお前を助けてここに連れてきた」
「助けて……?ちょっと待って、あの化け物を倒したの?」
「まあ、そうなるな」
事も無げに答えられ、絶句する。戦おうとしたからこそわかる。あれはポケモンが敵う相手ではない。それなのに、目の前にいる彼はあれを倒したという。でも、どうやって?
「どうやって倒したか……って聞きたいんだろ?」
問いが顔に出ていたのだろうか、クロスは可笑しそうに笑う。そして手近な椅子を引き寄せ、そこに座った。
「それに関しては、少々込み入った説明が必要でな。……まずは、セイリュウ全体で流行っている、あの噂の真実についての話から始めようか」
そう言ってから、クロスは話し始めた。世間を騒がせる噂、その真実について。
「結論から言うと、あの3つの噂は全て本当のことだ。午前0時になると現れる真っ黒な生き物の影も、新月の夜に出歩くと見覚えのない場所に迷い込むことも。武器を持って戦うポケモンのことだってそうだ」
今流行の噂は全部真実です、突然そう聞かされて、はいそうですかと平常心でいられる者が、はたしてどれだけいるだろうか。正直言って戸惑いを隠せない。それでもなんとか気を取り直し、話について行こうとする。
「順番に説明しよう。まず、お前が遭遇したあの黒い生き物みたいな影。あれは『ヴォイド』という異世界の生き物だ。あれは時折こっちの世界に現れては、ばったり出くわしてしまった不幸なポケモンの魂を喰う。お前も俺が偶然あそこを通らなければ、本格的に喰われていただろうさ」
「次に2つ目、新月の夜に見知らぬ場所に迷い込むこと。これはヴォイドたちが住処にしている異世界……『裏世界』に入ってしまうことだな。裏世界に関しての説明は、長くなるからまた今度にしよう」
「最後、武器を持って戦うポケモン。これに関しては……見てもらう方が早いな」
そう言うとクロスは椅子から立ち上がり、両手を横に広げて掌を開く。次の瞬間、握りしめた手の中には、リボルバー式拳銃が一丁ずつ現れていた。
「な?これを使ってヴォイドを倒した、って言ったら伝わるだろ?」
「いや、確かに伝わったけど……それ、どういう手品?」
手を振って拳銃を消したクロスに、私は驚きと疑問を視線に込めて問いかける。
「手品じゃない。これは『ソウルキャスト』……漢字で書くなら『魂』に『唱』えると書いて『魂唱(こんしょう)』だな。ヴォイドに遭遇して生き残った奴にしか使えない、れっきとした超能力ってやつだ」
そう説明すると、クロスは唐突に私の顔を指さして言い放った。
「お前もまた、ヴォイドに遭遇した。そして、形はどうあれ生き残った。つまりお前もまた、魂唱の使い手……『魂唱師(ソウルキャスター)』としての力に目覚めているのさ」
一通り説明を終えたクロスが、さて、と再び切り出す。
「力を持つ者には責任が発生する。ここまでの話を振り返れば、俺が言いたいことはわかるな?」
「……つまり、魂唱とかいう力を使って、あなたと一緒にヴォイドを倒せ、と言いたいんでしょ」
「そういうことだ!飲み込みが早くて助かるねぇ」
にんまりと笑うクロスの顔は、どこか嬉しそうだった。
――かくして私は『魂唱師』となり、夜な夜な異形の怪異と戦う日々を送ることとなった。
この3ヶ月後、私の物語はいよいよ本格的に動き出していく……。