#10 『7月33日』
■7月33日
夏祭りの花火の音が聞こえた。からころと音を立てる下駄はみな東へ向かう。女性はだれもかれも浴衣を着てハレの装いに酔いしれるらしい。その人ごみの中で、一組の親子がこんなことを語り合っていた。
「ねえ、おかあさん。あの女の人、アゲハントの生まれ変わりなのかな」
「どうして?」
「あの人の帯、結び目がちょうちょみたいだから」
まだ齢は十にも満たないであろう、けれど利発そうな顔つきをした坊やが、少し前を行くうら若い浴衣姿の女性を一瞬指さしながら言った。彼女の方は成人したかしないくらいだろう、歳に似合わず控えめな柄をした青地に白うさぎの飛び跳ねる浴衣を着て、ひまわり色の帯を腰元に回して、その帯を背中で結わいている。その結わき方の大きく映えるさまが、あたかも一匹の蝶が背中に留まっているかのように見えるのだった。蝶結びとはだれが言いはじめたのだろう、言い得て妙を体現する彼女は何も知らないまま下駄を鳴らして道をゆくのだった。
「そうね。もしかすると、魔法で人間になったアゲハントかもしれないわね」
少し間を置いてから母親が答えると、少年は「わあ」と言うなり星空のように顔を輝かせた。親子はひとしきりそんな話題で互いに笑顔を浮かべていたようだった。その間にも少しずつ親子とアゲハントとの距離は開いて、その姿はやがて人の揺り波の中に消えていった。
遠くでひときわ大きな開花の音が聞こえた。アゲハントはたぶん、どこかで咲き誇る夏の花の姿を見つめている。