出発はありふれたもの
人間の欲は海よりも深い
 1月9日 (木)

 風が蕭々と吹いている。 海の波もいささか高く、白くふちどられてうねっている。 レンはそれを見ていた。
 空はよく晴れていて、真上から太陽の光がさんさんと降り注ぐ。 レンが立っているのは来た事も見た事もないどこかの浜辺だった。 臨海学校や家族旅行で行ったアサギ、 タンバのそれよりも足元の砂粒が大きくて荒い。 砂利と言った方がいい。 ゴミ1つ落ちておらず、他には人もポケモンもいない。

─────着いた。

 口がひとりでに動いてそう呟き、足がひとりでに動いて体の向きを変える。 レンはゆっくりと振り返った。
 目に入ったのは、浜辺に瘤のように盛り上がった洞窟の入り口だった。 ちょうど真正面に、少し身を屈めれば入れそうな穴がぽっかりと口を開けている。 中は真っ暗で、どうなっているか手掛かりもつかめそうになかった。


 さあ、おいで。


 穴がそう言って、誘っているように感じた。
 お前が探し求めるものは、この先で見つかる。
 レンは1歩踏み出した。 ざくざくと足音を立てて穴に近づいた。
 石を拾って暗闇の中に投げてみる。 すぐにかちんという音がした。 どうやら入った途端に奈落の底に落ちるような事はないらしい。 体を低くし、穴の中に潜り込んだ。
 闇は両腕を広げてレンを迎え入れた。





 そこで目が醒めた。
 数秒間見慣れない天井を眺めて、レンはここがどこか、どうして家でなくここにいるかを考えた。 そうして、ここがキキョウシティのポケモンセンターの3階、トレーナーの宿泊用の個室の102号室だという事を思い出し、続いて昨日の出来事を順次思い出した。
 ああそうそう、ジム戦に勝ってあのハヤトとかハヤテとかいうのにさっきは悪かったとかこれからは手抜かずにやるとか長々としゃべくられて、バッジもらってきて飯食って歯磨いて風呂入って寝たんだ。
で、さっきの夢だ。

「すげーリアルだったな、あの夢……」

 起き上がりながらぼそりと呟くと同時に腹の虫が吠え、レンは思わず笑った。 そうだ、夢よりまず腹ごしらえだ。 脳内から夢の事は綺麗に消え、代わりにポケモンセンターの食堂のメニューがその場所に腰を据える。 彼女はいそいそと身支度にとりかかった。
 8時過ぎ、キキョウシティを出発する頃にはレンは夢をすっかり忘れていた。 そう遠くない未来、思い出す事も知らずに。 正夢になる事も知らずに。


「ボルテッカーを使えるメリープ?」

 またその話か。 渋面をつくるレンに、女トレーナーは熱っぽい目をして聞いてくる。

「そうそう! 母親のモココに邪魔されて見失っちゃってさぁ。 こっち逃げてきたはずなんだけど知らない?」

「さあ、見てないですねえ」

 レンが首を横に振ってみせると、女は舌打ちして走っていった。 形ばかりのありがとうさえなし。 頭の中がふわふわの子羊でいっぱいなのに違いない。
 ここは32番道路の半ば、釣りの名所を過ぎてすぐの所。 ここに着くまでに、レンはのべ21人にボルテッカーを使える珍しいメリープを見なかったかと聞かれた。 皆欲望剥き出しの血走った目をしていて、中には網やら罠やらを担いだ密猟者紛いの奴までいた。

「可哀想な親子だな。 あんなのに追っかけられたらたまんねえよ」

 道端の茂みに隠れてパラセクトを連れた男をやり過ごしながらシズルがぼそりと言った。

「あんな下心見え見えで迫って、大人しく捕まるハズがねーのに。 アホだよアホ」

 オニユリはフンと鼻で笑う。 と、2人の間にしゃがんでいたレンが弾かれたように振り返った。

「どうしたレン?」

「今、向こうの方から助けてって聞こえなかったか?」

YUI ( 2014/02/15(土) 18:54 )