vs.ウツボット
「火炎放射!」
「溶解液!」
「オーライ!!」
「容赦はせんぞ娘」
レンの指示を聞いて長老もすぐさま対抗すべく声を出した。 2つの指示はほぼ同時、それを受けた2体の反応もほとんど同時に起こった。
オニユリが吹き出した火と、ウツボットが吐いた酸が衝突し、ジューッという音とともに蒸気が立ち込める。 鼻を刺すような刺激臭に思わず顔をしかめながら、レンはすかさず次の指示を出した。
「剣の舞!」
オニユリは足を踏み鳴らし腕を振り上げて、荒々しく踊り出す。 攻撃力を大幅に高めるとともに体を温めて加速の恩恵を最大限に受け、得意の接近戦に持ち込めばオニユリが圧倒的に有利となる。 それは長老も分かっていて、すかさずウツボットに声をかける。
「おいそれと近づけはせん。 葉っぱカッター!!」
ウツボットは甲高い奇声を上げ、レンの掌程の葉っぱを20枚ばかり飛ばしてきた。 それらがヒュンヒュンと回転しながら空を切る音がレンの耳に届く。 あれを受けたら皮膚を切り裂かれてさぞや痛いだろう。
回避を指示するまでもなかった。 既にかなりのスピードを手に入れたオニユリは、最小限のステップで難なく葉っぱカッターをかわしていく。 あっという間に間合いを詰め、ウツボットの懐に飛び込んだ。
「喰らいやがれ、炎のパンチ!」
燃える拳がウツボットを捉えた。 ウツボットは声も上げられずに仰向けに倒れ、長老のすぐ前まで滑っていった。 目と目の間に酷い火傷を負っている。
「……やったか」
レンは握り拳を解いた。 しかし、長老は眉1つ動かさない。
「否、まだじゃ。 そうであろう? ウツボット」
「左様!」
その瞬間ウツボットは跳ね起き、その勢いを利用して蔓の鞭を横に振った。 その軌道が空気に焼き付く。 はっとたじろぐ若いトレーナーの目の前で、同じように立ちすくむワカシャモを打ち据えようと───
唐突にワカシャモが消えた。
馬鹿な。 その事実に凍りついたウツボットの目に、ニヤッと笑う少女の顔が映る。
なんと。 反応するとは、まだ気を抜いていなかったのか。
そう感嘆の思いがよぎった彼の意識は、
「オニユリ、火炎放射!」
直後、天から押し寄せた炎の波に呑まれた。
「見事であった。 最後まで隙がなく、両者の心も通っておった」
長老は目を細めてレンを見る。 歴史的建造物の床に新たに出来た派手な焼け焦げの事は気にしていないようなので、レンはほっとした。
「しかし、ウツボットが相手に傷1つ負わせられぬまま負けるとは久々。 そう、ちょうど10年振りの事じゃの。 おぬしよりまだ若い少年で、よく育てられたハクリューとともにここに来た。 そやつが放った破壊光線でそこの壁に大穴が空いてな、おかげでちと床が焦げた程度では驚かんようになった」
じゃから今回の事は気に病むに足らん、ここでは日常茶飯事というものよ──そう言ってカラカラと笑う長老に、心配を見透かされていた事を知って頭を掻きながらレンは一礼した。
「寛大な御処置を感謝します。 この勝利に満足せず、ポケモン共々更に精進していきます」
「前途は果てなく長く、難も多かろうが如何なる時も心をなくしてはならんぞ。 自らの心を失った時、人は道を誤るのじゃ。 さあ、言うべき事は言うた。 行かれよ、おぬしらの力量ならハヤト殿に挑むのに資格十分じゃ」
秋の日は釣瓶落としとはよく言うが、冬の落陽はもっと早い。 一行が外に出るとキキョウの街はすっかり夜だった。
同じ頃。
赤い髪の少年はウイングバッジを手にしてキキョウジムを後にしていた。 その足でショッピングモールへ向かい、黒のフード付きコート、髪の染料、その他食料品や細々した物を買い、足早にキキョウを出た。
きりきりとした不安が、内側から少年を苛んでいた。 追っ手の影があまりにもなさ過ぎる。 『追っ手』とは警察の事ではない。 警察を出し抜く自信はある、凡人を欺く自信なら尚更。 彼が警戒している連中は、少年が逃亡したと分かるやいなや数十人体制で捜索を始めたに違いないのだ。 1日半もあれば少年の居場所を突きとめるには奴らにとって十分なはず。 そのはずなのに………何も起こらないのだ。
この順調な道行き。 嵐の前の静けさに包まれている。 こうして夜道を急ぐ彼を、追っ手はどこかから意地悪く観察しているのやもしれない。 ただ連れ戻すだけではつまらないと、機をうかがっているのやもしれない。 そして捕まえたら───保護、再教育の名目で彼を閉じ込め、もう自由の一欠片も与えないだろう。
それは嫌だ。 両手を握りしめた。 『追っ手』の事を頭から押しのけると、今度はマダツボミの塔の最上階で出会った少女の事が浮かんできた。
昨日と今日と、2度目が合った。 2回とも、想定外だった。 狂暴なカイリューが荒れ狂い、崩落する危険な研究所内を突っ切ってあの最奥の部屋に戻ってくるような奴がいるとは思わなかったし、次の日そいつとあのタイミングで出会うなんてもっと思わなかった。 1度ならず2度も少年がその場に凍りついたのは、その虚を突かれた動揺ともう1つ、彼女の目そのもののせいだった。
美しい形の目だった。 綺麗な二重瞼。 影を落とす長い睫毛。 空色の瞳は活発さと鋭さを併せ持っていて、絶えずエネルギーが爆発しているかのようにいきいきと光っていた。
彼は、よく似た目を知っていた。秘めている力も、そこから伝わるものも、色形まで同じだった。 ただ、あんなに激しく輝くのではなく、もっと穏やかな光り方をしていた。
『ドングリ、放電!』
幼かった頃、偶然点いていたテレビ越しに見たあの目が、彼の何もかもを変えた。
「何でだ………」
何で、よりによってあの目の持ち主と出くわしたのだ。 少年は目を固く閉じた。それでも足早に進み続けた。
星だけが、彼を冷ややかに見下していた。