世界は意外に狭いらしい
「シズル、とどめに引っ掻く!」
レンの声を受け、もうボロボロのマダツボミに向かってシズルは踊りかかった。
ここはマダツボミの塔の中である。 天丼と鯛焼きとで腹を満たした一行は塔の中に1歩入るなり片っ端から僧侶や観光客にバトルを挑まれ、片っ端から叩きのめして進んでいた。
「……参りました。 いやお強い。 貴方なら長老様とも互角あるいはそれ以上のバトルが出来ましょう。 どうぞお進みになって下さい」
手持ちを全て倒された僧侶は、マダツボミを戻してスッと道を空けた。 その先には最上階へ続く階段が口を開けている。 もちろんレンは上っていった。
けっこう長い階段だった。 長老って多分かなり年だよな、こんなとこ上り下りして膝とか痛めないんだろうかなんて呑気に考えていたレンの耳に、穏やかな老人の声が届く。
「成る程。 おぬしとポケモンの実力は確かなようじゃ。 技の威力、身のこなし、体力、判断力、巧みな策………。 しかし、それだけの能力がありながら、おぬしにはまだ1つ欠けておる」
階段を上りきった。 最上階は80畳程の広間になっていて、元はマダツボミだったとかいう柱がそのど真ん中をぶち抜いて天井を支えている。 その柱の左を抜けて、レンは奥に足を運んだ。 昔々からここを制覇する事がジョウトのトレーナーにとって1つのステータスとなってきており、重ねられてきた幾百の戦いによって床は傷や焼け焦げだらけだった。
「それは情じゃ。 情け、ポケモンへの愛情。 おぬしにはまだそれが足りん。 大きな力を望み、高みを目指す、それは悪い事ではない。 しかし、力もそれによって得た地位も、ポケモンあってのものじゃ。 ポケモンをもう少し大切になさい。 彼らは戦いのための道具ではなく、生きて様々な事を考えるわしらと同じ存在じゃからな……」
奥には当然ながら長老と挑戦者がいた。 有り難いお言葉を言い終えた長老は次の相手になるであろうレンに目を向けたが、レンはそれどころではなかった。 挑戦者に目を奪われていた。 向こうもレンの眼差しに絡め取られ、イトマルの巣に突っ込んだポッポよろしく動けなくなった。
長老のお言葉を丁度聞き終えて踵を返したところだったらしく、その少年は30畳程先でレンに対して真正面を向いていた。 レンの11.0の視力をもってすれば手にとるように分かった。 切れ長のツリ目、世をすねたようなぶすったれた表情、長くて真っ赤な髪、黒いジャンパー………。 今度こそ間違いない。 ヤツは昨日のタマゴ泥棒だ。
レンがその結論にこぎつけるのとほぼ同時に、向こうの頭も何かを弾き出したらしい。 少年は窓辺へ駆け寄ると勢いよく障子を開け、昨日のように身軽に窓枠に飛び乗った。 そしてひらりと外へーーうん十メートルの高みからーー飛び降りた。
その窓から顔を突き出したレンは、少年がキキョウの上空を滑るように跳んでいくのをみとめた。 小さなヤミカラスがその肩をしっかりと掴み、市街地の方へ降りてゆく。
ダメだ、逃げられた。 飛行要員がチームにいないレンに同じ事は出来ないし、チートじみた脚力をもってしても塔を駆け下りて少年の着陸地点周辺に行くには流石に時間がかかる。 ワカバからここまでバレずに来れたのだ、上手く隠れる術も知っているだろう。 発見出来る可能性は低かった。
「すまんが閉めていただけないかね。 風が身にしみる」
長老の声にレンは頷いて障子を閉めた。 ひとまず少年の事を脇に置いて、長老の正面に立ち、体を折って頭を下げる。
「申し遅れました。 私はワカバより参りました名をレンと言います。 ものの数に入るような人間ではございませんが、是が非でも貴公と一戦を交えたい所存であります。 何卒よろしくお頼み申し上げます」
これはジョウト一帯で何千年も続く慣習で、目上の人間に勝負を申し込む時の口上だ。 昔バトルが聖なる決闘と重んじられてきた時代の習わしが元らしい。 バトルが今のようにスポーツに近いものとなってからは形骸化し、ほとんどの場合で省略されるようになったが、それでもジョウト出身者の多くはジムリーダーや四天王と戦う際、頭を下げ慇懃な口上を述べる。
「もちろん、お受けしよう」
長老は頷いて、後ろの床に置かれていたモンスターボールを拾い上げた。 全部で3つ。
「おして参ろうぞ。 マダツボミ!」
「オニユリっ!!」
「……うむ、見事」
地に落ちたホーホーを引っ込め、長老は唸った。
ここまで2戦、レンは問題なく圧勝した。 マダツボミにオニユリ、ホーホーにシズルを向かわせたのでタイプ相性を考えればもっともな事だが、それにしても呆気ない勝利がかえって気色悪い。 滲んだ手汗をジーンズで拭いて、レンは言った。
「次が真打ちですね」
階下の修行僧達のポケモンよりちょっと強いレベルだったさっきの2体よりずっと強力な3体目がいる。 そいつがここまで来たトレーナーの天狗になった鼻をへし折っているのだ。 そうでなければここを制覇した事がキキョウのジムクリアと同等の自慢の種にならない。
長老は3つ目のボールを開いた。
「左様。 このポケモンはわしが小僧だった時分からずっと共に修行を積んできた者。 これまでに星の数程の挑戦者を退けてきた強者じゃ。 この者との戦いで、おぬしの真価が分かるじゃろう」
ボールから出てきた直後の独特の光を振り払うように、 そいつは長いつるを振りかざした。
この塔で腐る程見てきたマダツボミの最終進化系、ウツボット。 ただし体表は黄緑色ではなく、いっそ黒に近い濃い緑色をしている。 色違いだ。
レンはシズルを引っ込めてオニユリを出した。
「先手は譲ろう」
相手の言葉を受け、レンはパートナーの背中に指示を飛ばす。
「オニユリ、」