え!僕がポケモンに!?
...
.....
...ここはどこ?
頬をなでる柔らかい風を感じて、僕の意識は目覚め始めた。
ああ、今日も絶交の昼寝日和だななどと考えていると、真っ暗闇の中から声が聞こえてくる。
―――誰?
僕を呼んでいる?
ごくありふれた少年の声が耳に触れたかと思うと、その声がだんだん明確になってきた。
「――い....てば!起きろ!」
耳元でそう怒鳴られたと同時に、いきなり体を揺さぶられた。
やや乱暴な起こし方に、僕は目を閉じたままわずかに顔をしかめた。
そこまでされたら起きないわけにもいかないので、しょぼしょぼとまぶたを開く。
途端に差し込んでくる太陽の光に目がくらみ、眉間にしわをよせて目をしばたたかせた。
せっかく気持ちよく寝ていたのに...
大きなあくびをして思いきり伸びをすると、仰向けに倒れていた体を起こした。
「やあっと起きたな。まったく、何事かと思ったよ」
目の前を漂ってきた水色の物体がそう言った。
安堵した様子で笑みを浮かべているが、こちらはそれどころではない。
相手の姿を見た途端、僕の思考は完全に停止した。
人間、あまりに非常識なことが起こると、叫ぶことすら忘れてしまうものである。
「...おい、なんだよ。おいらの顔に何かついてるのか?」
水色が怪訝そうな表情で僕の顔を覗き込んだ。
もはや、何かついているとかの問題ではない。
ぽかんと突っ立っていただけの僕は、話しかけられてようやく口を開いた。
「な...なんで、ゼニガメが、僕の前で喋ってる、の...?」
蚊の鳴くような声でも、水色の物体――ゼニガメにはなんとか届いたようだった。
脈略のない言葉を投げかけられて、ゼニガメは「は?」とますますわけがわからない顔をした。
作り物ではない。
直接触れてみなくてもわかるそれは、正真正銘のゼニガメだった。
なぜポケモンが目の前にいるのだとか、なぜ人間の言葉を喋っているのだとか、なぜこんなに目線が近いのだとか―――
「...あれ?」
そうだ。
なぜゼニガメが、人間である僕と同じ目線で話しているのだ。
「おまえ、何言ってるんだ?おいらが喋っちゃ悪いのかよ?」
かすかに喧嘩腰になったゼニガメの文句を無視して、ふと、自身の手をかざし見る。
そうして今度こそ、僕は絶望の叫びをあげた。
「うわあっ!ぼ、僕の手が...!」
それはもう、人間のそれとは言いがたいものだった。
皮膚は肌色ではなく、きれいな真っ黄色。
指はとても小さく、先端がわずかだが尖っている。
おそるおそる頭に手をやれば髪の毛はなく、うさぎに似た長い耳が頭部から突き出していた。
そして極め付けは、何を間違えたのか、お尻から伸びているギザギザ尻尾。
それをギュっと掴んでみて、自分のものだと自覚する。
「も、もしかして本当に...」
サッと血の気が引いて気を失いそうになるのを堪え、隣に立つゼニガメに視線を戻した。
「ねえ。僕は何に見える?」
「どこからどう見てもピカチュウだけど」
なんてことだ。
どうやらこのゼニガメがおかしい、またはふざけているのではなくて、僕自身がどうかしてしまったのである。
一体何が楽しくてポケモンになったのだろう。
頬をつねるという典型的な方法を試してみたが、ただ痛みが残るだけに終わった。
「右頬が痛い...」
「今自分でつねっただろ...なあ、おまえ大丈夫か?」
大丈夫、というのはもちろん頭がだと思う。
大丈夫であることを願いたい。
それよりも、このゼニガメは僕をピカチュウとしか見ていないようだ。
こんなナリをしているからそう見えて当然だが、これ以上誤解されないためにも伝えておかなければならない。
深く深呼吸をすると、意を決した。
「いいかい。よく聞いてくれ。僕はポケモンじゃない―――人間なんだ」
一言一言を言い聞かせるように、はっきりと相手の目を見て言うと、ゼニガメはきょとんして僕を見返した。
やっぱり、どこかイッているのかもしれない、という表情だ。
そして―――
「だっはっはっは!突然何を言い出すかと思えば!『僕はポケモンじゃない。人間なんだ』って...おまえ、案外おもしろい奴だな。くっくっく...!」
こっちの気も知らずに、ゼニガメはいきなり腹を抱えて笑い出す。
オーバーな口真似をされると些か気分を害して、恥ずかしさにそっぽを向いた。
簡単に信じてくれるとは思っていなかったが、ここまで笑い者にされるのは予想外だ。
こんな奴に話したのが間違いだったのかもしれない。
「もういい」
そう言い残して、未だに笑い転げているゼニガメに背を向けて歩き出す。
こっちは真剣に話しているというのに、そこまで馬鹿にされると腹も立つ。
「ぶくく...お、おい。待てって」
なんとか笑いを噛み殺そうとしながらも、ゼニガメがその場を去ろうとする僕の腕を掴んだ。
「放っといてくれ。僕はまじめなんだから」
「わかった、わかった。悪かったよ。もう笑わないから、な?」
そう言ってくるものの、その口元は明らかに笑いを我慢している様子で、どうにもすっきりしない。
ひいひいとおかしさのあまり目をこするゼニガメを、僕は険悪な顔で睨みつけた。
笑う話じゃないぞと視線で知らせ、腕組をする。
もっとも、ピカチュウ姿の腕組ではいまいち迫力にかけるのだろうけど。
やがてその空気に気がついたのか、ゼニガメはひとつ息をついたあと、ようやくその表情から笑みを引っ込めた。
「わかった。仮に、仮にだぞ?おまえが人間だったとしよう」
「そうなんだってば!ちっともわかっていないじゃないか!」
つい声を張り上げる僕を、ゼニガメはまあまあと宥めた。
「とりあえず自己紹介しようぜ。おいらはオリバー。おまえは?」
さらりと自分の名前を名乗られて、僕は面食らった。
ただのゼニガメではなく、彼にもちゃんと名前があったのだ。
「ぼ、僕は...コウキ」
やや間をおいた後に名乗る。
自らの名前だけは、しっかりと覚えていたことにほんの少しホッとした。
なんせポケモンになる以前までの記憶がごっそりと抜け落ちてしまい、何一つわからないのだ。
これは記憶喪失というものだろうか。
「ふうん。コウキか。ま、よろしくな」
「はあ」
友好的な言葉をかけてくるオリバーの笑顔に、先ほどまでの怒りも忘れて気のない返事を返した。
「ところでコウキは―――」
オリバーが続けざまに何か言おうとしたが、それはそこまでだった。
「誰か助けて!」という甲高い声が、彼の言葉に割り込んできたからである。