梨夏とタツノスケ
リビングへ降りると、賑やかな鳴き声が俺を歓迎してくれた。
「ぎゃうぎゃう!」
食卓の方からタツベイがこちらに向かって駆け寄ってくる。コイツの名前はタツノスケ。
よくタツノスケのことをペットなんて言ってくる奴が居るが、タツノスケは我が家の立派な家族で、次男だ。もちろん長男は俺。
こいつが家に来たのが七年前。弟と言ったが、実はコイツが何歳なのか分からない。
人懐っこくわんぱくで、とても元気な奴だ。初めて出会う人には取り敢えず飛びつく、だから、家に大事な客が来るとき、タツノスケは母さんに俺の部屋まで連れて行かれるのだ。そして客が帰るまで俺はタツノスケを部屋から出ないように見張っておく。
当然、その間俺は遊びに出かけることが出来ない.......。まったく、やんちゃな弟を持った兄貴は大変だぜ。
タツノスケは一つ一つの行動や仕草が小さな子供っぽかったので、とりあえず我が家の末っ子ということになった。
そんなタツノスケは、いつものように俺の脚に割と強めのタックルを何度も決めてくる。
「はっはっは、残念だったなタツノスケ。 俺様はもうそんな攻撃効かないのだよ」
「ぎゃう」
いつの日かを境に、毎朝タツノスケは俺にふざけてタックルをしてくるようになった。
小さい頃はこいつのタックルに尻餅をついてたな、そして俺もタックルをお返しする。これは俺たちのおはようの挨拶みたいなものだ。
だけどある日、タツノスケのタックルが強すぎて、家の壁まで思いっきり叩きつけられたことがあった。むせるような衝撃とあまりの痛さに俺はの大泣きしてしまった。タツノスケの奴ったら泣きべそをかいた俺を見てキョトンと首を傾げ、不思議そうに見つめるんだよ。俺は更に声を荒げて泣いた。でもいくら泣いたって母さんは大笑いするだけで、とうとうふてくされた俺は泣くのを止めて部屋に閉じこもった。
まあそんなこともあったが、成長期を向かえすくすくと育った今の俺にはタツノスケのタックルなんて大したことはない。
俺はタツノスケを抱きかかえ、ほっぺすりすりした。
「お前、意外と顔の部分は柔らかいんだよな。うへへ」
何度もタツノスケの頬に自分の頬を擦りつけ、ぷにぷにとした柔らかい感触を楽しむ。
タツノスケは息苦しいようで、俺の腕の中で激しく暴れた。
「へへへどうだどうだ、参ったか!! 許して欲しかったら俺を兄として敬うと誓うんだな」
「.......ぎゃう」
「痛ッ! コイツ、耳を噛みやがったな!!」
「ぎゃう!ぎゃう!ぎゃう!」
タツノスケは俺の拘束を振りほどき、耳を押さえる俺を見ながら嬉しそうに飛び跳ねた。
「ぎゃーう!ぎゃーう!」
「お、おのれ......」
チクショウ、こうなったら今朝は時間ギリギリまで戦ってやる。
こいつはいつまでたってもタツベイのままだが、俺は中学生、ポケモンで言うなら一段階進化した状態だ。
負ける要素なんて無い!
「タツノスケ、貴様に力の差って奴を見せてやるよ!!」
「ギャウ!!」
「あ、お兄ちゃんだ!!!」
ギクッ、後ろから元気な声が聞こえてきた。
「お、おう梨夏か、おはよう、早起きだな」
振り返ると妹の梨夏が嬉しそうにこちらを見つめていた。梨夏は俺と血の繋がった妹で、現在は小学5年生。
しまった、さっさと朝御飯を食べて部屋に戻るつもりだったのに、タツノスケに構っている間に梨夏が起きてしまったようだ。
「おはよう! あはは早起きって、いつもお兄ちゃんが起きるの遅いだけだよ」
「お、お前も、中学生になったら、わ、分かるぞ、早起きの辛さが」
「絶対に無いね、だってお兄ちゃん見たいに夜遅くまで起きたりしないし。というかお兄いゃん、さっきから喋り方がぎこちない気がするんだけど何かあったの?」
「えッ!?そ、そそそそうかな、き、き気のせいなんじゃないかな」
鼓動が乱れ、体中から嫌な汗がにじみ出る。な、なんとか誤魔化さなくては。
「い、いや実はな、また母さんに怒られたんだよ」
「......ふーん」
梨夏は台所に立つ母さんを見つめた。
「そうだよな?な?母さん」
母さんは手を動かしたまま素っ気無く答えた。
「ええ、そうよ。朝御飯もう出来てるからあんた達さっさと食べてちょうだい」
「......」
梨夏はしばらく無表情で母さんを見つめ、やがて視線を俺に戻すとニコっと笑った。
「そうだね。あ、お兄ちゃん、せっかく早起きしたんだから二度寝しないで一緒に朝御飯食べようね」
梨夏はタツノスケを撫でると食卓へ向かった。タツノスケは梨香をあどけない足取りで追いかける。
「リビングまで降りてきたんだから朝御飯食べるに決まってるだろ! というかお前まで母さん見たいなこというなよな」
「えへへ、だってお兄ちゃんと朝御飯だよ、もう5ヶ月も一緒に食べてないんだよ」
ガチャンと台所から食器のぶつかる音がした。
『お願い春季、あんた彼女作って』
昨夜の母さんの言葉が深く胸に突き刺さる。
「そ、そうだったかな、まあ中学生は、夜、勉強が忙しくて中々寝れないんだよ」
「......漫画読んでるクセに」
「馬鹿ッ、そのこというなよ、母さんに勉強してないことバレるだろ」
「あら春季、どうやらもう一回怒られたいみたいね」
ストンと切れ味の良い包丁の音がリビングに響き渡る。
「よーし、早く朝御飯を食べないとなッ! せっかくお母様が作ってくださったのに、冷ましたらもったいない!」
食卓に座った梨香が口を開いた。
「そうだよ、お母さんが怒ってたらせっかくの朝御飯がまずくなっちゃうよ!」
「こら梨夏、そんなろくでなしの肩を持つんじゃないの」
「なんだよろくでなしって、こんな風に育てた母さんが悪いんだぞ!!」
「最近、あんたと会話してると、物凄く眩暈がするんだけど......」
母さんは小言を垂れながらテーブルに食事を並べた。
「あーあ、お兄ちゃんのせいで、またお母さんの体調が悪くなっちゃたよ」
「梨夏、お前が余計なことを言うからだぞ」
「元の原因はお前だろうがッ!」
母さんは俺の脳天目掛けて拳を振り下ろした。
「痛ッーーー!!」
目からバチバチと火花が飛び散りそうなほどの衝撃が走った。
「あはははははは」
「ぎゃうぎゃうぎゃう!!」
涙目で頭を抱える俺を見ながら、梨夏とタツノスケはゲラゲラと笑っている。
く、くそ....なんで俺がこんな目に。
「自業自得よ」
「だってさ、夜はちゃんと勉強もしようね、お兄ちゃん」
「ち、ちくしょう」
「はいタツノスケ。こぼさず食べなさいよ」
「ぎゃう」
床に置かれたプラスチックの器にさらさらとポケモンフードが盛り付けられていく、タツノスケは嬉しそうにフードが山になっていく様子を見つめていた。
「それじゃあいただきます」
朝食はご飯と味噌汁と昨日の残り物だった。
「梨夏、そろそろ学校行く時間じゃない?」
「あ、本当だ」
時計を見るとちょうど7時になった所だ。
梨夏は登校班の集合時間は今から10分後か。小学生は自転車が使えないのが大変だな。
「そうだ、お兄ちゃん、私、今日学校遅くなるからね」
母さんの顔が少し青くなった気がする。
「おう分かった」
「道草して帰るんじゃないわよ」
「はーい、それじゃあ行ってきまーす」
「ぎゃうぎゃう!」
梨夏は元気よく家を飛び出していった。
しばらくの間、黙々と食事を進める。
俺はわざとゆっくりと食べたつもりだったが、あっという間に完食してしまった。
「ご、ごちそうさまでした」
母さんは俺が食べ終わるまで静かに座っていた。
そして俺が食べ終わるのを確認すると、大きなため息を吐き、俺をキツく睨み付けた。
「それじゃあ昨夜の続き、大切なお話をしましょうかね」
「.......」
時刻は7時15分、俺が家を出発するまであと1時間は余裕がある。