You'll never walk alone.
満月草の咲く夜に
満月草の咲く夜に@
「お嬢様、明日は午前八時より麓の街の記者たちを招いての会見がございます。もうおやすみになられた方がよろしいのでは? お嬢様?」
 口煩いが真面目で可憐なメイドのランクルスにしつこく寝ることを勧められる。時刻はまだ夜の九時、寝るにはまだ早い。
「お嬢様? 聞こえていますか? お嬢様?」
 窓の側に設置された豪華なベッドの上で私はガラスを通して空を見る。いつもこの時間なら窓から月が見えるのだが、今日この地域一帯を濡らした分厚く黒い雲のせいで何も見えない。
「お嬢様?」

「わかっているわ」

 冷たく、そしてはっきりとした口調でメイドに応える。それでも視界の端に映るメイドは温かくやんわりとした表情で私を見つめ、左様でございますか、とだけ伝え部屋から出ようとする。
「待って」
 メイドがこちらに振り向いた。
「どうされましたか?」
 メイドに慌てた様子は無い。あくまでメイドとして、私に対しつくづく良い対応だと思う。
「明日の......明日の全ての予定をもう一度教えてもらえる? さっき別のメイドに聞いたのだけど、覚えきれなくって」
 そう言って私もメイドの方に顔を向ける。部屋の電気を消しているのでメイドの顔は影に溶けるようにしか見えないのだが、さっきと同じように優しく私を見つめているのがわかった。
「では、もう一度御報告させていただきます。明日は午前八時より麓の街の記者たちに会見を、午前十時より夜のパーティの際のドレスの選定を行います。午前十一時三十分からは御主人様との御昼食です。その後、午後十二時二十分より麓の街の視察を、午後二時三十分よりダンスのお稽古となっています。午後五時半からお客様方に御挨拶を行い、日没とともにパーティの開始となります。よろしいですか?」
 長々と喋らせてしまったものの、実際話の八割も聞いていない私の頭だ。メイドもそのことをわかっているだろう。
「ええ、ありがとう」
 建前だけそう言って再び窓の方に顔を向ける。窓際では花瓶に生けられた何年も前から枯れている満月草が月の光を浴びたがっていた。
 満月草というのは不思議な草で、年中緑の葉を付けているのだが暫く月の光を浴びないと枯れてしまうのだ。満月の夜になると花が咲き、翌日に花が落ちると翌月の満月の夜にまた花を咲かす。その花びらは夜のような黒さで、真ん中に満月を模した様な雌しべの集まりがある。満月の夜に咲くから満月草なのか、まるで夜に浮かぶ満月の様だから満月草なのか、それは先人に聞いてみなければわからない。
「......明日は満月だそうです。予想では晴れるそうなので、夜は綺麗な満月が御覧になれそうですね」
「......そう......」
「失礼を承知で申し上げますが、お母様の形見とはいえ枯れた草を飾っておくことはないのでは? ちゃんと元気のある草に変えた方が、天国のお母様もお喜びになると思いますが......」
「............」
「お申し付けくだされば、すぐにでも摘みに行って参りますよ。明日は満月ですから、きっとその満月のように綺麗な花を咲かせると思います」
「......いいの、気にしないで。ありがとう、おやすみなさい」
 では、とだけ呟いて今度こそメイドは部屋の外に出て行った。明日の昼食もお母様がいればもっと楽しかっただろう。ドレスの着付けも、お稽古も、パーティも何もかもお母様がいれば私の気持ちもそちらに向いただろう。
 メイドの言いたいことは心に刺さるほどわかる。わかるのだけれど、私は枯れた満月草を他のそれと変えるつもりは毛頭ない。私にとってこの満月草はお母様そのものだ。お母様の亡くなったあの日からずっと、お母様は私の部屋の窓際で空を見ながら満月の夜を待っているのだ。お母様が綺麗な花を咲かせる夜まで、私は前に進むことはないだろう。いや、進んではいけないのだ。



 朝だ。窓の外を見ると、昨日の曇天が嘘だったかのように青空が広がっていた。軽く伸びをしベッドから出て窓を開け放つと、後ろから扉の開く音がした。
「おはようございます。お嬢様、今日の御予定は憶えていらっしゃいますか?」
 朝の予定は何だっただろうか。正直なところ憶えていなかったが、窓の外に見えた幾つかの小さな影で思い出すことができた。
「記者たちに建前だけの発言をする予定だったわね」
「ふふっ、確かにそうなのかもしれません。それでは、お支度のお手伝いをさせていただきますね」
「ええ、よろしく」
 屋敷の中にはお父様や何十人もの執事やメイドがいるが、私の事を最も理解してくれるのはランクルスだけだ。私がお母様に対してどう思っているかも、このメイドだけには話した。それを理解した上で私の身の回りの世話をしてくれるのは彼女だけである。その他の執事やメイドも世話をしてくれることにはしてくれるのだが、どこかこちらのことを意識し過ぎている気がしてこちらが嫌になってくる。その点ランクルスは雇い主の娘とメイドという立場ながらも素で接してくれる。友人のほとんどいない私にとって、それほど嬉しいことはない。

「キルリアお嬢様、今日もドレスがお似合いですよ」
 ふとランクルスが私に声をかけてきた。鏡越しに見る彼女の顔はとても嬉しそうだ。
「ドレスは可愛いけど毎日着るのは嫌になるわね。たまには普通の姿で街へ行ってみたいわ」
「そんな、お嬢様が何も着ずに街へ行かれると街に人だかりができてしまいますよ」
「ドレスを着て行っても同じ結果になると思うわよ?」
「結果は同じでも理由は違うのですよ、理由は」
「なんで貴女が誇らしげなのよ......」
「なんでもです! さっ、御朝食の御準備もできているはずですので直ちに参りましょう!」
 ランクルスのテンションに呑まれる形で部屋を出て、長い廊下をゆっくりと歩く。
 廊下の窓から見える中庭で作業をしていたハッサムと目が合うと、向こうは深々と頭を下げた。別にそこまでしなくてもいいのに、と内心思いつつ私も軽く会釈をする。
「庭師のハッサムさん、先日お父さんになったんですって」
「ふーん......」
 あまり興味ないわね、と繋げかけたがそれを言うとランクルスに怒られるのでやめておこう。そんなことを考えていると屋敷一番の大扉の前だった。この奥にお父様と何十人もの執事やメイドがいるのだが、ここに入った時の挨拶はいつになっても慣れない。一度ランクルスに朝昼晩自室で摂りたいと申し出たがお父様のGOサインが出なかったようで、結局その願いは叶わなかった。大扉の前に控えていた執事に扉を開けるよう命じる。そして扉が開くと――

「「「おはようございます! キルリアお嬢様!」」」

 耳を劈くような大声の挨拶が迫ってきた。何も言わず目の前に用意された椅子に座ろうとした時、「おはようキルリア」とこの屋敷の主であるエルレイドお父様が向かいから話しかけてきた。
「おはようお父様」
「どうした? 元気がないように見えるが」
「なんでもないわ、それより今日のパーティはどなたが出席なさるの?」
「今日か? ムクホーク、今日来る私の友人の名前を幾人か教えてくれないか」
 お父様が地震の右腕であり執事長を務めるムクホークに尋ねる。
「本日の旦那様の御友人として、キリキザン様、カイリュー様、ミロカロス様、ヌオー様、そしてフラージェス様と各御親族がお越しになるようです」
「ありがとう、下がっていてくれ。......そうか、キルリアももう年頃だものな。こういうパーティで出会う相手と親しい関係になって......ということもあるわけだ。安心しなさい、私の友人たちの御親族も良い人たちばかりだぞ」
「ああ、そう......」
 今の私の質問の意図を理解しているのは、恐らくランクルスだけだろう。とは言っても一般的にはお父様のような考えが多いわけで、わかってくれないお父様が悪いわけではない。ただ、私がお母様のことをどう思っているかは少しくらいはわかってほしいところだ。


 手早く朝食とその他を済ませ、時刻は午前七時三十分。恐らく大広間では大量の記者たちが屋敷内に入って整列させられているところだろう。直前まで自室に居てよいとのことで私はベッドに座っているが、ドレスだとベッドに寝転がれないことがとてつもなく歯痒い。記者たちの間では深窓の令嬢などと騒がれることが多々あるが、もしドレス姿でベッドに横たわる私を記者たちが見つけたらどうなるだろうか。或いは、今回の会見で記者たちに趣味は寝ることですと伝えるとどうなるだろうか。......無論、眠り姫とかなんとかとりあえずありったけ皮肉を込めて記事にされるに違いない。

「お嬢様、そろそろお時間です」

 気がつくと扉のところにランクルスがいた。物思いにふけっていて気づかなかったと伝え、ベッドから立ち上がる。ランクルスと共に部屋から出ると、扉の脇にムクホークが立っていた。
「キルリアお嬢様、御心の方は大丈夫ですか?」
「ええ、もう慣れたものよ」
「作用でございますか。ではランクルス、お嬢様を大広間まで」
「は、承知しました」

 普段は明るい廊下も、自分の気持ち次第で暗くなるものだなと改めて感じる。さっき慣れたものと言ったように記者たちの前で話すことは何度もしたのだが、私はそういうことは嫌いだ。
「お嬢様、お母様のことを聞かれた場合は......」
「いつも通り、いつも通り答えるわ」
「いつも通りと言われると、私は心配になります。私はお嬢様ではないので本当の心の底はわかりませんが、お母様のことを聞かれた時のお嬢様の辛さはすぐにわかります。きっと、その辛い思いに応えてくれる日が来ると私は信じています。だからお嬢様............」
「ありがとう......貴女の気持ちは充分に伝わったわ。......それじゃあ、行ってくるわね......」
「お嬢様......」



「本日は我が主の御令嬢、キルリア様の会見にお集まりいただき誠に感謝いたします。...............」
 ムクホークが丁寧に会見を進めていく。私は今日麓の街を視察すること、その目的などを淡々と話していく。我ながら軽快なものだ。そして会見は着々と進められ、残すところは質疑応答のみとなった。
「では、本日の会見の最後として御令嬢への質疑応答の時間を設けさせていただきます。あまり込み入った質問には答えかねますのでご了承ください」
 ムクホークの言葉が終わった途端、記者たちが一斉に手を挙げる。最初の質問は簡単だった。視察のさらに詳しい理由、重要視する点、麓の街の実情の把握などだ。
 九、十人目だっただろうか。サングラスに葉巻といったあまりにも胡散臭い格好のクイタランがおもむろに立ち上がり口を開いた。
「数年前にお母様が亡くなられてからあまり外出なさっていないようでしたが、お母様のことをどう思われていますか?」
 グッと心臓を掴まれる様な感覚が私を襲う。キリキリと痛む心を堪えるために少し歯を食いしばるが、その若干の変化を見逃さない記者たちはどよめきだした。早く答えなければまた住民の不安を煽ってしまう。その一心で口を開くが声にならず、周りから見れば痛々しく滑稽な姿だっただろう。

――お嬢様!!

ランクルスの声が聴こえた気がした。一瞬我に返って冷静に大広間を見渡すと、記者たちの後ろにランクルスの姿が。何かを伝えようと必死に口動かしていたが、今のこの場でメイドが大声を出すことは御法度であり、勿論こちらには何も聴こえない。
 だがそれでも、ランクルスの声は私に届いていた。一言だけでもいい、せめて一言だけでも言葉が出せれば!その一心で口を動かす。

「......あ......」

 ようやく、一言目が出た。視界の端のムクホークが胸を撫で下ろす。奥にいるランクルスが喜びの表情になる。私はできるだけ心を落ち着けてゆっくりと言葉を続ける。

「......愛しています。......私は、私のお母様を、愛しています......」

 別に記者たちにとっては質問の一つであり、大きな拍手が起こる様なことではない。ただひたすらメモを取っているだけだ。私の中では、まるで危篤の患者が峠を越えた様な感覚がした。
「お時間もそろそろ近づいてきました。よろしければ、ただいまの質疑で今回の会見は終了とさせていただきますがよろしいでしょうか」
 記者たちの中に手を挙げる者はいない。アクシデントはあったものの、これで会見は無事終了となった。



「お嬢様!!!」
 会見を終えて自室にいると、慌てた様子でランクルスが入ってきた。泣いていたのだろうか、身体の周りのゼリーの中に沢山の涙の粒が溜まっていた。
「体調に問題はございませんか?何かございましたらすぐに、すぐに私にお申し付けください! 私は、私はお嬢様のことが心配で......心配で......」
 ランクルスが膝の上に置いていた私の手を掴んで上目遣いをする。このような姿を見るとこれほどまでに私を心配してくれているのかと思い少し申し訳なくなる。
「大丈夫よ、少し危なかったけれど。でも貴女のおかげでなんとか無事に終えることができたわ」
「......本当ですか?」
「ええ、もちろん。次の予定はドレスの選定だったわよね? 手伝ってもらえるかしら?」
 先ほどまでとても心配そうなランクルスの表情だったが、みるみるうちに笑顔に変わっていく。
「......はい! 喜んで手伝わさせていただきます!」


リリィ ( 2014/11/18(火) 01:44 )