-9- パーティー
行きつけのベーカリーに入るなり、ミナトがキズミの肩にがしっと腕を回した。
「これだ、見せたかった新商品!」
その名もズバリ、泥ばくだんパン。
ごろっとしていて、濃厚なチョコレートでコーティングされている。
「ダッチェスが現れた日、覚えてるだろ」
ミナトに確認されるまでもない。その夜遅く、ジョージ・ロングロード警部が襲われたのだ。
「オレと留紺、うっかり店長に泥ひっかけちまって。それが元ネタらしいぜ。おはようお姉さん!」
レジカウンターに立つエプロン制服姿のマダムがオホホと笑う。
背後からひょっこり、髪を高い位置で一束にした、学生服姿の女子が顔を出した。
「おはよう君たち、いらっしゃい!」
おっす、と笑顔で手をあげたミナトとほぼ同時に、キズミがそっけなく会釈した。
ぽかんと、ナティの口がひらいた。
「うそぉ!? いつものキズミ君じゃ無い!」
「こいつ人見知りなんだよ。無害なカワイイ子って分かるまで、素直になれねえの」
「余計な事言うな」
どすっとミナトを肘で小突くキズミ。
ナティが目を白黒させていると、ミナトがにやっとした。
「それよりナティちゃん。のんびりしてたらリュートとの朝練、遅刻すっぞー」
「な、なんで知ってるのよお!」
赤面したナティに、ミナトがあっけらかんと笑った。
店を出て、路上パーキングに停めてあるオフロードバイクの元へ戻ってきた。
愛車にまたがったミナトは、新作パン入り袋を持つキズミをつついて声を低めた。
「ナティにあれこれ訊かれねえように、わざと突き放してたろ?」
キズミはバトルネーソスから脱走したピクシーの回収を依頼されていた。回収の現場に居合わせたナティに、国際警察官らしからぬ関与を知られないように、それは自分の仕業ではないと苦しい誤魔化しをつづけていたのだ。
「どうだかな」
木で鼻をくくったようなキズミの返事だった。
「自分で自分を生きにくくするなよ」
やれやれと肩をすくめてミナトはヘルメットを被る。後席に乗ったキズミも被った。
「とにかく今日はぜってえ定時で上がるぞ。待ってろ、今晩のパーティー!」
発進するタンデム。始業時間には充分間に合う。
グラブバーに捕まりながら、キズミはヘルメットにこもる熱気を感じた。気候が変わってきている。頻繁に泊まりに来る前席の男は夜、下着一丁でブランケットを蹴り飛ばして寝ている。風邪をひかない暑さだが、はしたない恰好だとウルスラは認識している。
タマゴから手厚く育てたアシスタントのラルトスは、人間の少女同然の価値観を持つようになった。それが裏目に出て、キズミ自身が恋愛対象にされるとは、露程ほども考えていなかった。やることなすこと空回り。自業自得。反省も失敗も上手な付き合い方が身についていない。女性上司との関係もそうだった。飽きもせず角突き合わせている。
両手に花だとかなんだとか、ミナトからは茶化されている。高みの見物を決め込まれようと大して腹が立たない特別な立ち位置の仲だ。要領の良い天才を親友に持つと、意外なくらい、これは青春なんじゃないかと感じる瞬間がいくつもある。目の前のヘルメットに知らない小さな傷を見つけたり、市内に急増したゴーストポケモン相手に夜な夜な何かをしている邪推だとか、良い悪いや好き嫌いを抜きにしても、つるんでいて飽きない男だ。
自己の存在理由をがむしゃらに突き詰めて、人生に卑屈になってばかりいられない。
なってばかりいては、いけない。
マンションの一住戸で、予測不能な夜が迎えられようとしている。
キズミ・パーム・レスカとラルトス=ウルスラ、エディオル・レインウィングスとチルット=アフロ、金城湊とガーディ=銀朱とヌオー=留紺、アイラ・ロングロードとキルリア=クラウ、そしてモンスターボー収容組が、キズミの住まいに集合していた。
「遅くなったけど警部補、引っ越しお疲れさん。じゃーん! これどうぞ」
小ぶりのヒマワリ、淡緑や薄オレンジのバラ、カスミソウ等。
明るい気持ちになれる花束をミナトから貰ったアイラは、固まった。
消え入りそうな声で礼を呟いた。しかし、男二人には届いてなかった。
「キズミ、次からバラ以外も覚えるようにしろよ」
「ヒマワリも知ってたぞ。なんでミナトは花に詳しいんだ」
「スタンドブーケだからどこでも置けるっすよ。全員、がっつけー!」
オレンジジュース入りのグラスをかかげ、ミナトが高らかに音頭を取った。
アイラの引っ越し祝い、エディオル少年の宿泊歓迎の合同パーティーのはじまりだ。
(美味しい! 美味しいです!)
キルリア=クラウがむせび泣きそうに叫んだ。
腕をふるったウルスラも喜びを隠せない。
「このピザおいしいね、アフロ」
「どんどん食えよエディ、いっぱいあるからな」
ミナトが手あたり次第に食べ物を盛った取り皿を、少年とチルットの前に突き出した。
床に座ったガーディはぶ厚いロースト肉を牙で食いちぎる。
ヌオーはもくもくと野菜スティックをたいらげてゆく。
離れた席のキズミとアイラは互いに視線を合わせないようにしていた。
所せましと並んでいた立食メニューが綺麗さっぱり消えた頃。
「遊ぶぞー! こっち来ーい!」
ミナトが据え置き型ゲーム機の電源を入れた。
テレビの前にずらりと、ポケモンたちの生け垣ができあがった。
テレビゲームは苦手だ。下手すぎて。混ざりたい気がしない。食器洗いを手伝いながらアイラは、生垣にまぎれた、親譲りの褐色の髪で大人しそうな小さい男の子を窺った。自分がぴりぴりしていた初対面のせいで、再会したら怖がられるかもしれないとやや不安だったが、大丈夫そうだ。時々連絡をくれるオルデン・レインウィングスから安心していいと保証されていた通りだった。不安だったといえば、今夜はキズミが意地悪を言ってこない。子どもの前では喧嘩をしない良識があったみたいだ。目線をこちらに向けてくれないし、優しい口を利いてくれる変貌とまではいかないけれども。なんとなくもやもやしながら手を動かしているうちに、ウルスラとの分担作業がてきぱき片付いていった。
エディオルが、ケーキを切り分けているキズミのシャツの裾を引っ張った。
「おにいちゃん。あのコ、どうやって動いてるの?」
ざわっ、と注目が集まった。生け垣に溶けこんでいたぬいぐるみに。
「マジだ、やるなあブイぐるみ!」
ミナトがふさふさの首根っこをつかみ上げた。
やだやだーと愛くるしくデフォルメされたイーブイの短い手足が暴れた。
きゃあ可愛い! とアイラの胸はきゅんとする。
キズミはさっとサングラスをかけた。
「これで見ると、ジュペッタの尻尾と後頭部が生えてる」
国際警察の官給品には、霊視スコープ機能があるのだ。
ぽとっとぬいぐるみが落とされた。興味津々、ガーディが鼻を近づけた。二足で立ち上がったイーブイが、えいっとパンチ。子犬はひゃんひゃん鳴いて転げ回った。
「今度エディが泊まりに来た時は、
変化が完了してそうだ」
「また来ていいの、お兄ちゃん!」
「ああ。いつでも」
可愛い弟分を安心させようと、深金色の三日月みたいになる部下の目元。
長い睫毛ね、とアイラは眺めた。
小さな子どもに夜更かしをさせない。キズミは初めてまともに女上司に同調した。賑やかな集まりは時刻もそこそこに、解散となった。エディオルに寝室のベッドを与えると、銀朱がベッドの脇にぺったり伏せて尻尾を振った。明かりを消す前に、明日の午前中は仕事でいないことを教えた。
「暇やったら、好きなだけ組み立ててええで」
生ぼんぐりに、各種パーツと工具類。ベッド下から引っ張り出した収納ボックスの中身を、まるで宝箱のように紹介できてキズミは頬が緩んだ。部品をちまちま組み立てる過程、こつこつ出来上がっていく形、完成した時の大勝利感。この愉快さは一般受けがよくない。小さな同志エディオルは無邪気に喜んでくれた。買い足しておいて良かった。
「困った事あったら、隣のお姉さん頼るんやで」
「お兄ちゃんは、あのお姉ちゃんとしゃべるのきらいなの?」
「いや、まったく」
ぽろっと口に出た。
「喧嘩中みたいなもんや。俺がな、したらあかん事してもうてん」
「あの人、今日はやさしかった。ごめんなさいって言ったら、ゆるしてくれるよ」
「どうやろなあ……今の話、誰にも内緒やで。もう寝よか」
「はい。おやすみなさい」
チルットのぬくもりを腕に抱いて。無垢な瞳が、とろりと閉じられた。
キズミは居室に戻り、ごろんとソファに仰向けになった。
謝れば許される、か。
誰のために、謝るのだろう。謝ったとして、アイラのためになるだろうか。彼女に許されたいから謝るのでは、自分のためだ。そんなことのために、許されてはいけない。許されるようなことを何一つ、果たせていない。ではもし果たす前に許されたとして、自分で自分を許せるだろうか。
なんて、終わりが見えない問答だろう。
そういえば、と空っぽの寝袋を見る。飲み物を買いに出たミナトはまだ戻らない。