NEAR◆◇MISS















小説トップ
第六章
-8- ホテル
元は夫婦関係にあった二者の用談は、国際警察本部の膝元に立地するシティホテルの客室を深夜帯に時間借りして行われた。
 オルデン・レインウィングスは彼女を金輪際、同情をさそわない赤の他人とみなしている。しかしビジネスのしがらみから完全にのがれることは不可能だった。個人的な接触を持ちかけられた際、状況判断によっては仕事の助言役をつとめ、公にできない取引きに応じるという不本意な局面に立たされた。
 窓辺に先回りした化粧気のない科学者、シレネが光量の衰えない高層ビル群をカーテンの向こう側に締め出した。
 肩越しに振り向けられた表情に危険な媚びがある。間接照明がくつろぎとは無縁の空間を演出していた。
 
「先にシャワーを浴びても?」
 
 男盛りの四十代前半に属する彼の耳へ、粗悪な雑音として入る。関心をつなぎ止めたいだけの冷やかしだ。
 オルデンはシングルソファに浅く腰を下ろし、バスルーム行きを保留した女は手近なベッドのヘッドボードに寄り掛かった。
「あなたが保管している欠陥ウインディ、抹消処分の延期が決まったそうね。おめでとう」
 
 情報が早い。これまでも執拗な監視を繰り返しほのめかされてきた。
 柔和な印象を与える丸眼鏡が外周する両眼を、まばたき一つせずに話題を変えた。

「仕事の話をしませんか」
「いいわ。《銛肩のバンギラス》、知ってるわよね」
「一応は。最近までメディアを騒がせていましたので」

 世間を震撼させた往年の野生ポケモン虐待事件、クロスボウの矢が刺さったカモネギの再来とさえ報じられていた。
 女の唇のはしが上に引き伸ばされる。

「純野生は希少でしょう。詳しく研究したいのだけど、ハンターの撃ち込んだ特製銛のせいでエラーが出てしまって。腕ごと切除してはもったいないから、あなたが技術開発中の電磁的治療プログラムの実験サンプルにしてもらえないかしら」

 重度のバグに有機生命体としての機能を侵され、モンスターボールの外では生き永らえないウインディ=ファーストの話題を前振りした理由が、ここで解決された。わずかな回復の望みを捨てず、携帯獣改造禁止法のグレーゾーンで極秘に立ち回っていることを何処から嗅ぎつけられたのか。まるで狩人の献上品を待つ女主人のようであった声色からは、みずから手を汚した形跡が微塵も感じ取れない。疑うべきは新手の有能な――内部事情に詳しい国際警察官に匹敵するスパイ。口腔を干からびさせるような防犯意識の高まりが、オルデンの喉をかすかに振るわせた。
 目ざとく揺さぶりの効果を堪能した女は、バッグの中から紺ビロード張りの小箱を披露する。彼によく見えるように差し出したまま、上蓋をもったいつけて開けた。中からはやや小ぶりの、立法型のクリアボックスが現れた。透けて見える内部には薄紅色の煙が閉じこめられており、ゆったりと風に流される雲のように常に動きつづけている。
 中央に位置する同色のモンスターボールが、濃度の高い気体の切れ目からおぼろげに見え隠れしていた。
 
「未使用の、ドリームボールよ」

 信じがたい。
 驚嘆がオルデンの口を突き抜けかけた。不覚にも研究者の血が騒ぎだす。神秘の球体に、眼鏡越しの両眼を凝らした。
 ドリームボールとはモンスターボールの一種にして、特殊な条件がそろうことではじめて自然発生しうる、人の手が加わらない唯一天然の捕獲装置である。ワープアイテム全盛期には、パラレルゾーンで発見されやすかったことを受けてマニアックな人気を博したものの、国際警察による空間移動規制とともに入手ルートが途絶えてしまった。
 そのメカニズムは謎に包まれ、非常に不安定で消滅しやすい。しかしポケモンを一度でも内部に収納すると安定化するという、摩訶不思議な特性をそなえている。したがって、現存するドリームボールを虱潰しに調べようと探し出せないとされる極上の保存状態に、あろうことか巡り合えたのだ。
 ところが、ほどなくしてオルデンの熱が過ぎ去った。
 
「精巧なレプリカですね。どこで手に入れたのですか」
 
 薄暗い室内に、凍りついた気配が立ち込めた。
 ベッドの枕元に座り込んでいる女は、不可解な笑みをたたえる。
 ともすれば最初から、実在すれば貴重をきわめる第一級品につゆほどの関心もなかったと見えた。

「そうだったの。本物かと思っていたわ」
「高濃縮された《夢の煙》が主成分のようです。見事な技術です」

 ムンナ、ムシャーナが放つ《夢の煙》は所持、採取など法律により厳重に取り締まられている。
 有資格の取扱者であろうと目的外の使用は禁止されているほか、特許された一部の研究施設でのみ蓄蔵されている。
 その枠組みの一機関で《夢の煙》が復元用途に使われ、隠れ特性を特徴とする化石ポケモンがアルストロメリア市で暴れた。
 のちに起こった火災で保有していた研究素材を含めあらゆる設備が全焼したそうであるが、何やらきな臭い。
 
「交渉は決裂かしら。残念だわ」
 
 ため息をつく女に向かって、オルデンは掌を差し出した。

「迷惑料をいただきましょう。バンギラスをこちらへ」
「とんだ茶番だものね。あなたのそういう抜け目なさも好きよ。煮るなり焼くなりご自由に」

 重傷の鎧ポケモンを内包するモンスターボールが、手渡された。
 それが事実上、散会の合図となった。用もなく居座ろうとした彼女には往々にして先にホテルから引き取ってもらった。
 当然のごとく相手は渋ったが、今回の不結果を次回に持ち越さないために多少の引き際のよさは計算されていた。
 隠し置かれた監視道具はないかと客室内をくまなく調べ終わったところで、オルデンは新入りの患者に話しかけた。
 
「ひとまずは命拾いしましたね」

 傷ついた生命を秘めた球は、何も答えない。意思の疎通が図れるまでしばらく時間はかかるだろう。
 肩の怪我の深刻度によっては完治する保証はないが、治療方針は追って検討するつもりだ。
 シレネとの情報戦を制するには、こちらも有力な後ろ盾が要る。最大候補は、彼女の手先とは別の自由意志。
 懐中から縮小した黒い銃弾のようなモンスターボールを取り出すと、洗面台の鏡の正面に立ちふさがった。
 
「素人にアレストボールのロック解除は不可能です。捕虜の返還をご所望でしたら私と手を組みませんか。レストロイ卿」


レイコ ( 2016/02/11(木) 15:44 )