-7- 炎のパンチ
明後日にはお堅い女上司が大使警護の任から戻る。
頻発している悪質なひったくり事件の聞き込みをいったん切り上げて、対照的な髪色の二人組がバーガーショップに立ち寄った。オレ休憩まだだから、と黒髪のスーツ男が、買った物を持って出ていこうとした金髪のスーツ男を最奥のボックス席に引き留めた。
「オレたちすっかり板についてきたよな、職場の便利屋ポジション」
と、皮のかりっとしたフライド肉を頬張るミナト。
ふわと跳ねさせた整髪頭は地毛の黒色で遊び人に見せすぎない。
相方は、特徴のないショートヘアは天然のブロンドでよく目立つ。
ちびちびコーヒーしか飲んでいないキズミに、ミナトは切り込んだ。
「食欲ねえな。で、医者はなんて?」
「初期段階の『ハイ・リンク』らしい」
うへー、とミナトが唸った。
「ウルスラ、ショックだろうな。今晩も遊びにいってやろうか?」
「クラウが寝てる。また今度にしてくれ」
「それもそうか」
あの素直なキルリアは、アイラへの後ろめたさを胸に抱えながら、肉体改造の特訓に律儀に取り組んでいた。心の体の食い違いから疲れがたまり、体調を崩したのだ。大事はない。ぐっすり眠れば明日には全快できるだろう。
「あのドケチ育て屋にクレームつけて、次から友情割引させようぜキズミ」
「それは強引だと思うぞ、ミナト……」
国際警察官から転職した同期は少なくない。レンジャースクールに編入した男もいた。全ポケモンレンジャーを統括する国際組織『レンジャーユニオン』と国際警察は、別系統で治安維持活動をおこなっている。一時期不仲であった両機構の関係は修復され、犯罪規模に応じて連携もはかられているが、レンジャーすべての不満が払拭された訳ではない。
ポケモンの多様性を尊重した人間社会参画は光の面ばかりではなく、影もある。これまで犯罪に使役されていた携帯獣が、虐げられる側から虐げる側へ、従犯から正犯へと、みずから犯罪を実行するというポケモン犯罪の質的変化を招いた。危機感を募らせた国際警察の新兵器『アレストボール』は、犯罪組織が開発した『スナッチ』技術の応用であった。幻のマスターボールに比肩する強力なモンスターボールの使用は物議をかもし、犯罪技術の濫用がポケモンの尊厳を脅かすとして、レンジャーユニオンはかつて実装反対論を主導していたのだ。一方で国際警察官のなかには、野生ポケモンを半強制的にコントロールするキャプチャシステムを棚に上げて、とレンジャー側の批判を根に持つ個人も多数いるらしい。
一本くわえ、ミナトは「ん」とフライドポテトの束を紙容器ごとシャカシャカ振った。
キズミは手でいらないと断った。
ストローで吸い上げるコーラの量が少なくなり、中の氷がゴロロと音を立てる。
「そういやキズミ、今朝フィッシャーさんに何コソコソ貰ってたんだ?」
「もうすぐ発禁になる睡眠導入剤」
「捨てろ、んなもん!」
◆◇
(今日は、よろしくお願いします!)
「警部補より先にクラウからデートに誘われるとはな!」
「真面目にやってね、金城君」
楽しい親睦会――になりそうだ、とは言い難い。アイラはそう長くない後ろ髪をバレッタで留め上げてる。白いブラウスとタイトなギンガムチェックパンツに、ミュールサンダルという、涼し気な装いだ。ミナトはマリンボーダーTシャツの上にライトグレーの長袖シャツを羽織り、ラフに袖をまくっている。クロップドパンツとスニーカーは白系でそろえていた。偶然にもアイラと並んだ時の相性が良い。服選びが苦手なキズミは適当に、黒いTシャツと青いジーンズ、モスグリーンのアウターを腰に巻いてベルトのホルスターを見えにくくさせていた。
試合の舞台は、バトルネーソスのレンタル競技場だ。ミナトとアイラは所定の位置につく。審判ドローンの機械音声がルールを読み上げる。使用ポケモン一体、使用技および時間無制限のハーフヒットバトル。ポケモンのデータ体内に電子的に組み込んだダメージ計――他のアイテムと同じく、ポケモンの体に害はない――が戦闘不能に達する半分のダメージ量を測定した時点で、試合終了となる。完全に気絶するところまでいくと明日の業務に支障がでかねないので、その予防策だ。
開始前のバトルコートを静けさが包んだ。
この勝負でアイラを納得させることができなければ。
罰として、キルリア=クラウの特訓計画が無期限凍結されてしまう。
自分の力を信じろ。ベンチ席のキズミは、クラウに目配せした。
ごくりと喉を鳴らすクラウ。体調は万全だ。
(ご健闘をお祈りしますわ、クラウさん)
ラルトス=ウルスラにそう言われ、真顔だった白い頬をぽっと染めた。
ミナトの足元にいるネイティがテレパシーで茶化した。
(可哀想なクラウきゅん! 人間風情に搾取されてるから、こうなるんだよねぇ)
「どっか行け、鞠塵」
ミナトはキックの空振りで、豆のように緑色のころんとした小鳥を追い払った。
「留紺、テイクオフ!」
サーフボードで波に乗る瞬間の用語に掛け、ミナトがヌオーを送り出す。
アイラとキルリア=クラウは呼び合った。
「行くわよ、クラウ」
(はい!)
幕開けだ。
「『マジカルリーフ』」
先攻はクラウだ。まっさらだったフィールドにカラフルな下地を塗り入れた。技の属性は草。水と地面タイプを併せ持つヌオーの大弱点をつける。威力が低い分、コントロール性能が高い。葉の形をしたエネルギー弾の乱舞を、ヌオーは一歩も引かずに受けきった。顔を覆って守った腕を外すと存外、けろりとしている。
後攻。ミナトの口角がくいと上がった。
「『ド忘れ』してやれ!」
小首をかしげるヌオー。忘却の暗示で感覚をにぶらせ、特殊攻撃への耐久性が大幅にアップした。
「『サイコショック』!」
弱点を攻めるセオリーから一旦離れるアイラ。突き出したキルリアの手が、見えない垂直の水面を叩いたように波紋を発す。物理攻撃に似た性質をもつアタックだ。ボディブローを受けたような衝撃波が、離れた場所にいるヌオーの腹に見舞われた。
「それなら『鈍い』(のろい)だ!」
スピードダウンと引き換えに、ヌオーの攻撃力と防御力が上昇しはじめた。
ここまではアイラの作戦通りだった。『鈍い』を誘い、動きがにぶくなったヌオーの“急所”を正確に捉えれば、上昇した防御力補正を無視して一気に畳みかけられる。
「『テレポート』で間合いを!」
しかし。
「てめえを信じて『岩石封じ』!」
磨きのかかった攻撃力を武器に、地面から特大の岩槍を出現させた。
クラウの転移先をかすめる。
「もう一発!」
真下がひび割れ、鋭く隆起する。標的にされた華奢な肢体は、あわや後方宙返りで空中へと難をのがれた。浮遊感の中、クラウはバレエダンスとは異なる身の軽さを体感する。憧れのエルレイドに近づきたくて、アイラには内緒にしていたキズミ指導のトレーニング。その成果だ。スローモーションのように周りがよく見えていた。
驚くほど華麗なジャンプに、おもわず見入ったアイラ。
隙を見逃すミナトと留紺ではなかった。
「吹きつけろ、『凍える風』!」
「『鬼火』で防御を!」
目に映るフィールドが地吹雪で覆い尽くされた。
着地したクラウの、両手に灯した火が掻き乱される。膝をついた。吹き飛ばされそうだ。
かじかむ瞼をあけ、極寒にくじけそうな弱気を振り払おうとするが。
「それっぽちの火力じゃ、足りねえぜ!」
ミナトの煽るとおりだ。このままでは体温を奪われつづけて、いずれ力尽きる。
風鳴りの向こうで、ガーディ=銀朱が吠えている。修行仲間へ送る声援だった。
みじめな敗北をさらせば、共に励んだ友達を落胆させてしまうだろう。
『鬼火』が爆ぜた。
憧れのやいばポケモンの特性は、『不屈の闘志』。
足を踏んばり、立ち上がる。負けたくない。応援してくれる皆のためにも。
右腕を突きだし、意識を集中させる。手先の高温をおび、白煙をあげはじめた。
あと一息。握った右手に心血を注ぐ。
クラウが絞り出そうとしている未曾有の一撃の名。
今この瞬間に最も叫ぶべき号令を、アイラは悟った。
「『炎のパンチ』!」
『鬼火』の青紫が、紅蓮へ一変した。
目もくらむ炎が踊るようにクラウの拳を包んでいる。凍えていた全身が熱い。
そのまま一直線に突っこむ。燃えるグローブにぶつかる風の冷気を霧を変えながら。
キズミもガーディも、初成功した技の行方を、喜び叫ぶでもなく食い入るように見つめた。
「悪ぃがオレ達、負けるの嫌いなんだ! 『冷凍パンチ』!」
ミナトの宣言と、ヌオーの唸る拳。
フィールドを殴りつけた凍気が、大輪の花のような氷柱群を咲かせた。
まともに突き上げられたクラウの体が軽々と吹き飛び、むざむざと投げ落とされた。
体力低下を検知して、試合終了のアラームが鳴った。クラウには聞こえていない。
背中が痛い。後頭部も。額の裏がくらくらする。
(まだ、まだ……!)
拳は鎮火したのに、全身の熱は収まるどころか上がり続けていく。
もうこれ以上速くなれそうもないという、胸の鼓動がピークに達した時。
頭の奥の奥から光が溢れ、口も目も耳も内側からのまぶしさで閉じ塞がれる。
少女のような外見が淑女に似た様相へと、大人びていく。
「クラウ!」
突き刺すようなアイラの制止に、苦しいほどにクリアな五感を取り戻した。
サーナイトへの進化未遂に力を使い切り、手足を広げてぱたりと倒れこんだ。
クラウの名をさらに呼びながらアイラが抱き起こした。完全に目を回している。
「やりすぎだミナト!」
「ごめんってキズミ! けど言うほどやりすぎてねーよ!」
少年二人がごちゃごちゃ言い合いながら、上蓋の赤い球に収容される様子を見守った。
「連れて帰って、休ませるわ」
(アイラ様)
出口へ歩き出す前に、呼び止めるウルスラ。
脚に入れた力をとどめるアイラ。伏し目がちをやめて、キッとキズミを見据えた。
「これぐらいで認めないわよ、レスカ君」
敗者に残された意地を噛みしめつつ、「でも……」と、続ける。
「私の知らない間に『冷凍パンチ』を覚えてても、驚かないことにするわ」
にっこりとしてミナトがどんと胸を叩いた。
どんと胸から揺れたキズミは、出口へ今度こそ向かう上司から目を外さなかった。
バトルネーソスを出ると、雲の切れ間からちょうど良い具合に日が差した。
どちらに転んでも受け入れる。任せよう、クラウの想いに。
手の中で眠る大切なパートナーを見つめて、アイラはある買い物を決心した。