NEAR◆◇MISS















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第六章
-6- 炎のパンチ
 この日アイラは最寄りの国際警察支部にいた。衛星通信により構成される国際警察の情報ネットワークシステムのセキュリティに関する研修会に参加するために。閉会までアルストロメリア市の部下から一度も緊急連絡が入らなかったポケギアに胸をなでおろした直後、一人の若い女性職員に呼びかけられた。
 もたらされた緊張感が、ネリーという名前を聞いて理解に至った。
 行方不明となった偵察ムクホークを部下のキズミと共に捜索したものの、救出が間に合わなかった前例がある。
 遺体は専用のモンスターボールに収容して電子移送し、あとに遺されたトレーナーすなわち彼女と対面する機会はなかった。
「あの子の体、連れ帰ってくれてありがとう」
命を救えなかった礼に対し、なんと顔向けしてよいのか。捜索を開始した時点でムクホークからの通信は途絶えており、すでに手遅れであったかどうかの瀬戸際の無念が、女性職員のまだ完全に立ち直れていない表情を土壌に新芽を出すかのようだった。
「でもよかった、辞める前に直接お礼が言えて」
「国際警察を、ですか?」
 アイラは補足的に確認を口走る。
「そうよ。犠牲を出すのはもうたくさん。こう見えてトップオブスカイトレーナーなの。飛行ポケモン乗りのインストラクター資格なら持ってるし、そっちに転職しようと思ってる」
 全体奉仕の警察精神に手の平を返す決断だ。しかし大切な身内を失い、公より私にめざめたネリーの選択の是非は問えない。
 破滅と隣り合わせに生きる刑事の苦悩を、アイラも内に秘めている。それでも自分は、国際警察官として高い使命感に意味づけられた生き方しか知らないのだ。もし職を手放せば、意識不明の父を裏切ることにとどまらない。今まで一緒に困難の乗り越えてきたポケモン達の苦労を無駄にし、規範を示さなければならない部下たちを見捨てるも同じになる。
 ネリーの技能が失われることなく現役の国際警察官に引き継がれたなら、いつか未来で守られる命があると信じたい。
 アイラは意を決し、まっすぐな瞳で願い出た。
「私にスカイバトルを指導して頂けませんか」
 管内最高の権限をもつ初老の男は、遠くから視線だけを動かした。


◆◇


 同日、ファストフード店の最奥のボックス席で対照的な髪色の二人組の男が昼食を採っていた。
「フィッシャーさんも人が悪ぃよ。オレも行きたかったぜ、職場の合コン。早くまわりのガキ扱いから卒業してえな」
 フライドチキンをほおばりながら喋るミナトは、クセ毛を有効利用したスタイリングを地毛の黒で遊び人に見せすぎない。
 個性のない髪型がブロンドの光沢で人目を引くキズミは、御託を右から左へ聞き流しつつコーヒーをすすっていた。
「食欲ねえな。で、医者になんて言われたんだ?」
 もりもり食べ続けるミナトに体調を見とがめられ、紙コップの底にたまる苦汁に視線を落としたまま事実を伝える。
「初期段階の『ハイリンク』らしい」
「うへー。ウルスラ、ショックだろうな。今晩、遊びにいってやろうか?」
 自宅で留守番しているラルトスを気遣ってくれる友人を、キズミがさえぎった。
「こっちの話はいい。帰省の件はどうなった」
「前も言ったろ? かよわい警部補をお前と二人ぼっちにしちまうと思うとさ、気が引けてよっ」
 へらへらした使い回しの言い訳を聞き、キズミはコップを置いて問いただす視線を突きつけた。
「近頃、外部のゴーストポケモンが街に流入している」
 食べこぼしの衣をピッと親指でぬぐい、ミナトはきれいになった口のはしを黙って上げる。父は世界有数の霊能血統を誇るレストロイ家の現当主。一人息子が家督を継ぐ因習は全世界の呪いを束にするよりたちが悪い。相続の足掛かりとして一方的に婚約を言い渡されたが、父親との確執を理由に生家に戻る日取りを先延ばしにしているのだ。
 詳細を知らされていないキズミが目を付けたのは、あくまでミナトの霊媒体質とゴーストポケモンとの因果関係による。
「へー。オレを尋問とはいい度胸だな、相棒」
 おどけたような言いぐさに、面倒くさい話題を打ち切ろうとするミナトの威圧がこもる。フライドポテトを一本くわえ、ミナトは紙容器をガシャガシャと振った。キズミは手のサインで受け取りを断った。ストローで吸い上げるコーラの量が少なくなり、氷と空気がゴロロと音を立てると、完飲を区切りにミナトが再び話しはじめた。
「ところでさ、警部補となんか進展はねえのか? お隣なんだからニヤニヤしちまうよーな事が一回くらい……」
「その事だが」
 奇跡的にキズミが口を割るとみえ、おーっ! とミナトが色めき立ったが。
「自宅周辺は格好の監視場所だ。隣人となった以上、警部補の身に迫る危険を黙って見過ごせない」
 親友が陥った無表情に目もくれず、キズミの大真面目な分析が続いた。
「だが警戒も度がすぎると、俺がストーカーになる」
「せつねえ!」
 噴き出したミナトの笑い声に、周りにいる客が一斉に振り返った。


◆◇


 翌日、アルストロメリア警察携帯獣課の大部屋は女警官ベリンダの婚約発表で賑わっていた。
「花屋の嫁になりまーす! あたしが辞めたら寂しい? うそっ、キャンベルさん! 泣いてる!?」
「バカを言え! さっさと幸せになってこい!」
 派手なOLにしか見えない彼女とは腐れ縁があり、親子ほどの年の差で振り回されてきたキャンベル氏が鼻をすすって怒鳴った。居眠りから叩き起こされたフィッシャーは頬に付着したベリンダのキスマークを寝ぼけ目でこすり、ミナトは笑顔を絶やさない。
「はーい、ロングちゃんにも幸せのおすそ分け!」
 ぎゅっと抱きしめられた時のふくよかな感触に、年上の女性を意識する。
 行方知れずの姉に面影が重なったが、アイラは愛想よく持ちこたえた。
 
 その晩のことだ。待ちわびた給与で先日購入した家電の一つ、テレビの映像を手本にキルリア=クラウは体幹トレーニングを実践していた。真新しいベッドにぬいぐるみのイーブイと並んで寝そべり、なんとなく昼間の光景を思い出していたアイラはキルリアの後ろ姿に目が行き、違和感に気づいて上半身を起こした。
「クラウ、痩せた?」
 腹回りがすっきりしている。生活用品をそろえるために食費を節約していたせいではないか。心配する彼女をよそに、クラウは一瞬きょとんとしてから嬉しそうに原因を思いつく。
(きっと腹筋がついたんです!)
 返事に詰まるアイラと、エルレイト志望の特訓を言い漏らしかけたクラウが固まって見つめ合う。
 そこへ、ポケギアの振動が割りこんだ。
 警察学校の同期だったアイラの友人から、一年ぶりに近況をつげるメッセージが届いたのだ。在学中の親密さに代わり、卒業後は季節の節目に連絡を取り合う頻度で交流をつづけている。ポケギアの画面に表示された友人の合格報告に頬をゆるませ、その場ですぐに送った祝福を合図にチャットがはじまった。
『おめでとう!』
『ありがとー! まだやっとスタート地点だけど、リベンジ達成!』
 文末に絵文字が並び、友人の勝利コメントを華々しくする。これでも一年越しの達成感を表すには控えめなほうだろう。
 ポケモンレンジャーへの転身を決めた国際警察官なのだが、前回のレンジャースクール入学審査では不合格であった。全レンジャーの統括組織『レンジャーユニオン』と国際警察の不和が原因だ、とあの時はさんざん友人から邪推を聞かされた。
 ポケモンの多様性を尊重して共同体に参画させるべき、と高まった風潮が社会通念化するにともない、ポケモンの社会進出は悪事の道具として使役される側であった彼らを従犯から正犯へ増長させ、ポケモン犯罪の質的変化を招くことなった。
 まだ幼かったアイラも不穏な世相を記憶しているように、危機感を募らせた国際警察はポケモン犯罪抑止に向けてあらたな総合対策を規定した。その一例が『アレストボール』である。犯罪目的で開発された『スナッチ』技術を応用した強力なモンスターボールの行使は物議をかもし、当時のレンジャーユニオンは反対派の旗頭であった。のちに両機構の関係は修復されたが、ユニオン側の国際警察に対する信用は不完全であると噂されている。
 野生ポケモンをコントロールするキャプチャシステムの怪しさを棚に上げて、と批判する友人も純粋なアレスト支持者ではない。拳銃型アレストボール射出器「アレスター」をもちいた射撃を特技とするアイラへの形式的なフォローなのだ。ちなみに今は部下の活躍がめざましいので腕の見せ場もないが、むしろ銃が持つ凶器のイメージが抜けないアイラは宝の持ち腐れを人ごとのように感じている。
『じゃ、またね。アイラも仕事がんばって!』
 トレードマークの黒髪のサイドポニーを揺らす笑顔が目に浮かんだ。
 冒頭とは逆に、ありがとう、と返して会話ツールを終了する。後に残った静けさがゆるやかにアイラの心を下降させてゆく。
 思えば、自分と出会った他の女性たちにとっては変化のめまぐるしい時期だった。職を手放そうと思い立った国際警察官。結婚退職し新しい生活のスターアルストロメリアの。努力で願いを実らせた幼馴染の友人。皆それぞれ、進むべき道をみずからの手で切り開いている。
 それに比べて私は、と自嘲的なモノローグがきこえた。
 ひとりの人間として人生の取捨選択ができているだろうか。
 国際警察の父に敷かれたレールの上で、与えられた価値観にしがみついているだけだとしたら。トップオブスカイトレーナーに弟子入りしたあの時の、あの決意も巧妙な幻想だったのだろうか。
 やめよう。
 このまま悩み続けても状況は変えられないし、思い込みによる失敗は部下から学んでいる。やるべきことを先延ばしにする口実はいらない。行動して解決しなければならない問題は他にも山積みなのだから。
 暗転したポケギアを点け直す。登録済みの電話番号を今なら思い切って押せた。
「都合のつく日はないかしら。あなたと金城君にポケモンバトルを申し込みたいの」

 
 ポケギアを切り、キズミはテーブルを挟んで向かい側の席に戻った。
「話の途中だったな」
(いいえ)
 通話相手のことが気が気でなかった。ラルトス=ウルスラは胸の中のもやもやを自覚する。
 緑のおかっぱの少女に似る顔だちをうつむけたまま、大きな赤い瞳は緑色の前髪で完璧に覆い隠されている。座るキズミの背丈に見合う角度からでは、話し合いの命運を握る彼女の表情を読み解くことができなかった。
「悪夢はいつか乗り越える。時間をくれないか」
 大げさではなく本物の強さを感じさせる声だった。
 ロングロード親子を再会させるためにも刑事を続けたい。
 今後も変わらぬ助力を請う彼の真剣な頼みは、苦しいほどにアシスタントの心に響いていた。必要とされることに甘えてはいけないと思いつつ、地に落ちていた自尊感情が救済された心地がした。
 これでいいのかと自問する声を振り切って、ウルスラは彼の胸に寄りすがった。
 手越しに顔をうずめる。猛烈に乙女の心臓がどきどきする。
 わが子をあやすように背中をはたく男の手のせいで、弱い涙腺が満ちてゆく。
「戻ったか、ダッチェス」 
 悲鳴をあげて彼を突き飛ばすと、反発力で軽いほうのウルスラが天板でもんどりうってテーブルの反対側に転げ落ちた。
(邪魔したかい?)
 ベランダから入室した、色違いのブラッキー=ダッチェスがニヤニヤさせた金色の目を墜落者から外さない。テーブルの下でうずくまる真っ赤なウルスラ。キズミは門限にうるさい保護者のようにブラッキーに注意をうながした。
「しばらく夜の散歩はやめておけ。よそ者のゴーストたちがうろついている」
(何かの前触れかい? どのみちアタシは嫌われ者の悪タイプだけど。ところでなんだい、この異臭は。その黒い瓶は?)
「フィッシャーさんがくれた。発禁になった幻の睡眠導入ドリンク」
(捨てなキズミ、悪いこと言わないから)
(ほら、やっぱりですわ! ダッチェスさんもそうおっしゃってるじゃありませんの!)
「おい余計なこと言うな、ちょうどウルスラを説得したところだったのに」
 

◆◇

 レース使いが上品な白いブラウスとタイトなギンガムチェックパンツ、ミュールサンダルで足元が涼し気だ。
 バレッタでねじり上げた髪と相まりアイラの装いは夏らしい。マリンボーダーTシャツの上に着たライトグレーのリネンジャケットをラフに腕まくりし、腰から下をクロップドパンツとスニーカーの白でそろえたミナトがもつ外見の雰囲気と相性が良い。
 見習いの部下とその手持ちのバトル熟練度を調べ、国際警察本部に報告することも上司の重要な務めである。
「残念だったな、警部補。キズミの奴が来なくって。あいつマジでバトルの付き合い悪ぃから」
「気にしないわ。それに今日は先約があったみたい。そうよね、ウルスラ?」
 応援ベンチにいるラルトスは慌ててうなずいた。
「んじゃ、あらためまして! 今日はデートに誘ってくれてありがとう!」
「真面目にやってね。金城君」
 否定のニュアンスもずいぶん丸くなった。
 笑い返したミナトは、キルリア=クラウに向かってかすかに目で合図する。
 ごくりと喉を鳴らし、クラウも小さくうなずいた。
 ミナトの足元にいるネイティが意思疎通のあいだに割りこんでくる。
(ねえねえ実戦で完成? でもクラウきゅん、キズミに恩とか感じないほうがいいよ。ウルスラのこともあるしぃ)
(え?)
「あっち行け、鞠塵」
 ミナトはキックする真似をして、小鳥姿のアシスタントを追い払った。
 記念すべき初戦の舞台は、バトルネーソスのレンタル競技場だ。両者は所定の位置につき、試合前のコートを静けさが包む。ジャッジボットの機械音声がルールを読み上げる。使用ポケモン一体、使用技および時間無制限のハーフヒットバトル。ポケモンのデータ体内に組み込んだダメージ計が戦闘不能に達する半分のダメージ量を測定した時点で、試合終了となる。完全に気絶するところまでいくと明日の業務に支障がでかねないので、その予防だった。
「留紺、テイクオフ!」
 サーフボードで波に乗る瞬間の用語に掛け、ミナトはヌオー=留紺をバトルフィールドに送りだす。
 灰色と赤色の目と目を一瞬見合わせ、アイラとキルリア=クラウは呼び合った。
「行くわよ、クラウ」
(はい!)
 ポケモンバトルの幕開けだ。
 先攻で言い放たれたキルリアの技名が、まっさらだったバトルフィールドに第一の色を塗り入れた。
「『マジカルリーフ』」
 属性は草。威力は低い分コントロール性能は高く、水と地面タイプを併せ持つヌオーには手痛い攻撃となる。
 猛烈な葉状エネルギーの乱舞をヌオー=留紺は一歩も引かずに受けきった。顔を守った腕を外すと存外、けろりとしている。
 後攻、ミナトの口角がくいと上がった。
「『ド忘れ』してやれ!」
 愚鈍そうに小首をかしげるヌオー。忘却の暗示で感覚をにぶらせ、特殊攻撃への耐久性が大幅に高まった。
「『サイコショック』」
 弱点をつくセオリーから一度離れるアイラ。突き出したキルリアの平手が見えない壁にぶつかったかのように波紋を発す。物理に似た性質をもつアタック。虚空を越えて直接ボディブローを受けたような衝撃波がヌオーの腹部をかけ巡った。
「それなら『鈍い』(のろい)だ!」
「『テレポート』!」
 スピードダウンと引き換えに、ヌオーの攻撃力と防御力が上昇しはじめた。
 アイラ達はこれを待っていた。素早いまばたきにも勝る瞬間移動をくり広げるキルリア=クラウ。抜群の機動力をみせる。
 『鈍い』を誘い、動きがにぶくなった相手の“急所”をとらえ、向上した防御力を無視して一気に畳みかける作戦だ。
 しかしミナト達も勝負に打って出た。
「てめえを信じて『岩石封じ』!」
 磨きのかかった攻撃力を武器に、地面から通常比ならざる巨岩を出現させた。その場所がクラウの移動先をかすめた。
 バランスを失ったクラウが仰向けに弾き飛ばされる。スピードで圧倒的に差をつけた翻弄がまさかの力技で破られた。
「勘で悪ぃな! もう一発!」
 尻もちをついているキルリアの真下がひび割れ、自由な移動をさまたげようと鋭く隆起する。
 一瞬の判断が間に合い、標的となった華奢な体は後方宙返りによって空中へと難をのがれていた。浮遊感の中、バレエダンスとはまったく異なる身軽さにクラウは息をのむ。いつかエルレイドになりたくて、キズミの指導でトレーニングを噛みしめる。
 長年一緒にいるアシスタントの、想像もしていなかった華麗なジャンプ。おもわず見入ったアイラの脳裏に冷静な疑問がよぎる。
 隙を見逃すミナトと留紺ではない。
「吹きつけろ、『凍える風』!」
「『鬼火』で防御を!」
 クラウの目から見えるフィールドは一変した。
 両手に灯した力足らずの火が掻き乱される。膝をつき、吹き飛ばされないようにこらえるのが精いっぱいだ。かじかむ瞼を薄くあけ、極寒にくじけそうな気持ちを振り払おうとするが。
「それっぽちの火力じゃ、足りねえぜ!」
 ミナトの煽るとおりだ。このままでは体温を奪われつづけ、いずれ力尽きる。
 風鳴りの向こうでガーディ=銀朱が吠えている。こごえた耳をすますと、同じ修行仲間として送る声援だった。ここで敗れて落胆するのは銀朱も同じなのだ。友達の目に映る情けない自分の姿を想像すると、『鬼火』がはぜた。
 憧れのやいばポケモンの特性は、『不屈の闘志』。
 クラウは踏んばり、立ち上がる。支えてくれた皆に報いたい。必ず成果を出せる。自信をもつのだ。右腕をまっすぐ突きだした。意識を集中させる。手先が高温をおび、蒸気をあげはじめた。あともう一息。右拳に心血を注ぎ込む。
 瞬間、悟ったアイラの声が響き渡った。
「『炎のパンチ』!」
 熱せられた空気がうなり、目もくらむ炎が踊るようにクラウの拳を包んだ。
 ぶつかる風の冷気が一面の濃い霧に変わる。ホワイトアウトに姿をひそめて行動できるチャンスだというのに。
「『冷凍パンチ』!」
 攻撃の追加効果で機敏さを削られたクラウの体は重く、動かなかった。逆転されたヌオーの速さに反応できなかった。
 真正面から影が差し、冷気をまとった打撃が腹のど真ん中をとらえた。クラウの体が軽々と吹き飛び、飛行機雲状の筋を引いた。
 むざんに地上に投げ出されたが、意識はあった。身動きもとれた。
 しかし試合終了のアラームが鳴った。ここまでだった。
(すみません、アイラさん……負けてしまいました)
 あやまるクラウの表情は固い。だが誇らしさをにじませている。口をひらきかけたアイラの目の前で、ミナトが名誉の負傷者をひょいと肩に担ぎあげた。ぽつんと彼女を置き去りにそそくさと歩き出すキルリア攫いに、はしゃぐガーディと冷静なヌオーもついていく。今になってふらつくクラウの耳元に、小さくて聞き取りにくいミナトのねぎらいは表彰のように届いた。
「やったな『炎のパンチ』。おい、おめでとう」
(はい……はい! ありがとうございます! やりました、僕!)
「しーっ! 今、騒いだら警部補にバレるぞ。さっき技名、当ててたし。口裏合わせてごまかさねえと」
 新技を習得した経緯に突っこまれたら厄介だ。珍しくまじめに助言しつつ、ミナトはにこやかに囁きつづけた。
「けどよかったな。『冷凍パンチ』のレクチャーはまかせとけ」
 クラウの顔には輝きがあふれていた。
 蚊帳の外から見つめるアイラも、肩越しに見え隠れするキルリアのまぶしさに表情を和ませる。ラルトス=ウルスラの隣に腰をおろすと、誰にも気づかれないように声をひそめて言った。
「いい笑顔。ちょっと悔しいけど、あなた達に感謝しないと」
 達、と聞いてウルスラは内心身がまえたが、これから追及がはじまる気配は感じとれない。
「……」
 それどころかお茶目な目配せで、ふたりでこっそり抜け駆けしないか、と感じよく誘ってくれている。前々から寄せてくれていた交友心に加えて、男同士の秘密会議が長引くと読んで邪魔になるのを避けたいようだ。
 迷った末、ウルスラは小さく息をつく。不安の栓を抜くと笑みの欠片も戻ってきた。
 行き先として、ずっと気になっていた女性向けの人気カフェをアイラに耳打ちした。

レイコ ( 2015/10/06(火) 21:03 )