NEAR◆◇MISS















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第六章
-4- 押しかけ
 訪問者だ。
 ラルトス=ウルスラは一時預かり中の男の子、エディオルの安全にそなえる。ノックをしたのが隣部屋に住む“ぎょうしポケモン”ゴチムだと分かると、緊張を解いて玄関ドアをあけた。
(今夕、ご出発でしたわね……)
 主人同士の仲は険悪だったが、気が合っていたポケモン間の別れは名残惜しい。ウルスラに同感しながら、ゴチムは今までの謝罪を申し出た。
 主人が騒音苦情をしつこく訴えていたのは、引きこもりの自分とは違う賑々しい暮らしぶりへの嫌がらせだったのだ。結果的に後ろ向きながら、ポケモンコーディネーターの旅を再開できるきっかけとなり、ゴチムとしては感謝していると言う。
 そういえばアイラたちが遊びに来たときも隣のようすを気にしたと思い出されて、最近のことなのにウルスラは無性に懐かしくなった。
 はい逆餞別、とゴチムは後ろ手に隠していたコンテストアクセサリー『ピンクのお花』をラルトスの手に押しつけた。さらにお得意の凝視を決める。目は口ほどに物を言うことには、
 あなたも頑張ってね。
 ウルスラの頬が赤くなる。お互いのむずかしい片想い事情を思いやり、ぎゅっと小さい者同士で抱き合った。

 鏡の前で貰った花飾りをさっそく頭につけてみながら、ウルスラは昼食の用意を思い立った。
(エディオル様、いかがいたしましょう?)
「……あれって、おいしいの?」
 男の子は興味津々に、エスパーポケモンの写真がのったパッケージを指さした。


 警察庁舎の屋上に吹く、ぬるい風。
 涙ぐむキルリア=クラウの左頬はうっすら腫れていた。
(ビーボタン博士式の、ポケモンを驚かせて進化を止める方法は知ってますよ……だっ、だからって! 全力で殴り飛ばさなくてもいいじゃないですかー!)
 大判ハンカチを氷袋に巻いて手渡しながら、キズミが低い声で「すまない……」と謝った。
(うう……でも、ありがとうございました。あやうくサーナイトになるとこでした……これって、特訓の成果が出てる証拠ですよね? ちょっと嬉、わっ!) 
 前向きに言い終わる前に、クラウの首が引っこんだ。低空飛行で過ぎさった鳥影の後に落ちてきた生き物が、しっぽをクッションに着地の衝撃をやわらげた。
 クラウのテレパシーが叫ばれる。
(えと、タチ山さん!?)
 ぺこりと一礼、すかさずオタチ=タチ山が筆談ノートを広げた。
 ――先日の果樹園の件、お世話になりました。幾度も助けていただいたご恩に報いに参りました――と直筆してある。
 クラウはキズミに訊いた。
(果樹園? ドンカラスの件とは別ですよね?)
「今度話す。それより……」
 即座にオタチは、背負ったリュックサックから黒い羽を引き抜き、顔見知りの若い刑事が訊きたがっている来訪の答えを集約させた。
「ドンカラスの根城を掴みましたか」
 分類名に定評のある“みはりポケモン”。人間の一般市民とかけ離れた情報集収集力に、本職のキズミも舌を巻く。すぐに特殊警棒『トランツェン』とモンスターボール発射拳銃『アレスター』の確認を済ませ、気遣わしげに挙動を目で追うキルリアに言いつけた。
「クラウは残れ」
(へ? やめましょうよキズミさん! 一人で乗り込むなんて、怪我でもしたら大変ですよ!)
「怪我人はお前だ、関わるな」
 必要以上にバトルネーソスと自分の問題に巻き込んで、クラウを面倒な立場においてやりたくない。待機を命じるキズミの声にこめられた頑なさが、察しのいいキルリアを渋々しりぞかせた。
 オタチ=タチ山を乗せてきたオニドリルが、はるかに重い人間の客を相乗りさせてビルの谷間を不安定に飛んでゆく。
(約束ですよ! 危ないことはナシですからねー!)
 特大のテレパシーを飛ばすと孤立感が強まり、せわしない街の活気がクラウの耳から耳へ抜けていった。
 携帯獣課の大部屋に戻り、アイラの帰りを待った。
 真っ先に頬の赤みを心配された。 
(これはその、ちょっとドジして……でもキズミさんがアイスパックくれましたし、平気です!) 
「そういう時は気が利くのね、彼」
 口ではシニカルっぽく返しながら、まんざらでもなさそうにアイラが言う。たまには彼の好感度に貢献しよう。ぶん殴られた真相を、クラウは都合よく伝え忘れることにした。

◆◇

 オルデン・レインウィングスの才能を知る者は皆、口を揃えて事業の拡大をすすめたが、彼はそのたびに丁重に受け流してきた。目の届く範囲で製品の質を追求したいのであり、大きすぎる利益は身の丈に合わない。自身の設計したモンスターボール製造マシンは、充分にその指向に応えてくれている。ひと曲もふた曲もある、少数精鋭の従業員たちと送る多忙の日々も過不足は感じていない。
 コンパクトな会社経営を望む別の理由に、オルデンには貴重な時間を費やさなければならない秘密の副業があった。
 今宵、通常業務を終えて離れた目的地に単身おもむくリニアのなか、疲れた首の筋肉にペンダントの重みが障った。気苦労が絶えない意識の上に、十年前の記憶がくみ上げられた。


 友の言葉。
「キズミは……心を閉ざしている」
 医者にポケモンセラピーをすすめられたんだが、迷っている。
 君の意見を聞かせてくれないか。
「君はモンスターボールを作っているし、ポケモンの扱いにも詳しい」

「ベルテッセン市に新設された『バトルネーソス』をご存知ですか? 心の痛みを分かち合える仔ならば、あるいはキズミ君も」
 若いオルデンの提案は、すぐさま実行に移された。
「ドアを開けますよ。今日はきみの新しい家族も一緒です」
 オルデンは寝室に踏みいった。窓のカーテンは締め切られ、照明は消え、しかし人の眠るおだやかな気配のない監房を思わせる閉塞感。
 すみのベッドの上で膝を抱えていた男の子が、昼間の月のような青白い顔をあげた。痩せてまだ幼いが、おもざしは母親の美貌の基礎を受け継いでいた。連れてこられたオレンジの生き物をひと目見て、うつろな瞳孔にかすかな拡張が生まれた。
 呟く。 
「……ガーディ?」
 オルデンはゆっくりうなずいた。
「この仔はずっと、怖い研究所にいたところを警察の人に助け出されたのです。まだ外の世界に慣れていませんが、きみと仲良しになればきっと、元気になりますよ」
 ガーディは床の匂いを嗅ぎまわり、部屋の主を無害と感じたようすで、自分からベッドに近づいた。マットレスのふちに前足をかけて立ち上がり、塞ぎこんだ少年の心の内を透視するようにじっと見上げた。 
 子犬を見つめ返す、あどけない碧眼に、小さな窓がひらいたかのようだった。

 オルデンが上々を報告すると、レスカとその妻は喜びの大声をあげた。
 しーっと、唇の前に人差し指を立てたが、両親並みに顔がゆるんでいた。


 想起していて楽しい気分に浸れる過去とはいえなかった。最寄りのリニア駅に降り立ち、ロータリーに着いたオルデンの腕を、待ち伏せていた女がつかんで引きとめた。
 彼の計算よりも早い邂逅だった。
「待っていたわ……やっと逢えた」
 若くも老けてもいない風貌のなかで、伸ばし束ねた女らしい髪と科学者の気圧がきわ立っていた。成果のためならば狂気すら厭わない、貪欲で独善的な美的成分が以前も増してかぎ取れる。
 かつての妻は唇のはしをつり上げた。
「ねえ、あの子を……エディオルをどこに隠したの? 可哀想に、今ごろ私に会いたがっているわ。オルデン、なんだか顔色が悪いわよ。子育てに疲れているのね」
 かつての夫は寡黙に徹した。
「違う? 仕事のほうかしら。あんなに小さな会社だもの、目も回るほど忙しいのでしょう? それとも、まだあのキズミ君にこだわっているの? あなたほど賢明な人が、いつまでも殺人犯の息子に肩入れなんて」
 男の、眼鏡の奥が冷ややかに光った。
 女の口調が形式のみ焦る。
「ごめんなさい二度と言わないわ。でもどうして? なぜなの? なぜ私のところに帰ってきてくれないの? 理由を教えて? 一体何がいけないの? ねえ? あなた? あなた?」 
 議論をはさむ余地はない。
 オルデンは抑揚なく言い放った。
「君は……エディオルを実験台にしていた。私はわが子を守りたいだけです」
「傲慢よ!」
 取り乱す女の声。背広の肩をゆさぶるが、優しい夫であった頃の顔はよみがえらない。研究の知識に傾倒した頭脳を、彼の心を取り戻すために使うのは異様な屈辱だった。フロントガラスの向こう、音の疎通なく待ちかねている運転手の視線を察知すると、ひらめきと決まり悪さの入り交じった表情が女に浮かんだ。オルデンの耳元に口を近づけてささやいた。 
「ああ嫌だ。はしたないわね、喧嘩を他人に見られるのは。本当は私たち円満なのに……行きましょう。会議であなたが連中の鼻を明かすのが楽しみだわ」
 純真でおぞましい笑顔が、オルデンの精神に毒を盛るかのようだった。送迎車にいざなう彼女の目には、有益な未来だけを見据えた興奮がとり憑いていた。
 
◆◇

 翌日、キズミは面会の予定通り夜明け前にバトルネーソスへ向かった。
「戻ったかドンカラス! やはり君に回収を頼んだのは正解だったな!」
 オーナー=アナナスの歓呼を合図に、キズミの後方で所長室のドアがひらかれた。仕事着のパンツスーツで身を固め、上座のアナナスと別の気勢をもって現れたアイラがキズミを挟み撃ちにした。 
「すまないねえ。このお嬢さんに尋問されて、君が咬んでるとゲロっちゃったんだ」
 アナナスは頭を掻きながら言った。
 先日バトルネーソスで部下のバトルビデオをチェックしたついでに、フライゴン=ライキに乗る腕を磨くため参照した飛行ポケモンの動画集に、アイラは偶然手がかりを見つけていた。
「きのうウルスラを連れていないと聞いて、あなたが無茶をしないようにオハンを見張りにつけていたの。今しばらく部屋の外で待機していなさい」
 ヤミカラスのレンタル停止中に対する不可解と、ハーデリアが報告したキズミによるドンカラス回収劇とがマッチングしたのだ。
 キズミは怒る価値もなさげに一瞥をアナナスにくれ、踵を返した。アイラがすれ違いざまに見た彼の横顔からは、不利な立場から逃げも隠れもしない覚悟がうかがえた。
 アナナスは愛想よく、居残った一人客を手短にあしらおうとした。
「さて約束どおり、私へのお咎めは無しといこうか。いやー君も若いのに大変だ! 下にあんなヤンチャ坊主を抱えて!」  
「『Pz』」
 小娘相手に笑っていた、中年男の目つきが変わった。
「およそ三十年前、ヒウンシティを最大都市とする南部で『ポケモン開放運動』を展開した結社の略称です。元団員の貴方でしたら、聞き覚えがあるでしょう」
「はあん刑事さん? からかってもらっては困りますねえ」
 しらばくれた男の声は乾いていた。
「当時の調べはついています。あなたは国際警察と司法取引し、見返りに実刑を免れたそうですね。捜査官の一人、ジョージ・ロングロードとは面識があるはずです」
 父ジョージがキズミ達の研修地にアルストロメリアを選んだ理由と、アナナス氏の所在の因果関係についても聴取したいところだったが、この日は論点のずれを防ぐべくアイラは留保を決めていた。
 警告の最後は、自分の言葉で締めくくった。
「今後一切、私の部下をそちらの面倒事に巻き込まないで下さい」
 ドアが若い女の退室者をくぐらせ閉められた途端、腹たちまぎれにアナナスの拳が書斎机に振り下ろされ、倒れたペン立てから中身のペンが転がり出た。

「怒ってる? 私のこと」
「自分のおこないは分かっています」
 キズミが言い、アイラは「そう」と呟いた。 
 該当のドンカラスはヤミカラス時代、違法ラボにて被験体にされていた。オーナー=アナナス氏の供述によると、バトルアイテム等の電子内蔵と同様、ヤミカラス時の体に同化していた実験プログラムがなんらかの原因で作用し、隠れ特性『いたずら心』から『自信過剰』への変化、つまりは脱走の引き金というべき自発進化を遂げたと推測できる。
 裏をとれた脱走後のトラブルはポケモンの凶悪犯罪水準に照らすと低く、被害届けも出ておらず、事件として扱うには軽微なものだ。
 アイラは裁量する。
「ドンカラス、オーナーともに処分は説論にとどめたわ。よってレスカ君も同上よ。二度目はないと思いなさい」
 粛清をまぬがれた。にわかには信じがたい。警戒心をとがらせたキズミは言い捨てた。
「借りを作る気はありません」
「借りも何も、私の監督不十分が招いたことよ」
 彼は、敵対視している上司の甘い処置が違和感なのだろう。用心深さも納得のアイラは小さく息をつき、同年代の青年へ宛てるのに要する勇気をたくわえる。的外れに聞こえるのを承知で質問した。
「説明する前に教えて。父が……親バカだったって、本当?」
 金髪にそぐう彼の薄色の眉が訝しげに寄った。
「事実です」
 打てば響くような返答。呆れていいのか分からない安心感にアイラの背中が押された。
「父はね、この指導が終わったら退職するつもりだったの」
 両者のあいだに、静謐な波紋の広がりを感じた。
「私には……前任者の意思を尊重して、あなた達を見届ける義務がある。でもそれだけじゃないわ。本当は小さい頃から疎遠で、やっと家族らしい時間がもてると期待してた。消えた夢に目をつぶり大人ぶってたら、いつまでもあなたと向き合えないから。伝えておきたかった」
 ここだけの話を敢行しながら、アイラは自己完結型の言い分に辟易した。今さら遠慮するのもおかしい彼だからこそ、反応に囚われずぶつかっていけるのだ。曲がりなりにも信頼感がめばえ始めた、喧嘩仲間のような存在のありがたみが少し分かった気がした。
「今日のチャンス、無駄にしないでね」
「約束できません」
 そう言われると思った。アイラはキズミの冷淡な返事に苦笑し、おおざっぱに受けいれる。
「ちなみに、あなたに個人的なペナルティを課すつもりだから、そのつもりで」
 互いに出勤の準備がある。
 キズミと別々に従業員入口を出たアイラを、明け切らない藍色の空と色違いのブラッキーが待っていた。
 アイラは腰をかがめた。
「反抗期ね、私。あなたに認められるままレスカ君といがみ合っていいのか、考え出したら切りがなくて……」
(とんだ裏切りだよ、やれやれ)
 大して気にも留めてなさそうに答えたブラッキー=ダッチェスに、アイラは膝を曲げて目線の高さを近づけた。
「それからあの話、いい糸口になったわ」
(いい告げ口の間違いだろ? アタシはただ、アンタと初めてネーソスでいざこざを起こした日に、アナナスが親父殿の悪態ついてたと教えてやっただけさ)
「ううん。ありがとう」
 謝恩がむず痒いダッチェスは、煩わしげに瞳を細めて話題を変えた。
(それはそうと一つ、根無し草のアンタに耳寄りな情報をあげようかい?)

◆◇

「という訳で、今日からしばらく監視させてもらいます。よろしくね、お隣さん」
 はつらつと律儀にアイラが入居の挨拶をしたが、私生活に吹きこんだ新風に理解が追いつかないキズミの答礼は、ぎこちなさを極めていた。

レイコ ( 2015/01/22(木) 23:42 )