NEAR◆◇MISS















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第六章
-3- 友愛
 妖艶な笑み。
 黒い呪縛霊のように埠頭にたたずむ二人組のうち、若い女の姿をまとう影が弓なりの赤い唇をひらいた。
「焦らすのね。慎重すぎる男は嫌いよ」
「メギナ。そなたの浅慮な独断行動が計画を狂わせたのだ。致し方あるまい」
「そんなことより、早いこと復讐したいんだけど。この顔に」
 幻影がゆらぎ、性が転換する。裾の長い黒外套に包まれた身長が伸び、フードを抜いだ下から灰目の女でなく、前回戦った金髪の男の端正な容貌が現れた。
 黒い出で立ちの同じ、片割れの青い狼型の戦人は赤く染まった瞳を無言の槍とした。
「不純? ソリッシュ」
 声色は甘く同情的に。容貌を貶める歪んだ微笑を浮かべ、作り物の自分の頬に這わせる長い指は満足げだ。気が済むと幻影を一つ前に戻し、ふたたび実在する警察娘の外見を借りる。
「いいわ。チャンス到来まで待ってあげる。でも情に流されるのはナシよ。あんたの昔の飼い主、この顔の女の姉だそうじゃない」
 波導使いの鋼の肉体をもってしても、ソリッシュの狼の耳介は動揺の震えを防げなかった。

◆◇

 夕方ミナト達との野球あそび中に入った連絡は、恩師オルデン・レインウィングスからのものだった。
 事情があり、息子エディオルの面倒を数日のあいだ頼まれた。キズミは快く引き受けた。色違いの居候に同居人が増える報告をすると、機嫌をそこねたらしく彼女は出て行ってしまった。
 その夜、カサブランカ市から飛行機経由でやって来た小さな男の子を、キズミとラルトス=ウルスラは温かく出迎えた。 
 久しぶりの夕食は、兄弟のような和む関係ならではの団らんだった。
 おだやかに笑い合う時間が皿をカラにし、風呂に入れ、人をパジャマに着替えさせる。エディオルは譲られたベッドにもぐり、チルット=アフロがふわふわの羽を頭の下に滑り込ませて枕にする。父オルデンの面影がある顔立ちを掛け布団のすき間からのぞかせ、キズミ相手にまだ話し足りない様子だ。
「おとうさんが、出歩かないでこの家の中にいなさいって。前におしごとでいっしょに来たとき、ヤミカラスたちにおそわれたからかな?」
 首領ドンカラスとのバトルを思い出したのか、チルットは武者震いで羽毛を膨らませた。エディオルは腕を回して青い冠羽の生え際をなでた。 
「だから明日、本よんでていい?」
「もちろんだ」
 キズミが頷くと、本棚に並ぶ背表紙に嬉しそうな目を送る。子どもが興味を持ちそうなタイトルはほとんどないが、表情から活字への関心が湧き出ていた。
「ありがとう、キズミおにいちゃん。ぼく、さみしくないよ」
 にっこりと、顔中に背伸びをした笑いをたたえて伝えた。
「もう……ねたほうがいいよね。おやすみなさい!」
 掛け布団を頭の上まで引き上げる。くすん、中から鼻をすする音が聞き取れた。チルットがごそごそ動いて、エディオルの目隠しに皺が寄った。
 明かりを消し、キズミは部屋のベランダに身を寄せる。何も言わずにウルスラがついて行く。柵に肘を乗せ中空の一点を眺める彼は、公務中のプロフェッショナルとは別人と見間違えるほど、今なら誰でも寝首をかけそうに上の空だ。
 記憶と思いの重奏が鳴り響き、胸中に自己否定感が逆巻く。キズミは乾燥的になりきれず、抑えきれない片鱗を集め、低い頼み声として無毒化した。
「先生の引越し先が決まるまで、エディのそばにいてくれないか」
(わたくし……警察のお仕事は?)
「子どもに、デリバリーでメシを頼むような真似をさせたくないんだ」
 彼は、変わらない。
 ウルスラは寂しそうに、口元だけの笑みを作る。譲られることのない意向を汲んだ。
(……かしこまりましたわ。でも絶対、くれぐれも無理なさらないでくださいね)
 やるせない歩幅で立ち去るラルトスを背中の気配で見送れば、キズミだけが部屋の外に残された。
 一人占めにできる静寂。
 ため息が、出た。


 キズミとミナトに、申し訳程度にアイラを加えた出勤早々の朝の会話は、「化石騒動」の元凶であるプテラの復元主、某シティの古代ポケモン研究所で起きた火災のニュースで持ちきりだった。
「物騒ね。私達も気を引き締めて、今日も一日仕事に励みましょう」
 命令口調ではない澄んだ声が、部下たちの耳にさざなみを立てる。悪い意味で冷静なキズミを残し、女性の変化に目がないミナトが顔を輝かせた。
「あれっ、オーラが優しいぜ警部補。なんかいいことあったんすかー?」
「ダッチェスのことですか」
 ことばの吝嗇家のような二番手が、最初の食いつきを受理させない。
 アイラは心の準備の途中を抜かして、そっけないキズミの読みを認めた。
「ええ。ゆうべ偶然会って、話したの。力になってくれるみたい」
「そりゃ良かった! これでロング警部の犯人捜しが進展するかもしれねえな」
 気が早いミナトの祝杯ムードに助けられる反面、アイラは軽くなった胸を地に着かせる。無愛想な態度を崩さないもう一人の部下に、凛と目を上げて告げた。
「結果的に、レスカ君の手柄だと思うわ」
 キズミの碧眼が武装を固めた。
「当てつけですか、それは」 
「はき違えないで」
 強気な否定がアイラの口調に表れて、望んでいない臨戦態勢となりかける。
 彼と色違いのブラッキーの行き違いにつけ込んで、昨夜の和解を成立させたと評価して欲しくなかった。
 女視点から少し、ダッチェスの気負いが掴めたのだ。損得勘定にかこつけて協力を申し出たのは、今までダッチェスへの親身な対応を惜しまなかった、キズミの感化を受けたのだろう。
「……とにかく、あなたのおかげよ」
 返事のない代わりに、部署の作業音が紙に染み込む油のように労力なしで、よく聞こえた。
 またねクラウ君! と、明るい女の声が乱入する。よその持ち場の婦警から解放されたキルリア=クラウが、凝り固まった愛想笑いを顔にとどめたまま、キズミたちの輪に加わった。
(やーベリンダさん、なんだかご機嫌で……そういえばキズミさん、ウルスラさんは?)
「私用で家に置いてきた」
(あっ……)
「待って」
 トラブルの種を撒いたとクラウがひるんだ時すでに遅く、アイラが非難と思い遣りのまなざしをキズミに向けていた。
「自衛はどうするつもり? やっぱりあなた、警察の危険意識が足りていないわ。何を任せたか知らないけど、ウルスラはレスカ君を心配してるはずよ」
「あなたに何が分かるんですか」
 怒気を秘めた冷ややか応答が、事故現場に侵入禁止のテープを張りめぐらすかのようだ。
 大人しく威圧に引けず、上司らしい訓示も返せない。立ち往生させられたアイラは、報われない覚悟で食い下がった。 
「私を愚かに思うなら、きちんと説明すべきだわ」
「あのさー」
 路上の客引きのノリに扮し、ミナトが、檻越しの獣のように見合う二人の真ん中にずいと割り込んだ。
「警部補、昼メシどっか食いに行きませんか? オレ前から誘いたかったんすよ。キズミは弁当持参だろ、ウルスラ手作りの」
 キズミがはっきり首を縦に振る前に、ミナトは決めつけて話を進めた。
「じゃ、留守番な! お、なんでも食いたいもん言ってください。いい店連れてくんで!」


 アットホームなカフェのカウンター席で肩を並べる。大盛りカレーライスを掻き込んでいたミナトが目配せで、しおらしくシナモンスティックを紅茶に漬け込んでいるアイラの気を引いた。
「ダッチェスの件、お疲れさんした」
「……まだまだ、これからよ」
「緊張してます? 二人きりは地味に初めてだもんな」
「そういう言い方はよくないわ」
「マジメだなー、警部補は!」 
 ミナトは軽い笑い声を立て、表情を波立つ夏海のように輝かせた。入りやすい話題の筆頭に、大胆にもキズミを持ち上げる。
「オレも、昔は取っ付きにくかったっすよあいつ。無口で陰気臭いガキだったし、警察学校でルームメイトじゃなかったら疎遠だったかもな。でもその内ポケモンに熱いと分かってきて、気づきゃあイジるのおもしれー奴になってたんす」
 意外そうに話に聴き入るアイラ。
 思い出し笑いでにやけながら、ミナトはここぞと人の興味を掻き立てた。
「きつい訓練時代を乗り切るには、いい相棒(バディ)でした。つーワケで今度、みんなで遊びに行きましょう!」
 爽やかに下心をアナウンス。
 どんな警戒心も、ここまで人懐こい笑顔の前では折れてしまう。
 今はいないキズミの存在感をフォローするところも、アイラが孤高の壁作りを軟化させるまで待っていたと思しきところも、憎めないミナトの作戦の内となり果てる。
「金城君は……友達思いね」
「いやいや、上司思いなだけっす!」
 混ぜ返してよろこぶ彼の藍の瞳を見ていると、まるで風船を括りつけられたようにアイラの気持ちが浮いてくる。
 部下との会話を楽しむ心の余裕くらい、常に持っていたいものだ。
 油断して樹皮の香り付けが過ぎた紅茶をすすると、ほのかな辛味が彼女の舌を引き締めた。 
「ポケモンバトルはどうかしら。次の報告書を作る時の参考にしたいの」
「お、やった! 警部補と手合わせしたことねえから面白そうだ! ただちょっとキズミが……」
「私を疎んじて、乗ってこない?」
「そうじゃなくて、ああ見えて色々リハビリ中なんすよ。まあなんとかします」
「無理しなくていいのよ」
 助け舟を出そうと咄嗟にアイラがほほえむ。途端にガッツポーズを作ったミナトが、カレーを口いっぱいに詰め込んで飲み干した。  
「どうしたの?」
「美人の笑顔は、空腹にまさる最高のスパイスじゃないっすか! キズミの野郎、こんないいもん見逃しやがって。ズレた相棒(バディ)ですんませんっ」
 別に金城くんの謝ることじゃ……
 と、アイラは視線を外して口ごもった。
 

(ありがとうございました!)
「味見でそこまで喜ばれると、な」
 空っぽのランチボックスを片付けながら、キズミがキルリア=クラウの感激に苦笑する。好きなラルトスの手製と聞き、一口だけと懇願してきたのだ。つまむ量に糸目はつけなかったが、さすがにクラウは遠慮深かった。
「ハーイ、キズミ君クラウ君! あらロングちゃんとミナト君は? ランチデート中だったりして!」
 朝も来ていた、派手めなメイクにサロン仕立て風の巻き毛のアップ、豊かな胸を強調する着こなしの女性警官、ベリンダが、昼食入りのレジ袋を片手に冗談めかして言う。同伴のポワルンは背中に隠れて出てこない。
 真に受けた中年の男性職員キャンベルが、険しい声で現状に食ってかかった。
「デートだと? 気にいらん! 厚意で落ちこぼれの国際警察官を置いてやっとるんだぞ、ウチは。ヒヨッコめが踏み台のローカル警察にすぎんと舐めとる証拠だ。ついでに起きんかフィッシャー!」
 バーンとデスクに鉄槌がくだり、居眠りしていた男フィッシャーが、フゴッと鼻息の逆流を起こした。
「貴様のようなたるんだ刑事がおってはよそ者に示しがつかん! お前もだベリンダ、さっさと持ち場に戻れ!」
「やぁんフィッシャー君おはよ、目覚めの良くなるキッスしてあげよっか?」
「おれのはタバコ味だぞー」
 甘えて後ろから首に抱きついたベリンダが、寝起きの一服に入るフィッシャーから「じゃあやめとくぅ」と笑いながら離れた。
「行くぞ、クラウ」
(へ? あ、はいっ)
 動向を執拗に探るキャンベルの目が追いかけてきたが、キズミは無問題を決めて顔の赤いキルリアを連れ出した。
 あのう、と歩くキズミを上目に、クラウはテレパシーで呼びかける。
(今朝のあれは、デ、デートのお誘いだったんですか……?)
「ミナトを信用しろ」
 この人が違うと言うのなら、となんの疑いもなく胸のドキドキと頬の熱が引いていく。 
「基礎トレの進捗を見よう。準備はいいか」
 都会的な青空の見え方がするアルスアトロメリア警察庁舎の屋上に移動し、クラウは鍛錬メニューに従い鍛えた身のこなしを披露した。
「上出来だ」
(やったあ!)
 素直に嬉しくて、飛び上がって喜ぶ。
 キズミの考案した新技習得法は、友人のポケモン育て屋から取り寄せた資料をクラウ用にアレンジしたものらしい。
 ところがクラウは右肩下がりに元気をなくし、どうしたと声をかけられてようやく、踏ん切りをつけた顔でたずねた。
(変なことを聞いて、すみません。どうしてキズミさんは僕たちポケモンに親切なのに、お手伝いはウルスラさんひとりなんですか?)
 青年の整った容貌が憂いに挑む方面から鋭利さを上げ、人間ではないキルリアの心にも、余韻を引く美しさを感じさせた。無知な者に秘密をゆだねるために彼が消費せざるをえない力を、害のない凄みと知覚さえした。
 クラウの選んだ目下の疑問をぶつける時期は、直感的に正しかった。
 傷ついた過去を共有させる懸念を振り払い、キズミは彼を見込んで打ち明けた。 
「……子供の頃から一緒に暮らした、家族同然のガーディがいたんだ。そいつと国際警察官になるのが人生の目標だった」
 キズミは、吐く息を噛みしめた。
「四ヶ月前、それができなくなった。避けられた事故だ。俺の責任でもある」
 大切なパートナーを失った痛み。あまりに身近で、すぐ足元に転がっている現実。なぜ今まで気づけなかったのか。彼の感情を塞いでいた蓋の厚さに、目まいがする。体の力が抜け、しょげこんだクラウのテレパシーは鼻声だった。
(本当に、申し訳ないです)
「いいんだ。この間、電話で恩師に諭された。ヤケにだけはなるな、と。正論なのは分かる」
 ――いつだって、悪いのは俺のほうだ。
 感情ポケモンの分類にたがわず、なりふり構わず、この瞬間こそキズミの悔恨に濡れた奥底の独白をすくい取る。見栄も虚勢もはらずにきたキルリア=クラウの本気が、放たれるべき器から溢れた。
(そんな、悲しいことで僕たちのつながりを拒まないで下さい。今が無理でもせめて、キズミさんとアイラさんが一緒にいる間は、僕を、これから強くなる僕を、お役に立てて下さい! いつか体の刃(やいば)も、心の包容(ほうよう)力も身につけて、最高のアシスタントになりますから!)
 少女のような姿の全身が、淑女の様相へと大人びる進化の光に満ち満ちた。

レイコ ( 2014/12/21(日) 16:52 )