NEAR◆◇MISS















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第六章
-2- マッチング
 犬ポケ用オモチャで使い古しのゴムボールが、ミナトの手からぽーんと垂直浮遊して巻き戻し式に落ちてきた。キャッチ。
「三振取ったらオレ、警部補をデート誘うからなー。嫌なら当てろよー」
 からかいを高らかに宣告して、ヌオー=留紺(とめこん)の素手を構えたコースに投球する。球筋に甘えは無い。節くれだったでこぼこの棒切れを、金髪のバッターが仏頂面でフルスイング。打撃はボールを夕暮れの空に跳ね上げた。
 見送るミナトの声も浮き上がった。
「お、フライ!」
 待ってましたと発進する内野兼外野手、ガーディ=銀朱。予測落下地点に走り込み、狙い定めてジャンプ、ぱくりと空中で受け止めた。
「ナイス! へへっ、正直だなキズミは」
「アホか」
 言い返し方が、疎ましげである。
 黒髪のピッチャーから笑い声が飛んだ。
 人間同士の立ち位置を交換して、草野球にもならない四人プレーを続行した。キズミとミナトのどちらからともなく、今日はこれでラストだという空気が伝染する。芝生のグラウンドに引き伸ばされた濃い影が落ちていた。
「しっかしあれから一回も現れねえな、例の襲撃犯。あんまり警部補の周りで音沙汰ねえから、留紺(とめこん)たちのボディガード切っちまったぜ」
 ミナトが喋りながら振り切った棒は、キズミのストレートにシュッと下をくぐり抜けられた。受け止めたヌオーが投げかえす。打球を待ちわびているガーディがヒャンと無駄吠えした。
 土埃にまみれたサッカーボールが風もないのにコロコロ動いているのは、姿を消したネイティ=麹塵(きくじん)が操っているのだろう。
「平和はあくまで暫定だ。油断するな」
「てめえがもうちょい、警部補とお近づきになるほうが先決じゃねえか? 別に嫌いじゃないくせによーシャイだなー」
「……さっきから何が言いたいんだ」
 反則と知りながらピッチングフォームの途中で止めて、腕を下ろしたキズミは親友を射すくめた。
 さんざん振りまいた疑いをかけられたミナトは、筋書き通りにへらっと笑う。
「オレさ、実家帰ってケジメつけてえことあるんだ。んで、頃合い見つけてしばらく休み取るつもり。留守中、カワイイ上司がキズミにいびられるかと思うと不憫でよ。ウルスラにゴマすりながらでいいからさ、早く警部補と仲良くしろよな」
 それを言うためにわざわざ、ウルスラから引き離すように自分を公園に誘い出したのか。キズミは表情をしかめた。
「軽口で誤魔化すな。家のことは大丈夫なのか」
「ぶはっ、心配されるとか終わってんな。まかせとけって! さあもう一球!」
 大した自信家に催促されたからではなく、煮え切らない後味の悪さを振り払う意味で両肘を振り上げる。キズミのモーションが終わりきる前に、今度はポケギアの振動に介入された。
「噂をすればウルスラからか?」
 遊びは終わりと予感して、ミナトは信頼と安心のハウスキーパーの名を真っ先に挙げたのだが。
「違う」
 キズミは言葉少なに否定し、刻々と衰えていくオレンジの西陽の中でメールの文言を読み耽った。

 夜の足は(はや)い。
 改良を重ねたペンダントが壮年の首にぶら下がっている。丸眼鏡をかけた白衣の男、オルデン・レインウィングスは、独自の調べで断片を掴んだ歓迎しがたい懸案事項を見つめていた。
 コードネーム【ドルミール】。
 【タンタキュル】と共にアルストロメリア潜入任務中であったジョージ・ロングロード氏の襲撃事件、その真相解明と犯人拿捕の下命を排した単独の国際警察官である。
 ウインディ=ファーストを再起不能に陥れた張本人が、おめおめとキズミ少年の近隣を徘徊しているのだ。レスカ家の遺児には全幅の信頼を寄せているが、憎い仇を眼前にした彼が感情に先走った行動を取らない保証はない。
 血の繋がらない親心が、実父に劣らず不穏に騒ぐ。
 亡き友が提案に乗り、まだガーディであった頃のファーストを『バトルネーソス』から引き取り、家族として迎え入れていなければ、遺された彼の息子が背負う運命も変わっていたのであろうか。
 端末の呼出音が鳴り響く。
 表示名を見たオルデンはかすかに双頬を強ばらせたものの、何事も無かったかのように電話に出た。 
「おはようございます。シレネさん」
「オルデン……あの子はどこ?」
 女の声。
「お願い、子どもに会わせて。なんでもするわ。もう耐えられない……なぜこんな仕打ちをするの?」
「すでに理由は説明しましたが」
「聞いて。あなたは誤解してる。あなたが考えているような非道いことではないの。素晴らしいことなのよ。なぜ私の所に戻ってきてくれないの……?」
「判りました。もう一度答えましょう。君が科学者の心を捨てない限り、私は息子を君の目に晒すつもりはありません」
 女は嗚咽をもらした。 
「仕掛けられていた盗聴器は全て外しました。その他スパイウェアも同様です。
君が雇っていた探偵は直接会って話を着けました。君が一日でも早く、心の平穏を取り戻すことを祈るばかりです」
「お願い、聞いて。愛しているわ……あなたもあの子も」
 通話が切れた。
 


 閉館時間が近い。レンタルポケモンバトル施設「バトルネーソス」の視聴覚ブースは、アイラ一人の貸し切り状態になっていた。
 バトルビデオの中の部下二人は両方とも、ドキッとするような良いバトルの腕をしている。レンタルポケモンたちの力を、まるで実の手持ちのように引き出している。キズミとミナトの映像記録についてまとめた報告書を、日付が変わる前には完成させて国際警察本部に送る予定だったが、時間を忘れて見入るとはこのことだ。
 旧作順に再生されていくビデオの最後を飾ったのは、対戦日時の一番新しいデッドロックバトルだった。使用ポケモン三体のタイプを電気、水、地面のような三すくみの相性に固定するルールにより、不確定な勝敗要素を削減できる。キズミたちはオーソドックスに草、水、炎の三種で力を競っていた。
 報告書の下書きがその場の気分に流されにならないように、アイラは久しぶりに味わったバトルの高揚感を冷まさなければならなかった。戻ってきた平静さと引き換えに、鑑賞後の余韻が敗北感に溶けていくような気がした。
 みんな、私より上なんだ。
 部下のキズミ・レスカがあんな風に、生意気にフライゴン=ライキの乗り方に口出しができるのも、私より優れているからなんだ。
 でも、それならそれで、“しっかりしなさい”。
 父の件で彼を恨んでいた頃の苦しさになぞらえて、アイラは上司の面目などすでに有って無いような自分に活を入れた。
 頬をビンタで挟んだようなフィーリングの破裂を感じて、隣の椅子でうつらうつらしていたキルリア=クラウがずり落ちそうになって飛び起きた。
「休むならボールの中にしたら?」
 連日の残業疲れだろう。そう思い遣ったアイラだが、本当の原因からは少しずれていた。
(はい、そうしますっ)
 エルレイドに向けた内緒のトレーニングがバレないか、クラウはハラハラしながら答えた。一定の負荷に体が慣れるまでしばらくかかる、と秘密のコーチに釘を刺されている。明日も頑張ろうと意気込んで、モンスターボールにもぐり込んだ。
 アシスタントのキルリアが眠りに入ると、一人きりになったアイラを営業終了の館内放送が追い立てた。夜逃げのように身支度してブースを出る。帰路につく足が重い。自分にも、クラウのような場所を選ばない専用の寝室があればいいのにと思う。
 手続き上は父親と同居ということにしているが、意識不明の本人の了解なく本気で居着くつもりはない。警察署の宿直室と父親の病室、ネットカフェやポケモンセンターのローテーションから抜け出すためには、新居探しに本腰を入れる必要がある。しかし、これがなかなか難航している。
 というのも、アイラの日常は多忙を極めていた。父ロングロードの指揮下にあったポケモンたち――行方不明だったデンリュウを囮に引き起こされたアイラの誘拐未遂事件は今なお、ロング警部を意識不明に追い込んだ被疑者と関連が深いとみえつつも、実行犯の捕捉につながる手掛かりを得られずにいる。
 国際警察本部も同事案を扱っているが、捜査性の違いからアイラが所属するアルストロメリア警察との情報共有はほとんどおこなわれていない。
 満足に立ち回れない身の上に気持ちばかりが焦っている。今夜の行き先を頭の中で巡らせながら、バトルネーソスの正面出入口に向かうアイラは、時刻を逆手に取ったよく響く人声を耳にした。
「おいナティ、最近部活サボってんだろ? バイトバイトって言い訳すんなよな!」
「うっさいわね、リュート。前はバト研に近づくなーって、あんなに騒いでたくせに」
「あれはっ……いいんだよ!」
 ポニーテールの女子とワークキャップを被った男子が、がらんとした受付ホールで何やらもめている。男子の足下にはヤミラミがいた。喫茶『くさぶえ』のウェイトレスと、ミナトが潜入捜査中に関わったハイスクールの生徒だ。アイラの脳内検索があっさりヒットする。 
「はんっ、どうせ、あのソウだかミナトだかいう客に熱上げてるだけだろ……マジくっだらねえ」
「ばか、はずれです。早くここのピクシーを引き取りたいのっ。だからお金がいるのよお金が」
「でもネーソスのポケモンつったら、ほとんど犯罪に使われた奴らだぜ……言っちまえば服役囚だぞ。お前みたいなド素人にハードル高くね?」
「うわー偏見。大丈夫よ、あたしとあの子、相性バッチリなんだから!」
「けどお前、道具を持たせる推奨方法も知らなかったろ? バトルの常識ゼロ以下だったぞマジで」
「あれでしょ、ポケモンにデータ化したアイテムを内蔵するってヤツ。ポケモンの動きの邪魔にならないだけじゃなくて、トレーナーは肉眼で道具が見えないから戦略を読みにくいんだっけ。あんたのおかげで覚えたんだし、いいじゃない? ……一応感謝してるのよ」
「お……おう」
 話がまとまったようだ。
「……帰るか」
「そうしよっか」
 ヤミラミがギザギザの歯をニヤニヤさせて、まんざらでもない雰囲気の二人の後についていった。
 こっそり見届けたアイラもちょっぴり笑みを漏らしながら、レスカ君もたまにはあの男の子くらい聞き分けが良ければ苦労しないんだけど、と無い物ねだりな想像をして、小さな幸福のおこぼれをむざむざと取り落としてしまう。
 それを目ざとく拾い上げるように、テレパシーを使える顔見知りが真後ろに立っていた。
(煩いアベックがいなくなったね)
「ダッチェス……」
 きれいな装いだ。ポンチョ風に羽織ったフード付きの青い大判ストールが、希少な色違いのブラッキーという見た目の尖った個性をまろやかに覆い包んでいる。
(これかい? アナナスに頼み込まれてね。知らない奴にジロジロ見られたくないから、体を隠すのにちょうどいいんだよ)
「フィッティングモデルかしら? ネーソスのオーナーさん、ポケモン服のデザイナーだものね。よく似合ってるわ」
(お世辞はご免だよ)
 興味なさげなダッチェスだが、こちらの言葉の裏を探り出そうとするような目付きでは無い。
 悪くない手応えに、アイラは少しだけ大胆になる。日頃打ち解けているとは言いがたいコミュニケーションの改善に乗り出した。
「ダッチェス、今夜はここに泊まるの?」
(キズミに来客があってね。空気を読んで、出て来てやったのさ。アンタは?)
「私?」
 確認の声がうわずった。いつもは質問と応答を使い捨てるだけの会話に、夢みたいな語尾のおまけが添られたのだ。手放しで浮かれると、その先の舵取りが不安になる。心を落ち着かせて答えた。
「まだ決めてないわ」
(今から宿探しかい? なんなら暇つぶしに付き合うけど)
 アイラとダッチェスの足並みが、生まれて初めて揃った瞬間だった。

 フライゴン=ライキに乗って『空を飛ぶ』。 
(アンタ、キズミのこと嫌ってたよね。アタシも今は似てるかも)
 ダッチェスの言い方からなんとなく察しがつき、アイラは持てる包容力を出し切るつもりで耳を傾けた。青いストールの裾がふんわり夜風に靡いている。
(無理して囲わなくていいのにさ、アタシみたいな居候。手持ちにする気もないくせに。平気な顔して居場所だけ与えてさ。アタシは別に、誰と縁が切れようがひとりで生きていけるのに。甘く見られてるみたいでイライラするよ)
「それは……困った人ね」
 アイラの相槌に、色違いのブラッキーが勢いづいた。
(そうともさ。ウルスラはアイツにベッタリで絶対に肩を持つし。こっちは人間の世話焼きに慣れてないんだ。それが弾けたんだ。でもきっと今頃、キズミはアタシが急にへそ曲げたと思ってるんだろうよ。どうせ長続きしない身内ごっこなんだから、さっさと見捨ててくれたほうが気が楽なものさ)
 本当に、そうかな。
 息だけでささやくように、小さくて無視できない疑問がアイラの胸に降って湧いた。
 強く慕っていた姉と別離した日。
 母が壊れて父の元に身を寄せた後、突然父の意向で姉妹揃って国際警察の訓練施設に入所させられることが決まった。仕事優先で我が子の生活を見放そうとする行為に憤り、幼い妹を連れて自立すると姉は反発した。アイラは喧嘩別れを止めようとしたが、血迷った姉はアイラの頬を叩いて(ののし)った。
 黙ってよ、この男は何もわかってないんだから。 
 家族思いだなんて、全部ママの受け売りじゃない。ママは事件のあと、知らない男と逢うようになったわ。私、一度手を出されそうになったのよ。
 アイラは自分の頭でちゃんと考えたこともないくせに、呑気にそいつの味方ばかりしないで!
 ――その形相で妹を育てていく気か。
 かつての拠り所であった男を直視した姉の顔に、苦痛そうに歪んだ表情がこみ上げた。謝る声を聞き取るのがやっとだった。
 ……ごめん、アイラ。
 お姉ちゃん、ママになりかけたね。でもいつか……
 揺れる。揺れる。背中に届く長い髪。
 おねえちゃん、おねえちゃん。
 もう二度と会えないような絶望に駆られて、アイラは大好きな人の後ろ髪を必死で目に焼き付けた。

 あれから一度も、姉からの連絡は届いていない。生死すら分からない。
「ダッチェスは強いわね。私だったら……そんなこと言えない」 
(……まだそれでも、キズミの分からず屋具合はマシな部類だろうけどね)
 アイラの何か踏んだ感触が、ダッチェスにまとわりついた。これだから特性『シンクロ』は。自分のペースがつかめなくなる。アンタ悪い娘じゃないんだから、そんな顔しないでおくれよ。焦った気遣いと自分の愚痴を聞いてもらえない苛立ちとで、計算外の台詞がダッチェスの口をついて出た。 
(アンタにはキズミを手懐けてみなと云ったけど、反対勢力のままのほうが好都合かもしれない。アイツをこき下ろせる仲間を一人くらいキープしておきたいし、立場的に上なアンタとコネがあれば便利そうだ。そうと分かればアンタの親父殿を襲った犯人探し、少しだけなら協力してやってもいいよ)
 アイラの目に届く星の光が、一斉に輝きを増したような気がした。
「本当?」
(アタシの負担にならない程度にね……だから早く元気をお出し)
「ありがとう! ありがとうありがとう、ダッチェス」
 全身を使って喜びを伝えたいのに、愛竜の上では出来ない動きが多すぎた。せめて声だけは力強く、想いだけは張り上げた。
 一生分の感謝に出くわしたかのような痒みに耐えかねていたダッチェスは、くふっ、と前方で吹き出された息の音を聞き逃さなかった。 
(笑いのお釣りが欲しいのかい、ライキ)
 慌てて真顔を作り、フライゴンは一段と上昇した。

レイコ ( 2014/10/10(金) 22:23 )