NEAR◆◇MISS















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第六章
-10- ホテル
 勝手に借りた前かごの大きいキズミの自転車に乗り、からりとした温かい夜風を浴びている。ペットボトル飲料を仕入れた商業地から住宅地へ、ミナトはのんびり車輪の回る速度で帰る途中だった。
 青春っぽいことを青春っぽいと俯瞰するのは、ジジくさい。だから楽しさの意味なんて、深く考えない。親睦会のようなそうでないようなバトル企画は果たせた。上司の引っ越し祝いもやれた。次は皆で海へ行きたい。気温の上昇は順調だ。キズミの家のソファで、インナーのみの恰好でブランケットを蹴り飛ばして寝ても風邪をひかない気候になってきた。人の家に泊まってだらしない格好をするな、とキズミからはこまめに注意される。今更すぎる。訓練時代のルームメイト気分をやめるのは面倒くさい。キズミはお節介焼きなのだ。そんなことだから、うぶなウルスラに惚れられて話がこじれるのだ。意地を張らずに、さっさとアイラと和解したらいい。可愛い女子に冷たくして一利なし。あれではかまってちゃんだ。ただのむっつりスケベだ。今度そう言ってからかってやろう。面白い顔が見られそうだ。ああいう不器用でクソ真面目な天性の努力家を親友に持つと、意外と人生に退屈しない。
「チャリでツーリングも悪くねえな。このままオレと朝帰りしちまうかー?」
 購入品と一緒にかごに乗っているラルトス=ウルスラがあたふたした。
(じょ、冗談でもそういうのは、いけないと思いますわっ) 
 にししと笑っていたミナトが、気配を感じて口角を下げた。
 ぱっとサドルから降りると、後輪のスタンドを蹴り落した。
「悪ぃ、ちょっと用事。先帰ってな」
 ラルトスを自転車に残し、ミナトは獲物を見つけたマニューラのように走り去る。


 他の霊能力者の考えは知らないが。
 並外れて知覚できるミナトに言わせれば、幽霊なんていない。  
 生前の思念の一部が霊的エネルギーに変異することはある。後に残された生者の心の投影が霊的な力を持つこともある。幽霊と呼ばれる大半の現象は、言ってみれば幻のひとり歩きだ。どれだけそっくりな姿かたちをしていようと、言動をしようと、生きていた頃の本物ではない。

 死んだ命は生き返らない。

 ゴーストポケモンへの転生体は、遺体を苗床にして咲く仮初めの花だ。おまけにほとんどが死後の魂のひ弱な断片の融合体。不特定多数なストリートスナップを一冊のアルバムにしたようなもので、生前の個の概念は失せている。後方に追いつき、(湊さま、こんばんわー)とテレパシーを送るこの立会役のフワンテも、そんな転生体の一体だった。
「挨拶は後だ、イチリ!」
 ミナトは黒塗りの球から一つ眼の霊剣を、鞘から引き抜くように召喚した。
 向かい来るランプラー達の灯す青い炎が明々した。親玉のシャンデラの攻撃命令。往来の途絶えている通りを、ひっそりと浮かび上がらせていた街灯の立場がなくなった。
 炎技に備え、ミナトは手持ちのミロカロス=長春も呼び出しておく。一戸建てと集合住宅の入り混じるエリアだ。派手な戦闘で損壊を出せない。向かい風がむわっと熱せられる。鋼タイプに相性の悪い『はじける炎』の弾幕を張られた。
 オレンジ色に照らされたミナトは、霊剣を盾にしなかった。よく見て、よく動けば良いだけだ。髪一本焦げない道は作るまでもなく、用意されていたも同然だった。親玉に指示を出させるより早く、次の手を考える能のない子分全員をすり抜けざまに斬り捨てた。火屋であろう、ガシャン、パリンと砕ける音が後ろに流れていった。ラスト一体の最終進化系。ランダムにじぐざぐと、ミナトは横跳びを交えて接近する。食らえば熱いで済まない高攻撃力の狙いを定めさせない。
 この間合いだ。
 足にブレーキをかける。霊剣の柄尻からたなびく青い飾り房を、鎖鎌の鎖分銅のように投げつける。非火の黒腕部分に巻き付け、遠心力に乗せて叩き伏せた。ガラス質と同じ衝突音。顔面が仮面のように割れ、臓物にあたる青紫の炎が漏れている。アタッカー気性の炎タイプらしく、敗北を認めていない。ミナトが幾度となくウインディ=ファーストに目の当たりにさせられた勝利への執念――記憶とオーバーラップする、おぼつかないシャンデラの予備動作。
「長春、ハイドロポンプ!」
 未然に、捨て身の『オーバーヒート』を鎮圧するミロカロス。黒ずんで動かない無機物じみた固まりに、霊剣ヒトツキを突き立てた。とどめを刺した刃から、ごくごくと喉を鳴らしているような拍動を受ける。いわば飲食だ。霊力を吸い尽くされたシャンデラは透けていき、最後は消えた。
「てめえら、降参するなら見逃してやるぜ」
 手負いのランプラー達は散り散りに逃げて行った。
(あっぱれ湊さま! あれ? 連勝中なのに、嬉しくないんですかー?)
「オレが強くてもこの先、街に被害出ちまうかも。それすげームカつく」
 水技の指示があとわずか遅れていれば、危なかった。
 火事の灼熱に飲み込まれていたであろう家々。
 刺客の戦闘力が上がってきている。 
「やっぱ、直接あのクソ野郎とカタをつけるしかねえのか……チッ」
(ぷわわー! ではさっそく里帰りの準備を致さねば!)
「まだだ。あいつらと海に行きてえ。心残りになったら嫌だからな」

(ミナト様……?)

 育ちの良い令嬢のように、ほっそりとして高い声調のテレパシーだった。
「先帰れって言ったろ、ウルスラ」
 ミナトは大げさに肩をすくめ、振り返る前に一つ眼の剣を球に収めた。
 家影から自転車のかごが覗いていた。何か言いたげに、ラルトスが物怖じしている。
「そんなに、さよならのキスしてほしかったのかよ! ほらよ、ほらよ!」
 笑いながら、投げキッスを連発した。
 照れたラルトスが抗議するうちに、情報整理の話し合いがうやむやになった。



◆◇



 二者の用談は深夜、国際警察本部を擁する都市で行われた。
 少人数のミーティングに最適な、大型ホテルの貸し出している小会議室。
 その女性に再び絆されるほど、オルデン・レインウィングスは愚かになれない。夫婦生活は私的に断絶している。公的にも、完全な赤の他人に必ず戻るつもりである。内密に持ちかけられた取引きを断らなかったのは、あくまでビジネス上のしがらみだ。
 窓辺にたたずむ研究員シレネが、一等地の夜景をカーテンの向こう側に締め出した。
 肩越しに振り向けられた女の表情は、落胆していた。
 
「エディオルを連れてきてと言ったのに」
 
 オルデンはどの会議椅子にも腰を下ろさなかった。
「どうしても駄目? なら、せめて新しい子を頂戴。この後部屋を取りましょうよ」
「時間を引き伸ばし、雇い人に探させようとしても無駄です。息子は安全な場所にいます」

 柔和な印象を与える丸眼鏡の奥の瞳を、石のように固くさせたまま話題を変えた。

「仕事の話をしませんか」
「私は本気なのに……冷たい人。でもやっぱり、博識で聡明なあなたを愛してる」
 化粧気のない唇の両端が持ち上がった。
「あなた以外の夫は考えられない」
 目に隈の出来ている女はうっとりと溜め息をつく。仕事鞄から取り出した立方形の保管ケースを、もったいつけて披露した。二重構造になっており、スイッチを押すと外側の頑丈な蓋がひらいた。内側は透明なクリアボックスになっていた。薄紅色のもやが閉じこめられている。風もないのにゆったり流れる雲のように動いている。中央には、もやと同色のモンスターボールが安置されていた。 

「天然物で未使用の、ドリームボールよ」

 信じがたい。
 驚嘆がオルデンの口を突き抜けかけた。
 不覚にも研究者の血が騒ぎだす。極上の保存状態に、眼鏡越しの両目を凝らした。
 ドリームボールは世界で唯一、自然発生が確認されているモンスターボールの一種である。発生のメカニズムは謎に包まれており、天然物は非常に不安定で消滅しやすい。ただしポケモンを収納すると安定化する性質を持っていた。原産はポケモンの力で作り出される亜空間であり、国際警察の空間移動規制に伴い、現在は入手ルートが途絶えている。人工のドリームボールも希少価値は高い。原料となるムンナ、ムシャーナが生む《夢の煙》は採取や所持、利用は一部の特認機関に限られている。試運転された《夢の煙》を用いた復元方法では、化石ポケモンに一様に、隠れ特性と呼ばれる珍しい特性が発現したらしい。輸送中にアルストロメリア市で暴れたために、『煙』の安全性を問う研究論文も見受けられた。先日、例の研究施設は火災によって保有していた研究素材を含め、あらゆる設備が全焼したらしい。

「盗品ではないという証拠が欲しいですね」
「それは残念。私にとっても不詳な貰い物なの」
「要求は……息子との面会ですか」
「そう言いたいけれど、釣り合わないわよね」 
 女研究員の物言いは落ち込んだ様子であった。しかし隈のある目は爛々としていた。

「開発中の電子空間医療プログラムに、このボールと『夢の煙』の力を組み込んでみたくない?」

 重度のバグに脳機能を侵され、三次元空間では生き永らえないウインディ=ファーストの回復は、まだ望みを捨てていない。携帯獣改造禁止法のグレーゾーンに個人的に、秘密裏に踏み込んでいることを何処から、嗅ぎつけたのか。純粋に研究を支援したがっている風の声色からは、みずから汗を流し情報を掴んだ苦労を匂わせてこない。最も警戒すべきは彼女と裏でつながっているであろう――国際警察内に潜むスパイの存在だ。防犯意識の高まりで、オルデンの口内が潤いをなくしていく。 

「珍しいバグに興味があるの。あなたの患者のウインディ、私も調べたい」
「私の一存では、取引きできません」
「そう……なら、話は持ち帰ってくれる? いい返事を待ってるわ」
 今夜の交渉は決裂した。これ以上話すことなど、ないだろうに。
 シレネは沈黙にしがみついている。引き際の悪い不穏さを身にまとっている。
 痩せた指が急に左右から伸びてきて、オルデンの首を締めた。
「なんて、引き下がると思った? 返せ、返してよ私の子を! 泥棒! 泥棒おおぉおお!」
 血走った眼球。食い込んでくる爪。馬乗りされそうだ。唾を飛ばして叫び散らされる。

 無我夢中で逃げ出した。
 
  
 

 勢いで殺されるかと思った。ひとまずは、身の危険を脱せた。
 ボディーガードのチルットを連れていなれば、非力な四十代男である。突然押しかけて来られないよう、ホテルを転々として居場所を特定されににくしていた。今夜は幼い息子をアルストロメリア市に預けていた。その子の兄同然に温かい少年が、そばに付いてくれている。尾行されていないかと注意を払いながら仮住まいに帰り着くと、ネクタイを取るより先に洗面台に向かう。懐から黒い弾丸状のモンスターボールを取り出し、鏡の正面に立った。
「素人にロック解除は不可能です。捕虜の返還をご所望ですか、レストロイ卿」

レイコ ( 2021/03/03(水) 23:36 )