-7- その夜
妖艶な笑み。
真夜中の埠頭で密会する二つの影のうち、若い女の輪郭が弓なりに赤い唇をひらく。
「焦らさないでソリッシュ。慎重すぎる男は嫌いよ」
「メギナ。そなたの浅慮な独断行動が計画を狂わせたのだ」
「そんなことより、さっさと仕返ししに行きたいだけど。この顔に」
黒い外套がゆらぎ、身長がするりと伸びる。性別の像を転換する。
前回してやられた個人的な恨みをもつ金髪の男の、端正な容貌を披露した。
同じ黒衣を被る青い狼人は、趣味の悪い幻影の使い方に嫌悪感を示した。
「不純?」
声色は甘ったるく、媚を含ませる。作り物の自分の頬に這わせる、満足気な長い指。
気が済むと、姿を元の女に戻した。
うぶ毛一筋まで精巧な、実在する女刑事の外見の盗用だ。
「いいわよ、待ってあげても。でも情に流されるのはナシ。あんたの昔の飼い主、この顔の女の姉だそうじゃない」
波導に精通する鋼の意思を持ってしても、青獣は一瞬の震撼を隠し切れなかった。
◆◇
頭上には静謐が広がっている。人も乗り物も携帯獣も姿を消し、道路と照明のみが取り残されたような、夜更けの沿岸沿いルートを、ミナトの乗ったオフロードバイクが走る。オンロードも魅力的だが、路面のコンディションに左右されない愛車は頼もしい。アルストロメリア港の付近は景色の良いエリアが豊富なのだ。仰ぎ見る鋼橋の構造美と夜景とが重なる、特に眺めを気に入っている穴場がある。ああ、良い、とぼんやりする時間を好きなだけ味わった。そろそろ帰ろうか、と気まぐれなナイトランに満足したミナトの目の前に、ぬっと上から紫色の風船が割り込んだ。
(ばぁ)
「イチリいいい!? なんでここに!」
フワンテ=イチリは糸状の腕をぶらぶら振って、体を揺らして笑う。
特性『シンクロ』の個体が後天的にテレパシーを習得できるメソッドは確立されている。ルカリオやゾロアークのような知能が高く波導や幻影といった能力をテレパシーに応用できる種族や、進化をきっかけに才能が開花するケースもある。分類上、イチリは先天的にテレパシーを扱える希少種だ。
(麹塵さまに、ここで待ち伏せしたらいいと言われたんです)
あのネイティは力のあるアシスタントだが、父の息が掛かった食えない監視役でもある。
「用事はなんだ? レストロイ家当主の差し金か?」
(アタリでーす。旦那様からご伝言を預かってまいりました)
予想が当たったところで、ミナトはまったく嬉しくない。
(と、その前にイチリから申し上げたいことが)
フワンテはバツ模様の口に手を突っ込み、体の空洞からパーティ用クラッカーを取り出した。
パーンと破裂音と紙吹雪がばらまかれた。
(ご婚約おめでとうございまーす!)
「は?」
(え?)
見つめ合う。
(違いました? 新しい上司とやらの女性と、仲睦まじくしておられたような)
「違う違うカノジョですらねえ! やめろその誤解、キズミがブチ切れる!」
なぁんだアハハ、と能天気に笑われた。
(お決めになるのが早すぎると思ってたんですよー。だって未来のご当主さまは、奥方さまのご容姿を選び放題ですものね)
「失言だぞ、それ。家のために結婚させられてたまるか」
(でも新郎姿、見たいですよー。イチリは人間の魂が混じってるので、湊さまのかっこよさはよーく分かってますもん)
「ありがとよ。じゃあ伝言、聞かずに帰っていいよな?」
ダメ! と千切れそうに細い腕をミナトの腕に絡みつけた。
(『帰るか、失うか』。ですって)
明朗さを維持していたミナトの目つきが、霜が降りたかのように冷たくなる。
(試練をお与えになるそうですよー。この街に配下の者どもを送り込むので成敗せよ、と。一度でも負けたら湊さまは強制的にお屋敷に連れ戻されます。イヤなら連勝してくださーい。なお拒否権はございませーん)
ミナトは舌打ちした。
「負けなきゃいいんだな?」
パン、と一発、拳を反対の手のひらに叩きこむ。
来るなら来いと藍眼が舗装面を見くだした。
黒い渦が出現し、第一号の審判者を噴き出した。
仮面と棺桶。種族名はデスマスとデスカーン。
イチリは体内から引っ張り出した、金の装飾と黒いボディが高級感ただよう一球を恭しくミナトに捧げた。
「雄黄。それと、出てこい麹塵」
ホルダーから赤い球を取り、エンペルト=雄黄を召喚する。ネイティ=麹塵は何もないところから、ミナトの肩の上にシュンと着地した。仕上げにイチリ経由のゴージャスボールのスイッチを押し、その名を呼ぶ。
「久しぶりだな、一縷(イチル)」
右手を包む、開放光。抜け鞘を手のように地面に落ちる前に掴む、柄頭から伸びた青い飾り房。グリップの硬い感触が主君の手指になじむ。まばゆさが収束すると単眼の剣が一振り、握られていた。
ミナトは剣先をデスカーンに狙いをさだめ、圧倒的戦力差を暗示した。
「てめぇら全員、跪かせてやるよ」