NEAR◆◇MISS















小説トップ
第五章
-6- その夜
 付けっ放しのテレビの額の中で、女性アナウンサーが事務的にニュースの原稿を読み上げていた。
 キズミは大判ノートへの書き込みを一旦やめ、デスクに肩ほど積み上げた専門書の塀の中から適当な背表紙を見つくろい、付箋だらけの一冊を引き抜いて参照した。ページから着想を得て、作りかけの銀朱のトレーニングメニューに改良を加えている最中にふと、今晩のわだかまりを思い出す。
 夕食時をとっくにすぎてガーディ=銀朱を引き取りに来た金城湊のことだが、アルストロメリア市を離れ、南の海で水と縁の深い手持ちたちと趣味のサーフィンをエンジョイしたという割に、ミナトの満面の笑顔は心の底から晴れ晴れとしているように映らなかったのだ。しかしプライベートの問題に首を突っ込まない主義は、苦楽を共にしてきた友人関係の賜物でもある。相手がきっぱりと疑惑を否定したのだから、その言葉を尊重し、十年来の信頼に筋を通すべきだろう。
 首元の、装飾品と呼ぶにはいささか無骨な形のペンダントが、ノートの余白を見下ろしていた。
 キズミは回想を境に鈍ったペンを置き、テレビ以外しんとして気になった自室を振り返った。
 ソファでラルトス=ウルスラが、焼き菓子の料理本を毛布のように膝にかけて眠っていた。頭が気持ちよさそうに、浅い寝息を立てている色違いのブラッキー=ダッチェスのしっぽを枕にしている。キズミはラルトスを起こさないようにモンスターボールに収め、箱入りならぬ球入り娘を元のように、つややかな黒い尾の脇に寄り添わせておいた。
 それから椅子に戻り、部屋の隅においている蓋のあいたアタッシュケースと緩衝材で丁寧に梱包されたその中身を足を組んで眺めながら、無意識に口元をほころばせた。
 直後に、デスクの上に置いてあった多機能ポケベルのバイブ音が部屋中に鳴り響いたた。キズミは端末をひっつかみ、眠る彼女らを気遣いベランダに移動する。ここならそう易々と音も響かないだろう。夜も遅い空の仰望は、街の光を映して色つきの雲を敷いているように明るかった。
 後回しになっていた発信者名を目にした途端、国際警察の柄にもなく腰が引けた。
「先生、お待たせしてすみません! 今日は、例の物をありがとうございましたっ、おかげさまで仕事がはかどります!」
 緊張と歓喜でわななく声を矯正しようとして、先がけた挨拶が変にうわずってしまった。
「やあキズミ君。夜分遅くに失礼します。贈り物を受け取ってもらえたようですね」
 おだやかな男性の物言いは、オルデン・レインウィングス氏のものだった。
 機械越しでも衰えない温かな聴き心地にほっとして、落ち着きを取り戻したキズミがうなずいた。
「はい」
「少しばかり立ち入った話をしたいのですが、時間と場所はありますか?」
「はい、」
 ベランダから部屋の中にあるアタッシュケースの中身を見やり、「大丈夫です」と言い添えた。
 近所迷惑にならぬように抑えた彼の話し声に合わせるように、壮年の紳士も若干声を低めた。
「ありがとう。喜んでもらえて何よりです。君に直接手渡せなかったことは残念でしたが、サプライズをするに当たり良い教訓となりました。次に会える日を楽しみにしていますよ」
 終わりがけのオルデン・レインウィングス氏の声は、ことさらに、にっこりとしていた。
 のめり込んで謹聴したキズミは、首にぶらさがっているペンダントをさしたる自覚もなく、じんわりと熱くなった指先にはさんで回しながら、むず痒い、子どもじみた幸福感の終息を待った。
 先生はいつも気にかけてくれる。優しく、時に厳しい言葉をかけてくれる。まるで実子に接するように。だがその親切に甘え過ぎてはいけない。そんなことをすれば、若くして亡くなった両親への義理立てがつとまらない。裏切り者と冷笑せんばかりに、なめらかな金属の接触面が手の中の火照りを奪っていく。不意にチリッと指先を電気で焼かれたような感覚が走り、とっさにペンダントを離した後の手寂しさからベランダ・フェンスの横棒を固く握りしめた。幼少期の忌まわしい記憶に近づいたせいだ。
 彼の胸の悪さが治まる頃、電話口の恩師は不本意そうに、心残りのある声遣いで彼に語りかけた。
「とはいえ、矛盾はあります。私の支援が、結果的に君を危険に晒しているのですから」
「ちゃいます、そない考え方せんといてください先生。これは俺の個人的な問題ですわ」
 声量を抑えたまま口早に語気を強めて言ったキズミに対し、オルデンは平静に切り返した。
「君がもっと自分をいたわると約束してくれるなら、思考の一つや二つ前向きにできるのですが。ところで今日、偶然――」
「ちょ、少し待ってください、やっぱり場所を変えます」
 うっかり大声を漏らしては困ると、キズミはベランダから部屋を最速の抜き足で横切り、玄関を抜けて共用廊下を越え、大急ぎで無人の駐輪場に移動した。行きがけに散々振り回されたペンダントが、平坦な胸の前で小揺れにおさまった。
「……すみませんでした。偶然、なんですか?」
「君の新しい上司、ミス・ロングロ−ドにお会いしましたよ。国際警察のアシスタントの『テレパシー』には特徴があるので、特定は容易でしたとも……お気の毒に、部下との不調和に悩んでいると見受けました……ふむ」
 巧みな行間の読ませ方は、ほとんど尋問を受けるプレッシャーと相違ない。
 ひんやりとする失望感を小出しにし、確執の真実を聞き出そうとしているのだ。
 逡巡したあげく、正直に話す他ないと結論づけたキズミは渋りながら、弱い立場に甘んじた。
「生意気に申しますと、警部補は有能なお方です。実戦において不十分な部分もありますが、ロングロード捜査官のご愛譲にたる人物かと思われます。素行に問題があるのは俺のほうです」 
 口述の主観的事実を鑑定するために、対話の絶え間が設けられた。
 沈黙が役目を終える間際、紳士の丸眼鏡をかるく指で押し上げる気配をマイクが拾った。
「……君が彼女を遠ざける理由は、複数あるのだと思います。その一つは早くにご両親を喪った経験にもとづく、類似した境遇者への共感性の高さでしょうか」
 卓越した洞察は傾ける耳を疼かせ、通話を断絶できるものならそうしたい衝動を駆り立てた。
 しかし聴く者は端末の保持に余念がなく、ならば向こうも送話の再開に手心を加えなかった。 
「……ロングロード父子の御難は、君の幼き日の離別を彷彿とさせます。折悪しく被疑者を捕え損ねた君は責任を感じ、今後遺族となりうる彼女と慣れ合うべきではないと判断したのではありませんか。携帯獣を戦線に立たせまいとする君の身に、縁起でもない特進がはからわれた時に備えて、せめてミス・ロングロードが上司として心を傷めることがないように」
 オルデンは、志はあくまで冷静に、だが中途な異論を許さない不動の姿勢を印象づける。
「無謀になってはいけません。君が骨肉を恥じ、この上ファーストの悲運が重なったからとはいえ、それが君自身の命を粗末にして良い理由にはなりませんよ」
 そう言い置いて演壇を下りて待つ間、外在する一分が不明瞭なものとなり、針の動かない時計を胸にかかえているような感覚であった。やがて長い遅れのあとに、諦観と感服の含みをもつもの静かな音程の返しによって、オルデンの推察がおおむね同意された。ただし過去形で。
「はい……そのつもりでしたが、まだまだ詰めが甘いようです」
 自分は憎まれ役を買ってきたが、すでにあの上司は精神的に次の段階へ進もうとしているのだ。
 今夕のアイラの謝罪が頭を離れないキズミは一呼吸置き、言葉じりに感情が漏れぬよう緊張した。
「生身の人間の力では戦闘に限界があることも、いずれ同僚の足を引っ張ることも理解しています。上司への罪滅ぼしにしろ、一人身命を賭したところで何も報われないかもしれません。ですが俺はもう二度と、ファーストのような犠牲を出したくない。携帯獣を任務に巻き込む勇気がありません」
 弁舌は、重く苦しい胸中をそらせようと乾ききっていた。
 慣れない弱音を吐いた消耗が、キズミを激動する追憶の中へ引きずりこんでいく。
 ジョージ・ロングロードの病室で過去と向き合った時よりも、ずっと闇が深かった。
「……キズミ君、」
 物言う雰囲気の中で失念を認めながら、オルデン氏が落ち着きを払って彼の名を呼んだ。ファーストの一件が彼に影を落としてから、まだ半年と経っていない事実を考慮すべきであった。
「やはり国際警察を辞めて、私のもとで働いてはどうですか」
 いつものことだが、キズミは究極の誘いを持ちかけられて苦笑した。
 厳しい訓練に明け暮れた十年間を裏切るような真似をすれば、またミナトが黙っていないだろう。警察学校の卒業を目前に中退する・しないで揉めて半死半生の大喧嘩になったのは記憶に新しい。
「お気持ちはありがたいです」
 キズミが抗しがたい魅力を逃れて言うと、ふられた社長の嫌みのない同情的な笑いをさそった。
「君のモンスターボールへの愛好心が、業界にたずさわる私の気分を盛り上げて助けたいという思い遣りから成ることは知っていますよ」
「んなアホなっ」
 幼少の頃はともかく今は違うと言いたげな、焦った声がオルデンの耳にくすぐったかった。
「誇って良いことですキズミ君。君はお父さんの性格に似て、そういう優しさ(ところ)があるのですよ。私は君たち親子に何度救われたことか」
「……救われたのは俺のほうです。先生には一生かけても返せない大恩があります」
「ならば弊社は君を、将来有望な正規社員として採用したいですね」
 キズミは思わず吹きだした。
「おや、何もおかしな道理ではありませんよ」
 つづけてオルデン氏は大真面目な声をつくり、あとから自分で自分の言葉をくっくと笑った。
 そして年長者らしくすっと陽気を鎮め、凛然としておだやかな、淀みのない口調で本題に入った。
「当面のなすべき事は、青春をもっと謳歌することです。気は進まないかもしれませんが、可愛い彼女でもつくって、おっと……バツイチの私が勧めても説得力がないですね」
 ふふと、湖面にさざなむ月の像ようにオルデン氏は笑った。
 反応に困って曖昧にうなったキズミに対し、オルデン氏は何気ない様子で話をつづけた。
「いつか君と息子と私の三人で、私の晩酌するのが夢なのです。そのためにも、末永く健やかでいてください」
 家族同然に慕いたい渇望感がこみ上げて、キズミは声を掠れさせまいと気負って答えた。
「恐縮です」
「そう肩に力を入れず。そういえば話は変わりますが、預けたペンダントの具合はいかがですか?」
「この一週間、何事もありませんでした」
 キズミはペンダントを指で持ち、紐の長さが許す限り目線の高さに近付ける。
 ふむ、とオルデン氏は安心したように口癖をもらした。
「実は今夜、そちらへアフロをつかわせています。彼の足に足輪がありますので、まず――そういう訳で返却をお願いします。“アレ”抜きですから、そろそろ到着する頃ではないでしょうか」
「わかりました」
 たまわった指示になるほどと納得しながら、キズミが了解した。
「ありがとう。名残惜しいですが……今日はここまでとしましょう。いい夢を。それでは失礼いたします」
「お電話ありがとうございました。先生もお元気で」
 惜しむべき通話は、切れた。
 キズミは誰もいない駐輪場に、ぽつねんと取り残された。
 あすの朝まで人恋しさがくすぶるのではないかと、漠然と夢見の悪さを想像できる。
 部屋に戻るすがら、遠く頭上をチルットの羽音が追い越していったような気がした。

レイコ ( 2014/06/27(金) 23:13 )