NEAR◆◇MISS















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第五章
-5- ファースト・コンタクト
 現われた男は丸いフレームの眼鏡をかけ、アタッシュケースを携えていた。
「突然お邪魔してすみません」
 おだやかに言う横で、膝より低位置のチルットも礼儀正しくあいさつした。
 外見はすばり、平凡でぱっとしない『おじ様』だ。ありふれた髪型にブラウンの髪色、地味で清潔感のある服装をし、腕には折り畳んだ白衣をかけている。
 
 青天の霹靂だ。ラルトス=ウルスラは、公私多忙の印象がぬぐえない紳士の御前にかしこまった。
「一言連絡を入れるべきでしたが、少し驚かせたくなりまして。お久しぶりです」
 老成した、安心感をいだかせる話し声。サプライズも茶目がある。
 なおさら、彼の期待を裏切るであろう返事をするのに弱った。
(大変申し訳ありません、キズミ様は留守でございますの。そしてただいま、別のお客様がお見えで……)
 それはこちらに歓迎されない非がある、とばかりに来訪者は気前よくうなずき、
「手間は取らせません。実は、これを届けに来たのです」
  と、頑丈そうな黒いアタッシュケースを持ち上げて、見やすくする。
 施錠された箱の中身を瞬間的にさとったウルスラは、預かり役は荷が重いと身を固くした。
「……ウルスラ?」
 とつぜん背後から名をささやかれた。
「お隣さん? 私たちも出て行って、謝ったほうがいいかしら」
 半開きの玄関ドアの内側に身を隠したアイラ。責任感の強い表情で、声を低めてラルトスにたずねた。本心をいえば近所の住民とかかわりたくないという躊躇が、暗い顔色にうっすらにじんでいる。険悪な部下の自宅という疎ましい現実が、テレビゲームの盛況でやわらいだ緊 張感を再来させていた。
 悪くすればピンチに陥る懸念を、室外にくぐり出た犬の喜びに吠える声が、あっさり振り払った。
 驚いて飛び上がったチルットがすぐ舞い降り、とびかかってきたガーディの前足に転がり倒される。二体の騒ぎを聞きつけてドアの外に顔をのぞかせたキルリア=クラウが、あっと思念の声をあげた。
(あの時のチルットじゃないですか!)
 クラウのいう“あの時”とは、三週間ほど前に市内の公園で、野生のヤミカラス達の横暴で起きた二次災害に巻き込まれかけた、幼い人間の男の子を助けた案件を示していた。当事者のチルットは翼をさっと額にあて、感謝を込めて敬礼した。ついでに小鳥の黒い目はキルリアの記憶力に感服していた。
 状況を把握した紳士は、玄関 の隙間すきまから成り行きに見とれているアイラに声をかけ、握手を求めた。
「すばらしい! あなたが、息子がお世話になったという刑事さんでしたか」
 品のある歓声をあげた彼は、父親として感謝の思いをしっかりと手に込めて表情をなごませた。
 あえなく人前に引き出されたアイラはぎこちなく笑み、知らないおじさんの顔立ちに視覚を込めた。特徴のない丸メガネ。明日どこかですれ違ってもさっぱり気がつかないかもしれない。けれどもその人には心を落ち着かせる持ち味があり、初対面の人間を無意識に警戒する刑事の癖が出なかった。
「その節はありがとうございました。私はオルデン・レインウィングスと申します」
 紳士は少し長めの氏名 を名乗った。
「アイラ・ロングロードです。初めまして――」
 ふと疑問が生じた。スーツ着用ならまだしも、なぜ今の私服姿で刑事と分かったのか。そういえば、あの時の男の子にも自分たち警察の肩書きを告げなかったように思う。にもかかわらずクラウは、あの子が去り際に小さく『国際警察』と呼んだと言っていた。
「――私のことを、息子さんからお聞きになったのですか?」
 アイラは、何気ない口調をよそおってたずねた。
 ラルトス=ウルスラは、紳士の答えを聞く前に顔をそむけた。
「大筋は、いかにも。何か心当たりはないかと、キズミ君にも話を聞きましたがね」
 男の口からこころよく発せられた人名が、ずぶりとアイラの胸に突き立った。
 子どもの鋭い観察眼の 謎に迫りたかった旨と、父親の返答は微妙にずれていたが、検証はひとまず後回しでいい。できたばかりの傷口から、ムッと熱い異物が湧きだしてくる。ボヤ騒ぎの件でガーディ=銀朱の謹慎処分を下した時、あの部下は、知り合いが自分に助けられたという素振りを微塵も見せなかったのだ。馬鹿にしている。よくも隠しだてを。どこまで人の感情を掻き乱せば気が済むのか。
 うそだと言ってほしい。
 アイラは聞かずにいられなかった。
「……レインウィングスさんは、彼と親しいのですね?」
「はい」
 紳士の笑顔のまぶしさに、身も心も根底が切り崩された。アシスタントのウルスラや親友をうたうミナト、アイラが知る誰よりも、その人が格段に近い身内という証明だった。
「どうしてですか」
 声は震えていた。
 キルリアもガーディも、恐々とあちらこちらへ視線を行き来させていた。
「私には、できません」
 偶然出会ったに過ぎないこの男性に対して、どうして感情をぶつけたくなったか。
 アイラにはうまく説明できない。ただ、直感にうごかされた、としか。
 レインウィングス氏は見つめ返し、
「部下思いの方なのですね」

 と、心を洗われたように唇を広げた。
 紳士の深い受容は想像になく、アイラは思考をにぶらせる。
 おだやかな声がつづいた。
「我々の関係は……一言では言い表せません。彼の事はよく知っていますので、何かあればご連絡を下さい」
 差し出された、黄金比の紙片。レイウィングス氏の名刺を、受け取った。
 またお会いしましょう。



◆◇

 オルデン・レインウィングスは暗い路地裏に回り、肩のチルットに耳打ちした。
「いやはや、邂逅でしたね」
 部屋をたずねる前に一度ヤドン・タクシーでアルストロメリア警察署を往訪したのは、目当ての三刑事と一堂に会する狙いだった。あいにく全員休務で不在であり、本命であるキズミとの再会もとうとう最後まで叶わなかったが、先ほどのアイラ・ロングロードとの対面は不幸中の幸いだ。
 できればもう少し長く、あの真摯な彼女の灰色の瞳を受け止めていたかった。
「レストロイ氏と、ロングロード捜査官……君はこの『偶然』をどう見ますか?」
 愛くるしいチルットの顔が急に険しくなり、ふるふると一等身を横に 振った。表現したい意見が十分伝わる仕草をふまえて、オルデンは「ふむ」と口癖をもらした。
「なるほど、冒険心あふれる見解ですね。今夜もう一度、キズミ君を訪ねてくれますか?」
 チルットは暗がりでほの白く目立つふわふわの翼を胸に当て、敬礼した。
「頼もしい限りです。では大通りまで競争でもしましょうか。よーい、どんっ」
 オルデンはパンと手を叩き、夢中で表の路地に飛んでいったチルットを追って悠々と歩き出した。


◆◇

 ふたたびテーブルを囲んだアイラ達の手元には、冷めたカップが置かれたままだった。誰もやることが手につかず、不思議な来訪者が帰ったあとの余韻にひたっていた。
(……なんだいアンタたち、ずいぶんフヌケにされたじゃないか)
 片目を開けた色違いのブラッキー=ダッチェスがぽそりと、しかし部屋によく通る思念で言った。
 テレビゲームの音楽が軽快に鳴り響き、ヌオー=留紺がひとりで黙々とスコアを上げていた。
(ダッチェスさん、その……あー……えっ、すごい点だ! 僕、弟子になりたいくらいです!)
 ヌオー=留紺はさっと両腕でバツを作り、キルリアは顔芸がかった素の表情でショックを受けた。
 なんのひねりもない掛け合いなのだが、絶妙のテンポは不意に笑いのムードを招いた。口元がゆるんだ一人、アイラは、クラウの頬をなめて慰めにかかったガーディ=銀朱をおいでと呼びよせる。
「いい子ね」
 膝の上に抱き上げると、甘えた顔で大人しくしている。ぽかぽかと温かい。
「ウルスラ、何度も言うけど、とっても美味しかったわ。よかったら今度作り方教えてね」
(は、はいっ、ありがとうございます。クッキーのレシピですわね、喜んで)
 あわてて嬉しそうに答えたウルスラに、復活したクラウが猛烈に念押しした。
(いやもうほんとに、最高でした! ぜひ!)
 アイラは元気のよさに苦笑し、さっき断られたクラウの志願を引用した。
「私のほうが留紺とウルスラに弟子入りしなくちゃいけないわよね、お菓子作りとゲーム」
 ヌオーが次は拒否しなかったので、キルリアは少し恨めしそうな視線を送った。
「それにしても驚きよ、あのチルットにまた会えるなんて。世間は狭いわ」
 アイラは貰った名刺を机の面に置き、端に手を添えすみずみまで目を通しながら言った。
W・P(ウォーター・パラダイス)社……あの人、モンスターボール会社の社長だったんだ? どういう縁で彼と知り合ったのかしら」
 談笑の幕切れは突然だった。食卓のポケモンはみな、唯一この場にいる人間の思いつめた面差しと向かい合った。何者も沈黙に干渉しなかった。アイラの茶髪は淡く室内灯の輪を被り、風読む鳥のように真剣な灰色の瞳が、次に言うべき言葉を神妙に模索している。キルリア=クラウはおごそかな不安を抱えていた。ラルトス=ウルスラは緊張感を高めていた。ガーディその他も耳をそばだてていた。
 停滞した暗中の時間が過ぎていった。
「本人に聞いて確かめるのが一番よね」
 みずから活動の光を差しいれて、アイラは言った。
「……今日は楽しかったわ。みんなと仕事抜きで会えて良かった。あのレスカ君も、私生活ではちゃんと人付き合いできてたのね。職場の態度があれだから、その他の面を考えたこともなかった。あーあ、ここまで彼に嫌われてたのは私だけか。今ごろはっきり一人ぼっちに気づくなんて、バカみたい」
 苦心の先に何かを掴んだ口調が、話題の人物の欠落した部屋に淡々と響いた。
 誰もかれも、反発する磁力のように視線を合わせられなかった。
 ブラッキー=ダッチェスは気だるそうに身を起こし、つとめて苦々しく言った。
(アタシらを見れば分かってただろうに。人間同士で比較してやっと観念とは、情けないね)
「返す言葉もないわ、ダッチェス。そんなつもりはなくても、やっぱり影響力が違うのね」
 アイラは卑屈っぽく、非難に甘んじた。
 彼女の周囲のおのおのが、物思いに沈んだ表情をしていた。
 その真っただ中に、天井近い高さから突然割れ損なったくす玉のように緑のボールが降ってきた。
(あれれー、何ここお通夜会場? せっかくビッグニュース持ってきたのにシラけるぅ!)
 ぴょんぴょん机上を跳ねながら、ネイティ=麹塵があざ笑って言った。ひょいとクッキーを(あしゆび)でつまみ、垂直に放り投げてくちばしでキャッチする。無視をするとやかましさがエスカレートしそうだ。
 ラルトス=ウルスラが代表で、ネイティのアピールにかまってやった。
(まあ、どうされましたの? 詳しく聞かせて欲しいですわ)
(えー? 内緒っ! ん、どうしても聞きたいー? えーどうしよっかなー! ムフフーン)
 ヌオーがこちらに向かって歩いて来そうになると、ネイティはうっとうしい態度を急変させた。
(言うよ言うったら! チェッ、キズミがもうすぐ帰ってくるよ! ご愁傷様!)
 ラルトス=ウルスラは客の顔ぶれと散らかった部屋を同時に目にとめ、血の気が引いた。
(そんなっ、今夜は遅くお戻りとうかがってましたのに……)
「……そう、ありがとう麹塵。もう行っていいわよ」
 女刑事からの冷めたお達しに、ネイティは一瞬きょとんとし、軽くあしらわれたとむくれて睨んだ。イーッと侮蔑した表情がテレポートで逃げた瞬間、今の今いた場所に発煙と光の粒子が舞っていた。
 一秒、二秒。
 アイラはすっくと椅子から立ち上がり、周りを不穏にドキリとさせた。
「決めた。私、待つことにする。でも外のほうがいいわよね」
 言いながらアイラの手が、飲みかけのカップをテーブルの一か所に集めていく。
 クラウは半分話が読み込めなさそうに、立ち上がった。
(あ、あ、じゃ、僕はゲーム機の片づけを……)
(必要ありませんわ。お片付けはダッチェスさんと銀朱さんにお任せしますもの)
 ラルトスからミラクルパスを食らい、ブラッキーがギョッとして抗議した。
(アタシ!? ちょっとお待ちよ!)
 ガーディも吠えすがったが、泣き事を聞き入れられる様子はない。
(わたくしもアイラ様と一緒に参りますわ)
 意地でも舞台に居合わせる――前髪で目元が隠れたウルスラの顔に、はりつめた色が浮かんでいた。

◆◇

 少し様子を見て来る、と、単独で抜け出したラルトスは人探しの能力を頼りに彼をみつけた。
(お帰りなさいませ、キズミ様)
「大丈夫か?」
 不自然な出迎えだ。真新しい書店の袋を携えたキズミは、直感に従ってウルスラの様子を案じた。
(わたくしは健康ですわ。本を買われましたのね? またモンスターボールのカタログですの?)
 あまり立ち話を長引かせると、彼にますます怪しまれてしまう。
「いや、参考書だ。銀朱たちのトレーニング用に。ランドに資料を頼んでばかりも悪い」
(それで早くお戻りに……お墓参りの時くらい、もっとゆっくりなさっても……)
「ウルスラ」
はい? ともどかしそうに彼女が振り返った先に、キズミの身構えた表情があった。
「何かあったのか」
 ウルスラは見つめた。深々と。胸に湿った熱いものが、込み上げてきた。
(……人間は、やはり人間同士が一番なのでしょうか?)
 いつになく言葉の真意を測りかねている主人に、ウルスラは不器用にほほえんで帰宅をうながした。

 玄関で待ち構えていたアイラは身をずらし、現れたキズミと正面から対立した。
「おかえりなさい」
 身の毛もよだつ言葉を吐いたかのように、かすかにアイラの唇と両肩が震えた。
「話があるの」
 数歩、距離を詰め、自分より少し高い部下の目線をまっすぐ仰視し、仁王立ちして息を吸い込んだ。
 キルリア=クラウは、親の剣幕におびえる幼い子どものようだった。
 ヌオー=留紺とラルトス=ウルスラは、奇妙に達観したオーラを漂わせていた。
 二人の刑事の睨み合いは拮抗し、限界寸前までアイラの胸につめ込まれた空気に、低温の火がついた。
「父の仇を取り逃がしたあなたに、娘がいい感情を持てる訳ないわ。犯行直後だったのに、どうして取り押さえてくれなかったの? 上司の私は、私情で部下の失態を責めることは許されない。それに付け込んで、あなたはずっと無視して……一言でも謝罪があれば、少しは違ったかもしれないのに」
 ウルスラは唇をかみしめ、クラウは足元に視線を落としている。
「でもそんなの、まるで私の強がりに同情して、あなたが卑怯者の振りをしてるみたいじゃない。だって……いろんなポケモンや人から好かれているのよ、そっちは。仕打ちと辻褄が合わないわ」
 小者のほうがまだ救われた。しかし人望が目についたばかりに、親の恨みを正当化できないまま、あてどない苦渋を味わわされた。ひいては個人の未熟さを彼になすりつけ、その心も同等に傷つくべきと不当な思い込みに没入した。結局これまで自分がしてきたことといえば、恥の上塗りでしかない。
「……こっちは被害者面をこじらせて、ひどい言葉をぶつけたり……もう最悪。こうなってしまったら、一度嫌いになった人との溝を埋めたいのかどうか、自分でも気持ちが分からない――」
 キズミは無機的に割り込んだ。
「無駄口はまだ終わりませんか」
「いいわ、次で最後にする」
 アイラは決別の応答を示唆する、不敵な呼吸をおいた。
「ごめん」 
 だしぬけに謝罪を告げられて、キズミは動揺と動揺の隙間(すきま)にすっぽり埋もれた。
 灰目がすこやかに晴れた。連動して、しなやかな脚がテンポを刻み出した。完璧とはいかなかったが、当座の目的は一応果たせたのだ。この上に欲をかくつもりはない。退場の決行に逆らえず、クラウはウルスラたちとすれ違いざまに会釈し、見えない糸で繋がれているようにアイラを追っていく。
 お帰りの闊歩を最後まで見届けたウルスラが、慎重に、慎重に、視線をずらして主人を見た。
 キズミは女上司に無防備の一端を晒してしまった自分自身に、微動だにせず、静かに腹を立てていた。

 大地の果てまで踏破しそうな足取りがしだいしだいに落ち着き、石造ベンチの傍でアイラの足が止まった。ヌオー=留紺がいそいそと真ん中に一番乗りし、ぽんぽんと空いた両側を叩いて座るように催促すると、アイラとキルリア=クラウは顔を見合わせ、それぞれ水色の湿った体の脇におさまった。
「……あやまっちゃった」
 放心気味に、アイラがつぶやいた。
(よかったんですか?)
 ぽよんとしたヌオーの腹越しにキルリアが顔をのぞかせて、彼女を気遣った。
「今日のところはね。明日どうなるかは、分からない」
 水に流せるとは言わない。積み上げた巨山の上に、毛色を変えた自己満足を一片乗せただけ。難攻不落に思えたあの部下が、不意をつかれて油断を垣間見せたのは、痛快な収穫だったけれども。
「でもね。あなた達が安心できるように、努力するわ」
 約束する。

◆◇
 
 キズミが憮然としてドアをひらいた瞬間、砲弾のようにガーディが前足から突っ込んできた。
 たてがみの頭がアフロのかつらをかぶったように、ぶくぶくの白い泡に覆われていた。柑橘系のいい芳香まで漂わせている。あうーあうん、と悲劇を訴えながら、抱きとめた彼にすがりついて離れない。
「銀朱っ、洗剤じゃないか、何が――」
 事情を問いただそうとしたキズミは、積乱雲の権化と見まごうダッチェスの登場に息をのんだ。

レイコ ( 2014/06/18(水) 13:51 )