NEAR◆◇MISS















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第五章
-4- コーヒーと紅茶
 想像していたよりもすんなり迎え入れられたアイラは、あらためて詫びを添えた。
「……急に押しかけて、悪いわね」
 途中でヌオー=留紺のとんでもないナビに気づいたが、行ったところで先日の報告どおりなら遠出で不在に決まっていると、投げやりな負けず嫌いが高じて部下の自宅まで完歩してしまったのだ。ラルトス=ウルスラの反応はまずまずだが、キズミ・パーム・レスカ本人の許可なく家に上がりこんだという、ほとんど敵地に潜入したのと遜色ない警鐘の音がアイラには変わらず聞こえていた。
 ――暇つぶし。それにしても、道半ばで知ったヌオーの目的の軽さは圧倒的だった。
(コーヒーと紅茶、どちらがよろしいですか?)
 ダッチェス以外の全員が食卓につどうと、ラルトス=ウルスラはかしこまって聞いた。
「紅茶で」
 長居は禁物とアイラがさりげなく時刻をチェックした瞬間、ウルスラの念が大きくなった。
(あら。アイラ様もコーヒーのほうがお好きだと思っておりましたわ)
「仕事中はね」
 強調された気がする「も」の部分を誰と一緒か深読みしないようにしながら、アイラが言った。
(留紺さんは胡椒ミルクですわね。クラウさんとオハンさんはいかがなさいます?)
 微妙にせかした波長が流れ込み、ラルトスに見とれていたキルリアがハッとして、直前に聞こえた訳のわからない飲み物の名をとっさに口走った。ハーデリア=オハンは同じ国際警察犬のガーディ=銀朱から威圧的な目を離さずに、低いしわがれ声で頑固にオーダーを断った。
(ではテーブルにクッキーがありますので、よろしければ召し上がってください。皆様もどうぞ)
「あなたが焼いたの?」
 菓子用の取り皿を並べながら、ウルスラはかすかに上ずったアイラの問いにうなずいた。
(ええ、そうですわ)
 ポットで湯を沸かす音と、モーモーミルクを小鍋で温めるほのかな甘い匂いが広がった。
 甘いものに目がないアイラは、くちびるの両端にかかる揚力をぐっと押さえてクッキーの瓶詰めを手元に寄せた。料理は趣味の一つだが、近頃は決まった住居を持たないせいでご無沙汰している。ふたを開けると焼けた芳ばしい匂いがふわっと立った。床に座っているガーディ=銀朱が口の周りを舐めまわし、後ろ脚をそわそわし始める。老ハーデリアは孫ほど年の離れた子犬をはげしく睨んでいたが、アイラは表情をやわらげて両手に一枚ずつ摘まみ、はいと二体にクッキーを差しだした。
(おいしそうですね……)
 キルリア=クラウはそれをウルスラの手作りと予想した上で、うっとりと視線を注いでいた。
 先を争うようにたいらげた犬のふたりは、ますます食欲を刺激された様子で口を舐めている。
「私も一ついただくわ」
(僕も僕も!)
 さく、さく、と小気味よく咀嚼する音が連続した。
「おいしいっ!」
 感嘆がアイラの口をついて出た。自然な甘味の凝縮されたレーズンや食感のいいクルミ粒が、ほんのりバターの塩気の利いた生地とほどよく引き立て合い、素材を別々に味わうよりも美味しさが十二分に増して感じられる。そして何よりもアイラが感動をおぼえたのは、人とポケモンの両方の舌をうならせる絶妙のバランスを、難しい栄養面にも配慮しつつ体現している部分だった。
(最高です!)
 クラウも天にも昇る心地でさけんだ。
(ありがとうございます)
 カップを盆に乗せて運んできたウルスラが、裏表のないほほ笑みをクラウに向けた。
 すっかり舞い上がったキルリアだったが、自分の手前にマグカップが丁寧におかれた瞬間、額を角ドリルが貫通していったような気がした。白くとろみのある液体をベースに、大量の黒と茶の粒が水面に寄り集まり、まるで秋に大量の落ち葉が積もりふやけてどろっどろになった醜悪な池のミニチュア版だ。このとても食品とは容認しがたい難物を、ヌオーは吸いこむように飲んでいる。
 ソーサーがテーブルの面に着地した振動で、ティーカップの中の琥珀色の茶が些些とゆれた。
「こちら、お砂糖とミルクですわ」
「ありがとう。ウルスラって、お菓子作りがとっても上手なのね」
 そんな風に灰目を輝かせて賞賛されると、嬉しくて女同士特有の警戒心のやり場に困ってしまう。
(……アイラ様こそ、クラウさんから大変お得意と聞きましたわ)
 その場しのぎにウルスラが曖昧に笑って返すと、アイラはクラウの良心的な吹聴に苦笑した。
「どうかしら? クラウったら、失敗しても文句言わずにぜんぶ食べちゃうから」
(クラウさんはお優しいのですわね)
 クラウは急いで不気味な黒胡椒ミルクを飲むふりをして、さっと赤くなった顔を隠した。
 ふたたびアイラがクッキーをハーデリアとガーディに手ずから与えたその後に、事件は起こった。
 ハーデリア=オハンが食べこぼしたクッキーの破片を、ガーディ=銀朱が拾い食いしたのだ。
 この不届き者めが! と翻訳できる怒り心頭の咆哮がウルスラとクラウの耳をつんざいた。ハーデリアの牙はガーディの喉を捉え一瞬で組み伏せた。「オハン!」とアイラの鋭い一声で老犬は無礼な後輩を離したが、おたおたと部屋の隅に逃げてゆくオレンジの毛玉に、獰猛な視線を送り続けた。
「頭を冷やしなさい」
 その命令でようやく観念し、ハーデリアは渋々と反省の目でアイラを見上げた。
 オハンが紅白の携帯球に戻されると、時化に錐もみされた船内のような疲弊感が部屋に充満した。
「ごめんなさい銀朱、怪我はない? ……ウルスラ?」
 壁に耳を当ててじっとしているラルトスを、アイラは声を落として呼んだ。
(……大丈夫みたいですわね)
「お隣さん?」
(ええ。このところしょっちゅう騒音の苦情が参りますの)
 彼女ともう一人の比較的静かそうな暮らしぶりを思い浮かべたアイラに、ラルトスが説明した。
(警察学校のルームメイトだったよしみで、遊びにいらしたミナト様が大笑いなさったり、陽気に熱唱なさったり、大音量で音楽鑑賞なさったり、ゲームでお遊びになったり、夜中にいかがわしいビデオをご覧になったりと……)
「ほとんど金城君のせいじゃない」
 アイラが呆れて総括すると、ラルトスは今さらミナトを責める気力もなさそうに半笑いした。
「……とにかく、オハンが吠えて悪かったわ」
(いいえ、お気になさらず)
 だんだんショックの治まってきたガーディ=銀朱が、クッキーの匂いに抗しがたく戻ってきた。 キルリア=クラウの手から受け取って食べながら、黒い瞳がじっとアイラの顔を見つめている。銀朱といえば警察の職場でいつもアイラにおびえ、今日も食べ物のやり取り以外に彼女と好んで目を合わせようとしなかったのだが、その人見知りの態度が少し変化したようだった。
(アイラさんが、さっき助けてくれたと思ってるみたいですよ)
 クラウが言うと、銀朱はお菓子と関係なくアイラに近づき、期待顔でしっぽを振った。
 急な親しみに一瞬とまどい、アイラはふさふさの頭を優しくなでるつもりで緊張気味に手を伸ばした。ところが直前ですいっとかわされ、銀朱は反対側へ駆けだしていった。やはり自分には早かったのか。寂しそうに引っ込もうとした彼女の指先に、行ってしまったはずの炎の熱気がふわっと戻って来た。
 デフォルメされたイーブイのぬいぐるみを、得意げに口にくわえて。
「このキャラクター、知ってるわ。私も好きよ」 
 アイラの明るい声を聞きつけて、ベッドの上からニヤリと笑う気配がした。
(アンタ、少女趣味? もっとクールな刑事かと期待してたんだけどねえ)
 首を起こして語る色違いのブラッキー=ダッチェスは、体の輪模様をうっすら灯していた。
(そんな子犬と打ち解けたくらいで喜ぶようじゃ、まだまださね)
 それだけ不遜に言い終わると、丸くなって金色の目を閉じた。
「……ね、ダッチェス?」
 色違いのブラッキーは狸寝入りに忙しく、アイラの呼びかけにぴくりともしない。
「この際だから聞くけど、どういうつもり? 最近ネーソスで見かけないと思ったら、ここに……」
 ダッチェスは無視して眠り続けている。アイラは会話を諦めて、ひそかに憧れていた銀朱のたてがみに触れた。最高になめらかな指通りだった。空気をたっぷり含んだクリーム色の長毛が、肌を水流のように滑ってゆく。オレンジの毛はふかふかの手触りで、一本一本が健康な熱を帯びていた。
「……大事にされてるのね」
 ふんふんとご鼻歌を歌う銀朱と裏腹に、ウルスラは落ち着きがなくそわりと手を揉んだ。
(留紺さん、何してるんですか?)
 クラウが呼ぶと、食卓を離れてごそごそやっていたヌオー=留紺が振り向き、手招きした。据え置き型の家庭用テレビゲーム機の電源がオンになっている。ハードと配線で接続されたテレビのディスプレイには「ポケモンスタジアム サン&ムーン」と、ゲームソフトのタイトルが目立って表示されていた。
「あなた、そういうもので遊んだりするの?」
 目を丸くするアイラ。ヌオーは何食わぬ顔で、手つきでラルトス=ウルスラを示した。
「ウルスラ、あなたも?」
(あの、実はわたくし……)
「すごいのね。私、こういうの全然やったことなくて」
 好奇心をそそられた様子のアイラを見て、伏し目がちだったウルスラがぱっと顔を明るくした。
(でしたら……ご一緒に、いかがです?)
「いいの? ありがとう」
 数分後。
 四人対戦の『ドンファンカート』は初参加者の手で史上まれに見るワーストタイムが叩きだされ、もとはレクリエーションだったはずがウルスラ達携帯獣の満場一致でアイラの集中特訓に早変わりしていた。
(違いますわ、違いますわ! そこはダッシュからのブレーキでターンですの!)
(あーっ! アイラさん一番弱いNPCに抜かれましたよ! ある意味すごい!)
「ちょ、ちょっと待って、もう少し静かにしてっ……」
 ヌオー=留紺がときどき、役者任せの監督のような風体でうなずいた。
(ピチューバリアーが来ますわ! ああ、そこのピィハリケーンにご注意なさって!)
 ガーディ=銀朱が障害物の『不思議な飴』のグラフィックに興奮し、テレビ画面に貼りついた。 
(アイラさんコース、コース! 逆送してます! ある種の才能かもしれません!)
「だからもう、ちょっと静かにしてって言ってるでしょ!」
 とつぜん玄関の呼び鈴が鳴り、声という声が消失した。アイラの望みは叶ったのだ。最悪の形で。

レイコ ( 2014/06/13(金) 22:18 )