NEAR◆◇MISS















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第五章
-5- 隣人
 もたついて、すぐにはチャイムに対応できなかった。
 はぁい、とラルトス=ウルスラが賃貸マンションの自宅玄関を開けに急ぐ。
 来客は、隣に住む“ぎょうしポケモン”ゴチム。今日の昼には部屋を引き払うと聞いていた。
 キズミと隣人トレーナーの仲はあまり良くなかったが、パートナー同士は気が合っていた。楽しかったご近所付き合いがなくなるのは寂しい。一方的にクレームをつけて回ることが多かった主人の非礼を改めて詫びるゴチム。挫折していたポケモンコーディネーターの旅を再開する目途が立ち、心機一転で主人の卑屈な態度もこれから改善されていくだろう、と門出に似合う表情を浮かべていた。
 後ろ手に隠していた逆餞別を、ゴチムが照れくさそうにウルスラに渡した。コンテストアクセサリーの一つ『ピンクのお花』。それからゴチムの分類名にもなっている十八番の『凝視』を決めた。目は口ほどに物を言う。伝えんとする言葉を読み取るとしたなら、「あなたも頑張ってね」。ぽっとウルスラが赤くなる。片想いの難しさを把握する仲間同士、別れを惜しんで抱き合った。

 ドアを閉めて振り返ったウルスラは、驚いて跳びあがるかと思った。
(ミナト様! 急に後ろに立たないでください!)
「可愛いじゃんその花。髪につけようぜ」
 片頬をぷくっとさせた上半身裸の男の手には、かじった跡のカップケーキ。
「銀朱がいねえと思ったら、またキズミ達と朝練か」
(お泊まりは歓迎しますが、遅刻なさる前にお着替え下さいませ)
「固いこと言うなよ。別に、この格好に照れねえだろ?」
 目が覚めたら、ガーディのよだれでゆうべのシャツがべとべとだったのだ。 
「お節介だろうけど、カレシにするならキズミよりクラウが安泰だぜ。その次がオレ」
(そのカップケーキ……飾りつけが終わるまで召し上がらないで、と申し上げたはずですが……)
「あ……」



 この日もミナトはアイラを昼食を誘い、クラウは職場でキズミと留守番を選んだ。
 庁舎からそう遠くない、女性店主の営むうどん店。
 オープンな雰囲気で、清潔感がある。
「金城君、和食好きよね」
「オレの名前、もろカントーらへんっしょ。ミックスルーツなんだけどな」
 さくっと音を立ててミナトに噛み切られる、熱々の天ぷら。
 温かいのつゆがたっぷり浸みこんだジューシーな衣も、捨てがたいが。
「この街にも慣れたんじゃないですか。来たてでも外食しやすい店は大体回れたんで、他なんか食いたいもんあれば聞いて下さい。甘味処ならウルスラが詳しいっすよ」
 頭のメモに記しながら、アイラは品のいい箸使いでツナと野菜のサラダうどんを口に運んだ。
「そういや警部補、ネーソスの視聴覚ブースでおれ達のバトルビデオ、もう見ました?」
「……ええ。最新はデッドロックバトルの分よね。親睦会の参考にさせてもらおうかと……なあに?」

 顔に何かついているのかと思わせられるほど、まっすぐ藍色の視線を注がれている。

「いや。そろそろデートに誘っても断られないかなって」
 ぽろとアイラの箸が落ちた。
 声を立ててミナトが笑った。
「だが残念。今日の本題はオレからの“タレコミ”です」


◆◇


 閉館後もバトルネーソスに残ったキズミは、事前の約束どおり所長室を訪れた。
 目当てのモンスターボールを受け取ったオーナー=アナナスが大げさに、喜んで見せる。 
「おかえりドンカラス! ご苦労、やはり君に回収を頼んで正解だった!」
 大声のねぎらいを合図にしたかのように、所長室がノックされた。

 規定違反同然の使い走りをできるだけウルスラに手伝わすまい、と。
 気配に敏いアシスタントを置いてきたことが、尾行を見落とすミスを生んでしまった。

 現れたのは、濃灰パンツスーツ姿の女上司。
 キズミの退路を塞ぐように、後ろ手で扉を閉めた。 
「バトルビデオに、特徴の似たヤミカラスが映っていたの。レンタルも停止中になっていたから、確信したわ」
 アナナスによると、元ヤミカラスは違法ラボで収容されていた時代にバトルアイテム等と同じく、電子データ上に進化の石を書き加えられていた。しかしアナナスは把握していたうえで石の分離を怠っていた。なんらかのきっかけで起動した石が元ヤミカラスの進化を招き、特性『いたずら心』から『自信過剰』への変化がドンカラスの脱走を助長したと思われる。
「すまないねえ。このお嬢さんに問いただされて、君との関係もゲロっちゃったんだ」
 アナナスはお開きだとパンパン手を叩いた。
「約束どおり私へのお咎めは無し、でいいね? さあ続きはよそでやってもらおう。お嬢さんも大変だ、このヤンチャ坊主が部下で!」  
「『ポケモン開放運動』をご存知ですね?」

 小娘らしからぬ核心的な指摘に、中年男の目が笑わなくなった。

「約三十年前、ヒウンシティ圏を中心に活動していたある団体の宗教理念です。元末端団員でしたら、嫌というほど聞き覚えがあるでしょう」
「はは、なんのことやら……」
「私の父は、国際警察官ジョージ・ロングロード。あなたの過去と現在の両方に睨みを利かせていた男です。聞き込みをしたレンタルポケモン達のほとんどは、あなたではなく私の部下を庇っていました。ご自分の立場を今一度よくお考えになっては?」
 先にキズミの退出をうながすと、目を剥いたアナナスに一礼して扉を閉めた。
 
 父とアナナスのあいだには因縁があるらしいという“タレコミ”の、裏を取っておいて役に立った。
 アイラはキズミの後方を歩き、バトルネーソスの従業員出入り口に着く前に立ち止まる。
「今回は全員、厳重注意に処分をとどめるわ。これは貸しよ」
 暗がりで、金髪の部下も靴音を止めた。
 肩越しに振り向く、険しい男の青い眼がアイラを射抜く。
「これに懲りたなら、私を上司として尊重しなさい」
 反目し合う。
「すぐ泣く上司を? ありえない」
「私がいつ、あなたの前で泣いたのよ!」

 いけない。そのまま突き進みたい衝動をアイラはこらえた。
 あれは挑発だ。乗るだけ無駄だ。ひと呼吸置いて、話し合いの度量を持ち直した。

「教えてあげる。父はね、この任期を終えたら退職するつもりだったの」
 事実だ。
 男の視線が睨むのを中断し、何もない空間に向く。アイラは構わずつづけた。
「私には、家族の時間が増える権利があった。あなたにはどうでもいいでしょうけど、私には大事なことだった。この先もあなたが我儘でいるなら、前任者の意思を継いで、部下を見届ける義務も果たせない。私に協力して父を助ける気があるの? ないの?」

 返答に要する沈黙は思いのほか、短かった。

「ありません」

 最悪だ。怒り出す気力も持っていかれるほど、アイラはうんざりした。
 ここまで困難だと思考がひと回りする。
 ダッチェスの言う通り、山頂到達のし甲斐がある気もしてきた。
「おかげで決心がついたわ。これも一つの検証実験だと思って、個人的なペナルティーを課してあげる」
 もう一つ別件の“タレコミ”を、活用するより他ない。


◆◇


「という訳で当分、最近距離で監視させてもらいます。よろしく、お隣さん」
 後日。
 嫌味なほどはつらつと、隣部屋へ新しく入居したアイラに挨拶された。
 大笑いで肩を小突いてくるミナトと裏腹に、キズミは渋面を通り越し放心顔だった。

レイコ ( 2014/06/13(金) 22:18 )