NEAR◆◇MISS















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第五章
-3- 留守番
 ロング氏襲撃事件の証言者として捜査に協力してもよいかどうか、色違いのブラッキー=ダッチェスがキズミ・レスカの査定をはじめて約三週間が経つ。怪我をおして女上司を追った無理がたたり最初の数日間は体調が悪化していたキズミの回復を受け、最近では彼ら国際警察の住まいと、レンタルポケモン制バトル施設『バトルネーソス』を気が向いた時に行き来するだけの、気ままな居候生活を送っていた。
 本日休業のキズミが早朝に出掛けたのをいいことに、まんまと彼のベッドをせしめてぐっすり眠っていたダッチェスが起床したのは、とっくの昼過ぎだった
(おはようございます、ダッチェスさん)
 挨拶の思念を送ったラルトス=ウルスラは、ベッドの向かいの壁際にいた。
 海が嫌いという理由で昨夜ミナトから預けられた、ガーディ=銀朱も一緒にいた。デフォルメされたイーブイのぬいぐるみの顔を、前足の間に挟み込んでいる。ウルスラと違い、寝起きのブラッキーに向かって振る尻尾は動きが少しぎこちない。我が道を行く姐御は、銀朱にとって目上のこわい女なのだ。
(ああ、おはよう。アタシはちょっと早く起きすぎたようだね)
(何か召し上がります?)
(あとでもらうよ)
 前足の裏をなめて、顔を洗うダッチェス。
(キズミは夕方に戻るといったかい?)
 はい……とウルスラ。答え方で落ち込み具合がすぐ分かる。
 ちょっとはずしてな、とさっそくブラッキーに横目で命じられたガーディは、すばやく床に伏せ、立ち耳をまるめてふたりの会話の入り口に蓋をした。
(アイツが墓参りとはねえ)
 ああ見えて意外と、心に深傷を負っていたのかもしれない。もっともアイラに親の話を持ち出させたのはキズミ自身なので、気の毒とまでは思わない。ちなみにその論でいくと、あの時は自分のことを棚に上げて、よくもまあアイラを感情的だと言えたものだ。ダッチェスは茶番に呆れて、すうっと鼻息を立てた。
(キズミ様は、ご両親に強い思い入れが……)
 ラルトス=ウルスラの内気な口ぶりが、何かの事情を匂わせた。
(十年前に死んだ親……か)
 人間ばかりだ、二度と会えない身内にこだわりたがる生き物は。タマゴの頃に引き離され、育ての「おや」に忠義を尽くすよう刷り込まれた携帯獣たちは、顔も知らない生みの親にいちいち思慕をいだく暇もない。まして自分のようにと自嘲しかけて、ダッチェスはやめておいた。
(アンタ、アイツの親に会ったことは?)
 知識の上に存在しない人々を、うつろな首の横振りで表明するウルスラ。
 亡くなる前から親交があると聞く、血縁のない後見人なら一人いるのだが。
(残念ながら。キズミ様が国際警察の施設に入られる前のことですもの)
 無知を認めるラルトスの顔に、主人に右腕と頼まれたアシスタントのおごりはなかった。若い彼らの練度が別格である謎は、居着いてまだ日の浅いブラッキーもそれなりに気に留めている。
(あの組織、そんな小さい子どものうちから鍛えるのが普通なのかい?)
(いいえ。キズミ様やミナト様のような方々は全体にしてごく少数ですわ)
 ふうんと相槌を打つダッチェス。筆の穂先のように整った尻尾をふさりと揺らす。考え事が仕草に出た。詮索好きほど始末の悪いものはないが、キズミの留守はめったにない機会だ。今後の身の振り方の参考にしたいと、質問を粘っておきたい気持ちが大きくなる。
(タダ飯喰らってずっと無関心ってのもね。もう少し突っ込ませてもらおうか)
 打算とも気配りともあいまいなその宣言を受け取ると、冒頭からエスパーの勘がそう来るとささやいていたウルスラは、人知れず警戒心を走らせた。今日という主人の留守を預かる身に重きを置けばこそ、情報の保護には細心の注意を払うつもりである。しかし、いつ気まぐれをおこして立ち去るかもしれないダッチェスを、気長に信頼関係の築きを望むキズミの元に引き留めておくには、多少の汚れ役も必要なのかもしれない。
(……わたくしに、答えられるご質問でしたら)
(なんで死んじまったのさ)
 くすんだ情緒に飲まれまいと、冷静を求めてウルスラは一時閉口した。短い防衛と踏んで待つ金目の圧力に遭いながら、答えを抱く苦しい胸の内を整えて。
(お母様は……他殺だそうですわ)
 意を決して明かした瞬間、やはり罪の意識が脈打って白い小柄が微動した。
 自責に溢れたウルスラの波長が『シンクロ』の共振を生じ、ダッチェスの強気な眼光にも陰りがでる。これだから同調の特性は。落ち目同士ではますます下に向かってしまう。気張った思念の声が、命令調で急ぎたずねた。
 殺人犯のその後を。
 しかし。
(申し訳ありません)
 互いに収穫のないままの、平行線を辿る予感が打ち寄せた。
(まさかアイツ、犯人捜しのために刑事やってるんじゃないだろうね?)
 それは復讐を直喩する、最悪を絵に描いたような推論。
 ウルスラは物憂げに、首を横に振るだけ。
(真実をご存じなのは、キズミ様ともうお一方……そしてファーストさんだけですわ)
 ファースト。借りのある名を慎重に吟味し、ダッチェスの瞼がゆっくりと満ちた。
(……アンタがその様子だと、どうやら自分の目で確かめたほうがよさそうだね)
 かすかな期待感を隠して、ウルスラはつややかな黒い体毛がのった顔を見上げた。
 査定期間は、無期限延長。
 薄目をあけてニヤリ、おまけに色違いのブラッキーは尻尾を高く立たせて言う。
(そろそろ辛気くさい話は打ち止めといこうか。代わりに浮いた話とかどう?)
 ふたりに気取られないように、こっそりと丸めた耳に風を通すガーディ=銀朱。
(ウルスラ、アンタなんでそこまでキズミに入れ込んでるんだい?)
 ぽっと赤くなった頬を手で押さえ、ウルスラが腰から上でのたうった。
(もう! いやですわ、ダッチェスさんたら! いきなりそんな……っ!)
(ほれほれ、今なら本人もいないし。言ってみな。いつから? 理由は?)
 某キルリアと同じく、片想いの連中はリアクションが光っている。ダッチェスはベッドからひらりと飛び降りて、体の青い輪っか模様を怪しく光らせながら、もじもじしている彼女にすり寄った。
(そ、そこまで気になるのでしたら……本当によろしいですの? お時間を取らせますわよ? あっ、では、手短に……ちょっとだけ……きゃー! やっぱりダメですわー! 恥ずかしいっ!)
 もじもじがピークに達した途端、荒ぶった足踏みが床をラッシュした。
(あ、ああ、そうさね……)
 恋する乙女をいじるのは面白いが、奇行に付き合わされるのもお約束ということで。ダッチェスは仕切り直しをかねて、へっぽこ男子の努力が実る確率にも探りを入れる。
(じゃあクラウのことはどう思ってるんだい? 同じ不定形として)
(クラウさん? 真面目なお方ですし、踊りがお上手ですし、進化したいという志は立派ですわ)
(それだけ?)
 無口になって考えてから、ウルスラは少し上の空になって別の意見を打ち出した。
(どんな方とも仲良くなれるので、協調性も高いと思いますわ)
(やっぱりアンタ、アイラのこと嫌いなんだね)
(そう意味で言ったのではありません!)
 品性が取り柄の優等生らしくない、ずいぶん反抗的な語勢だった。
(はいはい)
 どうせ不真面目に聞こえるようにあしらえば、否定に込められた真意など均一にでききてしまう。色恋沙汰は所詮余興、ダッチェスの深く関与したいところではない。ただ一つ、さっき貰った回答の中で共感を得にくかった部分がある。
(そんなに進化願望って、すごいかねえ?)
 別に好きで進化した訳ではない、といっていた相手からそんな疑問を投げかけられると、ウルスラも苦笑が先行してすぐには素直に取り合えなかった。
(……それはやはり、憧れますわ。わたくしにはできない事ですもの)
(したけりゃすればいいじゃないか。もうそのレベルに来てるだろ)
 怪訝そうに勧める側に対し、勧められた側は切なそうに微笑んだ。
(わたくしが『トリックルーム』や『手助け』などのサポートを行うたびに、キズミ様のご心身に大きな負担をかけるということは、前にもお話ししましたわよね?)
 国際警察の精鋭が鍛錬を積んで会得する、携帯獣ではなく人間の戦闘力強化をはかる緊急用の護身術のことを言っている。黒い毛並みの聞き手は今更という感じで首を傾げた。
(ああ、知ってるよ)
 覚えていてくださってありがとうございます。白い肌の話し手が意を込めて会釈した。
(その基礎にして最難題が二体一心の活動同期、『シンクロ』ですの。わたくしが進化できない理由はそこにありますわ)
 能力が強化されれば、平時から心の結びつきが強いキズミに一方的な精神的影響をもたらすようになる。現に長い月日をかけて肥大した問題は、すでに深刻な兆しが現れているのだ。
(たとえば……悪夢の出現ですわ)
 ウルスラの物言いが生々しい。
 ひそかに心当たりのあるダッチェスは、口の中で牙を舐めた。話を聴けば聴くほど、寝食の世話になっている彼らがとんだ綱渡りの関係であると分かってきて、複雑な気分になってくる。エリート警官ともあろう男がたったひとりのアシスタントに命懸けの面倒を背負わせて、いったいどのネジが外れているのだか。深刻な手持ち不足のくせに、一度も居候相手にボールに入ってくれと言わないキズミはどうかしている。
(アンタの他にもちゃんと手下をもつべきだね、アイツは)
(色々と事情がありまして)
(そんなヤツが中心で回る生活なんて、息苦しそうなもんだけど)
 言い返してこない代わりに浮かんだウルスラの笑みが、幸せそうで妙に悔しい。
 手持ち冥利に尽きるときたか、のろけめ。ダッチェスは彼女に顔を寄せた。
(で、結局どこに惚れたのさ?)
 照れさせた隙をつき、尖った尻尾の先がウルスラの脇腹に襲いかかった。
(喰らいな、『くすぐる』攻撃―っ!)
(きゃあああ)
 白と黒の取り合わせが床でじたばた暴れていると、インターホンが水を差した。
 真っ先に駆けだしたのは当然、ガーディ=銀朱。おかげさまでやっと置物状態から解放される。来客の歓迎もひとしおだ。凝りかたまっていた尻尾がふさふさふと喜んでいる。しかしドアに飛びつこうとした手前で急ブレーキをかけ、ドアの隙間に鼻先をくっつけて外の臭いをかぎ始めた。笑いすぎて心臓をバクバク動悸させているウルスラが追い付き、そわそわしている銀朱を見て、一体どんな客だろうと心してドアに取り付けてあるレンズを覗き込んだ。
 どーんと水色のとぼけた顔面が、どアップで映っていた。
(あら、留紺さん?)
 緊張が和らいだ。しかしレンズの視野を埋めるには身長が足りないはずのヌオーが、どんなトリックを。今日は遊び心で、踏み台でも持ってきたのだろうか。
 違和感を残したまま、ウルスラはドアを開けた。
 見たとおり、まずヌオーがいた。足場の高さは、『念力』で持ち上げられていたと説明がついた。覗き穴の死角に同行者がいたのだ。怪我人キズミの付き添いで家に来たことのあるキルリア=クラウと、初訪問のハーデリ=オハン、
「……こんにちは」
 そして女性警官で上司の、アイラ・ロングロードが。


◆◇


 時間も空間も人間の強要する価値を放棄した、深淵なる世界観。姿見の正面に立つように、真っ当に向き合った少年の心があの頃のまま変わらずにいて、久しく痛感しなかった抑留にある種の敗北すら覚えた。若い刑事の顔でいるときには規律と違反の矛盾が幅をきかせ、寡黙の影で無差別な思いが降り積もっていくというのに、この不可侵の差は何なのだろう。加重で底に穴が開き、たとえ蓄積が一斉に落下して消滅したとしても、またすぐに別物で埋まる生態を気概でねじ伏せている青年は今、表の席を譲って浅い眠りに落ちているようなのだ。
 はるかなる青空は、無限の宇宙に続く門。白い雲の船が、風の潮に乗ってあてどなく彷徨う。数多の人生が行き着く終着の地に立ち、生ある孤独に原始的な感覚が鋭くなる。早くに両親を喪った傷もファーストを失った生傷も、おそらく一生疼痛が付きまとう。完全には癒えるのは真の強者のみ。だから自分は救われない。
 すでに破れた誓いを、見苦しくてももう一度。誰も失わないために、出来る事とは。
 生まれて初めて自分に言葉を教えてくれた母親と、同じ方言が両親の墓に向かって自然と出た。
「六年間も、おおきに」
 口約束にはしたくないと、キズミは立ち去る間際に次に参る約束をしなかった。

レイコ ( 2014/03/17(月) 22:33 )