NEAR◆◇MISS















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第五章
-2- 手持ちの心得
 うまい昼食を求めて、沖の無人島から沿岸のしずかな保養地へ。
 地名イエローガーデンのビーチに着いてすぐ、水上オートバイを係留しようと低速で浮桟橋に近づいたミナトは――
「イチリいいいいッ!?」
 衝撃の再会に手が力み、危なくアクセルを全開にしかけた。
 彼を桟橋で待ちぶせていたイチリ=フワンテは、糸状の腕をぶらぶら振って宙に浮かんだ体を揺らして笑い、サプライズの成功を喜んだ。
(お探ししましたよ−、湊さま。お久しぶりです)
「ビビッたぜ、元気にしてたか!? つーかお前なんでここに?」
 遠路をねぎらう少年の笑顔が、あとにつづく悪気のない風船の一言で急にさめた。
(事前に、麹塵さまのお手引きがございましたのでー)
 ――何かと重宝するアシスタントだが、絶縁状態の父の息が掛かった監視役でもある。
 パンと自分で自分の手の平に拳を打ち込み、最小限の鬱憤を晴らすミナト。
「……まあいいや。で、用事はなんだ? 悪ぃが当主の差し金なら――」
(アタリでーす)
 一番いやな予想が当たったところで、ミナトにとって百害あって一利なしだ。
(旦那様よりご伝言を預かってまいりました。こうでもしないと湊さま、音信不通でしょー?)
 そう言ってイチリ=フワンテは自分の口に手を突っ込み、空っぽの風船の体の中からパーティ用のクラッカーを取り出すと、太陽の日差しを受けて光る海面に向かって紐を引き抜き、パーンと破裂音と紙吹雪をばらまいた。
(ご婚約おめでとうございまーす!)


◆◇


 久々に予定のない休日を利用して、アルストロメリア市内にある巨大なショッピングモールにやって来た。
 服装はカジュアルめに、ベージュのパンプス、細身の白い長ズボン、ミントグリーンのインナーに黄色い薄手のカーディガンの組み合わせ。勤務中はまつ毛一本も気を抜かないのが普通だが、父親の見舞い品にしようかと生花店のショーケースに向けるまなざしは、厳格にキズミ・レスカら部下を取り締まっている女刑事とは別の意味で真剣だ。
 仕事着の濃灰のパンツスーツとかけて堅苦しさを脱いだアイラからは、等身大のさまざまな表情がこぼれてくる。年寄りのハーデリアからみればそれらすべてが輝かしく、仕える主人でありながら実の孫のように愛おしい。
(アイラさん、今日は骨休めできるといいですね)
 店外に備え付けられた休憩用ベンチで彼女を待つキルリア=クラウが、斜め向かいに座っている老犬にテレパシーで話しかけた。こんな余裕のある台詞を言えるようになったのも、アイラの父ジョージ・ロングロードの容態が四週間、安定し続けているからだ。もともとロング氏は体力自慢の屈強な国際警察官。このまま経過がよければ、当分意識が戻る見込みはないという医師の診断もくつがえるかもしれない――
 しかしハーデリア=オハンは長毛の密集した眉をしかめた。この若いアシスタントの真面目一徹なところは買うが、経験不足な面が気がかりなのだ。じゃが携帯獣(わしら)に休んでおる暇はないぞ、とそっけない鼻息で釘を刺し、つづけて口髭をむくむく動かした。おぬし……近頃色気づいておるからのう。
 とつぜん秘密をあばかれた大事件に、クラウはあたふたとなって赤面した。
(な! な、何を言い出すんですか!? ぼ、ぼぼ……)
 ベテラン警察犬の目が鋭く光る。悪いことは言わん、今すぐに身を引けい。
 ヒゲもじゃの顔の威圧にたじろいで、白い細身の上体が座面に尻をすって後ずさる。
(それはつまり……僕って、そんなに女性受けの悪い男なんでしょうか……?)
 的外れな解釈をして、勝手に落ち込むテレパシー。
 違うわい、と年寄りの眉毛がいかった。二の句を継ぐ前に、やれやれと後ろ足で首を掻くハーデリア。今このときに知能の高さは関係ないかと、アシスタントの物分かりの悪さを大目に見る。おそらく若い脳みそは初々しい想いでいっぱいで、自覚はなくとも面倒な“常識”を表立てないようにしているのだろう。純な彼の目を覚まさせ、つまりは夢を一つ奪う責任を重くみて、老犬は昔に比べて毛の薄くなった顔を曇らせた。
 よいかクラウ……人間に仕えるわしらに、恋愛の自由はない。
 おのが選んだいとしい相手と添い遂げるなど、できぬのじゃ。 
(……)
 瞬間、クラウの顔から表情が消え失せて、硬く繊細な無機物のように変容した。
 オハンは犬歯をみせずに、喉の奥から強弱のついた低いうなり声を出して説く。
 考えてみい。いつかわしらは、国際警察のアイラ様に付いて世界中を飛び回ることになるのじゃぞ。おぬしが見初めたおなごはさしずめ、人間に奉公する者であろう。ならば互いにひとところにとどまりつづけ、愛を育むわけにはいかんじゃろ。
(……)
 ふん、と嗅覚のすぐれた鼻先からため息が出る。のう、別れは避けられぬ。かくなる上は主人を捨てるか? 恩を仇で返したところで、人間の世界の暮らしが染み付いたわしらは、野生で生きてゆけんわい。 
 立派な三叉眉毛は、微妙な角度の変化で持ち主の気分を表していた。過去にはのう…自然界に適合できず、人間の元で鍛えた力を持て余したあげく、道を誤った愚か者共もいるのじゃよ。
 老いを感じさせない力強い眼光。口髭がむくむくと小さく上下に動き続ける。それによいかクラウ、わしら警察の仕事はとかく危険と隣り合わせじゃ。もしアイラ様とそのおなごがふたりして窮地に陥ったとき、おぬしどう決断するつもりじゃ?
(そ、それはっ!)
 声の原型が飛んだテレパシーの残す、不快な余韻。話をさえぎられたオハンの渋面が、今の感情的な行動を反射してキルリアの頭を痛ませた。はじめて知った微熱にのぼせ上がっていただけ。そんな大それたつもりは無かったと説明しても、世事に通じた老犬の前では苦しい言い訳にすらならないだろう。
(僕は……すみません。そんな深いところまで、正直考えていませんでした……)
 この場で叫べる答えなんて。力不足を素直にあやまった。
 しょんぼりと悩める青二才を、なぐさめる優しい言葉は頑固なオハンの辞書になかった。
 ならば年寄りの言う事は聞くものじゃ。今後気の迷いにうつつを抜かしてアイラ様に無礼を働くようなことがあれば……わしがおぬしのモンスターボールを噛み砕く。よいな。
(……)
(なになに−? 恋バナー? ぼきゅも混ぜてー!)
 フロアからベンチに跳び上がった緑の丸い生き物が、クラウの空いている隣を埋めた。
(麹塵さん!?)
 麹塵――ネイティは名を呼んだキルリアを上目遣いに見て、にやりと意味深長に笑う。
(もう三週間だよお。警部補さまの護衛あきたーっ! いくら湊さまの命令でもさあ毎日毎日、ねえ? しかも今日はこーんな人間ばっかの所でサイアクだし!)
 麹塵殿、今はこの若輩者と取り込み中ですじゃ。お控えくだされ。
 鋭い目付きで締め出しにかかったオハンを、はいはいと適当に受け流すネイティ。
(ねークラウきゅん、アシスタント同士なかよくしようよ? ぼきゅが縁結びの“神様”になってあげてもいいよ!)
「お待たせ。どうしたの?」
 ヌオー=留紺を伴って、手にレジ袋をさげたアイラが店の中から現れた。
 チッと舌打ち、麹塵の姿が超能力で一瞬にして消える。オハンは居ずまいを引き締め、クラウはトランポリンに座ったかのようにベンチから飛び上がる。何事もなかったとごまかすには少し無理のある、慌ただしい雰囲気を引きずって彼らは主人を出迎えた。

 昼食の時分を遅くずらしたおかげで、混雑のピークが過ぎたフードコートにて空席を無事に確保できた。
 それは全員よかったとして、まったく別の問題がクラウだけに生じていた。
 見られている。ものすごく見られている。ずっとヌオー=留紺に、じっと凝視されている。正面席にいるキルリア=クラウが巻き込まれたのは、エンドエス・にらめっこ。留紺の二粒の黒い砂のような瞳には、よそ見をしようにもつい気になって、視線を戻してしまう魔力が秘められているようなのだ。
(あのう、留紺さん、食べないんですか……?)
 手付かずの野菜ホットドッグには、ソーセージの代わりにキュウリが一本挟まれている。ヌオーの点目は笑っていないが、大きな口はぬーんとミステリアスに和らいだ。
 やっぱり未知の生命体だ。どんな高等な超能力でも、頭の中身を解読できる気がしない。
 クラウは目配せで助けを求めたのだが、アイラはオハンの毛繕いにいそしんでいた。
「そろそろトリミングしないとね。いい美容室、探さなくちゃ」
 顎の下のツボをなでられているハーデリアは、年甲斐もなく尻尾を振っている。
 きれいな被毛で思い出し、アイラは店舗の候補を絞り込む当てがなさそうに呟いた。
「……銀朱は、どこにかよってるのかしら」
(普段は、キズミさんが手入れしてるそうですよ)
 オハンから険しい一瞥を投げられた瞬間に先走って、クラウはすでに後悔の念に取り憑かれていた。ほんの一瞬で過ぎたが、幸福と対極にある感情に囚われた彼女の表情を、彼はしかと大きな真紅の目に刻み込んでしまった。例の部下の名前を不用意に出すのはよくないと知っていながら、つい油断したせいで。
「ごめん」
 先に謝った彼女の唇は火のように、まるで暗中と思える顔色から浮いて、揺れてみえる。
「私のせいで折り合いが悪いのに、名前くらいであなたにムッとするなんて」
(い、今のは僕が悪いんです! それにアイラさん、いつも頑張ってるじゃないですかっ)
 全身を白熱させて訴えるクラウの証言を、アイラは虚像とみなして冷然と否定した。
「何も変えられないなら、努力しているうちには入らないわ」
 彼女の視線は草葉をつたう雫のように、ふと空中での張力が切れ、
「……私ね――」
 テーブルの上に重ねておいた、華奢な両手に落ちた。
「本当は、やっぱり彼のこと……割り切れてなかったみたい」
 握り、絡め、離す。指先がとても寂しい。感触を欲している。
「ずっと向き合おうとしなかった、立場で決めつけてた。一番最初に犯人と接触して、でも取り逃がした彼を責めるのは間違い、状況的に非難しても仕方ないもの。私は上司だから、被害者の家族の顔をしちゃいけないって」
 アイラには分かっている。塞がりきらない傷口の、抜糸をする覚悟を決めなければ前に進めない。誇りも穢れも区別なく、膿を絞り出すように吐露するためには。
「不満がたまってたんだと思う」
 途端に重たく心肺が沈み、小声は掠れを伴った。
「……だからって、ご両親のことを引き合いに出して、なじるべきではなかったわ」
 苦悶感が胸を押し潰していく。醜い性根の告白を無痛で終わらせるのは困難と、最初から承知していたはずなのに。だがここで真実から逃げ出せば、もっと自分を許せなくなる。
「こんな状況を作り出しておいて、まだ“あやまる”という選択肢を除外してる。人の心を傷つけたかもしれないのに、何の行動も起こさずにいられるの。なぜだかわかる? 私が卑しい人間で……心の底では彼の不幸を望んでいるからよ」
 その本心に、気づいてしまった時。
「……死ぬほど恥ずかしかった」
(アイラさん!)
 実体のない大声が飛び入りして、塞ぎ込んだ灰色の瞳を強引に振り向かせた。
(僕はアシスタントです! アイラさんがご自分をどう思おうと、僕はあなたの味方です!)
 無駄に気合いの入った形相のクラウが彼女につめ寄り、啖呵を切った。
(そんなの僕だって、自分のイヤなところはたくさんありますよ! まず見た目がカッコよくないですし、性格もぱっとしませんし、ドジで女性にモテないですし! でも欠点なんてあるのが普通じゃないですか! ええと本当は、自分で言っててへこんできましたが……とにかく僕は、アイラさんが大好きです! 以上です!)
 勢いあまってテーブルへ叩きつけた手が痛み、クラウの口からうめき声がもれた。途中まで真剣に聞いていたオハンの耳がガクリと垂れ、ぺちぺちと気の抜けるような留紺の拍手がさらに空気をだれさせて、足並みのそろわない残念な収束感が漂った。
 ――成果は、かろうじて。
「……ありがとう」
 くすぶり続けている内面を抑え、アイラは皆の気遣いを汲んで微笑みを引き出したが。
「でも、あんまり優しい言葉をかけないでね」
 救いと甘えは紙一重。意地でも他者を突き放す言動を取らなければ、自分の弱さにいつか足を掬われそうでこわくなる。憂鬱な話題を切り上げる潮時とみて、彼女は椅子から腰を上げた。座っているより立った姿勢のほうが、地に足をしっかりつけている分ましな動きもできるような気がする。しかし勢いで格好だけはつけられても、肝心の行き先は未定のままだ。
 そんな彼女の手を、ヌオーがとった。
「留紺?」
 ヌオーは、ぽんと胸を叩いた。
 握った手をぐいぐい引き、どこかへ案内しようとする。
 歩き出したふたりの後に、歩調を遅らせたクラウとオハンがつづいた。
 のう、これでよくわかったじゃろう。
(……はい)
 オハンの言わんとすることが、今度はクラウにもすぐに伝わった。
 自分たち携帯獣は、主人に必要とされてそばにいる。その使命は痛切に感じられた。力になれることはもっとあるだろう。けれどもそれは、人間の主人がいつか一人で立つか、別の拠り所を見つけるまでの期限付きかもしれない。
 もしもそのときを迎えたら、自分たちの居場所はどうなるのだろう。

(にしても留紺さん、どこに案内するつもりなんでしょうか?)
 ショッピングモールを出て街中を歩きながら、キルリア=クラウは首を傾げた。
(とめさんも水くさいなー、ぼきゅに土下座して頼めばテレポートで一発なのにっ)
 どこからともなく、姿を隠したネイティ=麹塵のテレパシーが脳裏に割り込んでくる。オハンが宙に鼻を突きだして匂いを探ったが、どこにいるのかは特定できない。
 車道を走る自動車の列に、クラウはピンク色のタクシーが混じっているのを見かけた。あれは前にキズミと一度利用したことのある会社のものだ。ヤドンが運転するヤドン・タクシー。ふっと思い付き、まわりの景色を見渡した。どうりで少し見覚えがあると思った。まさか……ね。クラウはごくりとつばを飲み、きな臭い行き先の予想を振り払った。

 白衣を畳んで腕にかけ、びっしり書き込まれた手帳を開いて読んでいた眼鏡の男性客が顔を上げた。ヤドン・タクシー後部座席の窓から離れず、外の往来を眺めているチルット。乗客の男は穏やかにたずねる。
「アフロ、どうかしましたか?」
 チルットは振り返り、一頭身を横に振ってなんの変哲もない仕草をする。
 紳士然とした男は眼鏡の山を軽く指で押し上げ、落ち着いた物腰で頼んだ。
「そうですか。ではもしキズミ君を見かけたら、私にも教えてください」


◆◇


 その頃キズミは単身、ひさしく詣でていなかった両親の墓前に花を供えていた。

レイコ ( 2014/02/28(金) 23:46 )