-2- 砂浜の休日
溢れる光を懐中する、エメラルドグリーンの海面が巻き上がった。
沖に吸い込もうとするうねりの力に対し、サーフボードに腹ばいになったまま岸に向かって両腕のフルパワーで水を掻く。ピークに持ち上げられて振り落とされる前に、ボードの表面(デッキ)に立ち上がり、テイクオフ。前脚に体重をかけて横に滑り、有色透明の斜面(フェイス)にセットすると――流体のトンネル内部を突き進む、はち切れそうな高揚感がミナトを包み込んだ。
頬を打つ潮風。立体的な大音響。濡れて束になった黒髪がもたつき、ウェットスーツは四方八方から冷たい飛沫を浴びた。曲げた膝を柔らかくして、両腕でしなやかにバランスを保ちながら、体の一部のようにサーフボードを走らせた。切り立った大波が、怪物の上顎が閉じるように倒れていく。崩落に追いつかれる間際、ミナトは颯爽とトンネルから滑り抜けた。惰性で進むボードからどぼんと背中側で飛び降り、濡れた小麦色の顔を拭って、にかっと白い歯を覗かせた。
「長春、今の『波乗り』良かったぜ! すっげえ綺麗なチューブだった!」
波間に漂う若者の背中をやんわり押し上げる、しっとりと弾力のある感触。名前を呼ばれたミロカロスが、翡翠色の海中から、静かに首を現した。鱗はダイヤモンドの粉をコーティングしたように、太陽光線をきらきらと反射している。見る角度によっては、表面に淡い虹模様を浮かんでいた。
「一旦浜に上がろう。休憩」
赤い飾り鰭の付け根を撫でてやり、つややかな胴体にまたがった。ミロカロス=長春は長躯をくねらせ、優雅な泳ぎで浅瀬に向かう。腰の高さの水位以降は先は自分の足で歩いた。波打ち際を過ぎると、砂の粒子が濡れた足の裏にパン粉のようにまぶされた。
イエローガーデンという名のリゾートタウンは、アルストロメリア市から長い往復の移動時間をかけてでも、休日を費やして足を伸ばす値打ちがある。ただし気候は、海水浴の本格シーズンとはまだ言えない。海から上がった後は早めに乾かさなければ体が冷える。サーフボードのフィンを砂に突き刺し、風に飛ばされないよう固定しておく。重石を乗せたレジャーシートがミナトの基地だ。ほったらかしていた厚手のタオルで黒髪を吹き、ウェットスーツの水気も取る。
浅瀬に佇んでいるミロカロスへ、明朗な声を届かせた。
「ここの無人島は気に入ったかー? オレ的にはさー、サーフィンの練習には持ってこいだけどよー、やっぱ海は水着の美女がいねえと、盛り上がりが足んねー! あ、お前は別格だけどな、長(チョウ)!」
言いながら自分ひとりでけらけらと笑う。
軽口を聞き慣れているミロカロスは、年の離れた姉のように落ち着いていた。
「月白(げっぱく)が帰ってきたら街に戻って、昼メシにしようぜ。おーい雄黄(ゆうおう)、それでいいよな−?」
少し離れた位置で、仰向けに寝そべった紺色の皇鳥がぽってりした腹を張り出している。
気持ちがよさそうに爆睡している。
無防備な姿というものは、やたらと悪戯心を起こさせる。ミナトはそろりそろりと忍び寄った。「おりゃー!」と腹にチョップしたが、ダメージを受けたのは鋼の皮膚でなく人体の手指だった。
「くっそかてえ、だったら砂埋めにしてやる!」
砂を掬ってはかけ、掬ってはかける。腹部がこんもり肥大化していく。
「おらおら! おらおら! しっかし、起きねえな」
ごうごうと上から吹き付けてくる、繰り返しの風。
快晴を見上げて、ミナトは着陸しようとしている翼の主を大声で迎えた。
「おかえり、月白!」
翼面に受ける抗力を利用して下降する仕組みは、パラシュートと同じだ。
しかし面積と質量比の問題で落下速度が速すぎたので、最後は大きな羽ばたきでスピードを相殺した。着地点を固定端に走ったパルス波が砂の舞い上がらせ、両腕を拡げていたミナトに覆い被さった。離れて見ていたミロカロスが、あららと目をしばたたかせた。石灰質の粒子をぺっぺと吐き出すのに忙しいミナトの元に、月白が首を上下にひょこひょこさせながら寄っていく。そして、かぷかぷと頭を甘噛みし始めた。牙ではないが、口にある硬化した皮膚の突起は鋭い。
「いてっ! ダメだぞ月白、噛み癖は。成獣になってそれやるとヤバイからな」
今度は脇の下に頸をねじ込んできた。
「冷たっ! おま、羽凍ってんじゃねえか。どんな高度にチャレンジしやがった?」
逃げるミナトを、月白が面白がって追いかけた。首のリーチで腰に頭突きを喰らわせ、転ばせる。
笑いながら大の字になった少年に、あごでべしべしと上機嫌なチョップを連打した。
「ぎゃー分かった分かった! 腹減ってんだろ、さあ本島でメシを食おう」
ひれの変化した棘のついた尻尾をふりふり、騎乗をせかす月白。
「今日は水上バイクをレンタルしたろ。一緒に飛ぶ練習はまた今度な」
水際に停めてある乗り物を一瞥すると、月白は頭を低くして足で砂を掻いた。
「がっかりすんなよ。オレ砂を洗い落としてくるから、雄黄を起こしてやってくれ」
ミナトは海に向かう。月白は寝ている仲間のところへと、小鳥のように足を揃えてぴょんぴょん跳びはねていく。通った後には、小鳥と大違いの巨鳥級の足跡が出来ていた。
「優しくだぞー!」と、遠くからミナトの声が念を押した。
月白は先の尖った口で額をつついた。起きる気配はまったくない。
今度は足の爪先で横腹をほじくってみた。これも効果なし。
ああそうだと思いつき、月白は寝顔に向かって『破壊光線』をぶっ放した。