NEAR◆◇MISS















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第五章
-1- 砂浜の休日
 溢れる光を懐中する、エメラルドグリーンの海面が巻き上がった。
 後ろから吸い込もうとするうねりの力に対し、岸に向かって両腕のフルパワーで水を掻く。ピークに持ち上げられて振り落とされる前に、腹這いになっていた長楕円の表面(デッキ)に跳び乗り、テイクオフ。前脚荷重で突っ込み横に滑り、有色透明の斜面(フェイス)にセットすると――流体のトンネルに待ち受けていた、数限りない高揚感がミナトの体を包み込んだ。
 眼中を湿気らせる潮風。立体的な大音響。濡れて束になった黒髪がはためき、ウェットスーツは四方八方から冷たい噴射を浴びる。白い泡を蹴立て走るのは、意のままに操るサーフボード。曲げた膝は柔らかく、広げた両腕でしなやかにバランスを保つのだ。 切り立った大波は左から順々に怪物の上顎が閉じるように倒れてゆき、崩落に追い付かれる間際に彼は颯爽と空洞から抜け出した。惰性で滑り続けるボードから仰向けに飛び降り、白泡まみれの小麦色に日焼けした顔を拭って、にかっと笑顔を覗かせる。
「長春、今の『波乗り』良かったぜ! 綺麗なチューブだった!」
 波間に漂う少年の、背中をやんわり押し上げる弾力となめらかな感触。名前を呼ばれたミロカロスが、翡翠色の水中から静かに首を現した。見下ろす鱗がダイヤモンドの粉をコーティングしたように眩く太陽光線を乱反射し、視点をわずかに変えると表面に淡い虹模様を浮かべているのが見えた。
「よし、一旦浜に上がろう。休憩っ」
 赤い飾り鰭の付け根を軽く撫で、騎乗を合図する。ミナトがサーフボードを脇に抱えてつややかな胴にまたがると、ミロカロス=長春が長躯をくねらせ、優雅な泳ぎで浅瀬に向かった。腰の高さの水位まで来ると彼女の背中を滑り下り、そこから先はミナトが自分の足で岸を目指した。じゃぶじゃぶと水音が途絶え、湿った色の濃い浸水跡を越えると、渇いた砂の粒子が濡れた足の裏にたっぷりまぶされた。
 アルストロメリアを南下した、穴場のビーチリゾートであるイエローガーデンもまだ海水浴には少し肌寒い季節だ。一旦水から上がれば、自然乾燥を待つよりも体温の下がる方が早い。サーフボードはフィンを砂に突き刺し、風に飛ばされないように固定する。重石を乗せたレジャーシートの上に雑に丸めていた厚手のタオルを拾い上げ、彼は癖の落ちた黒髪をわしゃわしゃと掻き回した。続けてウェットスーツの水気を拭き取りながら、浅瀬に佇んでいるミロカロスの気を引くよう、伸びやかに声を届かせた。
「無人島はのびのびできていいかー? サーフィンの練習には持ってこいだけどさ、やっぱオレ的に海はガンガン暑くてワイワイ賑わっている方がいいなー。なんつーか、水着美女がいねえと締まらねえ!」
 深みのある紅色の瞳を柔和に細め、聞いている。まるで年の離れた姉のような風格のミロカロス。
「あ。お前は別格だぜ、チョウ」
 ミナトは自分で言った見え見えのお世辞に笑い、心得ている長春も品よく微笑み返した。
「月白(げっぱく)が帰ってきたらイエローガーデンに戻って、昼メシにすっか。おーい雄黄(ゆうおう)、それでいいよな−?」
 レジャーシートを少し離れた白い砂浜の上で、仰向けに寝そべった青い携帯獣がぽよんとお腹を張り出している。燦々と照った太陽の下での爆睡。とにかく気持ちがよさそうだ。
 無防備というものは、人にむやみに悪戯心を起こさせる。タオルをマントのように肩に掛けたミナトが、砂地と油断せず足音を立てまいと忍び寄った。寝顔の脇にしゃがみ込み、「敵機来襲! ズドド!」といきなり大声を上げて手を戦闘機に見立てて額を連打したが、硬い皮膚にぶつかった指の腹が腫れそうに痛んだだけだった。
「く……ちくしょー、だったら砂埋めにしてやる!」
 B作戦に変更だ。両手をシャベル代わりにひたすら掘って掬ってかけまくる。短足のせいで筋トレも虚しくぽっちゃりな見かけを脱せないお腹を、白く厚く砂を盛って、覆ってゆく。
「おらおら! 目が覚めたら野郎がナイスバディになってました、なーんてなっ! ……お?」
 一点集中の下降流。轟音の接近に誘われて、さらさらの崩れやすい砂を胸の位置にお椀型に盛っていた手を止めた。天高く吸い込まれそうな快晴を見上げ、ミナトはすうっと肺を膨らませる。
 予想される派手な帰着に負けじと、叫んだ。
「おかえり! 月白―っ!」
 太陽光線を銀に変える反射物が、緊急着陸態勢に入る。体の脇に引きつけて空気抵抗を小さくしていた翼を盛大に広げ、瞬間的に迎角を大きくしたことで推力を減少させた。翼面に受ける抗力を利用して下降する仕組みはパラシュートと同じだが、翼の面積と質量比の問題で落下が速すぎたために、最後は力強い羽ばたきでスピードを相殺させる。
 着地の直前に吹き荒れた浜の砂塵のおまけに、着地点を固定端に地盤を走ったパルス波が砂の高波を作り、近くにいたミナトに覆い被さった。離れて見ていたミロカロスが、気の毒そうに目を瞑った。
 口に入った石灰質の屑をぺっぺと吐き出すのに忙しいミナトの元に、空から降りて来た月白が、脳天気に首を上下にひょこひょこ動かしながら近寄ってゆく。そして、じゃれてかぷかぷと彼の頭を甘噛みし始めた。歯はないが、角質で一繋がりになった口は鋭い。
「いてっ! ダメだぞ月白、噛み癖は治さねえと。オトナになってそれやるとヤバイからな」
 大の男の背丈ほどもある幼鳥は耳を貸さず、今度は脇の下に頸をねじ込んできた。
「冷たっ! おま、羽凍ってんじゃねえか、寒!」
 逃げるミナトを、月白が面白がって追いかけた。速いとは言いがたい歩行を首のリーチでカバーして、彼の腰に頭突きを喰らわせて砂の上に転ばせる。ゲラゲラ笑いながら仰向けになって降参した少年に、月白は上機嫌にあごでべしべしと勝利のチョップをお見舞いする。
「ぎゃー分かった分かった! 腹減ってんだろ、お前帰ったら本島に戻ろうって長春と話してたんだ」
 目の色を変えバンザイと翼を広げると、そのまま背中を向けてシッポをふりふり騎乗をせかす、月白。
駄目だ、完全に忘れている。ミナトはあごをしゃくって波打ち際を指した。
「いやだから、今日はバイクのレンタルしただろ。飛ぶ練習はまた今度な」
 停めてあるウォータークラフトを目に入れ、月白は頭を低くして足で掻いた。
「がっかりすんなよ。オレ砂を洗い落としてくるから、雄黄を起こしといてくれ」
 彼を乗せて運ぶ仕事はなくなったが、すぐに笑顔で了解する。海に向かったミナトと別れ、寝ている仲間の元に、ぴょんぴょん小鳥のように足を揃えて跳びはねていく。通った後には、バンギラスが尻餅をついたような窪みがいくつも砂浜に出来ていた。
「優しくだぞー!」
 辿り着き、粉砂糖を被ったような雄黄の顔をツンツンと先の尖った口でつついた。いびきが続くばかりで、起きる気配はまったくない。今度は爪先で横腹を蹴るようにほじくってみたが、これも手応えなし。即決、月白は幸福そうな寝顔に向かって『破壊光線』をぶっ放した。

レイコ ( 2013/11/29(金) 23:42 )